2017年10月

金剛院 埼玉県吉見町

金剛院は末寺二十数ヶ寺を有する真言宗智山派の本寺です。


前に書いた息障院と規模は小さいですが、同格のお寺でした。
江戸以前は足利市の鶏足寺の末寺でしたから、かなり古い歴史だったことが想像できます。
江戸期に息障院の末寺とされていたこともありました。

 



宝篋印塔には銅版の 宝篋印陀羅尼経が納められていました。

 


萩が見頃でした。良いときにお参りできたと思います。

岩室観音、松山城跡、百穴、龍性院、息障寺、金剛寺と約5時間ほどで回りました。
吉見町は興味深い歴史のある町で、楽しく回ることが出来ました。

今回「道の駅」に寄りませんでしたが、吉見町に行かれた時は、是非寄って下さい。
なかなか楽しめる場所です。

金剛院  埼玉県比企郡吉見町今泉351 地図


※真言宗豊山派 鶏足寺 
栃木県足利市小俣町2748 地図

 
 
 
 

息障院 埼玉県吉見町

息障院は山号が「岩殿山」で、元々は同じ山号の吉見観音安楽寺と同じ寺院だったそうです。

 


室町時代に源頼朝の弟の住んだ「伝範頼館跡」に息障院は移りました。
門前の東側、敷地の北側には堀跡が残されています。
江戸末期には末寺が百ヶ寺以上ありました。現在もかなりの末寺があります。


看板にあるように平将門公調伏の寺ですので、私は本来お参りしてはいけない立場ですが、円泉寺に入る前にもお参りしています。

成田山などと同じ宗旨の寺同士ですから、反将門公の寺院関係者といろいろな所で会うことになります。

 


  地蔵堂

 



塀に沿って館跡の堀が残されています。

 



幼稚園を経営しており、元気な園児の声が聞こえます。

吉見観音 岩殿山安楽寺 埼玉県吉見町

安楽寺は坂東11番札所です。


東松山市の坂東10番札所岩殿観音正法寺も巌殿山です。
私は岩殿山はつい正法寺を思い浮かべてしまいます。



まずは仁王様のお出迎えです。


本堂正面全体を撮影するには、木々と階段で写せません。どなたの写真を見ても同じようです。
でも落ち着きのある良いお寺です。

 
 
 
大きな大黒様が祀られていました。以前来たときには気がつきませんでした。
 
 
三重塔です。明暦2年(1656)の建立です。

 


三重塔は埼玉では他に行田市の成就院(享保14年)、川口市の西福寺(元禄6年)、蕨市の三学院( 平成10年)、さいたま市の青葉園(霊園 昭和53年)、川口市の長徳寺(昭和42年)があります。
多宝塔は川越市の喜多院、神川町の金讃神社があります。


大きな阿弥陀様です。



こちらは薬師堂です。御本尊はお厨子がしまっていますが、左右の十二神将はとても素晴らしい御尊像でした。



納経所前の弁天様


ここは蓮の花の頃訪れたいですね。

吉見観音リンク
埼玉県比企郡吉見町御所374   地図

インドカレー チャスカ 埼玉県吉見町

吉見町の寺院巡り中にカレーライスのお店「チャスカ」に行きました。
   埼玉県比企郡 吉見町中新井675-2  地図



店舗は民家を改装してありました。

 



最初にサラダが出ましたが、撮り忘れました。
レモンを搾った後に気がつきました。これまた写真の撮り忘れとなるところでした。


ビーフカレーです。



ナンは好みの味でした。美味しいです。

 

 


この味なら、わざわざ足を伸ばしていく効があります。
お勧めします。

うどんの「四方吉」にしようかと思っていましたが、次回にします。

八束脛洞窟遺跡 弥生時代の洞窟墓地 群馬県みなかみ町

前回の埼玉県吉見町の百穴と同じ様な遺跡である八束脛洞窟遺跡を載せます。
11年前の画像ですので、ご了解下さい。もし行かれるなら、他の方のブログなども参照して下さい。自衛隊群馬地方協力本部ブログ

群馬県みなかみ町後閑字穴

 

日本にも火葬だけでなく、広い地域で風葬があったことが想像できる貴重な遺跡です。風葬Wikipedia

かつて岡本太郎がある島で興味本位に風葬を写して発表したことから、その島では風葬がなくなったと書いてあったと思います。一方的に岡本太郎を悪く思っていましたが、真相は異なるようです。リンク

 

弥生時代中期の遺跡で、石尊山(標高712m)の中腹にあります。

記憶違いかもしれません。確認して下さい。 石尊山地図


穴切(あなぎり)集落の標柱の細い道を行き、
八束脛神社(やつかはぎじんじゃ)鳥居の所から登っていきました。

ストリートビューを見ると案内板がありました。新しい道があるようです。

 

 

 


かなりきつい坂道です。

 



八束脛神社


右の戸の中がB洞です。

 
1939年に明治大学の杉原壮介氏と学生が、ここから壺型土器と人骨を発掘しました。
さらに1963年に千葉県天神前遺跡から、やはり壺型土器と成人の骨を発掘し、再葬墓であることが明らかになりました。
 
 
 



ここから里を撮った画像があったはずなのですが、見つかりません。
かなり高い場所です。

ここの東側から石尊山に登れるようですが、ハッキリした道が無く分かりにくいです。
また、気軽な装備は避けた方が良さそうです。
山頂に行こうと思いましたが、私は途中で戻りました。

出土品は月夜野郷土歴史資料館に展示されています。土日・祝日だけの開館です
私はよく調べずに平日に行き、見れませんでした。
近くの八瀨遺跡もお薦めです。

月夜野郷土歴史資料館  群馬県利根郡みなかみ町月夜野1814-1  地図
電話0278-62-3088

 

追記 2020/02/26

1999年に各地で行われた「新弥生紀行 北の森から南の海へ展」の図録が手に入りました。

縄文時代から弥生時代、古墳時代に至る各地の遺跡が紹介されており、八束脛洞窟遺跡の貴重な写真も掲載されています。

新弥生紀行link

 

※ネットでこの図録を求めるに当たり、いろいろ調べましたが、低価格の所もあれば、通販大手では十倍以上もしました。当然私は一番安い店からです。日本の古本屋link

 

百穴 埼玉県吉見町

小学校の遠足と20歳頃に行ったきりでしたので、当時と比べると良く整備されていました。

子供の頃は「ひゃっけつ」と言っていたと思います。いつごろから「ひゃくあな」と言うようになったのでしょう。百穴Wikipedia
高校で吉見の友人も「ひゃっけつ」と言っていたのを覚えています。


古墳時代後期のお墓です。埋め戻されていますが、この近くにもっと多くの穴が発掘されています。
否定されていますが、コロボックルの住居跡の説があったことを思い出します。

 
 
 
 
ヒカリゴケの自生地として貴重な場所もあります。ヒカリゴケWikipedia
 
 
光っているのが、お分かりになると思います。
 


戦中に軍需工場とするために掘られた跡です。


朝鮮から数千人の労働者が集められ、工事を行ったそうです。



資料展示室です。


古代の貫頭衣を着用することが出来ます。



数十年ぶりの百穴見学でした。
遠足を思い出します。

※このような遺跡は、他にもあるようです。
群馬県みなかみ町後閑字穴切の八束脛洞窟遺跡は弥生時代中期の遺跡です。

11年前の画像が出てきましたので、次回に載せます。

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