2018年02月28日

飯能ひな飾り展 絹甚

飯能のひな飾り展は、今回で13回目になります。飯能市内119カ所と公民館に雛飾りが展示されています。それほど古い人形はないようです。

飯能の老舗「絹甚」は経営者が建物、敷地と修理費を添えて飯能市に寄付をした建物です。

土蔵づくりの立派な建物で、中に入るのは初めてです。

沢山の雛飾りと、30人以上のボランティアの方々が手作りのつるし飾りを作りました。

この織物は、(株)マルナカの寄贈です。コンピューターを駆使して織り上げています。この図がポスターに使用されたようです。

さらに奥に行くと蔵があり、格子からひな人形を覗く仕掛けになっています。

 

ボランティアの人が、いろいろ説明をしてくれます。残念ながら、かなり忘れてしまいました。

駅からは近いですが、お車の場合は、駐車場が少ないですので、駅近くの有料駐車場をご利用下さい。

 

埼玉県飯能市本町2 店蔵絹甚  地図       

 

本邦帝王切開術発祥之地記念碑

日本で最初に帝王切開が行われたのが、現在の飯能市、それもかなりの山中になります。
852(嘉永5)年に 秩父郡我野正丸で行われました。



子供が体内で亡くなっていたため、母親の本橋とめの母胎を守るための手術でした。
翻訳本を頼りに麻酔なしで行ったのですから驚きです。
その後母親は88歳の長寿を全うしました。

 


手術を行ったのは、伊古田純道(現秩父市)と岡部均平(現飯能市南川)の二人です。

 



この碑は本橋家の敷地に昭和62年(1987)年6月12日に日本医史学会、日本産科婦人科学会、埼玉県医師会によって建立されました。

場所は国道299号の正丸トンネルに入る手前にあります。 
「本邦帝王切開術発祥之地記念碑」埼玉県飯能市坂元  地図

※今は飯能市になっていますが、かつて飯能市の西部は秩父郡でした。
バスを秩父から来られるよう誘致するには、正丸峠がネックになっていました。
その当時は、郡ごとの認可です。
仕方なく入間群に編入し、飯能からバスが来るようになりました。

戦後でも秩父の思いが強く、秩父の親戚に居候をして秩父高校に通っていた人がいたそうです。
今でも秩父に親戚が多いと話していた人がいます。

岡部姓は飯能でも元秩父郡に多く、岡部六弥太忠澄の子孫と伝えられています。

 

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