円泉寺便り

睡蓮

岩殿弁天様の池にわずか一輪だけですが、ピンクの花が咲きました。
 
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日陰ですから睡蓮には良い環境ではありません。
 
 
可憐ですね。
毎年咲いてくれると良いのですが。
 

三面大黒天(摩訶迦羅天)・摩怛羅神曼荼羅図

最近求めた掛軸です。

妙見菩薩・摩多利神(またりじん)・摩多羅神(またらじん)の関連を調べる過程で、お寺にお招きできました。  摩多利神と三面大黒天の関係 ブログlink

三面大黒天は天台宗系の大黒天、毘沙門天、弁財天が三体合体されている御尊像が知られていますが、この図は三面とも憤怒相のお顔です。胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 マカカーラ)と同じです。

 

 

Wikipediaの大黒天の説明に「胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。」とあります。

この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。

 

三面大黒天

 

下は摩多利神のお姿です。前橋市金剛寺

 

しかし、この掛軸にある大黒天図周囲八体の御尊像は、今まで見たことがありませんでした。香川県三豊市の天台宗長林寺の摩怛羅神曼荼羅図とほぼ同じでした。

民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。とあります。

八天女の内七天女は、打ち出の小槌を持っています。ほとんど同じお姿をしています。大黒天と意識的に関連づけたように思います。

 

七母女天の内、下中央は四面で上部を除き三眼です。あるいは梵天女なのかもしれません。

川村湊氏の「牛頭天王と消された異神たち 蘇民将来伝説」によると安楽律騒動で天台宗が否定した摩多羅神(またらじん)を再度正当化するために、仏教の正当な神である七母女天(摩多利神)と同じとされたようです。
このことから、この図は天台宗の安楽律騒動以降の作品だと思います。
 
福島市の観音寺さんのブログに憤怒相の三面大黒天が紹介されています。link
 

日テレ・ヒルナンデスに私の菅原道真浮世絵画像が使用される予定です

先日、日本テレビから、ブログにある歌川豊国の「菅原道真 藤原時平」の浮世絵画像を使用させて欲しいと電話がありました。以前のブログ
 
 
以前私が求めた浮世絵です。
藤原時平の謀略により、昌泰四年(901)に道真が九州の太宰権師(だざいふごんのそち)に左遷されてしまいます。
その宮中での場面と思われます。 
二年後に五十九歳でこの世を去りました。
 
放送の詳細は不明ですが、京都のパワースポット、人気スポットを取り上げるそうです。
 
七カ所ほどの寺社の内、道真公が生まれた地にある菅原院天満宮紹介の中で使用されるようです。
 
番組名        日本テレビ「ヒルナンデス!/木曜日」『福くんのひとり旅~京都編から』
放送予定日  8月2日  AM11:55~13:55
出演者        鈴木 福 (子役)
 
 
以前、ある画像をテレビ局に依頼されながら、送っても使用されなかったことがありました。
今回も必ず使用されるか分かりませんが、興味のある方は、ご覧ください。
出るとしても、ホンの一瞬だと思います。
 
以前にも何度か番組に使用する「戒名」を依頼されたことがあります。リンク
他も含め、何かをいただいたことなどは、一度もありませんでした。
自己満足です。
 
 
追記 2018/08/02
録画したのを見てみると、一番最初と途中何度か左側の菅原道真図、菅原院天満宮で藤原時平図が使用されていました。
 
他にも一点送っていた図も使用されました。
中山秋湖の作品です。
 
 
大宰府で、院からいただいた衣を捧げ、京の都を思う図です。
 

無理に通夜葬儀に出さない場合

以前、入院中のおばあちゃんを無理矢理葬儀に列席させた親族がいました。
おじいちゃんの死を内緒にしていることを批判して、通夜終了後に病院に向かい、無理矢理翌日の葬儀に出させてしまいました。
 
 
当日おばあちゃんは、泣き崩れていました。介護師と看護師付きで、点滴しながらの葬儀です。
その後何も食べられなくなり、三ヶ月後に亡くなりました。
あの時は認知症なら良かったのになあと、思わざるを得ませんでした。家族は親戚を恨んだでしょう。
四十九日忌納骨とおばあちゃんの通夜葬儀には、その親族は来ませんでした。
 
たとえ通夜葬儀でも、連れ添いを列席させるしないは、ケースバイケースです。
しかし、子供だから、孫だから出席させない家族もあります。
儀式を体験して、他の方々に対する思いやりを育む場所であることを忘れてはいけません。
 

弁財天十六童子像が修復されました。

ご本堂にお祀りしている弁天様をご紹介します。十六童子を従えている御尊像です。最近修復致しました。

修復前のお顔が黒いのは、お顔に銀箔を貼っていたために、酸化して黒くなったのだそうです。
今回も以前の状態で復元致しました。いずれ酸化し黒くなるのだと思います。
このような技術があったことを初めて知りました。
 
しかし、明るい照明の下では、お顔が銀色で異常な色合いでした。
ふと昔だったら、どのように祀られているのだろうと思い、ロウソクだけにしました。

 

穏やかなお顔です。
さらに夕方になると、不思議な雰囲気になりました。
お顔を銀箔にしたのは、暗いお堂の中で拝むことを計算しての方法のようです。
 

 

中央に坐す仏様は八臂弁才天様です。八本の手には弓、矢、刀、独鈷杵、羂索などを持ち、回りには、角髪を結った十六体の童子像を従えています。弁天様の頭部にある像は、宇賀神様です。

下の画像は、明るい電気の下での撮影です。

童子像の衣服は金箔の上に朱で描いています。
 
回りに十六童子が祀られていますが、以前は十四体だけでした。
 
印錀童子、官帯童子、筆硯童子、金財童子、稲籾童子、計升童子、飯櫃童子、衣裳童子、蚕養童子、酒泉童子、愛敬童子、生命童子、従者童子、牛馬童子、船車童子、大黒天善財童子
を従えています。
 
弁天様と十六童子の功徳を見ると、家内安全、ペット安全、商売繁盛、学業成就、恋愛成就、五穀豊穣など、あらゆる功徳を授けて下さる神様です。
 
一般の方々の参拝は、お正月七草頃まで武蔵野七福神福禄寿様のお参りと併せてお参り可能です。武蔵野七福神 link
 
全国の弁財天十五童子十六童子 link
 
仏像仏具修復 漆工房松田 東松山市
掛軸とお姿で見る十六童子・十五童子

弁財天十六童子

江島神社 弁財天十五童子   神奈川県藤沢市江の島

本来、弁財天だけでしたが、日本的展開を見せ、十五童子が加えられ、さらに善財童子が加えられたのが十六童子です。

信州・戸隠神社旧本坊勧修院 久山館  にも祀られています。

 

当寺の二臂の宇賀弁才天様

これらの弁天様は、普段は本堂の奥に祀られており、お参りすることはできません。

 

阿弥陀堂の辨財天

以前にもご紹介した、阿弥陀堂に祀られてい弁天様です。歯や指の関節まで再現されています。

 

こちらの弁天様は、お近くでお参りできますので、気軽にご参拝下さい。

銭洗い弁天様も祀りしています。 リンク

ホーム

 

〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  

 

西澤形一師履歴 当寺境内小社・天神様の宮司さん

 

 

経歴

神職(神社庁資格)・宗教研究者
多くの書籍出版に携わる。
笛畝人形記念美術館館長退任後、秩父の神社に8年間奉職する。
滝行と自然を味わう会を主宰
 
西澤形一師は円泉寺境内の平松天神社宮司です。円泉寺住職ではありません。
併せて境内にある地元小社  八坂神社  山の神(やまのかみ)社もみています。

代表書籍出版物

・日本人形のあゆみ 西澤形一 著 藤間寛著 芸艸堂 版
・人形今昔物語展 笛畝人形記念館コレクション 西澤形一 (解説) – 犀書店
・中国美術全集12 工芸編 西澤形一 (他)著 京都書院版
・お諏訪さま 鈴鹿千代乃編 西澤形一 編 勉誠出版版

メディア情報  一部をご紹介

  • 天神社の西澤宮司が、「有吉ジャポン」に出演しました。
  • 特番「噂の現場直行ドキュメンガンミ」の撮影に「滝修行」の指導と「宮古島の恐怖スポット」に出演しました。     宮古島
  • 「女性セブン」「週間ポスト」「婦人公論」などの取材に協力しました。
  • 「NHK」で紹介されました。
  •  「日本経済新聞」夕刊に掲載されました。リンク
  • 吉本興業「PASMO」の指導をしました。リンク

その他テレビ・ラジオ・新聞・雑誌にも出演・指導も行っております。

 円泉寺との関係

 

住職とは友人としての付合いです。住職並びに地元の方々から八坂神社祭礼も依頼されています。
天神社への相談者や信者さんを円泉寺で縛るようなことはありません。
宗旨・宗教にとらわれず、気軽にご相談ください。

連絡先
〒357-0014
埼玉県飯能市平松376   円泉寺境内 天神社     
普段は天神社におりません。隣接する市に住んでいます。
直接来られても対応できません。ご了解下さい。
ご用の方は、お電話をお願い申し上げます。
Tel:(090)3225-6286
 
 

アザミ

いつもアザミは切り取ってしまうのですが、今年はそのままにしてみました。
まだ蕾がほとんどです。
この花ももっときれいになるでしょう。
 
 
 
私よりはるか高く成長しました。
 
 
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もう咲き終わった物もありました。
 
 
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もっと咲き出すのが楽しみです。
 

学習院の遠足で当寺にご来山 昭和11年

当時の平松村に、女子学習院初等科の生徒が遠足に来られると住職が警察に伝えても、誰も信じなかったそうです。
今も田舎ですが、当時はもっと田舎でした。
 
戦前ですから事実と分かると、さあ大変。
駅から歩いて来られますので、道普請は当然ですが、境内の汚い小屋は取り壊し、トイレも正目の木材で作り直しました。
 
 
境内では、脱穀や餅つき、満作の歌踊りなどを披露したそうです。
数十年前までは、当時演じた人もいました。
自慢話を聞かされたものです。
 
 
 
近所の栗林では、栗拾いです。
しかし、その時期は栗も落ちていました。
 
当日のために栗を畑に蒔き、栗の入ったいがを針金で吊ったそうです。
 
 
 
 
写真はありませんが、風船工場も見学されたと聞いています。
 
 
 
戦後お寺の裏手の山林あたりで、皇籍離脱後に久邇朝融氏は鉄砲打ちに何度も来られていたそうです。
その場所が、今では西武系になっている久邇カントリークラブです。
 
 
先日、千円札に描かれていた元総理大臣の子孫の方が来られました。(前列真ん中と向かって一番の左側の方)
ちなみにこの女性は、学習院女子初等科のOGです。
私も関連しているボランティア団体の顧問をされています。
 
御本堂前でご説明しただけしたが緊張しました。
 
 
その時お渡ししたのが、上の古い画像を印刷した写真です。
祖母から借りた写真をずっと以前にスキャナーで取り込んでいたのですが、画質が悪く、画素数も少ないために大きくは引き延ばせません。
 
 

直虎の子孫 井伊家菩提寺 豪徳寺 世田谷区

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、ほとんど見たことはありませんが、他の番組で豪徳寺が出ていました。
井伊家の菩提寺が、滋賀県彦根市の龍潭寺・清凉寺、東近江市の永源寺、都内世田谷区にあります。
 
世田谷の豪徳寺は、名前だけは知っていましたが、これほど豪壮な寺とは思いませんでした。
曹洞宗豪徳寺  東京都世田谷区豪徳寺2−24−7
豪徳寺Wikipedia link   
 
彦根藩主二代井伊直孝の代に井伊家菩提寺となり、藩主としては直孝、直恒、直禔、直幸、直弼、直憲。他に正室や子供の墓があります。
 
 
長い参道を北に向かいます。
 
 
 
 
 
黄檗宗様式の仏殿には、江戸初期の貴重な仏像が祀られています。
 
 
御本堂です。
 
 
豪徳寺は招きね発祥の地なのだそうです。知らなかった!。
招猫殿の西側には、たくさんの招き猫が置かれていました。
 
 
これが彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」の大元になります。
ひこにゃん Wikipedia link      
 
 
招猫殿前の馬頭観音石仏
馬頭観音石仏でも座像は初めて見ました。
 
 
次に井伊家のお墓に向かいました。
 
 
 
 
 
 
井伊家の墓地は境内のかなりの広さを占めていました。
石畳の正面が、二代直孝のお墓です。
 
 
 
井伊直孝石塔  井伊直孝Wikipedia link
 
次に櫻田門外の変で殺害された井伊直弼の墓です。
井伊直弼(なおすけ)Wikipedia link   
 
 
ここにはボランティアのガイドさんか、郷土史家の方が説明をしていました。
私の知らないことが、次々と出てきます。
直弼の後を継いた直憲は後に官軍に付きました。官軍に従う藩が増え、一気に幕府崩壊となったようです
 
ガイドさんは、裏切ったと言う言葉を使っていました。
世田谷区民なのでしょう。幕府の恩恵を受けながら、父を暗殺されながら、なぜと思う気持ちが、あったのでしょう。
直憲の正室は有栖川宮幟仁親王の王女・宜子女王だったからとの意見でした。
藩内に有栖川宮家の影響が強く作用したのかもしれません。
有栖川宮幟仁親王Wikipedia link    
 
 
 
 
後を付いて行くことにしました。
櫻田殉難八士之碑です。
 
 
 
直憲の墓もあるのですが、素通りです。
直憲は伯爵となり、井伊家は明治以降も安泰でした。
豪徳寺の恩人でもあったようです。
井伊直憲 Wikipedia link    
 
ガイドさんは三重塔に向かいました。
ここには猫の彫刻が四カ所あるそうです。
 
 
 
 
 
彦根城博物館「井伊家伝来の名宝展」のポスターがありました。
来年の3月まで行っています。
 
豪徳寺駅に向かうと、行くときには気がつきませんでしたが、商店街にポスターが何枚か張っておりました。
 
 
 

軽いカメラは楽です

近年とみに体力が衰え、重いカメラを持つのがいやになりました。
かといって軽いだけが取り柄のデジカメでは、今やスマホの方が画質が良いこともあります。
 
 
 
とにかく軽くても同じ大きさのセンサーを持つ、画質が良いミラーレスカメラを探しました。
他社のミラーレスも持っているのですが、画質が好みでありません。
レンズも高価な物を使わなくては、本領発揮が出来ませんでした。
 
今まで使っていた一眼と比べると半分以下の軽さです。
但し、新しい機種だと高過ぎですので、少し前の機種にせざるを得ませんでした。
 
画質も一眼に決して劣りません。逆に発色がきれいでした。
女性には、このカメラで写した方が好評でした。
 
風景は一眼の方が良いようです。
 
それでも出かけるときは、コンデジで済ませることも多くなりました。
 
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