2006年06月24日

妙亀塚と木母寺(天台宗)梅若塚 日本お伽噺梅若塚

妙亀塚

梅若伝説で知られる梅若の母・妙亀(花御前)の墓です。この地は浅茅ヶ原とよばれていました。

人さらいにさらわれた梅若を探しに来た花御前が、梅若の死を知り髪を下ろし、妙亀を名乗って供養をしていましたが、隅田川に身を投げたそうです。

能の「隅田川」(観世十郎元雅作)で知られる伝説で、江戸時代になると歌舞伎・浄瑠璃でも演じられるようになりました。

関東大震災で現在は板橋区に移りましたが、妙亀の草庵が総泉寺になったと伝えられています。草庵は妙亀堂と言われていたかも知れません。

妙亀塚はここに残されました。

 

 

古墳の上に造られたようです。

 

祀られている板碑は弘安十一年とあるようです。妙亀との関連が分からないようです。

台東区で一番古い板碑ですが、梵字が隠れており私には読めません。五輪塔が彫られた板碑は初めて見ました、

 

 

妙亀塚    地図

 

日本お伽噺 梅若塚

珍しい本を見つけました。香雨山人述・稲垣蝸堂画の日本お伽噺です。

綱島島鮮堂書店で大正9年に刊行しています。

 

 

吉田惟房(これふさ)と妻の花子は、やっと恵まれた子に梅若丸と名付けました。

 

 

梅若丸は12歳になりました。

京の都から悪童から逃げだし、大津まで逃げてきましたが、人買いの信夫藤太(しのぶとうた)にだまされて、奥州に売られてしまう途中、病を得て亡くなりました。

お百姓達がお墓を作り、墓印に一本の柳の木を植えました。これが梅若塚です。

 

 

母花子は梅若丸が東国へ下ったことを聞き、向島まで行き着きました。

しかし、梅若丸の死を聞き、墓前で泣き伏してしまいました。

すぐに髪を下ろし妙亀尼となり、浅茅が原に庵を造り梅若丸を弔いながら月日を送りました。

 

悲しみに耐えられず、鏡ケ池に身を投げて亡くなりました。

今の浅草橋あたりだと申します。

 

隅田川梅柳新書 吉田梅若丸の内

歌川豊国(二代)による三枚組の一枚だけです。

 

 

 

木母寺の梅若塚

橋を渡り天台宗木母寺に向かいました。

かなり近代的な御本堂です。

 

木母寺とは梅若の梅を木と母に分けた寺院名です。母子の辛い別れを感じさせられます。

 

御本堂をお参りし、梅若塚の参拝を致しました。

妙亀塚のようになっているのかと思いましたが、石を積んだ梅若(梅若丸)の墓でした。

今は梅若公園になっている旧木母寺跡では、塚があったようです。

今の寺は昭和51年に移ってきています。

 

 

元梅若塚のあった梅若公園    地図

 

境内には都内で一番大きな碑があります。

※追記 2022/07/02 もう終わっていますが、駒ヶ根シルクミュージアムで、第56回特別展「天下の糸平と呼ばれた男、田中平八」がありました。駒ヶ根シルクミュージアムlink

田中平八は駒ヶ根の出身です。

 

天下乃糸平の碑  田中平八ウィキペディア

 

三遊塚は初代・三遊亭円生の追悼のため、明治22年(1889)に建立しました。

 

 

木母寺  地図            ホームページlink

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