2022年03月

将軍塚古墳 利仁神社 埼玉県東松山市

将軍塚古墳

無量寿寺の南側にある古墳で、現存長115mを測る前方後円墳で、4世紀後半の築造であることが明らかになっています。

県内で3番目の大きさで、行田市の埼玉古墳群より一世紀古いそうです。4世紀後半としては一番大きな古墳です。

 

無量寿寺の南側より見た古墳

埼玉県でも有数な規模の前方後円墳です。

 

 

都幾川や荒川流域の開発に尽力した首長の古墳のようです。

 

後円部には利仁神社が祀られています。

 

 

 

 

鋳銅の経筒(国立東京博物館蔵・国宝)などが出土されています。

 

野本将軍塚古墳  埼玉県東松山市下野本612   地図link      ウィキペディアlink

 

利仁神社

藤原基経の配下である藤原利仁を祀る神社です。

延喜十五年(915)に鎮守府将軍となっています。

 

 

芥川龍之介の「芋粥」の元となった今昔物語で知られる武将でもあります。

 

 

地元の比企氏や野本氏は、利仁将軍の子孫です。

 

駐車場はないようです。

私は道ばたの空き地に駐めました。

 

曹洞宗 無量寿寺 埼玉県東松山市

無量寿寺は野本氏館跡にあります。

 

 

 

この説明板によると、建長6年(1254)銘の銅鐘の拓本により、当時無量寿寺が野本寺といわれていたことなどから、遅くても13世紀の初め頃には館が造られていたと考えられているそうです。

 

参道には線香地蔵が祀られていました。由来は記していません。

 

 

 

御本堂の御本尊は、阿弥陀如来です。

 

 

 

本堂裏は野本館の堀の跡のようです。

 

 

境内南側には野本将軍塚古墳があります。

現存長115mを測る前方後円墳で、4世紀後半の築造です。

 

 

無量寿寺 埼玉県東松山市下野本662  地図link

 

中武蔵七十二薬師霊場御開帳 令和4年4月7日(木)から4月13日(水) 埼玉県薬師如来札所

今年は寅年ですので、中武蔵七十二薬師霊場では、十二年に一度の御開帳となります。

安永5(1776)年に坂戸市小坂の龍福寺住職・寛智法院が願主となり始まりました。

 

今でも龍福寺より、各寺に御開帳の案内が行っているのだと思います。

龍福寺に中武蔵七十二薬師霊場のガイド本があります。一冊1500円です。専用納経帳も用意されたようです。

 

ただし、長い年月の間に無住や廃寺の所もあります。

集会所になっていることもあります。

 

詳細は不明です。

札所で御開帳なのに何故御朱印がないのかなどと言わないようにして下さい。

 

1番  龍福寺  坂戸市戸口453

龍福寺ブログlink

 

4番  大薬寺  入間郡毛呂山町大類112 無住

 

5番  智福寺  毛呂山町西大久保148 無住

 

6番   大榮寺  坂戸市厚川78

 

8番  高福寺  鶴ヶ島市高倉185 廃寺

 

11番 善能寺  鶴ヶ島市脚折町6-3-10

 

19番 勝光寺  坂戸市横沼361 

 

21番  東光寺  坂戸市小沼266

 

23番  大智寺  坂戸市石井2331

 

32番  養竹院  川島町表9

 

39番  円泉寺  川島町一本木71  無住

 

47番 正法寺  東松山市岩殿1229 

 

55番  無量寿寺  東松山市下野本662

 

62番  安楽寺  吉見町御所374

 

63番  龍性院  吉見町北吉見459

 

68番  覚性寺  東松山市東平438

 

72番  慶徳寺  比企郡滑川町中尾812

 

全てを掲載できません。私が参拝した寺院のみを掲載致しました。

薬師霊場参拝が目的ではありません。

調べただけですが、いかに無住や廃寺が多いのかと感じました。

 

ネットで「中武蔵七十二薬師」で検索して下さい。

12年前は殆ど参拝がなかったそうです。

新型コロナもまだ収まっていませんので、気軽に手を合わせるだけの参拝が良いと思います。

※御開帳期間以外にも御朱印を受け付ける寺院もあります。

 

※追記  中武蔵七十二薬師霊場ではありませんが、坂戸市の慈眼寺にて御開帳と御朱印のお授けがあります。

詳細はホームページをご覧下さい。 慈眼寺ホームページlink

 

 

埼玉県東松山市 覚性寺 石仏 永代供養塔 真言宗智山派

覚性寺を参拝すると、御住職が本堂掃除をしていました。

以前お目にかかっているはずですが思い出せません。

声を掛けさせていただくと、覚性寺御住職の方が良く覚えていました。

総本山智積院における儀式で一緒の方でした。もう20年以上昔のことです。

 

 

御本尊は阿弥陀三尊立像です。

右脇には涅槃図が掛けられていました。

 

 

本堂西側には永代供養塔がありました。

檀家さん主体の施設ですが、檀家さん以外も受け付けているそうです。

 

 

とても良い御住職ですので、永代供養を検討している方は見学に訪れてみてはいかがでしょうか。

西南には天神社です。

 

 

東側入口には薬師堂がありました。

 

 

ここでは大護摩供が勤修されているようです。

 

 

今年は寅年ですので、中武蔵七十二薬師の御開帳があります。

埼玉県の入間郡、比企郡の薬師如来を祀る寺院を巡ります。

今年(令和4年)は、4月7日から4月13日の期間です。

 

薬師堂の前は駐車場になっています。

道路に面して六地蔵や色々な石仏が祀られていました。

 

 

 

珍しい弘法大師像です。

上には5仏の梵字と光明真言が掘られています。

 

 

光明真言塔と思います。

 

覚性寺 埼玉県東松山市東平438 地図link

   電話  0493-22-2588

 

 

天台宗 青蓮寺 倶利伽羅不動明王の石仏 小代重俊板碑 埼玉県東松山市

青蓮寺には倶利伽羅不動明王石仏と小代重俊板碑(板石塔婆)があります。

新編武蔵野風土記によれば、春慶(宝永2年1705年寂)が中興しました。

 

カーナビでは寺の南側に案内されましたが、北側から駐車場に入ることになります。

 

 

 

正代地区は越辺川と都幾川が近くを流れており、青蓮寺のある場所は少し高い台地上にあります。

 

 

県の重要文化財である小代重俊供養塔(板碑 青石塔婆)があります。

 

 

武蔵七党の内、児玉党に属した入西遠弘が、小代地区を治めました。

この板碑は4代重俊の人徳を慕い、また先祖のために建立されています。

 

 

板碑は弘安4(1281)年に建立です。

この年は蒙古襲来のために武運長久と団結を願う意味が込められています。

 

重俊の子・重泰は肥後国玉名郡野原荘に下向しました。

小代氏は南北朝時代、菊池氏から大友氏配下となり、肥後屈指の有力国人となっています。

 

大友氏衰微後には龍造寺氏に付きました。

さらに島津氏に従っています。

 

天正13(1585)年の九州征伐では、豊臣秀吉に従い領地を安堵されました。

後に加藤清正に仕官し、4135石の重臣となりました。

加藤家改易後、細川家に仕えました。

 

小代氏の菩提寺は、荒尾市の浄業寺です。

熊本県指定史跡・浄業寺古塔碑群には弘安4(1281)年から寛永10(1633)年までの住職と小代氏の墓石が確認されているようです。

 

寺の門前にある倶利伽羅不動明王石仏です。

県内では飯能市上直竹の富士浅間神社以来です。富士浅間神社ブログlink

 

 

 

倶利伽羅不動明王の前には、高坂七清水の内・青蓮寺下の清水があります。

 

 

東松山市では、この清水と小代氏板碑を歩いて巡るコースになっているそうです。

 

青蓮寺 埼玉県東松山市正代864-1  地図link

 

 

真言宗智山派 慈眼寺 南無阿弥陀仏の板碑 埼玉県東松山市

新編武蔵野風土記によると、秀榮(元禄4年 1691年寂)により中興されました。

御本尊は不動明王像を祀ります。

 

 

梵鐘は正徳四年と新編武蔵野風土記にありますが、戦争で供出しているかも知れません。年号を確認しませんでした。

鐘楼堂は新しくなっています。

 

参道には新しい六地蔵と横に地蔵菩薩が祀られています。

 

 

御本堂左手には、馬頭観音堂がありました。

 

 

墓地入口には南無阿弥陀仏の板碑があります。

安永3(1774)年4月に百万遍供養の記念として祀られています。

それほど古くはありません。

 

 

 

梅の花が見頃です。

 

慈眼寺 埼玉県東松山市田木505 地図link

 

ひな飾り展2022 飯能市

現在市内各地で「ひな飾り展」が行われています。

期間は2月25日 (金) ~3月11日 (金) までです。

 

 

市内では一番の見応えがあります。

飯能市文化財 店蔵 絹甚

 

 

 

 

駐車場がありませんので、飯能駅か東飯能駅近辺の有料駐車場を御利用下さい。

 

絹甚  埼玉県飯能市仲町  本町2−2 地図link

 

 

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