円泉寺便り

葬儀の互助会契約は中途解約できます。

以前互助会に全額支払いながら、いざ葬儀社を依頼すると「その金額では出来ません。」と言って帰ってしまったり、倒産していたことがあります。

倒産した葬儀社は、集めるだけ集めた後に連絡できなくなったようです。計画倒産、詐欺ですね。お金は戻りません。

 

考える葬儀屋さんのブログ  互助会がやばい理由

【高額】互助会の解約には手数料がかかる!?トラブル例や解約方法を紹介

以上2件の記事リンク先が役立ちます。読んでみてください。

 

帰ってしまった業者に対しては、喪主の勤務先の顧問弁護士に相談するようにとアドバイスしました。弁護士の電話一本で全額かえってきたそうです。

今は途中解約が可能な約款になっているようです。但し解約の手数料は明記してあるはずです。

 

しかし、解約手数料は違法の判決が出たこともあります。リンク 

トラブルがあった場合は、経済産業省のサイトが役に立ちます。リンク 

 

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京都新聞2011年の記事

 

また、「○○万円で全て出来ます。」が、いざ見積もりをしてもらうと、二倍以上になったこともあります。

ローンの返済、教育費、再就職で「とても無理です。」と言った檀家さんには、私が他の業者さんを紹介したこともありました。

わずか15名の会葬者で、契約時に支払った分を含め約200万円となったこともあります。

お寺へのお布施も、無理でないように致しました。

 

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私に「あんな料金で出来るはずがないですよね?。」と言った都下の業者さんもいました。

今では解約が出来ますので、堂々と交渉すると良いでしょう。

葬儀社を変えた檀家さんもあります

 

近年は契約しても、遠方に勤めた子供の元に行き、住んでいたところでは葬儀ができないこともあります。

そのために葬儀だけでなく、墓地の解約や移転も多くなっています。

 

以前書いたブログでしたが、リンク先が全て無くなっていました。改めて掲載致しました。

互助会は今でも危険な業者がいっぱいです。

 

病院や老人ホームでの葬儀社紹介も注意が必要です。支払いが200万円が今年もありました。

当寺の檀家さんには、低価格で良心的な葬儀社山をご紹介しています。

円泉寺で紹介する業者さんであれば、約三分の一で出来ます。前もって御相談ください。

 

亡くなってから葬儀社を決めるのではなく、葬儀社と前もって見積もりをすることも大事ですが、いざ支払いとなったとき、二倍以上となったことがあlます。あれもこれも別料金でした。

 

Googleマップも間違いがあります

 

アチコチに出かけて多くの寺社に詣でました。その折り役に立つのはGoogle検索です。

しかし実際に行くと寺社の各お堂の位置が違っていることが多々在ります。

 

例えば当寺(円泉寺)の各お堂の御本堂・観音堂・妙見堂・天神社・大師堂全てが異なっていました。

最初は御本堂のみの位置が掲載されていましたが、いつのまにか各御堂が登録されていました。

参拝に来られた方々が、登録されたのだと思います。

 

特に酷かったのは観音堂で、境内東にある檀家さんの屋敷が登録してありました。

全ての位置を変更していただきましたが、それでも少し位置が異なるところもあります。

 

 

優れた石仏が祀られている隣接する市の曹洞宗寺院などは、数百メートル離れた畑の中でした。

カーナビで行きましたので間違いなく行けましたが、スマホをカーナビにしている方は途方に暮れたでしょう。

 

大先輩の生まれ育った寺ですが、Google地図に掲載されてなかったことがあります。

戦国時代からの寺院ですので、無いとは思ってもいませんでした。

参拝した後にマップに登録してもらい、写真も投稿致しました。

今見ると二人の方がブログを書き、地図を表示しています。

 

 

小さな無住の寺院や神社などでも、マップにないことかがあります。

 

寺院ではありませんが、数年前に事業を取りやめた工場や店舗がありました。

明らかに閉業している場所は、グーグルマップから削除してもらいました。

電話番号が掲載してあることが多いですので、問合せが何時までも続くことになりかねません。

 

今後も寺社だけでなく、店舗など明らかに異なったり掲載していない場合は、グーグルに依頼することにします。

 

花手水と花々

他の神社などで花手水(はなちょうず)を見ましたので、当寺の花々も掲載致しました。

 

 

 

WBC優勝祈願 !  日の丸

 

御本堂前

 

ペット供養塔

 

修行大師像前

 

今の季節以外の花手水です。

 

 

 

 

 

境内も彼岸前に梅や水仙などが咲いています。色々な花が咲き出すでしょう。

 

梅花

 

水仙

 

椿

 

 

 

スノードロップ

 

 

 

二年前の花手水です。

 

 

凍った中に花が浮かんでいます。

 

平松天神社 梅花祭を行いました。令和5年3月4日

 

梅花祭は令和5年3月4日 午後1時より行いました。

梅も満開です。

 

 

 

 

巫女舞と披講(和歌)も行われます。

 

 

 

参列者全員が玉串を神前にお供えしました。

 

 

巫女舞 やまとおとめ ホームページlink

 

月次祭

日時 令和5年3月18日(土)午前11時より、5年4月1日(土) 午後1時より行います。

 
 
 
 

 

 

 

  平松天神社 リンク 

 

ザキヤマの街道歩き旅 3月4日(土)18時30分〜 テレビ東京

「土曜スペシャル ザキヤマの街道歩き旅 第5弾 川越・児玉往環~下仁田街道へ」

18時30分〜  テレビ東京 

 

東松山市の曹洞宗寺院blogを一昨年書きましたが、そのおりの写真がテレビ番組で使用されることになりました。

出演は山崎弘也さんと樋口日奈さんです。

ザキヤマの街道歩き旅 リンク

 

以前この番組を見たことがありましたが、実際に歩いたところのみの映像だったように記憶します。

どのように使用されるかは分かりません。

 

 

この番組は川越・児玉往環~下仁田街道を実際に歩くわけですが、この寺は寄れなかったのか、使用方法が異なるのか担当者から写真の使用を依頼されました。

境内は戦国期の館跡と江戸時代の藩主の墓があります。

この寺からは使用を許可されているそうです。

 

以前他の番組で、当寺の仏画が紹介される予定でしたが、最後まで視聴しても一切出てこなかったこともあります。

編集の都合で変更や、突発的な事件などにより使用されなくなることもあるかと思います。

 

近頃私はテレビをほとんど見なくなりました。

私の代わりにザキヤマの街道歩き旅を見てください。

 

天州寺 聖徳太子例大祭 毎年2月22日 埼玉県行田市 曹洞宗

重要文化財の「木造聖徳太子孝養立像」がまつられており、毎年2月22日の午後2時より祭礼が行われます。

この日しか開帳されませんので、祭礼前に参拝致しました。

駐車場が分かりませんでしたので、離れた場所に駐車させていただきましたが、近くの秩父鉄道「武州荒木駅」に有料駐車場があるそうです。「武州荒木駅」地図link

境内には屋台が何店も出店しています。

 

山門を通り聖徳太子堂へ向かいました。

数多くの人が参拝に見えています。

 

御堂右脇から太子堂に入り参拝させていただきました。目的の聖徳太子像以外にも小さな像が祀られていました。どちらも古い御尊像です。

中は写真撮影が出来ません。

 

聖徳太子像は天州寺よりも古く、鎌倉時代の寛元5年(1247)に沙弥西阿弥陀仏が願主となり、両親と兄(舎兄)等の往生を願い、慶尊が導師格となり、大仏師慶禅が鎌倉で造ったことが胎内の銘文で明らかになっています。

西阿弥陀仏は大江広元の四男で関東評定衆の大江氏毛利四郎季光の法号です。大江季光ウィキペディアlink

法名が西阿弥陀仏とありますので、浄土教の信者であったのでしょう。

※季光は毛利元就の先祖でした。ハ菅神社と「相模国ハ菅修験」展 神奈川県愛川町 ブログlink

 

 

太子堂前の一角には、重要文化財でない彩色の聖徳太子と石像が祀られていました。左の像は阿弥陀さまです。

 

祭礼の始まる前にアナウンスがあり、聖徳太子の歴史や祭礼などについて説明があります。

ここには職人さん達の講中があり、今も多くの方々の参拝があるようです。

御堂の中には檀家さん以上に講関係者が参列していました。

私への対応から、信者さん達を大事にしていることが分かります。

 

僧侶の撒く散華(蓮花の花を模した紙)を拾う方々がいます。私も6枚拾ったり頂きましたが、1枚をのぞき他の方にお分け致しました。

聖徳太子太子が35歳の時に「勝鬘経」を講じると、蓮の花びらが降り積もりったとの伝承があります。

 

御本堂から門前に向かい太子堂に向かいます。

 

 

儀式を全て見学させていただきたかったのですが、しばらくしてから帰らせていただきました。

 

天州寺 埼玉県行田市大字, 荒木1614  地図link

 

※追記 当寺(円泉寺)の橘寺聖徳太子画像  下に蓮の花が散っています。 当寺(円泉寺) 橘寺聖徳太子画像ブログlink

 

「勝鬘経」を講じる三十五歳聖徳太子像

 

※追記 当寺(円泉寺) 大工の神さま聖徳太子 ブログlink

 

真言宗智山派 成就院 埼玉県行田市

成就院は天正年間( 1573年から1592年)の開創です。

御本尊として不動明王を祀ります。

 

 

 

 

行田忍城下七福神の寿老人札所となっています。

岩をくり抜き中央に寿老人を祀り、弁財天など他の神々と一緒に参拝することが出来ます。

 

 

江戸時代の三重塔は、埼玉県内に三基のみです。県の指定文化財となっています。

塔内の葉衣観音(ようえかんのん)は、忍城主・阿部豊後守忠秋公の帰依仏です。

 

 

 

御住職は教区長をされています。

 

墓地には立派な永代供養塔がありました。

先代ご住職は、かなりこだわった造りとしたと話していたのを思い出します。

 

成就院 埼玉県行田市長野7618 地図link

※埼玉古墳群や古代蓮の里が近くにあります。

 

行田八幡神社 埼玉県行田市

行田八幡神社は「封じの宮」として知られているのだそうです。駐車場がほぼいっぱいの状態でしたが、他にも第二・第三駐車場があり、お正月や祭礼以外は車での参拝に困らなそうです。

私にとっては「ぼけ封じ」が一番の願いなのですので、御本社には多めのお賽銭を致しました。

 

源頼義・義家が佐間村田中に退陣したおりに、戦勝を記念して八幡神を勧請したと伝えられています。

行田町開設と共に田中の地から移されました。

 

境内には若い方々が多く参拝しています。カラフルな御朱印目当ての方もいました。

 

宮司家には昔から虫封じの祈祷が伝えられているそうです。

 

 

 

目の神社にも他の社にも沢山の絵馬が吊り下げてありました。

 

縁結びの「なで桃」です。桃は中国で不老長寿、日本では魔除けの果実とされているのだそうです。

 

愛宕神社は防火の神として信仰されています。

 

恵比寿と共に大黒天が祀られています。大黒さまは行田忍城下七福神の札所になっています。

 

お社の裏側にも回ってみました。よく整備された神社であることが分かります。

 

「行田市 花」で検索すると「行田市 花手水(はなちょうず)」が検索候補として表示されます。

行田花手水は、行田八幡神社が始めました。行田市 花手水 リンク

 

行田八幡神社 埼玉県行田市行田16−23    地図link

 

 

忍東照宮 埼玉県行田市

江戸時代は藩主・藩士により崇敬されており、さらに家康公の命日である4月17日は一般の人も参拝を許可していために大変な賑わいだったようです。

明治となり、忍城から藩主が東京に移住したため、残された士族が忍城内にあった東照宮を諏訪郭内の諏訪神社に本殿を移しました。

 

現在の本殿は文政6年の建立で、県重要文化財の家康公と大坂東照宮にあった像が祀られています。

 

 

東照宮は境内西側に東面して建てられていますが、諏訪神社は鳥居のすぐ近くに南面しています。

どちらも氏子が多くいたわけでありませんので、戦後は維持管理が大変だったそうです。

 

 

忍城と異なり明治に樹木の伐採を逃れることが出来ましたので、豊かな杜を残しています。

 

東照宮 埼玉県行田市本丸12-5(忍字諏訪郭) 地図link

 

忍城 行田市郷土博物館 埼玉県

 

成田氏は現在の熊谷市上之に平安中期より移住し、鎌倉時代には御家人として活躍しています。領主となるなど力を蓄えてきました。

室町時代の文明11年(1479)には忍城が存在していたようです。

豊臣秀吉による小田原の北条氏討伐により、忍城は最後には開城せざるを得ませんでした。

江戸初期まで関東の名族として知られていたのです。

 

映画「のぼうの城」は成田長親を主人公にしています。成田長親ウィキペディアlink

歴史的には異なる部分もあるのですが、とても面白い映画でした。。

北条氏の配下であった成田氏は城主・成田泰季が小田原に赴きましたが、一族の長親は進軍してきた石田三成に忍城に籠城しました。

石田三成は忍城を水攻めにするため、約11㎞もの堤を完成させています。

しかし、小田原が落城すると最後まで抵抗していた長親も開城せざるを得ませんでした。

石田堤ブログlink

秀吉の軍は備中高松城、紀伊太田城でも以前に水攻めを行っています。

 

忍東照宮の案内板より

 

江戸期には家康の四男の松平忠吉が忍藩10万石の藩主となり、後に寛永16年(1639年)に老中阿部忠秋が入り拡張整備が行われています。

明治になる徳川の重鎮であったために全てを取り壊すよう命令されています。

費用を捻出できず、入札による払い下げとせざるを得ませんでした。

かつては行田などの各地に忍城の建物が残されていましたが、現存するのは加須市の不動岡総願寺の六ツ門のみとなっています。

 

行田市郷土博物館と忍城御三階櫓に向かいます。

城跡にあるのは、新しい施設ばかりです。

 

 

行田市郷土博物館

 

 

残念ながら忍城に関する展示は、撮影が禁止されていました。

帰りに「常設展示解説図録」を求めて思い出しています。

 

行田市の足袋の製造工程や昭和初期から戦後の一時期までの物が展示されていました。

 

特に子供の時を思い出す玩具は、懐かしく思い出されます。

私はベーゴマや野球は苦手でした。

 

忍城御三階櫓

 

各階から外を眺めることが出来ます。三階からの外の景色です。

 

三橋美智也さんの『古城』が浮かびました。

どこの城とは言われていませんが、名曲だと思います。

 

忍城の鐘

 

東門水郷

堀には沢山の鯉が泳いでいます。

 

忍城御三階櫓の南側や橋を渡り羽生市産業文化会館に向かう途中には、数多くの鉢植えの花がありました。

何人もの人がスマホで撮影をしています。私も何枚も撮影して楽しんでいました。

面白い催しです。

「行田市 花」と検索すると、「行田市花手水(はなちょうず)」の検索候補が出てきます。行田花手水weekカレンダー リンク

カレンダーに行う日がありましたが、忍城と行田八幡宮は、通常の期間も行っているようです。

 

忍城跡 埼玉県行田市本丸17 地図link

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