2018年05月

第9回永代供養合同法要

今日は永代供養塔に祀られている各霊の供養の日です。

雨の心配がありましたが、どうにか持ちました。所によっては雨が降っており、参加を見直した方もいたと思います。

やはり昨年より、約30人は少なかったようでした。

10時半から法要開始です。

 

全員がお焼香の後、般若心経などをお唱え致しました。

 

本堂での供養が終わり、落語家の瀧川鯉橋師匠の奉納落語です。

最初は日本昔話から笑いを取ります。

次第に穏やかな笑いから、古典落語に移りました。

お題は「井戸の茶碗」でした。正直者のくず屋と、またまた正直者の武士の話です。

この話は、あらすじは忘れていましたが、何度か聞いたこともあります。

若い噺家さんには出せない味わいがあります。

参列者の皆さんは、十分楽しんでいただけたと思います。

 

 

次に永代供養塔の前でお焼香をする間、般若心経をお唱え致しました。

何人かの方が、ご一緒に唱えてくださいましたので、楽をさせていただきました。

 

 

 

師匠の妹さん家族も来られていましたので、一緒に記念撮影です。

 

皆さんお疲れ様でした。

根来寺の興教大師覚鑁聖人と一行阿闍梨の掛軸

当寺は新義真言宗系の真言宗智山派に属します。他にも豊山派、新義真言宗があり、両祖大師として弘法大師と興教大師覚鑁上人は、大事な方々です。

 

お勤めの時や、ご法事には、必ず両祖大師の御法号「南無大師遍照金剛」「南無興教大師」とお唱えいたします。

興教大師覚鑁聖人は平安末期の嘉保2年(1095年)-康治2年(1144年)の僧侶で、高野山の座主を務めていました。

訳あって山を下り弘田荘内に移り、根来寺の祖となりました。
今の根来寺は規模が小さいですが、室町時代には450の坊があったそうです。

豊臣秀吉に根来寺は焼かれ、多くの僧侶は全国に散らばりました。

 

根来寺 根本大塔

徳川側であったために、江戸時代には重用されたようです。智山派、豊山派、新義真言宗は、関東に多くの寺院があります。

廟のある真義真言宗総本山根来寺には、三回お参りに行きました。

本坊 根来寺事務所

根来寺  和歌山県岩出市根来2286 

 

多くの学侶(僧侶)と行人(僧兵とは言わない)がおり、行人は根来衆と呼ばれ、大きな力を持っていました。
根来の行人は、頭を丸めておらず、髪の毛を背中まで長く伸ばしていました。何処からも根来の行人と分かる姿だったようです。

種子島から天文13年(1544)鉄砲を伝えたのが、根来の行人でした。ヤフー知恵袋
ポルトガル人が、再び日本に大量の鉄砲を持ってきましたが、日本各地で、もっと優れた鉄砲が作られていたために、売れなかったと聞いたことがあります。

その時、銃の部品を止めるネジを知り、日本でもネジが作られるようになりました。
優れた職人が、日本にはたくさんいた訳です。

そのこともあり、アジアで植民地にならなかったのです。


徳川家康側だった根来衆に危機感を覚えた豊臣秀吉により、多くの建物が焼かれてしまいました。

多くの僧侶達は、日本全国に散らばり、江戸時代になると、重く用いられる僧侶も出ました。
特に新義系の寺院が関東に多いのは、このためでもあります。江戸時代は全国に約1万五千もの寺院があったそうです。

幕府に仕えた行人もおり、根来の姓を名乗ったそうです。根来組wikipedia リンク
日本で最初に根来を名乗ったようです。

今でも智山、豊山、新義を合わせて、約六千ヶ寺あります。

 

一行阿闍梨は、真言八祖の一人です。

 

 

向きが反対になりますが、興教大師像とほぼ同じ図柄です。うっかり興教大師と間違えそうです。

 

※興教大師の画像(工芸品・印刷)は、色合いが悪いために補正致しました。実際には青い色合いです。

総本山智積院 不動明王・弘法大師・興教大師 link   

色々な大黒天さま

当寺は武蔵野七福神の札所です。

色々な七福神様を集めてみようと思いました。その内の大黒天様です。

 

現在、よく知られているお姿の大黒様。

 

小さな大黒天

おそらく明治時代の大黒天

大黒天は、インドのヒィンドゥーの神様でマハーカーラとして、今でも信仰されています。マカカーラともよびまする

マハーは大、カーラは時で死も意味するのだそうです。カーラは暗黒と訳され、大黒天となりました。

本来は、恐ろしい神なのですが、その神を祀ることにより、災いを避けようとする考えがあったようです。

 

下の図は胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 マカカーラ)と同じです。摩多利神としても信仰されていました。ブログlink

三面の図ですが、後世には大黒天、毘沙門天、弁財天が三体合体されている御尊像が知られています。

 

三面大黒天(摩訶迦羅天)

 

大黒天が大国主命と一体になり、日本的服装になったのは、平安中期頃のようです。次第に福神としての信仰に移行していったようです。

戦国時代、大黒天(摩訶迦羅)は戦闘神として武将の信仰がありました。そのころ民間では大黒天を、福神として信仰しており、異なる立場での信仰が残されていたそうです。

 下の大黒天は、江戸初期の像ですが、私たちが知っている福神らしい姿に移行する過程のようです。まだ頭巾は大きくなく、手は拳印です。

印は槌握りとも言われ、これが大槌に変わったと聞いています。女握りとも言われます。

 

 

正面が大黒天、右が弁財天、左に毘沙門天の三像が一体となった御尊像です。今は手元にありません。

素焼きで、明治時代に量産されたものです。

明治時代になると、豊臣秀吉が信仰していた三面大黒天に因み、 三面大黒天信仰が大流行したそうです。よく知られているのが、京都・高台寺塔頭の圓徳院でしょう。

 

 

大黒天と神使であるネズミの図です。

 

大黒天は描かれていませんが、大黒天の小槌をネズミがお正月前に小槌を大掃除している場面でしょう。

河西草畝筆の「遊福の図」です。

 

大黒天は、恵比須大黒の対で祀られている事が多いですね。

 

大黒天 お姿 どこのお姿かは不明

 

山形県にある岩根沢三山神社の大きな恵比須大黒像です。ブログ

 

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エセ僧侶夫婦からの被害

今回は適当に読んで下さい。セイショウは信じられないやつだと思いながら読んで頂いた方が良いかもしれません。


隣接する市の某寺奥様から電話がありました。

「○○△△の奥さんを知ってる?」

○○は共に迷惑を掛けられたエセ僧侶です。
私は、しばらくして合わないようにしていましたが、某寺住職は訳あって無視することが出来ない人でした。

○○は、当寺に来て「真言宗の僧侶」と言っていましたので、無視するわけにも行かず、来られると話をするだけでなく、持ってない衣などを差し上げていました。

しかし、般若心経も満足に読めません。
おかしいと思っていると、自分は霊能者だと言い出したのです。
それを機会に相手をするのを止めました。
奥さんは聞いたことのない会の信者だそうです。同じく霊能者だと話していました。

その後、いろいろな人から○○の悪い話を聞くことが出来ました。
特に○○の隣の方も、違ったことで一番の被害者でした。
実は私の寺の檀家さんで、越してきてすぐ何かと難癖を掛けられていたようです。

ある神社では、神職さんが私のことを知ってるかと聞いたところ、「□□君ね、私が面倒見ているよ」と話していたそうです。
あらゆる人より、自分が上だと思っていたようです。
その神社では、その神職さんの力で、参拝者が増えたのです。それを見破れずにいたのは、ニセである証拠です。

○○は何年か前に亡くなったと聞きました。


某寺奥様には、エセ僧侶の奥さんの印象や、独特の人を見下す様子などを話しました。
すると、霊能者と言われ、相談した人から被害を受けていると、相談があったようです。
偽霊能者夫婦共に、あちこちで迷惑を掛けていたようです。

以前、ニセ僧侶を量産して、新聞に広告を入れていた、エセ霊能者集団が、逮捕されたことがありました。
人の見方、だまし方のマニュアルを作って、いたのですから呆れます。


私の知っている霊能者は、金銭面に淡泊です。
相談者をいつまでも脅して、引き留めることは一切ありません。
だから物足りなく思われるのかもしれません。

自腹を切って、対応している方もいます。


ずっと昔ご本山で、ある法要が行われました。
そこに列席するため、先輩と知らない僧侶が話をしていました。
ある地域では、有名な行者さんだそうです。

先輩が「人を殺すことが出来ますか?」と聞くと、「出来ます。ただし私の先輩は殺した後に廃人となりました」と話していました。
戦前の話で、とても断れない状況だったようです。

その行者さんの身なりは、かなり古い衣と足袋は接ぎ当てをしていました。
先輩に後で聞くと、困っている方からは、一銭もいただかず、いただいても信じられないほど少ない金額だそうです。
それも一人一人に時間を掛け対応し、御祈願をしていたそうです。
たとえ大臣をした有名な代議士でも、気に入らなければ会わないと、先輩は話していました。
信じられない話ですが、実際に目の前で聞いた話です。

まるっきり当てはまらない話ですが、仲間に聞くと、長野県から日本海を経て、東北に至る地域に、恐山と同じ信仰があったようです。
仲間が養子に入った東北の寺も、そのような信仰があり、多くの参拝者があるそうです。
ひょとすると、縄文時代から続く、諏訪信仰などに通じる信仰と繋がるのかもしれません。
諏訪の神長官の末裔の人は、人の病を治す力があると話していました。信じられない話ですよね。
神長官には、特殊な力がないとなれなかったのです。


以前は霊能者に対して懐疑的でした。
あるとき信じられない体験をして、考えが変わりました。
その後も何度かあります。
それ以来、目に見えぬ事でも、何が何でも否定することは止めました。

相手の立場を尊重して、貪欲にならずに対応する事が、大事なのだと思います。

 

話は変わりますが、近頃は僧侶の派遣業が増えています。大手通販までが行っているのですから驚きです。ある葬儀屋さんに聞くと、その通販に喪主が依頼した僧侶が来ましたが、その葬儀社が使っているニセ僧侶だったそうです。

派遣する寺は本物でも、分かっていて雇っている人物に偽物がいるわけです。

「エセ僧侶」「ニセ僧侶」で検索すると、たくさん出てきます。

ある市では○○宗の僧侶が浄土真宗・真言宗などの葬儀をしていたこともあります。その僧侶に葬儀をしてもらった人が、近くの本物の寺に間違って来ることが続いたことがありました。さすが我慢できず近くの他宗旨住職と抗議に行ったと話していました。さらにその僧侶を使用していた葬儀社にも抗議したそうです。

共に有力な寺院でしたので、しばらくすると引っ越していったそうです。しかし、押し入れに預かっていた骨壺が、どうなったのか気に掛かります。

 

お花に蝶々

蝶が舞っていましたが、なかなか写真に撮ることが出来ませんでした。

運良く撮れた蝶です。

 

 

でも、どのような名の蝶か分かりません。アゲハ蝶だと思うのですが。

 

 

裏からも撮ろうとしたのですが、飛んでいってしまいました。

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