奥武蔵七福神(おくむさししちふくじん)
奥武蔵七福神は昭和10年代に現在の飯能市の名栗地区(旧入間郡名栗村)にあった七福神札所です。現在は活動していません。元名栗村の教育委員長でもあった下名栗の龍泉寺住職・有馬壽雄師にご協力いただきました。
各寺院の御尊像は、白岡町の仏師・立川金禄氏によって彫られました。 白岡市 リンク
(←奥武蔵七福神PDFデータ 画像クリック)
奥武蔵七福神は昭和10年代に現在の飯能市の名栗地区(旧入間郡名栗村)にあった七福神札所です。現在は活動していません。元名栗村の教育委員長でもあった下名栗の龍泉寺住職・有馬壽雄師にご協力いただきました。
各寺院の御尊像は、白岡町の仏師・立川金禄氏によって彫られました。 白岡市 リンク
(←奥武蔵七福神PDFデータ 画像クリック)
E区画 約90㎝×90㎝
永代使用料なし 墓石代・工事費
100万円より 税別
F区画 約120㎝×150㎝
永代使用料なし 墓石代・工事費
150万円より 税別
洋型・和型選択 墓誌はオプション
A区画墓地 80万円より 永代使用料・墓石一式込み 税別
お骨壺が四人分入ります。お骨をカロートに撒くことで、末代まで使用可能です。
墓石代 和型 1.8m×1.8 m110万円より 洋型 1.8m×1.8 m 100万円より 永代使用料・税別
■ペット供養塔に愛犬の納骨を依頼致しました。家族同然の子でしたので、私たちも近くに眠りたいと、円泉寺墓地に致しました。「飯能市 A 男性」
■夫は通勤に円泉寺前を通ります。義父の葬儀前にここに墓地を求めました。友人もここに墓地を求めています。 「日高市 T 女性」
紹介業者はありません。
不在となる事もありますので、お墓の見学は前もってお電話ください。
石材店 石の匠工房 リンク 042-978-7703 石の匠工房ブログ リンク
円泉寺は、真言宗智山派に属し、総本山は京都市東山七条の智積院です。
智山派は成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院、高幡不動尊金剛寺、大須観音宝生院など全国に約3000ヶ寺ありますが、埼玉県では一番多い宗派です。
当寺は弘法大師が巡錫のおり開いたと縁起にありますが、残念ながら江戸末期の火災のためか詳細は不明です。かろうじて読める延享5年(1748)の住職の石塔がありますが、それ以前は残念ながら摩耗して読めません。
最も古い石仏・六地蔵石幢には、延宝9年(1681)と彫られています。
規模は大きくありませんが、本堂・観音堂・妙見堂・大師堂・阿弥陀堂・天神社・永代供養塔などの建物があります。
武蔵野七福神の『福禄寿』様の札所として知られ、お正月10日ごろまでが御尊像開帳期間となります。
岩殿弁財天様(銭洗い弁財天) をお祀りしました。
それ以外にも全ての七福神・十三仏が祀られています。
阿弥陀堂は、円泉寺で一番古い御尊像・阿弥陀如来様が祀られています。
お参りに来られた方々のためにお茶など用意していますので、気軽にご利用ください。
花祭り | 4月8日 |
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施餓鬼会 | 8月16日 午前10時より |
妙見尊大祭 | 12月第1日曜日 |
観音堂の前に菩提樹の木があります。約100年前に根元から切られましたが、そこから出た芽が大きくなりました。6月10日前後が見頃で、20日頃には黄色い花が絨毯のように落ちてきます。
この実は、がくがついていて、くるくると回りながら風に運ばれていきます。小学校の教科書にも風が運ぶ実として載っています。
この実の殻を割ると黒い種が何粒かでてきますので、この種を半日陰(又は日陰)の所に蒔くか、殻を一部割って蒔くと運がよければ芽が生えてきす。そのままでは芽が出ないようです。この実からは残念ながら念珠は作れません。
生えてきたという話は、あまり聞かないので蒔き方を変えて挑戦してみてはいかがでしょうか。但し、すぐ大きくなるので広い庭も必要です。 花が咲くまではかなりかかります。 どうしても菩提樹の木が欲しい方は、五月から八月ごろ境内に芽を出しますので、そのころ問い合わせ下さい。但し、にた木と間違えることもあります。
インドにてお釈迦様はこの木の下で、悟りを開きました。菩提とは覚りという意味です。
日本にある菩提樹は、中国原産の種類です
シューベルトの冬の旅の中の「菩提樹」は、日本語でしたが学教で習ったことがあります。
葉がハートの形をしているので、ヨーロッパでは恋愛の木として知られているそうです。この木に祈れば恋愛、縁結び、良縁が成就するかも。保証しませんが!。
菩提樹のハーブティー(リンデンティー)は、安眠効果や心を落ち着かせる作用があるようです。 失恋にはぴったりのお茶かもしれません。
お正月の七福神参拝者の多くが木の実をひろっていきます。
花芽は16ありますが、実が落ちる頃は1、2個になっています。最高9個でした。
種を蒔き芽が出ましたと話される方もいますが、あまり出ないようです。
1年目に発芽することもありますが、普通2年ほどしてから芽が出るようです。
本堂に上がると正面上に久邇宮家(故香淳皇后様ご実家)御下賜などと書かれた檜の板が三枚あります。
昭和11年10月22日、久邇宮様、並びに女子学習院初等科生徒御一行、お付きの方々などが遠足に円泉寺参拝・栗拾い・ゴム工場の見学に来られました。
円泉寺にお参りに来られると元住職が説明しても、地元の方々や警察も信用せず、事実と分かると道普請、本堂の改修、境内の整備、トイレの増築などと準備に大変だったそうです。出費も相当のものだったようです。
地元の方々が農作業の唄や踊りを披露しました。栗拾いには時期が遅く、用意した実を針金でつったり撒いたりして迎えたそうです。その時記念に植えられた、お手植えの4本の高野槙が現在一本だけ残っています。
円泉寺の北側に「久邇カントリークラブ」があります。戦後このあたりに久邇宮様が鉄砲を撃ちによく来られたそうです。来られるとお昼に円泉寺でお蕎麦を召し上がりました。久邇カントリークラブが現在ここに開設されたのも、鉄砲撃ちに来られていたからです。
円泉寺始まって以来の大フィーバーだったようです。