この地域は開墾されるまで、大木の茂る林が多かったようです。
この地区を開墾した当寺檀家さんに聞くと、何度も頭を抱えたそうです。
塚と伝えられていますが、元々は古墳だったようです。
また千人塚と言われたこともあったのは、正治元年(1199)に丹党の青木氏戦死者を葬った所とも伝えられています。
しかし大字青木からは離れすぎているような気がします。青木氏が広い範囲で支配していたのかも知れません。
広い水田の多い地区と異なり、田んぼの少ない飯能の区域では、由緒ある豪族の末裔としても、大きな勢力を持ち得なかったと思います。
浅間神社は近世に富士信仰が盛んになり祀られました。
浅間神社は飯能市双柳の浅間地区が持っています。
まだ幾つかの古墳があったようですが、残されているのはここだけです。
飯能市には数少ない古墳の一つのようですが、明らかなことは分かりません。
車を駐める場所がありません。写真を撮り、お賽銭と手を合わすだけで帰りました。
浅間神社 浅間塚 埼玉県飯能市双柳1162-2 地図link