一月も経ってしまいましたが、当寺で収集した浮世絵「菅原道真 藤原時平」が8月21日、読売テレビ「若一調査隊 山口SP 防府天満宮」で使用されました。
防府天満宮は日本三大天神にとして知られており、天満宮としては日本で最初に造営されました。
昭和28年までは、松崎神社でした。
長州藩では参勤交代の折り、萩から防府まで53㎞もかかりましたが、必ず防府天満宮に参拝されたそうです。
さらに江戸まででですから、途方もない経費が掛かったことでしょう。
維新前には近くの旅館「藤村屋」において、勤王の志士たちが密会していたそうです。
現在は天満宮に移築され、「暁天楼」となっています。
道真と言えば梅が知られていますが、境内には1,100本もの梅が植えられています。
これ以降はテレビの内容と異なります。
道真は藤原時平などの策謀により、大宰府に流され59歳で亡くなっています。
いまでこそ学問の神さまとしてしられ、日本各地に天神様としてまつられています。
試験前には特に受験生や親御さんなどが数多く参拝しているのを見かける事があります。
しかし、道真の死後は都に異変が何度もおきました。
時平は35歳で亡くなり、御所の清涼殿では雷がにより炎上し、大納言の藤原清貫と右中弁の平希世が亡くなっています。
更にそのショックのため醍醐天皇も身罷っています。
人々はそれを道真の霊魂のしわざだと噂されました。
そのため北野天満宮を造営し、神として祀りました。
道真の祟りを恐れた藤原氏により、手厚く祀られることとなり、天神として祀られた道真は荒ぶる祟りの神から、恵みをもたらす慈悲の神になったのです。
人々の信仰を集め、さらに道真の学才にあやかって学問の神として信仰は広がっていきます。
平安中期より現代に至るまで、学問の神様として人々の信仰を集めているのです。