十王十仏板碑 群馬県板倉町
閻魔様の石仏は見たことがありますが、十王の板碑は初めて見ます。
御本堂の前に板碑と石仏が祀られていました。
下の掲示板にあるように十の仏様の梵字が彫られていました。鎌倉期の板碑です。十王の本地仏の梵字です。
まだ十三仏の確定していない次期ですので、十仏として阿弥陀信仰まででした。
双体道祖神の石仏ですが、お酒を杯についているのは、初めて見ました。
双体道祖神
青面金剛の庚申塔
浄蓮院 群馬県邑楽郡板倉町
閻魔様の石仏は見たことがありますが、十王の板碑は初めて見ます。
御本堂の前に板碑と石仏が祀られていました。
下の掲示板にあるように十の仏様の梵字が彫られていました。鎌倉期の板碑です。十王の本地仏の梵字です。
まだ十三仏の確定していない次期ですので、十仏として阿弥陀信仰まででした。
双体道祖神の石仏ですが、お酒を杯についているのは、初めて見ました。
双体道祖神
青面金剛の庚申塔
浄蓮院 群馬県邑楽郡板倉町
京都の貴船神社からの分霊の神社です。
群馬県でもかなり奥の神社ですが、貫主さんが住んでいます。神徳のある神社として崇敬されているのでしょう。
年間、数多くの参拝者で賑わうそうです。
通りをまっすぐ抜けると神社の客殿の下がトンネルになっていました。
先ずは御本社を参拝です。
交通安全のご祈祷を行っていました。平日でありながら車三台ですから、土日祝日には数多くの信者さんが来られるのでしょう。
神社からの眺めです。下に渡良瀬川が流れ、渡良瀬渓谷鉄道も見えました。
5 地図 ホームページlink
先ほどお参りした柳沢寺からは、東に100メートルほどにあります。
柳沢寺では、ほとんど書きませんでしたが、下の看板のような伝承が伝えられています。
また、近くには相馬山、陸上自衛隊の相馬原演習場があり、平将門の子孫・千葉常将の伝承があります。相馬氏も千葉氏の一族です。
本殿
常将神社 群馬県北群馬郡榛東村 山子田2527 地図
千葉氏との伝承は、以前参拝した高崎市引間の妙見寺との関係も伝わっていますが、おおよそ信じられないことばかりでした。
立派な仁王門です。
先ずは御本堂へ参拝です。
境内には、たくさんの庚申塔が祀られていました。
御本堂前の五重塔庚申塔です。
二鶏と二猿が彫られています。
※以前、片品村で見つけた五重塔相体道祖神 武尊神社の五重塔相体道祖神ブログ
立派な五重塔ですが、永代供養の施設でした。
客殿
追記 2016/11/26 紅葉の柳沢寺ブログ
秋の黄葉がきれいです。
柳沢寺 群馬県北群馬郡榛東村山子田2535 地図 ホームページlink
このあたりを運転していると、神社が見えましたので参拝致しました。
いくつかの石祠が並んでいました。
このあたりで見る相体道祖神です。
安永8(1779)年8月の建立です。
10月10日二は、獅子舞の奉納があります。
小高諏訪神社 群馬県みなかみ町後閑 地図
石仏が道路から見える場所に「武尊神社の石仏群」とありました。
末社に星ノ宮神社があるはずです。
石の額がありましたが、武尊神社ではなく天満宮だと思います。合祀されたのでしょうか。
庚申供養塔
四段目に青面金剛、五段目には二鶏と二猿像です。
片品村ホームページには「武尊神社の境内があり、その登り口に立派な石仏群が建てられています。一番奥には、珍しい五層の庚申供養塔があり、この塔は、土出伊閑町の五層の供養塔と同じような形をしています。建立は、1686年と彫られています。」
このような五重塔式の庚申塔は、初めて見ました。※後日、榛東村の柳沢寺を参拝すると、同じような庚申塔がありました。ブログlink
星ノ宮神社は分かりませんでしたが、楽しくお参りができました。
片品村には穂高神社は他にも複数あるようです。冬場はスキー客で多くの方が行き交う通りだと思います。
武尊神社 群馬県利根郡片品村大字戸倉211 地図
たまたま前を通ると、小さい神社でありながら、よく手入れされている所を見つけました。
草花がきれいです。
脇に行くと石祠などが祀られています。
石室部分正面に北斗星が彫られていました。剣が付いた部分は破軍星です。
愛知県春日井市内津の妙見寺の紋によく似ています。
元々は原アイ子さんの実家である大竹家のものであったが、嫁ぐときに土地と八幡宮を受けつぎました。大竹家はかなりの旧家のようです。
上川田保育園の道を挟んだ南側にあります。
追記 2020/01/10 上川田保育園は廃園になったようです。
真庭(まにわ)念流は剣道着のみで、面などの防具はなかったと聞いたことがありましたが、事実かは知りません。
道場では外国人が一人で稽古をしていました。
覗くと向こうから流ちょうな日本語で挨拶されました。礼儀を大事にするのも、念流の大事なしきたりなのでしょう。
私以外にも数名の方が訪れていました。
樋口の表札がありました。念流八世の樋口又七郎の家系が伝統を伝えているようです。
真庭念流道場 地図 ホームページlink
飯玉神社では保食神・宇気母智大神(うけもちのかみ)です。合祀した大星神社を天御中主神としました。
大星神社は隣の別であった随雲寺の妙見菩薩を祀る御堂だったのかも知れません。
昭和43年に飯玉神社に大星神社を合祀しました。
裏に御久塚古墳があり、石室の中に何か祀られていました。
他の神々の社
東脇には、沢山の石仏が祀られていました。
この後、近くの念流道場に向かいました。
※平成21年に高崎市と合併しました。
飯玉神社 高崎市吉井町馬庭226 地図
貫前神社(ぬきさきじんじゃ)は、最初読み方が分かりませんでした。以前は「かんぬきじんじゃ」と読んでいました。
上野国一之宮ですので、一度詣でようと前々より考えていましたが、ようやく念願が叶いました。
まず驚いたのが、広い道路より下がった場所にあることでした。
先ずは駐車場に向かい、階段を登ります。
鳥居をくぐり、一番の頂上に出ました。
ここにも車が駐められます。
門をくぐり、下に降りて行きます。
立派な楼門が迎えてくれます。
しかし、一緒に行った友人は、降りてお参りに行くことに違和感を覚えたようです。私も同じでした。
社殿は徳川家光の命により、造営でした。さすがに徳川の力はすごいと思いました。
藤太杉は上の方が枯れています。酸性雨などの影響があるのだと思います。
貫前神社 地図
追記 20219/09/10 何故高いところから降りた場所に社殿があるのかと思っていましたが、かつては北向であり、大杉のある所が参道だったそうです。
南側に街道ができ、参拝の便を良くするために向きが変わったのが、低い位置にある要因でした。