賽銭箱が震災義援金募金箱
彼岸前ですので、義援金を渡すために募金箱を空けました。
本堂の賽銭箱が、義援活動に利用されています。
知人を通しボランティア団体と大熊町に送らせていただいています。
知人は大熊町出身です。
年に何回かに分けて、渡しています。
彼岸前ですので、義援金を渡すために募金箱を空けました。
本堂の賽銭箱が、義援活動に利用されています。
知人を通しボランティア団体と大熊町に送らせていただいています。
知人は大熊町出身です。
年に何回かに分けて、渡しています。
今年は市内からのペット納骨が増えています。
ホームページが上位にでていることもありますが、納骨された方からの紹介が多くなっています。
紹介されただけでなく、ネットでも改めて検索しているようです。
飯能市以外では、検索での順位が低いために少ないようです。
あくまでも檀家さんへのサービスのつもりですから、他のペット霊園のように年間会費をいただいたり、延長の契約をお願いすることはありません。
そのあたりも増えた理由の一つと思います。
お預かりした後は合祀となりますので、お返しできないことになっています。
さすが地元の檀家さんは、屋敷の敷地も広く、畑や林も持っていますので、ほとんど納骨はありません。
しかし、ペットを屋敷の敷地に土葬した後で、その場所が孫の駐車場になったと嘆いている方もいました。
今はペットも家族の時代ですので、つらいのでしょう。
時折食べに行く蕎麦屋さん「百日紅」の女将さんのブログに、近くの「ごん兵衛」のうどんが美味しいと書かれていました。
同業ですから間違いないだろうと、友人と出かけました。
入ったときは我々だけでしたが、たちまち女性客でいっぱいになりました。
常連さんばかりのようです。
一番人気と書かれている肉汁うどんにしました。
武蔵野うどんとありますので、地粉を使用しているのでしょう。
私好みの腰のある地粉うどんでした。
注文してから、うどんを打つと書かれていましたが、それほど待たずに出てきます。
一緒に行った友人も満足していました。
けっこうボリュームもあります。漬物と卵焼きも私好みでした。
また行こうと思っています。
ごん兵衛 埼玉県日高市南平沢408 場所 百日紅ホームページ
NHK放送博物館の見学を終え、愛宕神社との間の階段を降りました。
何件かの寺院を眺めていると「杉田玄白墓」の文字が見えました。
杉田玄白は解体新書を著したことで、教科書には必ず書かれていますので、知らない人はいないと思います。
0 地図
庭の手入れが良くなされており、梅と椿がアクセントを与えています。
寛永の頃に猿回しに扮した泥棒が、住職に改心させられました。
泥棒は猿を置いて諸国行脚に向かい、猿は寺の人気者になったのだそうです。
御本堂の右側に向かうと玄白の墓があります。
ここで般若心経などを唱えさせていただきました。
お塔婆には、キャ、カ、ラ、バ、アの梵字が書かれていました。浄土宗でも使用するのを初めて知りました。
福禄寿様の石像も祀られていました。
ここから新橋駅に向かいましたが、運良く駅行きのバスがありました。全線100円のミニバスです。
ほとんどが烏森神社まえで折りましたが、私は駅で降りました。駅に行くなら神社前の方が便利なようです。
愛宕神社の隣にあるNHK放送博物館です。
番組の背景と人物が別々に撮されて、合成される様子の説明です。
背景は海の中でした。サメが泳いでします。
手前はニュースの原稿がどのように読まれているかを説明していました。原稿が映し出された画面を見ていれば、そこの裏側にカメラがあり、いかにもカメラを見ているように写されます。
向こう側は天気予報の様子です。
ここでは朝のドラマを展示してありました。
画面が異なりますが、世界中で放送された「おしん」を見ることが出来ました。
モノクロだったのに、私の記憶ではカラーで放送されたと思っていました。小林綾子、泉ピン子など懐かしいシーンです。
「梅ちゃん先生」の世界を表現したジオラマです。
昭和30年代のイメージです。
テレビの番組で使用された音作りの道具です。
左側が「風」、右側が「波」の音です。昔テレビで紹介されていたのを思い出します。
番組で使用された台本が並べられています。
今でも放送されている番組や、懐かしい番組の人形が展示されていました。
「ひょっこりひょうたん島」の放送は、いつも楽しみでした。ひょっこりひょうたん島Wikipedia
番組では明らかにされていませんでしたが、火山の噴火のために本当は全員死んでいて、幽霊だったのだそうです。
知らなくて良かった裏話です。 ひょっこりひょうたん島 ユーチューブ
1960年代の茶の間の様子です。
この中では、テレビが最も高価だったと思います。
その他にも8Kで撮されているオーケストラや放送機器の変遷など、興味のある部屋がありました。
時間を掛けて楽しみたい場所です。
都内に用があり、真言宗智山派総本山智積院の別院真福寺に行きました。
ここでの目的は、勝軍地蔵像参拝と経典を求めるためです。
先ずは勝軍地蔵へお参りです。
勝軍地蔵菩薩 愛宕権現
何度も来ているのですが、建物の南側庭園にありますので、マッタク気がつきませんでした。この像は昭和9年の造顕です。
真福寺
説明にありますように、この後参拝する愛宕神社は円福寺が別当でした。円福寺が廃仏毀釈により廃されると、真福寺に勝軍地蔵像は祀られていましたが、関東大震災で焼失しました。
関東大震災 愛宕山より見たる芝 京橋一帯
愛宕山雪景眺望の図(山本昇雲画) 愛宕神社男坂 明治期 溝は櫻川 ※風俗画報より
おそらく江戸期の勝軍地蔵お姿を手に入れましたので、添付します。
愛宕権現 勝軍地蔵
愛宕権現で行われていた強飯式と思います。
歌川広重の名所江戸百景から愛宕下藪小路です。赤い門が真福寺です。
愛宕下藪小路の錦絵
御本堂をお参りすると写経を行っていました。
今日は御本尊薬師如来の縁日でもあり、正午にお護摩も行われていました。
上がらせていただき写経の邪魔にならないよう、脇の方から小さい声でお唱え致しました。
経本を送っていただく手配をした後、愛宕神社にお参りしました。愛宕神社ブログ
愛宕下絵図
明治になり多くのお寺が廃されたり、移転したことが江戸の地図を比べると分かります。
新橋駅から別院の真福寺に向かう途中、烏森神社にお参りしました。
変わった形の鳥居です。
烏森稲荷ですから狛犬でなく普通は狐ですが、何かいわれがあるのかもしれません。
由来に書いてありますが、天慶の乱の戦勝祈願を藤和秀郷がここで行ったと伝えられています。
円泉寺境内の妙見菩薩(二代目)は、平将門関連ですから、お参りするのはおかしいと言われかねません。
智山派には成田山もあります。古い寺社は平定の祈願をしているところが多く、お参りできなくなりますので、ご勘弁ください。
愛宕から新橋駅に帰るサラリーマンが、大勢寄るのがこのあたりの飲み屋さんです。
私はお酒が飲めませんので、学生の頃から真福寺に寄った帰りは、美味しい物を買って帰りました。
順番は違いますが、新橋駅前のC11です。
機関車が走るのをほとんど見なくなりました。
記憶では10年以上前、秩父鉄道で偶然見たのが最後です。
今年から初めて梅まつりが、境内天神社で行われました。
梅が散り始めていましたが、梅まつりにふさわしい日です。
今日は女性の神職さんが巫女舞を行いました。
今回の参列者メンバーは、いつも来られる一組の御夫婦以外は、新メンバーばかりでした。
毎回少ないのですが、ネットで知り来られた方もいます。
今回は檀家さんや女性神職さんの知り合いなど、ほとんど祭礼に参加されたことのない方々ばかりです。
「あの寺住職のお孫さん」がと、その寺を知っている人は驚くような方もいました。
奉納された梅酒を全員でいただきました。
この後、宮司の用意した和菓子を全員に配りました。大盤振る舞いです。
この後、御本堂にもお参りしていただきました。
境内には何本も椿がありますが、勢いのあるのはヤブツバキです。
庫裡の裏が一番大きな木です。かなり長い間咲いています。
子供の頃は花を取っては、レイのよう糸を通して首に掛けたことを思い出します。