円泉寺便り

曹洞宗 観音寺 千葉県我孫子市

妙見菩薩・平将門関連を調べに我孫子市方面に向かいました。我孫子市日秀ですが、日秀はひびりと読みます。

旧相馬郡には平将門伝説が残されています。

 

寺紋は相馬氏に多い九曜紋でした。

 

観音堂には平将門の信仰した聖観世音菩薩が祀られています

 

 

この地域も成田山には、お参りしないそうです。

写真を撮り忘れましたが、お地蔵様は成田山にそっぽを向いています。

 

 

観音寺に向かう途中に手賀沼を通りました。道の駅「湘南」の道を挟んで反対側です。車を駐め散策をする人が多くいました。

 

観音寺  千葉県我孫子市日秀90  地図

  観音寺ホームページlink

 

円泉寺妙見菩薩平将門資料集link      

妙見堂跡 妙見大菩薩碑 車の前五輪塔 福満寺 平将門大明神 千葉県柏市

車の前五輪塔

車の前五輪塔の杜は、かつて妙見堂がありました。御尊像は現在は福満寺本堂に祀られています。

福満寺は、ここから北に200メートルの所にあります。

 

 

地元の人々は例年将門の命日2月21日に妙見講を行っています。

妙見大菩薩石碑

円福寺住職により、開眼されました。

 

平将門公の愛妾・車の前を祀った五輪塔と伝えられています。

車の前五輪塔

車の前五輪塔正面

 

 

 

天台宗満福寺

桓武天皇の時代に創建されたと伝えられる、古い寺格のお寺です。

御住職は平将門、妙見菩薩、地域の歴史に詳しい。とても積極的な方です。

 

平将門公を祀る祠がありました。

群馬と茨城にまたがる相馬の地の方々は、成田山にはお参りに行かないと話していました。

 

車御前鏡の井戸は、本堂の裏手にあります。

 

 

天台宗 福満寺  千葉県柏市大井1705−2 地図

 

妙見山円福寺と妙見神社 千葉県柏市

円福寺

野田市の境にある寺院です。

妙見山とあるように次に訪れる妙見神社の別当でした。

 

御住職の住まない寺院のようです。詳細は分かりません。

 

真言宗豊山派 円福寺  千葉県柏市大青田(おうた)1101 地図

 

妙見神社

妙見神社は元禄9年9月13碑創建です。童子形亀踏像を祀ります。

別当は円福寺でした。

境内には鷲大明神の石碑がありました。

東京には鷲妙見で知られる神社仏閣があります。この碑は妙見さまなのでしょうか。

 

妙見神社 千葉県柏市大青田1109−1  地図

 

 

諏訪神社 高崎市新町

専福寺に続き、隣の諏訪神社に向かいました。

現在の新町駅近くにある元諏訪神社から、宝永五年(1708)に現在地に移されたようです。

 

 

ここの本殿彫刻は、太平記にある場面が彫られているようです。

裏側が楠木正成と正行(まさつら)親子の桜井の別れです。

 

 

末社は左の単独の神社が厳島神社です。

四社並んで、左から三島神社、火雷神社、疱瘡神社、天神社でした。

 

 

蚕影大神石碑は、この地域が養蚕で栄えていたことを物語っています。

 

 

高崎市指定文化財の元禄の鳥居です。老巧化したので、裏に移されました。

 

 

諏訪神社  群馬県高崎市新町557地図

 

真言宗智山派 専福寺 群馬県高崎市新町

新町の近くに出かけたおりに、智山派の寺院を一ヶ所お詣りしようとして、参拝してきました。

国道17号に接している陸上自衛隊新町駐屯地から100メートルほどの場所にあります。また、新町駅からも数百メートルです。

 

 

小林一茶が森町宿に逗留したおり、寺の役員から寄付を頼まれたようです。

 

樹齢300年のクスノキとカヤが入口にありました。

 

 

参拝後、隣の諏訪神社に向かいました。

 

笛木山専福寺 群馬県高崎市新町555

 

愛車がご臨終になりました

高崎インターを降りる途中にガラガラとエンジンから異音がしました。

惰性で下新保バス停まで走り、JAFに電話しました。地図

 

すぐ来てくれましたのでホッとしました。積み込むまでの間、一台もバスが来ません。

 

担当の方に聞くと、タイミングべルトが切れたのでしょうとのことでした。もうエンジンは使用できないと思います。

走行距離が十数万キロになっていました。よくもったものです。

我が愛車には、お世話になりました。ありがとうございます。

 

高崎駅から帰りましたが、高崎駅に来たのは十年以上前だったと思います。

 

高速では関越自動車道がありますが、電車では時間が随分かかりました。

待っている間に檀家の修理屋さんに、新しい中古車?を手配して欲しいと電話しました。しばらく代車を使用することになります。

 

 

総本山智積院

当寺の総本山智積院へ参拝致しました。

現在は御本山の重要な儀式が執り行われています。

 

以前は樹木が少なく、落ち着いた雰囲気でなかったのですが、ズイブンと景観が良くなりました。

 

金堂(本堂)へ向かいます。

江戸末期に土佐藩が駐屯しており、火薬庫の爆発により重要な建物、宝物などが燃えてしまいました。金堂は昭和50年に再建されました。

 

金堂の隣にある現在の不動堂は講堂の跡にあり、金堂ができるまでは御本堂でした。

 

不動堂の前を南に向かうと、宗務庁になっています。智積院の敷地が京都市立美術大学になり、美大が移転するに当たり買い戻した場所です。

購入にあたり、京都女子大と競り合ったと聞いています。

何かの災害の時に使用することも想定して、智積院に軍配が上がりました。

宗務庁はは美大の校舎を直して使用しています。

 

以前ご寄付したときの標である石柱ががありました。本日の参拝は、これを確認するためでもあります。

 

宝物館と講堂、名勝庭園に向かいます。

 

講堂は以前の御本堂より、より広い面積があります。

 

ここが本来の正面玄関です。向かいに東山七条の通りが見えます。

 

玄関を入ると布袋の図が迎えてくれます。明治の画家・月樵(げっしょう)により描かれました。

 

大書院から見る名勝庭園です。利休好みの庭と言われ、桃山時代に小堀遠州により造営されましたと伝えられています。

 

ここの景観を利用して、CMなどの撮影に使用されたことが何度かあります。

 

大書院には国宝障壁画がありましたが、現在は収蔵庫に移されています。

現在の絵は似せて作られた作品です。

テカテカして落ち着きがありませんが、書かれた当時は同じようだったのかも知れません。

 

この後で収蔵庫に向かいましたが、中は撮影できません。

 

総本山智積院 京都市東山七条 地図

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三十三間堂参拝

当寺の総本山智積院に参拝し、近くの三十三間堂を参拝致しました。

名刹だけあって、智積院の何十倍の参拝者が来られていました。

 

 

ここは天台宗門跡妙法院の境外仏堂です。ただし妙法院は普段お参り出来ません。

さすが国宝ばかりが並ぶ姿は圧巻です。

 

 

三十三間堂と言えば通し矢が有名ですが、今では御堂の前で通し矢が行われています。

 

三十三間堂の七条通りを東に向かうと、智積院の山門に至ります。歩いてすぐです。

 

蓮華王院三十三間堂  地図

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鳩ノ巣渓谷 奥多摩町

若かりし頃はツーリングで、何度も訪れたことがあります。車では久しぶりになります。

紅葉の頃は初めてでした。

 

ここの景観には興味が無かったのですが、歳と共に良さが分かってきました。

 

 

昼であれば釜飯を食べることもあるのですが、次の目的地である奥多摩湖方面に向かいました。

 

 

将門神社 東京都奥多摩町氷川字三ノ木戸

奥多摩町でも、かなり奥の地域にあります。国会議員の別荘が一件あるだけで、実質は廃村となっています。

わさび農家の方に教えていただき、見つけることが出来ました。いるときで助かりました。

 

 

しかし祭神は複数あり、この中のどれが将門神社であるかは、分からないそうです。

三ノ木戸には、三ノ木戸山の廃村にも将門神社があったようです。

 

 

丁寧にお参りさせていただきました。

しかし、他の場所である可能性も否定できません。

 

 

お墓は引き墓してあるのだと思います。

 

 

かなり奥にあることが分かると思います。

 

 

将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川字三ノ木戸

 

 

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