2017年10月10日

真言宗豊山派 円泉寺 東京都世田谷区太子堂

今から30年以上前に、世田谷の円泉寺御住職と檀家さんの団体が、武蔵野三十三観音霊場札所の巡拝で、来られたことがあります。

一度は当寺と同じ円泉寺にお参りしたと思っており、世田谷に住む娘夫婦の家に行った帰りに参拝させて頂きました。

 

 

かなり以前にネットを始めて、地名・太子堂のいわれが円泉寺であることを知りました。

 

 

他の方が書かれているブログには、幹の間に祀られた庚申様が書かれています。

私も当然、パチリ !

 

 

先ずは御本尊・不動明王様を祀る御本堂を参拝しました。

 

 

境内南側に太子堂があります。祀られているのは、当然聖徳太子様です。弘法大師作と伝えられています。

 

 

 

太子堂の隣には、ブロンズ製の聖徳太子像も祀られています。

 

 

円泉寺 東京都世田谷区太子堂3丁目30−8 場所

世田谷区 円泉寺 ホームページlink

 

桜井甘精堂の栗鹿の子と泉石亭 長野県小布施町

小布施の町は北斎のお陰で、すごい人出です。
家内の希望で桜井甘精堂の栗鹿の子を買うことにしました。
他にも沢山のお店の品があるのですが、以前から家内の実家では、ここの栗鹿の子がお正月の必需品です。

桜井甘精堂本店


家には1つのつもりが、家内に実家と娘の所も買ってきて欲しいと言われ、さらに土産に○個も買いました。
ここで買わずとも、都内にはあちこちで売っています。

昼食はここの経営する泉石亭の一茶御膳にしました。
店舗は本店の真ん前です。
かなりの順番待ちでした。

 

イメージ 4

 

ああ、美味しかった。



素晴らしい庭園ですね。

 

北斎隠密説と高井鴻山記念館(小布施町)

小布施の高井鴻山記念館です。

三十数年前に来たときは、時間帯が異なりますが、もっと多くの見学者がいたように思います。
周りに沢山のお店などが建ち並び、見学者が分散されたのかもしれません。

 

高井家の破産、火事などがなければ、豪壮な建物、北斎などの多くの作品が残されていたのかもしれません。

 

東口からも出入りできます。

 

昭和61年に高橋克彦氏により著された「北斎殺人事件」があります。
帰った後で、改めて読み直しました。

以前この記念館に来たときは、忍者屋敷のようなカラクリを見ることが出来ました。
焼ける前の建物には、もっと凝った細工があったのかもしれません。

 

 
 
北斎は川村姓ですが、この本によれば北斎の生家である中島家は、幕府の御庭番の筆頭だった可能性があるようです。
養子の崎十郎はなんと!
これ以上は書きません。興味のある方は読んでください。
日本推理作家協会賞を受けています。
 
高井鴻山は多くの文人と付き合いがあり、大塩平八郎、梁川星厳、九条尚忠、佐久間象山など、幕府にとって危険人物と見なされている人達がいたのです。
 
北斎は隠密として高井鴻山に近づき、屋敷の内から探っていたわけです。
このことが事実であれば、多くの北斎作品が小布施の町に残された一番の要因かもしれません。
ここに多くの観光客が訪れているのは、高井鴻山と北斎のお陰です。
 
 
お墓は台東区にある浄土宗誓教寺にあります。
北斎の戒名は、「南牕院奇譽北齋居士(なんそういんきよほくさいこじ)」
北斎が武家であった証拠でしょう。 戒名上座ブログ
 
ただの絵師では戒名が院号居士はあり得ないのです。


今でも院号居士は特別な位です。
三万円、五万円で院号居士を売る、とんでもない人や会社がある時代ではなかったのです。皆さんもだまされないようにしてください。

さて、この本のプロローグにはだまされました。
北斎作の肉筆地獄絵図が発見され、その図が見事な文章で表現されています。
北斎記念館やこの後に行った岩松院の天井画を見た後には、この作品が原色で目に浮かびます。

ここに大事な伏線がありました。このことに気がつかないなんて!
ああ情けない!

善光寺 世尊院釈迦堂の摩利支天 長野県長野市

 

釈迦堂は、善光寺七福神の毘沙門天として知られています。

摩利支天は御本尊左側に祀られています。 

 
 
 
 

釈迦堂の並びの塔頭街は、天台系の寺院が並びます。

家内の同級生の宿坊もありました。

 

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