千葉大医学部内外にある七天王塚を後にして、「千葉妙見大縁起」を所蔵する栄福寺を訪れました。
平常長(千葉常胤の曽祖父)の家臣・坂尾五郎治(さんごのごろうじ)が、大治5年(1130)に妙見堂を建立し、翌年創建したのが栄福寺の前身だそうです。
金剛授寺として建立だそうですから、金剛授寺(現千葉神社)が二カ所あったのでしょうか。
こんがらかっています。
千葉妙見大縁起は真言宗であった金剛授寺(現千葉神社)にあったことから、宗旨の違う栄福寺に移ったのは何故だろうと思っていたのですが、途中から天台宗に変わったのですね。
でも、金剛授寺が二カ所あったとすると?。
ここも月星と九曜紋でした。
ここに来たとき、タクシーの運転手さんは、毎年ここに花見に来ると行っていました。千葉県下一番のしだれ桜だそうです。
妙見地蔵堂
長い参道が延びており、途中を東金道路が分断しています。
さらに参道を南に行くと、天台宗泉福寺に降りる階段がありました。
ここは栄福寺の参道です。桜並木が続きますが、昔は桜の名称でした。
脇のお墓に栄福寺並びに泉福寺歴代墓所と掘られた外柵がありました。
他の墓は個々の家の墓でしたから、昔は共同の住職のお墓があったのかもしれません。
さらに南に行くと下り坂になり、途中六地蔵が立っています。
六地蔵はお寺の入り口にあることが多いので、ここの下あたりが参道入り口だったのでしょう。
広い道に出て、栄福寺、泉福寺方面を見ると小高い山になっています。
この泉福寺の裏山あたのは中世城址で、 坂尾五郎治の居城と伝えています。東金道路により分断され、ほとんど残されていないそうです。
また、栄福寺の周りにも土塁が残されているようです。