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妙見信仰の広がり

妙見信仰が日本に渡来したのは、紀元後500 ~ 600 年のようです。
大阪府太子町の天白山妙見寺は、推古天皇6 年(598)創建で蘇我馬子の開基と伝えられ、河内の国最初の霊場です。
611 年には聖明王の第三子琳聖太子が肥後国八代郡白木山神宮寺(八代妙見宮)に、七星と諸星を描いたことにより始まるとする説もある。当初は渡来人の多い南河内など辺りで、次第に畿内などに広まっていったようです。
天智天皇の666 年から霊亀(716 年)に近畿・駿河・甲斐・相模などに住んでいた渡来人の東国移住と共に、その信仰も広がっていった。
「正倉院文書」〔天平勝宝4年(752)頃〕に仏像彩色料として「妙見菩薩一躰並彩色」の記事、続日本紀に「宝亀2年(771)上野国、美作国・・各々50烟を給す妙見寺(天白山)」の記載がある。
延暦15 年(796)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を「風紀の乱れ」として禁止したことが記録にある。
江戸時代の真言宗妙見経典の出版は、京都の醍醐寺三宝院、智積院のものが、多く見られるようです。

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