2018年12月

山椒の黄葉

山椒の葉が紅葉しました。

どちらも日陰の目立たない場所にあります。

今の時期だけが、一番目を向けてもらえる時期です。

南天の実

境内の南天が色づきました。

アチコチに自然と増えてきます。

白南天は3年ほど前に購入致しました。

白い実は種を蒔いても芽が出てこないようです。

以前山中で、自然に生えたと思われる白南天を見たことがあります。

鳥が食べて、自然と発芽したのでしょう。

 

天御中主神など十二神の掛軸

天御中主神より、色々な日本の神様が描かれた掛軸です。

裏に出雲大社と書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治以降の掛軸と思います。

大国主神は大黒天が描かれています。私には因幡の白ウサギの姿が、自然と浮かびますので、武神としての画像であったらと思います。

出雲系の大黒さまは、丸々としたお姿が知られています。

お正月用のおめでたい時用なのかもしれません。

 

飯能市博物館

久しぶりに飯能市博物館に行きました。

以前は飯能市資料館でした。

常設展示室、特別展示室、学習研修室、図書室などがあります。

 

飯能村絵図

 

縄文の土器が展示されています。私の住んでいる近くも遺跡があります。

めぼしい発掘品はなかったようです。

 

智観寺の板石塔婆は、鎌倉時代に活躍した丹党加治氏の貴重な資料です。

 

中山氏は戦国時代を生き抜き、徳川家の家臣となりました。智観寺にお墓があります。

水戸藩の付家老黒田家は、能仁寺を菩提寺にしました。

 

現在の飯能市中心街は、幕末の「ぶっこうし」や「飯能戦争」で、甚大な被害を受けました。

 

明治初期の飯能の中心街は、かなり賑わっており、市なども開かれていました。

 

飯能の山間部には、平安時代からの古い由緒のある寺や神社がありました。

この仏像は、高山不動の軍荼利明王のレプリカです。

この像も見上げるほど大きいですが、実物の像は遙かに大きな像です。

 

飯能は林業で栄えました。

現在の名栗は最近まで名栗村のままでしたが、かつてはとんでもない資産家がいたそうです。

東京の赤坂にビルを持っていると話していたおばあちゃんがいたそうです。

それを名栗出身の方に聞くと、○○さんでしょうと言っていました。

私が40年ほど前に住職になったとき、檀家さんが母は名栗の出身ですと自慢していたのを思い出します。

 

上野公園の噴水とチューリップ

公園の噴水に近づくと、もうチューリップが花壇に植えられていました。

まだ秋なのですよ。

ごく一部ですが、紅葉も散りきっていません。

ムンク展 東京都美術館

上野公園を歩き、上野動物園方向に向かっていくと、右側が美術館です。

東京都美術館  台東区上野公園8−36  link    

次々に人が出入りしています。いかに人気の催しかが分かります。

中に入ると、大きなテレビ上下に作品が映し出されます。

この画像を見ている間は良かったのですが、実際の絵は、あまりにも心臓をえぐるように内面を攻撃してきます。

私には絶えられない絵が続きました。

副題の「共鳴する魂の叫び」ではなく、私には「おののく魂の叫び」でした。

 

 

私には絶えられない状態でしたが、多くの人はジックリ見学しています。

しかし、ノルウェーに帰ってからの作品は、とみに明るくなり、これなら違和感なく見ることが出来ました。

我ながら情けない神経の持ち主であると思います。

 

旧東京音楽学校奏楽堂

上野公園の噴水を西に向かうと、奉楽堂に出ます。

旧東京音楽学校奏楽堂  京都台東区上野公園8−43  ホームページ link    

東京音楽学校は現在の東京芸術大学の前身となりました。

 

ここを通る時、いつも入ろうかと思いながら、今になってしまいました。

この建物は重要文化財となっています。

創建当時の学校模型や資料が展示されていました。

卒業した幸田露伴の姉妹、幸田幸・延は音楽教育を牽引し、滝廉太郎、本居長世、三浦環などを育てました。

有名な卒業生を紹介した部屋がありますが、撮影が出来ません。

日本人の優れた音楽才能を高めた外国人教師達です。

 

二階のホールに行くと、パイプオルガンの修理中でした。

しばらく様子を見ていましたが、ここを出るとオルガンの荘厳な響きが聞こえました。

修理後の調整をしていました。何の機器もなく、耳だけで修理の人と調整をしています。

絶対音感があるだけでなく、優れた人たちなのでしょう。

私は少しぐらい音程が違っても、まったく分かりません。

 

ニューイヤーコンサートが開かれるようです。

これ以外にも年に何回かのコンサートやコンクールも開かれるようです。

 

戒名探偵 卒塔婆くん 僧侶の必読書

 

戒名関連の本を検索していると高殿円著「戒名探偵 卒塔婆くん」が出てきました。
 
発行元のカドカワには、何と本の内容4編の内、2編が無料で読めました。
江戸時代の戒名の謎を読本です。
 
有難いことに戒名の知識も得られます。KADOKAWA link
 

 

KADOKAWAのサイトだけでも良かったのですが、他の2編も読みたくなりました。
僧侶の必読書と言ってもおかしくありません。
 
 
私のブログで良く読まれているのが、「戒名こぼれ話 上座」です。link
毎日のように読んでいただいているようです。
この本も役に立つでしょう。
 
ぜひお買い求めください。
内容は面白おかしく書いてありますが、僧侶にとっては内容の濃い本だと思います。
 
耳が痛くなる文章や、僧侶の将来への不安も少し書かれています。
 
 

 

 

 

 

国立科学博物館 日本を変えた 千の技術博展

出島や松前藩だけでなく広く門戸を開いて維新をむかえ、海外から一気に新しい学問や技術が入ってきました。

パンフレットを見るだけでも、新しい流れの一部を改めて見直すことが出来ます。

 

まず大事であったのが、新しい文化を入れる器でした。

各地に学校を開き、教育に力を入れました。女子にも門戸を開きましたが、割合は少なかったようです。

昭和30年代、私が子供の頃でさえ、文字の読めないお婆さんがいました。

 

海外から、お雇い外国人を招いて、技術や教育の育成にも力を注いでいます。

しかし、元々学問は大事にされていましたので、たちまち知識や技術を吸収していきました。お雇い外国人もグンと少なくなりました。

 

尺貫法が改訂され、キロやメートルの単位となりました。

上の画像が、重さ、長さを基準とする標準器を運んできた器です。

 

その内、世界中の機器よりも優れた物が日本人によって開発されるようになりました。

今でも企業として残る東芝などが、日本を牽引していたのです。

 

蚕はヨーロッパなどで病気が流行り、日本産の糸が海外に輸出されただけでなく、織物も徐々に力を着けていきました。

日本における重要な輸出品でした。鉱業における銀や銅の輸出も大事な産業です。

 

通信機器の発達は地域だけでなく、日本中に繋がっていきました。

 

精密機器に必要なコーツは、海外より二桁も精度の高い技術が開発されています。

 

それらの沢山の技術の開発が行われたのは、誰でも読み書きが出来るようになった学校制度です。

今の日本の発展は、多くの人々の勤勉さと努力のお陰とだったのです。

 

ルーベンス展 西洋美術館

上野の国立西洋美術館では、ルーベンス展が開催されています。ルーベンス展

このような重厚な作品群は苦手なのですが、さすがルーベンスはすごいと思いながら廻りました。

 
若きルーベンスが、1600年から8年間、イタリアで古代彫刻やミケランジェロ、ラファエロらの作品を模写・吸収し、力をつけました。ちょうど江戸初期です。
 
イタリアにのこした作品を中心に展示されていますが、その頃から超一流の画家だったことが分かります。
 
ベルギーに帰ると大工房を運営しました。そこから出て、名をなした画家もたくさんいます。
 
残念ながら中は撮影できません。
 
 
外に出ると銀杏とロダンの作品が、楽しませてくれました。
 

かなりの人出でしたが、さらに土日には大変なことになりそうです。

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