白髪神社 埼玉県飯能市川崎
飯能市の上下川崎と平松の氏神です。
白鬚神社(しらひげじんじゃ)ではなく白髪神社(しらひげじんじゃ)でした。
祭礼も行われていますが、ほとんど役員のみで行っているようです。
久しぶりの参拝になります。
廃仏毀釈以前は普門寺持ちだった関係で、白鬚神像が寺に祀られているようです。
役員さんの尽力によって、よく管理されています。
白髪神社 飯能市川崎36 地図link
飯能市の上下川崎と平松の氏神です。
白鬚神社(しらひげじんじゃ)ではなく白髪神社(しらひげじんじゃ)でした。
祭礼も行われていますが、ほとんど役員のみで行っているようです。
久しぶりの参拝になります。
廃仏毀釈以前は普門寺持ちだった関係で、白鬚神像が寺に祀られているようです。
役員さんの尽力によって、よく管理されています。
白髪神社 飯能市川崎36 地図link
久しぶりに正法寺の前を通ると、建物が新しくなっていました。
この地区には金子姓が多くあるようです。
ここの檀家分家筋の金子さんで、飯能市や他の地区に住む方が、永代供養を2件含む計3件で当寺(円泉寺)の檀家となっています。
御本尊は薬師如来です。
入口には3体の地蔵菩薩が祀られています。
真ん中には光背に、五仏の梵字と光明真言が掘られていました。
知る限り地蔵菩薩の光明真言とうはここのみです。
明治4年10月の建立になります。
あと数日で裏の枝垂れ桜が、満開になりそうです。
正法寺 埼玉県日高市中沢126 地図link
時折抜け道で通るのですが、お参りしたのは初めてです。
社記に承久3(1221)年、信濃国諏訪頼重家臣の春日刑部正幸が、兜の八幡座を祀ったと記されているようです。
かつては諏訪社でしたが、廃仏毀釈後に地区内の12社を合祀し、霞野神社と名を改めました。
祭神は建御名方命です。
ここは女影原古戦場でした。
建武2(1335)年の北条時行軍と足利直義軍、観応3年の南北朝両軍の合戦などです。
この前の道は鎌倉街道上道で、有力武将はここを通っていました。
数多くの武将が戦死しています。
何も知らない人の話しに、甲冑を着た疲れ切った武士が、道に佇んでいたのを見たことがあると話していました。
信じられない話しです。
さらに現在の所沢市の小手指原古戦場に続いています。
氏子は女影で約300戸あります。
新編武蔵野風土記に女影とは、往古に千丈ヶ池に身を投げた女の影が池に現れたことにより、これを女影と呼んだのが村名の起こりだと書かれています。
霞野神社 埼玉県日高市女影444 地図link