円泉寺便り

逆井城公園 茨城県坂東市逆井

関宿城より明治初年に移築された建物を確認しに、坂東市の逆井城に行ってきました。

 

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戦国時代に逆井城は、小田原の北条氏、佐竹氏、結城氏、多賀谷氏の領国の狭間にありました。

北条氏が城主となり、天正5年(1577)に逆井城を新たに築城しましたが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による後北条氏の没落後に廃城となりました。

 

運転手をお願いしたAさんは、戦国武将の名前をすらすらと言うので聞いてみると、「歴史が好きだったのと、ゲームですよ。あと横山光輝の漫画ですね。」と言ってました。年代の違いを感じました。

 

現在の逆井城公園は戦国末期の建築群を再現し、面積は東京ドームの約2、7倍だそうです。

 

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二層櫓

 

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二層櫓の二階部分

 

二層櫓からの眺めです。

 

2016422212655.jpgたいして高くないようですが、かなり遠方まで見渡すことが出来ます。堀の中にウシガエルがいるようです。鳴き声が聞こえます。
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井楼矢倉

 

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当時の土塁・堀の一部が、現在まで保存されています。

 

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樹木はなく、さらに急斜面の上、水に満たされていたようです。

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今日目的の関宿城から移築された城門(薬医門)です。関宿城は明治初年に廃城になりました。明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。  関宿城関連ブログ

 

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中は主殿が再現されています。

 

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坂東市の大安寺から公園に移築された観音堂です。天正16年に上棟されたことが棟札に残されています。

 

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中には食事処「智姫」では、蕎麦やうどんが食べられるようです。かなり美味しいそうですが、昼には早すぎて次の場所に向かいました。

 

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二層櫓から見た「智姫」

休日は毎週月曜日・その他臨時休業が有ります。

 

 

埼玉県幸手市の将門の首塚と平将門関連寺社など

幸手市近辺には平将門公関連、あるいは反将門公関連の寺社があります。

併せて近在の気になる寺院も行って来ました。

 

将門の首塚-浄土真宗東本願寺派系単立 通光山浄誓寺  幸手市神明内1469

 

ここは相馬小次郎さんの「将門ブログ」で始めてし知りました。将門公の記事がふんだんに掲載されています。

リンク

大変な労力ですね。 しばらくぶりに覗いてみると、さらに充実していました。

 

ここと次の宝聖寺は二度目の訪問です。

ここの首塚については、藤原秀郷と平貞盛の連合軍に敗れ、下総国猿島郡で討たれた将門公の首を愛馬が口で咥えてここに運び、配下の武将が納めたという説と、この地で討ち死にしたため、ここに首を納めたとの、二つの説があるようです。

江戸初期までは幸手は下総国葛飾郡に所属していました。将門公関連の地域に接していたわけです。

浄誓寺の案内板には、この地で討ち死にしたとあります。

ちなみに

  1. 東京都大手町の首塚は、京都から飛んできて落ちたことになっています。
  2. 岐阜県大垣市の御首(みくび)神社は美濃国南宮大社の隼人が、飛ぶ首を矢で射落とした所だそうです。
  3. 静岡県掛川市十九首の十九首塚(じゅうくしょづか)は、将門と家臣合の19人の首塚と伝えられています。

 

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首塚の五輪塔

 

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将門の首塚

 

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浄誓寺山門

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首塚は本堂の裏にあります。

 

真言宗豊山派 大鱗山宝聖寺   幸手市平須賀2-457

 

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この宝聖寺はかなり格式が高く、江戸時代は十三石を賜っていたそうです。

 

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山門前右手にある六地蔵さん。

安永7年

 

将門降伏に用いたという松虫鈴(銅鈴)と藤原秀郷が将門討伐を祈願して奉納した不動明王の干支軍配団扇が寺宝になっています。

 

八幡神社と木立の地

 

八幡神社(幸手市木立)は将門公と戦った藤原秀郷が対陣した場所。木立の地名は将門公の子孫の公達(きんだち)が住み着いたで、昔は公達村と云われたとのこと。

 

浄土宗  聖福寺  幸手市北1-9-27

 

ここからは将門公とは関係なくなります。

ここは幸手宿にあり、日光東照宮へ行く徳川家光や天皇の代理で参拝した例幣使(れいへいし)の休憩所となっていました。大変格式のあるお寺です。

 

2016419231311.jpg勅使門(市指定有形文化財)

 

ここの境内は幼稚園になっており、中には入れませんでした。元気なお子様の声が響いています。

 

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参道入り口には、芭蕉と曽良の句碑があります。

 

幸手を行ば栗橋の関  芭蕉

松風をはさみ揃ゆる寺の門  曽良

 

真言宗豊山派 龍燈山永福寺  北葛飾郡杉戸町下高野 396

 

幸手のお隣にある施餓鬼寺として知られるお寺です。関東三大施餓鬼「どしょう施餓鬼」の一つだそうです。毎年8月22日・23日の2日間行われます。

儀式に出仕する僧侶の数も多く、多くの檀信徒の参列する大きな法要がいとなわれます。

永福寺 リンク

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閻魔堂の閻魔様と脱衣婆

 

永福寺は杉戸七福神の寿老人の札所でした。

色紙を求めると本堂前においてある御朱印のスタンプは各自押すようになっているようです。

 

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寿老人像

 

全くの番外ニュース

 

幸手市の宝聖寺近くの旧幸手高校の近くを通ると、送電線で8人の人が作業をしているのがみえました。

 

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これでは分からないでしょう。

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拡大してみると作業員です。

 すごいですね。何を行っているかは分かりませんが、初めて見る光景です。

圏央道の幸手IC入口からも見えました。

 

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圏央道の幸手IC入口

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ちなみに幸手高校は幸手商業高等学校と再編統合し、旧幸手商業高等学校の所在地で埼玉県立幸手桜高等学校として開校しまた。

幸手市で日本保健医療大学を運営する学校法人共済学園が跡地を購入したようです。

懐かしい学校がなくなるのはさみしいですね。少子化のため日本全国で、このようなことが起きています。

 

かつて一自治体に高校が一校は欲しいとの思いがあったことをよく耳にしたことがあります。人口の少ない、ここより通学に不便な地域に、ずいぶんできたなあと思ったことがありました。

 

全くの番外ニュース②

 

今回各お寺に参拝して気がついたのは、中には入れなかった聖福寺を別として、他の三ヶ寺が永代供養の納骨施設があることでした。

5年前にはほとんどのお寺に無かったと思います。浄誓寺、宝聖寺に来たのは二度目ですが、かつてはありませんでした。

 

当円泉寺は檀家さんが三件絶えたことと、新たに絶える家が何軒もあり無理して建てた訳です。

他の寺の御住職に聞いても似たようなことを言い、いずれ建設しようと思っているようです。

 

さて、三ヶ寺の施設をご紹介します。

 

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浄誓寺

 

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永福寺

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宝聖寺

 どうでも良いことだったかもしれませんが、時代の移り変わりを感じる建設物です。

少子化はいくつもの学校が無くなり、永代供養の施設が増える原因の一つです。

 

三ヶ寺とも参道や本堂脇にあり、お参りしやすくなっています。お墓の中にある施設もありますが、誰にでも手を合わせていただける場所がいいですね。

 

関宿城博物館 関宿城跡-千葉県野田市 & 移築遺構

千葉県立関宿城博物館

お墓参りのついでに関宿城博物館と幸手市の平将門関連のお寺などを見学してきました。今回も運転はAさんです。

圏央道が「境古河」まで開通しましたので、気軽に行けるようになりました。飯能市から菖蒲PAに寄っても一時間かかりませんでした。以前来たときは二時間以上かかっていました。

ちなみに行きも帰りも自衛隊の車両がいっぱい走っていました。PAでは若い隊員がたくさんいました。これからの大変な任務に頭が下がります。

 

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千葉県立関宿城博物館

 

実際のお城の姿ではありません。城跡もここの南方の少し離れた広い田んぼの部分だったようです。

 

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博物館入り口

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かなり広い敷地です。

 内部は写真がだめでしたので詳しく説明できませんが、関宿城の歴史、関宿の水運、繁栄する様子、たびたび決壊する江戸川の被害と対策などが分かりやすく展示されています。

江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟がお米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていました。

 

以前ブログに書きましたが、河川決壊のたびにコレラなどが蔓延し、医療による対策以外にもいろいろな神仏に頼りました。

その中で知られていない摩多利神(またりじん)が野田市に何カ所か祀られています。  摩多利神ブログ リンク

 

敷地の南側には川を浚渫(しゅんせつ)した器機が展示されています。

 

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駐車場南側

 

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水路浚渫機

水路だけでなく陸上も走れます。

201641918513.jpg浚渫船「山王丸」

江戸川流頭部中之島公園

行きませんでしたが、対岸の茨城県五霞町にあり、博物館から橋で渡り約2分で行けます。

 

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案内板  江戸川流頭部中之島公園リンク

 

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橋を渡って2分

2016419182725.JPG奥の方です。

洪水を避けるため設置された「関宿水閘門」や日本一大きな「コブシの木」などがあり、散策に便利なように整備されているそうです。博物館の四階(天守)から遠望できます。

 

関宿城跡

 

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下の図を見ると一部が土手や河川敷に含まれているのが分かります。

 

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三の丸の角には牛さんがいました。

 

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関宿城跡の公園

 

2016419191721.jpgほとんどが田圃です。
201641919191.jpg公園からはかなり離れて博物館がみえます。

 

大政奉還後、お城は取り壊され、堤防工事と洪水とのためもあるのでしょう、遺構もほとんど残されていませんでした。次にあげる移築された建物だけのようです。

 

移築された建築物

本丸御殿

実相寺客殿  野田市関宿台町2140

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明治4年(1871年)に本丸新御殿の一部を移築されました。

歴代家老職や久世家家臣の墓、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎の墓があります。実相寺は久世家歴代の藩主の菩提寺でしたたが、お墓は現在は本妙寺(東京都豊島区巣鴨5丁目35−6)に移されています。

牡丹や藤が、あと少しで見盛りです。

埋門

民家 野田市東 高野94

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明治8年(1875年)に競争入札により小林家に移築されました。

誰でも外から見学が出来ます。

見学者用駐車場が門の西側にありますが、カーナビでは東側に示されることもありますので、西側に行くようにして下さい。

 城門(薬医門)

逆井城公園  茨城県猿島郡猿島町逆井1262   リンク

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明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。

復元された戦国時代の砦、移築された主殿や観音堂も見所です。広い敷地には土塁・空堀が残されており、良く整備されています。桜やツツジがたくさん植えられています。

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逆井城公園

大手門

とんかつ合掌   栃木県下野市下石橋134-1

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幕府の命により戦争資金徴達の為に武蔵鷲宮の資産家に売却し、解体して船で運ばれ移築されまし。

昭和53年に移築再建されました。

お店の隣にあり、良く整備されています。前はお店の駐車場にもなっています。

丁度昼時でしたが満席で順番待ちでした。

201642219252.jpgとんかつ合掌

 


幸手市は次回に致します。

 

企業の社員研修で滝修行-都下のパワースポット

個人や仲間同士だけでなく、4月5日には都下檜原村で、企業研修で滝行が行われました。

この会社は二度目になります。他にも数社研修に訪れています。

 

今は雪の残る中での滝行と違い、ずいぶん暖かくなりましたが、水はかなり冷たいそうです。

今年は寒い時期の滝行指導依頼が、ずいぶん多かったようです。それも若い女性の申し込みがかなり多いのだそうです。

リピーターの割合が多いのも特色です。

今の時期とはいえ、命じた社長さんも厳しいですね。

 

私も昔(40年前)は少し滝行を行いましたが、この水量の多い滝では、とてもとても行う気力は起きません。

ですから、ちゃんとした指導者が常に必要なのです。

尚、写真は掲載許可をいただいております。

 

まずは九頭龍神社でご挨拶。

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次に当寺天神社宮司より説明。

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滝行の前に瀧の神様にご挨拶。

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全員が瀧の前に集合。

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真剣な顔でご挨拶。

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準備運動

 

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全員が順に滝に入ります。

 

9人の社員さんは、皆さん真剣に挑んでいたそうです。

 

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九頭龍の滝

 

  天神社   滝行  リンク

携 帯 :090-3225-6286  西澤  

携帯にお電話ください。


電 話 :042-978-6500
FAX :042-978-6501

九頭龍の滝  東京都西多摩郡檜原村

 

※よくご説明をしても、たまに間違って円泉寺に来てしまう方もいます。九頭龍の滝は都下です。円泉寺は埼玉県です。

 

飯能市郷土史館にお姿札・掛軸を寄贈しました。

数年掛けて妙見菩薩研究の一環として、お姿札(紙札)を集めながら他の仏様も集めました。

全てではないですが、ホームページとブログに掲載させていただいています。

妙見菩薩のお姿紙札      智山派の仏様   天狗のお札  養蚕神

飯能市郷土史館

 

寄贈したお姿の一部だけを掲載します。

201641223243.jpg善通寺  那智山  中山寺 長命寺
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古峰ヶ原

 

 

20164122358.jpg大峯山龍泉寺
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高野山奥の院 弘法大師

 

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西宮恵比寿

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鞍馬山

 

2016412231451.jpg半僧坊
201641223164.jpg道了尊

 

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高野山 清浄心院

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伊勢朝熊岳

 

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仙台市 西方寺

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戸隠九頭竜弁財天

 

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阿波国分寺

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秋田県湯沢市 地福院(廃寺?)

201641322594.jpg息栖(いきす)神社

息栖山神宮寺  茨城県神栖市

 

結構な数になりましたので、保存するより他の研究の役になった方がよいのではと思い、お姿の内妙見様を除く約50点ほどを寄贈させていただきました。

掛軸は、まだかなり残してあります。

 

養蚕神のお姿札、掛軸、絵馬-養蚕信仰・神社

以前にも養蚕神を一部ご紹介しましたが、まとめて掲載させていただきます。

 

昔から養蚕は大事な事業でした。明治に入ると海外から新しい技術が導入され、養蚕技術の向上、大規模な工場が造られました。

Wikipedia 養蚕 リンク       

 

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富岡製糸場

 

今では養蚕もほとんど行われず、桑の木も次々に他の作物の畑となったり、放置されています。

養蚕信仰もほとんど見られなくなりました。

 

今手元にある養蚕神の掛軸、お札などをご紹介します。

茨城県神栖市の星福寺の衣襲明神(きぬがさみょうじん)

現在は廃仏毀釈により、お堂が蚕霊(さんれい)神社となっています。

御尊像は、「馬鳴菩薩」として星福寺に祀られています。 

 

ちなみに常陸国の三蚕神社は、蚕影神社(つくば市神群) 養蚕神社(日立市川尻町) 蚕霊神社(神栖市日川) で、昔はかなり栄えていたようです。今はほとんどお参りもないそうです。

養蚕神1

 

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衣襲明神の掛け軸にある文面

 

養蚕神2

 

星福寺  茨城県神栖市日川900

蚕霊神社

江戸時代には星福寺の蚕霊尊として各地に巡行し、多くの信者を獲得しました。 ブログ リンク

 

日立市川尻の蚕養神社のお姿

日本最初とありますが、事実かどうかは不明です。養蚕が盛んだった地区ではないようです。

 

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蚕養神社  茨城県日立市川尻町2

 

現在知られている日本最初か分かりませんが、養蚕神社では京都の蚕の杜ではないでしょうか。

日本では泰氏が養蚕と織物技術を伝える以前よりもたらされていたそうです。京都市では木島神社の養蚕神社(蚕の社)が泰氏の養蚕と関係あるようです。木島神社より蚕の杜として知られているそうです。

泰氏と関連ある太秦にあります。

木島神社は京都で一番古い神社の一社です。

Wikipedia 木嶋坐天照御魂神社  リンク

 

話は変わりますが、秦氏の先祖はユダヤ人であるとする説もありますが、中国では秦はペルシャを指すそうです。また、ユダヤ人には特有の遺伝子を持つことが分かったそうです。アジア、ヨーロッパ、アフリカなど各地に移動した人々の中に、同じ遺伝子を持つ人がいるようです。秦氏につながる子孫に同じ遺伝子があったとの話は聞いたことがありません。ユダヤ人と縄文人が同じ遺伝子を持っているようですが、時代が違いすぎます。

 

つくば市神群の蚕影神社のお姿

蚕影山桑林寺が廃仏毀釈後に蚕影神社となりました。全国にある蚕影神社の総本社だそうです。

 

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蚕影神社 茨城県つくば市神群1998

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東京都福生市の永昌院に金色姫蚕影山幣束ともう一つの金色姫幣束が伝わっています。

蚕影山桑林寺より伝わりました。現在の蚕影神社(つくば市神群)です。

かなり手の掛かる幣束です。

養蚕神の幣束[福生市永昌院に伝わる蚕影山の幣束] 佐治靖

 

4ページありますので、最後までクリックして下さい。

 

駒ヶ岳神社のお姿

駒ヶ岳神社は信州において御岳神社と並ぶ山岳信仰の地です。養蚕農家、馬を飼育している農家の人々の信仰の神でした。

麓の駒ヶ根市は明治から大正時代にかけて国内有数の養蚕エリアでした。「駒ヶ根シルクミュージアム」があります。ここは行ってみたいですね。

  駒ヶ根シルクミュージアム リンク

 

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駒ヶ岳神社里宮

長野県木曽郡上松町東里2区

出羽国雄勝群山田村 地福院のお姿

現在の秋田県湯沢市です。山田は中世に鎌倉街道が通っていたため、かなり開けていたようです。

地福院の詳細は全く分かりません。廃寺でしょうか?。あるいは廃仏毀釈で神社になっているかもしれません。山田字下六日町の八幡神社には、境内神社に蚕養社がありますが、関係あるのでしょうか。

藩政末期から明泊、大正時代にかけて秋田でも養蚕と製糸が盛んな時期があり、中心は湯沢町だったそうです。

現在の湯沢市山田がありますが、もっと広域だったようです。  山田村

明治8年には雄勝製糸場ができたようです。

 

20164139543.jpg秋田県湯沢市 地福院

秩父神社妙見様のお姿

何でここに秩父神社が出てくるの?、と思うかもしれませんが、手に桑の枝を持っているのが分かると思います。

秩父地方はかつて養蚕が盛んでした。この神社の秩父夜祭りは、「お蚕祭り」とも呼ばれていたそうです。

ここも埼玉県内の養蚕神としての信仰があったことが知られます。秩父では妙見様は女の神様と言われていますが、男神の妙見様が髪の長いことから、養蚕神として習合が行われたのかもしれません。   秩父神社

 

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秩父神社  埼玉県秩父市番場町1-3

 

当寺の妙見菩薩のお姿札

どこに養蚕神との関連が見られるの?、と思うでしょう。秩父神社と姿は違いますが、こちらも妙見菩薩です。

当寺以外は桑の枝を持っています。

昔は飯能も養蚕が盛んでした。織物の工場も結構ありました。残念ながら過去形ですね。

地元の人もほとんど知らなかったことですが、遠方から来られる方は養蚕神として信仰していました。秩父神社と同じ日に祭礼を行っており、同じように思われていたようです。

 

 

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円泉寺妙見堂

妙見菩薩資料集リンク

 

 

手書きの養蚕祖神絵馬

以前当寺の絵馬をお願いしていた飯能市にあった絵馬屋さんの手書きの養蚕神絵馬です。

養蚕神の絵馬は小槻正信さんが書かれました。販売していたわけではありません。

特別に書いていただいたきました。亡くなられて数十年経ちます。貴重な絵馬です。

 

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養蚕祖神絵馬

 

 

斎宮歴史博物館-伊勢神宮へ遣わされた斎王-三重県多気郡明和町

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斎 宮 博 物 館

 

私が斎宮(さいくう・いつきのみや)を意識したのは、今から40年ほど前になります。  斎宮博物館ホームページ

京都の嵐山近辺を散策の折、野宮神社をお参りしたときでした。由来が書かれていましたが、その中に天皇の代理で伊勢神宮で使えるために斎王がここで一定の期間身を清めてから出発したと書かれていました。 野宮神社ホームページ

そのころ斎宮跡の発掘や史跡整備がされ始めていたようです。新聞雑誌に記事が掲載されていたのを思い出します。

それから数十年、お伊勢さんにお参りしたときによろうと思っていましたが、いつも他の人たちと一緒でしたので、寄りたいと言い出せないでいました。今回は無理を言って斎宮跡に寄っていただきました。

博物館に入ると古の斎宮の様子や発掘調査の結果が分かりやすく展示されています。

 

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斎宮の斎王の暮らしの様子

20164871246.jpg延喜式に書かれた斎宮

斎王は伝説の時代から後醍醐天皇の間まで遣わされました。滞在は短くて1年、長い場合は31年だそうです。

天皇が即位すると卜定(ぼくじょう)により選ばれた斎王は野宮に移り、1年の潔斎生活を送り、斎宮へ旅立ちました。

 

斎王群行の様子と往復の道筋が理解できました。

 

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斎王の行列

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斎王行列の道筋

広さは東西2キロメートル、南北750メートル、面積は東京ドームの約3倍だそうです。伊勢神宮へは10キロメートル以上離れています。

 

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発掘マップ

 

現在も発掘が行われているそうです。

 

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発掘の模型

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土器溜の模型

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再現された斎宮復元模型

 

斎宮の運営は国家の財政で調や庸などの税の一部で運営されました。

 

斎王のつとめは年3回の祭の時のみです。

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伊勢神宮内宮模型

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斎王の勤め

 博物館内で販売されている冊子が、分かりやすくためになります。

 

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広い敷地です。

201648194358.jpg博物館前の古墳

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この博物館以外にも「いつきのみや歴史体験館」、「さいくう平安の杜」がありますが、時間の都合により寄れませんでした。

 

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いつきのみや歴史体験館 リンク

十二単も着れますよ。

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さいくう平安の杜は正殿などあった場所に建物、道路が再現されています。

画像リンク

 

6月第一土曜日、日曜日に「斎王まつり」行われるそうです。キレイに着飾った応募者が、豪華絢爛な絵巻を再現します。

  斎王まつり  画像リンク

 

 

今度は一人で行って、時間を掛け斎宮跡を探索したいですね。

でも、出来るかなー。

 

伊勢の将門-独特なしめ縄です

平将門が伊勢にいたわけではありません。

伊勢のお詣りの時、お店の入り口には、正月でもないのにしめ縄が掛かっているのに気がついた方も多いと思います。伊勢志摩では一年中掛けたままなのだそうです。

中央に「蘇民将来子孫家門」の木札が墨書きしてあります。蘇民来子孫家の文字がの間にあります。

 

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蘇民将来子孫の家の意味は、スサノオノミコト(牛頭天王)に由来します。詳細はいろいろなサイトに出でいますので、参照して下さい。

発祥の地-蘇民の杜-松下社

蘇民将来 Wikipedia       注連縄  リンク

通販もあるようですね。

 

平将門に通じると「笑門」としたしめ縄もあります。笑う門には福来たるですね。

 

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いくつかのしめ縄を掲載します。

 

201646215335.jpg千客万来もあります。
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20164622015.jpgお多福もありました。
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赤福では蘇民将来子孫家門でした。

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虎屋は千客万来でした。

 

「蘇民将来子孫家門」が多いようです。

 

伊勢志摩で見られる注連縄は、伊勢の西郊・玉置町で造られています。 PDFリンク

 

場所は変わりますが、京都にはいろいろな注連縄があるようですが、祇園当たりの民家やお茶屋さんでも伊勢に似た「笑門」と書かれた注連縄が一年中飾ったままだそうです。

近くの八坂神社は元々は祇園社ですが、祭神はスサノオノミコトでした。伊勢志摩と同じような由来があるのですね。

 

さて、どうして注連縄と書くのでしょう。検索で語源を調べると色々出てきますが、「おしえて!goo」の答えが一番気に入っています。 

おしえて!goo  リンク

さらにここからリンクされてある総務省の「官報資料集」最後に言葉の履歴書「しめ飾り」があります。開いたら一番最後を読んでください。なぜ官報資料集にと思いましたが、何かと堅苦しい資料集にこのような試みはいいですね。

官報資料集  リンク

 

私が調べていた妙見菩薩シリーズの内「平将門」PDFをリンクします。興味がある方は見て下さい。  リンク

 

追記 2016/08/29

松下社と末社・蘇民社-伊勢市二見町 ブログ

 

二見浦の夫婦岩

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夫婦岩

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遙拝所

 内宮参拝の後、二見浦に向かいました。

前回は台風のため、近付くことが出来ませんでした。

 

二見興玉神社は社務所が建て替え中でした。入り口から車で入れないので、大変な労力でしょうね。

経費もかかりそうです。

 

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二見興玉神社

 

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夫婦岩の遠望

201646212631.jpg夫婦岩の入り口の浜は海水浴場になっています。

 

 

伊勢神宮参拝ー三重県伊勢市

今週月火は石材店の親睦旅行で伊勢神宮、二見浦、斎宮にに同行させていただきました。私にとっては、5回目のお詣りです。

まずは伊勢神宮の内宮(皇大神宮)です。天照大神様を祀ります。

伊勢神宮ホームページ  リンク    

 

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まずは鳥居の前で一礼。

帰るときも同じく一礼をします。

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五十鈴川で手を洗いました。

以前来たときより、かなり水量が多いです。

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サミット前で、かなり多くの方が参拝にみえています。

以前来たときより何倍もの参拝者です。

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正宮前は記念写真を撮る人々でいっぱいです。

 

おはらい町通り、おかげ横町は、雨の中でも多くの観光客が訪れています。

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伊勢の名物と言ったら、赤福餅と伊勢うどんは欠かせません。

赤福餅はドラマですっかり有名になり、今では全国区ですね。

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赤福餅

ここで食べるのと、お土産で自宅で食べるのでは、雲泥の差です。美味しいですよ。

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伊勢うどん

前回来たときより、かなり柔らかめでした。残念。

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伊勢地方のしめ縄は、一年中飾られています。独特の形と文字が書かれています。

しめ縄は次回に詳しく掲載させていただきます。  リンク

 

翌日は外宮(豊受大神宮)のお詣りです。豊受大御神を祀ります。

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正宮

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外宮はいつ来てもすいていますね。

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別宮(多賀宮)

 

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 これから新緑の頃になると落ち葉が多くなり、掃き掃除が大変だそうです。

 

二見浦は次回になります。

 

 

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