先日のハ菅神社参拝の折、「ハ菅修験」展があることを知り出かけました。
車は神奈川県立あいかわ公園の駐車場に駐めます。
公園入口を通り、案内板に沿っていけば郷土資料館です。
正面が資料館です。
※橋が曲がって見えますが、パノラマ写真を撮影するとき、少し平行でなかったからです。
中に入るとステゴドン(アケボノゾウ)が迎えてくれます。
ここから先の展示室に入ると写真は撮れません。
ハ菅神社は廃仏毀釈前は、「ハ菅山八社権現」と言われ、光勝寺を中心とする50坊以上の寺院を擁する聖護院門跡の本山派修験の寺でした。
愛川町の指定文化財の内、なんと三分の一以上が、ハ菅神社関係だそうです。
この企画展では、現在まで伝えられる貴重な品々が、展示されています。
パンフレットにある役行者像はレプリカでしたが、常に資料館に展示されています。
今回は、昭和47年に発掘された八菅山経塚より出土した和鏡、壺、木造念持仏・愛染明王(本物)などが展示されています。
古文書に興味深い内容が記されているようです。
ハ菅の安達原姓の家は、上総介広常の末裔だそうです。前宮司が千葉姓、元安養院は相馬姓ですから、以前書いたように平将門公の子孫として繋がる伝承が残っていたのではないでしょうか。
「銅像聖観世音菩薩立像」は、八菅山を崇敬した鎌倉時代の武将、海老名季貞の守護仏で13~14世紀に作られたようです。
「金銅杵と金銅鈴」は峰入作法書に、五鈷、三鈷、独鈷杵は磨くべからざる事とあるそうです。
棟札は戦国時代に荒廃していたハ菅権現が、天文10年(1541)に再建されたことが記されています。
修験の峰入りのルートは、八菅山から丹沢山系、大山不動へ向かった様です。
正応4年(1291)の碑伝の複製は368㎝あり、峰入修行の証だそうです。
他にもいろいろな興味深い展示物がありました。
常設展では、中津層群の化石。中津川域の自然、地質、岩石、草花、イノシシなどの剥製、昆虫などが展示されています。
興味深い展示もありました。
三増合戦資料は、武田軍と北条軍との戦の陣立図があり、武田勢が勝ったそうです。
現在の三増地区
半原の宮大工は勝楽寺や龍福寺の山門を作りました。大山不動の宮殿の図も展示されています。
中津の座敷箒は神奈川では有名で、大塚地区は9割が携わっていたそうです。中津台地には、ホウキトウモロコシが散見されていました。
しかし、昭和40年代になると掃除機の普及で姿を消していったそうです。
糸の町として知られ、撚糸作業の機器や作業風景の写真が展示されています。
戦前は陸軍の飛行場もありました。
昭和19年(1940)から終戦まで「疾風(はやて)」の基地でした。
その後この場所は、工業団地に変わっていきました。
三増の獅子舞の様子も展示されています。