山内

西澤形一師履歴 当寺境内小社・天神様の宮司さん

 

 

経歴

神職(神社庁資格)・宗教研究者
多くの書籍出版に携わる。
笛畝人形記念美術館館長退任後、秩父の神社に8年間奉職する。
滝行と自然を味わう会を主宰
 
西澤形一師は円泉寺境内の平松天神社宮司です。円泉寺住職ではありません。
併せて境内にある地元小社  八坂神社  山の神(やまのかみ)社もみています。

代表書籍出版物

・日本人形のあゆみ 西澤形一 著 藤間寛著 芸艸堂 版
・人形今昔物語展 笛畝人形記念館コレクション 西澤形一 (解説) – 犀書店
・中国美術全集12 工芸編 西澤形一 (他)著 京都書院版
・お諏訪さま 鈴鹿千代乃編 西澤形一 編 勉誠出版版

メディア情報  一部をご紹介

  • 天神社の西澤宮司が、「有吉ジャポン」に出演しました。
  • 特番「噂の現場直行ドキュメンガンミ」の撮影に「滝修行」の指導と「宮古島の恐怖スポット」に出演しました。     宮古島
  • 「女性セブン」「週間ポスト」「婦人公論」などの取材に協力しました。
  • 「NHK」で紹介されました。
  •  「日本経済新聞」夕刊に掲載されました。リンク
  • 吉本興業「PASMO」の指導をしました。リンク

その他テレビ・ラジオ・新聞・雑誌にも出演・指導も行っております。

 円泉寺との関係

 

住職とは友人としての付合いです。住職並びに地元の方々から八坂神社祭礼も依頼されています。
天神社への相談者や信者さんを円泉寺で縛るようなことはありません。
宗旨・宗教にとらわれず、気軽にご相談ください。

連絡先
〒357-0014
埼玉県飯能市平松376   円泉寺境内 天神社     
普段は天神社におりません。隣接する市に住んでいます。
直接来られても対応できません。ご了解下さい。
ご用の方は、お電話をお願い申し上げます。
Tel:(090)3225-6286
 
 

学習院の遠足で当寺にご来山 昭和11年

当時の平松村に、女子学習院初等科の生徒が遠足に来られると住職が警察に伝えても、誰も信じなかったそうです。
今も田舎ですが、当時はもっと田舎でした。
 
戦前ですから事実と分かると、さあ大変。
駅から歩いて来られますので、道普請は当然ですが、境内の汚い小屋は取り壊し、トイレも正目の木材で作り直しました。
 
 
境内では、脱穀や餅つき、満作の歌踊りなどを披露したそうです。
数十年前までは、当時演じた人もいました。
自慢話を聞かされたものです。
 
 
 
近所の栗林では、栗拾いです。
しかし、その時期は栗も落ちていました。
 
当日のために栗を畑に蒔き、栗の入ったいがを針金で吊ったそうです。
 
 
 
 
写真はありませんが、風船工場も見学されたと聞いています。
 
 
 
戦後お寺の裏手の山林あたりで、皇籍離脱後に久邇朝融氏は鉄砲打ちに何度も来られていたそうです。
その場所が、今では西武系になっている久邇カントリークラブです。
 
 
先日、千円札に描かれていた元総理大臣の子孫の方が来られました。(前列真ん中と向かって一番の左側の方)
ちなみにこの女性は、学習院女子初等科のOGです。
私も関連しているボランティア団体の顧問をされています。
 
御本堂前でご説明しただけしたが緊張しました。
 
 
その時お渡ししたのが、上の古い画像を印刷した写真です。
祖母から借りた写真をずっと以前にスキャナーで取り込んでいたのですが、画質が悪く、画素数も少ないために大きくは引き延ばせません。
 
 

墓誌彫刻

永代供養塔の墓誌に彫刻の依頼を致しました。

 

2016223191520.jpg永代供養塔の墓誌
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朱文字は生前予約、ご夫婦や親子での申し込み。

 

いつもは10日ぐらい前に依頼すれば良いのですが、雪の影響で今回はかなり遅れました。

残念ながら納骨に間に合わない家もありました。

以前はお墓ようの墓誌には直接彫るのではなく、茨城県の真壁に持って行き依頼していたので、かなり期間が必要でした。それに比べれば速い物です。

 

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鉄粉をコンプレッサーで吹き付けますので、硬い石もきれいに文字の彫刻が出来ます。

最後に掃除をし、文字に白と朱を入れます。朱は没後に白く塗り直します。

 

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型をはりつけ、文字を抜き出します。

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コンプレッサーで鉄粉の吹きつけ。

風下では粉塵が目に飛び込みます。

鉄粉は雨やしけっているとき、内部で固まってしまうために、工期が遅れてしまうのだそうです。

きれいに仕上げていただきました。

 

昔は墓誌に彫刻することはなく、箇々や夫婦などで、それぞれ石塔を建てました。

さらに火葬での納骨ではありません。棺のまま土葬ですから、お墓もかなり広い面積が必要でした。

 

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箇々の墓石

 

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墓誌

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石塔への戒名等の彫刻

 

永代供養塔は箇々の家のお墓でなく、跡取りがいても共同墓地として利用している方も増えています。

 

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泉寺永代供養塔

 

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久しぶりの雪かきです。

今朝は朝7時半ごろより雪かきをしました。

石屋さんも朝6時に家を出て、お寺に着いたのは8時です。普段は30分ぐらいだそうです。

従業員も気を利かせてやってきました。

葬儀やさんも来たと思ったら、お寺の霊安室に御遺体を搬送のためでした。でもその後は雪かきを手伝っていきました。

計4人で昼まで雪かきとなり、大助かりです。

 

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取りあえず家内の車が出せるように。

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まだまだ降っています。

2016118175548.jpg石屋さんは車で雪をかき混ぜています。
201611817574.jpgお陰で雪が溶けて側溝に勢いよく流れます。

 

2016118175944.jpg本堂前も。
2016118181923.jpgでも調子に乗りすぎて。

 明日は平日でもご法事があります。助かりました。

西武のウォーキング・ハイキングも予定されていますが、来るのでしょうか。途中あまり人の通らない道もありますので、取りやめになるかもしれません。

 

※追記 2016/01/19

 西武のウォーキング・ハイキングは、2月18日に改めて行うと連絡がありました。

 

2016119184942.jpg 石屋さんの下請け業者が手伝いに来てくれました。

翌日は雪も固くなり、お手上げでしたが、小さくとも機械が入ると早く片付けられますね。

 

石屋さん、葬儀やさん、ありがさうございました。

 

 

入檀、離檀

ここ数年檀家をやめる家が増えました。年3,4件あると思います。

わずかですが増えていますので、他のお寺さんより良いのかもしれません。

 

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転居したままなにも音沙汰なしの檀家も数件あります。墓石も困ったことにそのままです。

 

35年前は実質檀家数120件でした、月に五千円しか収入がなかったこともあります。苦しい時代でした。

 

墓地の広告を入れたり、ホームページを開設したりしたのは、近在のお寺さんよりかなり速かったと思います。

檀家数も数倍になっています。

近くのお寺さんからは、「あんなみっともないことは出来ない」と言われたこともありました。そう言ったお寺さんがいまでは墓地のチラシを入れています。

しかし、今は霊園のお墓を求める方が多く、二ヶ月で1,2件しか申し込みがなかったと嘆いていました。

霊園でさえ申込者が減っているようです。

檀家数が減る一方のお寺さんが多いのではないでしょうか。

 

50年後には、約半数が廃寺になると言われています。このことは実感としてとらえることが出来ます。

他県のある住職さんが息子さんに「お寺は継がなくて良い」と言ったそうです。

檀家が減る一方、過疎化が各地で起きています。

 

実際当寺に墓地を求めた方、永代供養を依頼された方々の中には、菩提寺が無くなっていたり、檀家数が以前よりはるかに減ってしまった所から引き墓されている方々がけっこういます。

住職が昔はいたけれど、引き墓の件で言ってみたら住んでいなかったと話していた方もいました。飯能市でも住職が入院してから無住の寺になっているところもあります。

菩提寺や親戚の反対で引き墓を諦めた方もいます。しかし、反対し「後はお墓の面倒を見る」と言っていた伯母が、10年後に「お墓を管理できないので、引き墓をして欲しい」と言ってきてたと言っていた方もいました。

 

そのような形で当寺に来られても、当寺としては他の寺から檀家さんを取ったと思われていると思います。

仕方がないことではありますが、いつも心苦しく思っているのです。

 

当寺もいずれ減る一方の時代がやってくるのかもしれません。

ですから、みっともなくとも寺の存続を掛けて対応しない訳にはいかないと思っています。

 

今は永代供養に移行しているようです。

まさかこのようになるとは思っていませんでしたが、絶えてしまった檀家さんのために永代供養塔を建立したのが、寺にとって良い流れとなりました。

 

 

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絶えてしまった檀家さんからお金を取ることが出来ないのですから、低価格に設定したのが良かったようです。

また、ホームページも良い結果をもたらしました。まだ永代供養が一般的でなかった時でしたので、申し込みが多くありました。

今はあちこちに出来ましたので、申し込みはかなり減っていますが、それでも多い方でしょう。

 

今までは運も味方になっていましたが、時代はどんどん変わっています。今後どうなっていくのか、見当もつきません。

無理をせず、お寺に檀家さんに尽くしていこうと思っています。

 

 

 

霊安室-静心庵

リフォームといえるほどではありませんが、外壁だけは少しましになりました。入り口も片屋根がつきましたので、雨の心配も少し減りました。

入り口を仕上げて、より使いやすくする予定です。 内部もいずれ感じよくするつもりです。

 

 

ご本尊は阿弥陀如来二十五菩薩来迎図の屏風か、十三仏の掛け軸になります。

ここの小屋を「静心庵」(せいしんあん)と名付けました。名前だけは立派です。

 

百人一首にある 紀友則

ひさかたのひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」  しづ心=静心

よりとりました。

 

のどかな春の日に、桜の花が散っていってしまうように、大事な人が亡くなられてしまった無常を、少しだけでも安らげる場所であればとの思です。

 

ご遺体を安置する場所がない方は、霊安室 「静心庵」 の檀家さん以外の使用も可能です。

 

使用料は無料ですが、指定葬儀社のみとさせていただいております。

ただし、在来仏教の方か、菩提寺が未定の方に限ります。一部の宗教団体は、お断りしているところもございます。

静心庵での読経や法要・供養は、円泉寺住職以外は出来ません。

 

指定葬儀社 初心堂

  携帯:090-5538-1188(荒岡)

  葬儀費用 ご自宅、静心庵にご遺体を安置した場合

  • 広域斎場・円泉寺での葬儀、60万円(税別)
  • 直葬(火葬のみ)、20万円(税別)
  • ラストメーク(死に化粧)料金も含みます。口や目を開いたままや、精気のないお顔が、生き生きとしたお顔になります。

お支払いは上記の料金で、ほとんどが済んでいるようです。

詳細は、携帯にてお問い合わせください。  初心堂 リンク

 

 

綿貫家妙見堂関連古文書

当山の妙見菩薩の由来を伝える文書は、当山檀家綿貫家に伝わる古文書のみであり、詳細は明らかではありません。

 

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将門公が戦いに敗れ討ち死にすると、配下の武将であった綿貫家の先祖であ平豊八は、将門公の念持仏である妙見菩薩像を守護し、代々守り通したと伝えられています。

Wikipedia平将門      

綿貫の名字は現在の群馬県高崎市綿貫より出たようです。

 

妙見菩薩像は今から180年ほど前に綿貫家より当山に移し祀りました。 

それから約十年後の弘化五年綿貫家六、七代前の分家で川越藩出入りの御用商人となった綿貫伊助が、、京の神祇官公文所の許可を得て、あらためて境内を高く盛り土し、お堂を建立して祀りました。

村民が総出で工事にあたったそうです。

 

しかし、私が入山した時は妙見菩薩像は祀られて無く、御幣のみでしたので、新たにお姿の御神紙を元に御尊像を彫っていただき祀りました。現在は二代目の御尊像となっています。

 

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妙見堂

 

私が入山後、あまりにも妙見様のことを知らなかったためにいろいろ調べた資料をホームページに掲載したのが「妙見菩薩資料集」です。

 

今年の9月19日より、東京都「板橋区立郷土資料館」において『特別展 武蔵千葉氏』が開催されるに当たり、この古文書はありませんが、私の集めた資料の一部が展示される予定です。

 

  埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺      ホーム  
 

 

忠魂碑に遺族会の方々がお参りに来られました。

本日朝9時より当山内にある精明地区の忠魂碑に遺族会の方々が、お掃除とお参りにまいりました。

2015310135331.jpg大正13年に日新日露戦争にて亡くなられた軍人さんの慰霊碑が小学校内に祀られましたが、戦後進駐軍が来ると慌てて桑畑に埋められ隠されたそうです。有志の方々がそれではいけないと、昭和34年に当山内に移して祀りました。何も心配することはなかったわけです。その折り太平洋戦争で戦病死された方々も祀られました。

私が円泉寺に入山した頃は公民館で慰霊祭を行っていました。地域の僧侶方が招かれ法要を行っていました。

あちこちで憲法違反の声が大きくなると、忠魂碑の前で私だけが呼ばれて慰霊祭の法要を行っておりましたが、いつしか遺族会のみで行うようになり、現在に至っています。

共産党支持者でさえお参りに来ていました。残念なことです。

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私は盆暮れはもちろん、折に触れてお花お線香を手向け一人で御供養を行っています。

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裏面

仕方がないことですが、戦後70年の月日が経ち、参列者も少なくなっています。いつまでも続けることは大変でしょうが、いつまでもここに来てお参りしていただければと念じています。

 

〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  

 

 

虹ですよ!

石材店の店員さんが、「虹が出てますよ」の声。確かに虹です。店員さんやお墓参りの方々も皆さんスマホで虹を撮っています。台風の影響で、雨が降ったりやんだりの好条件だったのでしょう。

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急いでカメラを持ち出し、本堂前で撮り出しました。次にお墓に向かいうと、虹全体を見ることが出来ました。久しぶりに見る虹に子供の頃を思い出しました。

良く霧吹きで霧を作り、小さな虹を見て喜んでいました。近頃はやたらと昔のことを思い出します。歳のせいですかねー。

 

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飛行機の音が聞こえ振り向くと、横田基地に戻る輸送機が見えます。今日は何機も飛んでいるようです。

 

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2014116163428.jpgお墓にはまだ鶏頭咲いていました。

 

増上寺由来の大きな石灯籠

私が子供の頃、実家のお寺に大きな石灯籠が来ました。
その頃は知らなかったのですが、増上寺にあった灯籠でした。
当寺にも本堂前に二基あります。徳川の将軍菩提のため、各地の殿様が奉納した一部です。各藩の幕府への忠誠心を見極めるためと、財力をそぐための施策でもあったと思います。かなり経費も掛かったでしょう。

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惇心院殿  徳川家重

施主  丹後國宮津城主・松平資承

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惇心院殿  徳川家重

施主  奥州棚倉藩主・小笠原長堯

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西武鉄道の堤氏が、各地のお寺に奉納した一部です。
プリンスホテルを建設するのに当たり、増上寺の敷地を買い取り、西武園周辺にに置いてあった物です。昔は道路から見える場所に無造作に置いてあるのを記憶しています。この灯籠が田舎の殿様が寄進したのが分かり、そのご縁で、当寺檀家さんになった方が、二件ありました。

 

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本堂前の石灯籠


今から10年ほど前でしょうか、増上寺さんが、この石灯籠を戻してもらいたいと言っていると、あるお寺さんから電話がありました。
弱ったなと思っていたところ、市役所から増上寺の灯籠があるか電話がありました。

やはりその話は、事実であったことが分かりました。
しかし、それだけで沙汰止みになったのか、まだ続いているのかは分かりません。今更とんでもないと言ったたお寺もあったようです。

 

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三つ葉葵の紋


当寺の灯籠は、間違いなく奉納されたことが分かっています。
聞いた話では、お寺さんによっては、大金を出して業者から買ったと言っていいるそうです。
その時、大もうけをした業者もいたようです。

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