円泉寺便り

境内の寒椿

参道の四本の寒椿が満開です。

 

庫裏の前には、まだこれからです。

 

天高く、青と白のシルエットがきれいでした。

 

苦手な冬が、やってきます。

 

←賽の河原 お地蔵様

賽の河原 お地蔵さま 掛軸

最近手に入れた掛軸です。あまり良い状態ではありませんが、慈愛に満ちたお地蔵様が、亡くなった子供達を救おうする表情にひかれました。
 
賽の河原の言葉を知っていても、どのような場所であるか知らない人が多いと思います。
私は寺の住職ですが、若かりし頃は意識したことがありません。
    水子Wikipediaリンク         
 
やたらと水子供養の宣伝をした寺や占い師などが出没し、「水子の祟り」などと言って、一時期は水子供養を行う寺が増えました。
あまりもの状態に、日本仏教界や宗派などでは、水子供養の自粛や禁止をしました。
その宗派の御住職は宗派から「水子供養を止めないと、僧侶資格を剥奪する」と言われたと話していました。
ホームページには、派手な宣伝が書かれており、田舎寺を維持するためとは言え、やり過ぎと思っていました。自業自得です。

 

亡くなった水子や死産、幼い子供は賽の河原に行くと言われていました。
昔はここから他の六道に行くのではなく、生まれ変わるとされていたのです。
 
縄文時代の住居跡から、子供の骨が入った土器が出土します。
長野県では、小さな子供の骨を家の玄関に埋めることが、戦後の一時まで行われていた地区があるそうです。
みんなに踏まれることにより、今度こそ強い子で生まれ変わって欲しいとの願いからでした。
今では信じられないことだと思います。
 

 

 

 

 

鬼達は怒っているわけではありません。

ここに二度と来ないで、元気に生まれ変わって欲しいと、怖い顔で子供達を見守っているのだと思います。

中世では、子供は神とされていました。
賽の河原の考えは、本来仏教の中にはありません。
お地蔵様が子供達を助けて、良い所に生まれ変わるよう助けてくれるとの考えは、地蔵信仰と縄文からの考えが、賽の河原の考えに結びついたのだと思っています。
 
熊野観心十界曼荼羅の中の賽の河原
 
お墓などに正面を向いた、お地蔵様だけでなく、振り向いた石像を見かけることがあります。
救いもれた子供がいないか、周りを見渡している姿だと思います。
意味は違いますが、京都の永観堂「みかえり阿弥陀さま」を思い出します。永観堂ホームページlink
 
 
東松山市岩殿の見返り地蔵
 
 
賽の河原掛軸は他の寺にあったようです。寺院名が書かれていました。
今では住職がいなくなったり、廃寺となった寺が数多くあります。
ある骨董屋さんに聞くと、ここにある仏像や仏具は全て寺から出た物ですと話していました。どこの寺かは言いませんでしたが、意外や都内のお寺さんから出た仏像仏具がありました。
手に入れた仏像の中には、業者さんのヒントで三ヶ所どの寺か分かったことがあります。
 
 
お寺も数十年すると、廃寺になる寺が数十%にもなるようです。
厳しい時代がヒシヒシと来ています。
 
 
 

アンモナイトの化石

昨日のペット合同供養カメラマンは檀家さんでした。

頼まずとも撮影するつもりで来られました。お礼にアンモナイトの化石を半分差し上げました。

 

一つの化石を半分に切り取り、中も見えるようにした化石です。

 

もう半分は儀式に参列するために、1時間前に来られた檀家さんです。

 

二人ともパワーストーンが好きで、喜んでいました。

 

実は先日、机の中を探していた物が見つからず、すっかり忘れていた化石が出てきたのです。どこで、何時求めたのかも忘れていました。

これがアンモライトと言われる七色に光る化石だと、十倍以上の価格のようです。

それでも二人とも家に飾ると話していました。

 

←第7会回 ペット合同供養            賽の河原 お地蔵様→

 

令和元年 第七回ペットの合同供養

昨日の11月第二日曜日は、ワンワンヤャンの日で、毎年ペット供養塔の前で、合同法要を行っています。

11時からですが、供養塔の前には参列舎の用意した生花が手向けられています。お寺で用意したのは大きな生け花だけです。

 

挨拶をして読経に入りました。今回は友人も助法に来られています。

 

毎回参列の檀家さんです。

 

供養塔の脇に犬猫の石像があります。この子は猫の像を指さして、○○ちゃんだと喜んでいました。

 

約60名ほどの参列者だったようです。今年は両陛下のパレードがありますので、少し少なかったのかも知れません。

 

 

終わってみると、さらに多くの花園になっていました。

 

←日高市 霊巖寺           アンモナイトの化石→

 

 

 

 

霊巖寺 日高市

先日お寺に来た日高市の郷土史研究家が、霊巖寺に勝軍地蔵像が祀られていると話していました。

たまたま日高のパン屋さんに行き、思いついてお参りに行きました。

御住職は当寺と同じ、真言宗智山派埼玉十一教区に属するお寺です。教区の布教師会長も務めています。

 

 

 

買ったパンを土産に、お話を聞かせていただきました。勝軍地蔵像は、御本堂に祀られているとのことです。

御本堂他、境内の石仏などもお参りしました。

枝タレ桜開花の季節には、さぞかし見事でしょう。

 

 

箕輪観音の下に宝鏡院陀羅尼塔他、3体の石像が祀られていました。

 

十三松堂先生のことは知りませんでした。帰って調べると正木直彦氏でした。正木直彦Wikipediaリンク

どのようなことで、ここに石像の祈念碑があるのか、後日御住職にお目にかかったとき聞こうと思います。

景仰治とありますので、ここに来られたことを記念して関係者が建立したのでしょうか。

 

先日の台風では、高麗川も甚大な被害がありました。

近くの養鶏場では何万羽の鶏が犠牲になり、橋も流された場所もあるそうです。

 

来る途中に入場塚があります。

霊巖寺第十六世御住職が、寛政9年に即身仏となったとき建てられた石塔のようです。

即身仏は山形県など、東北の日本海側に多く祀られています。隣の日高市におられたとは知りませんでした。

 

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当寺の勝軍地蔵掛軸は最近もとめた愛宕権現曼荼羅です。京都の愛宕山信仰が江戸時代に各地に伝播しました。

その当時使用されていた掛軸と思います。

 

 

 

霊巖寺  埼玉県日高市大字新堀740 地図

 

道教の神社 聖天宮 5000の龍 坂戸市

聖天宮(せいてんきゅう)は埼玉県坂戸市に平成7年に開廟されました。 

当時、開廟されたのは知っていましたが、お参りしたのは初めてです。関越高速の坂戸鶴ヶ島インターからすぐです。

あいにくの天気でしたが、4人の仲間と参拝です。4人とも初めてでした。

 

 

五千の龍が登ると書かれていましたが、大小たくさんの龍が祀られています。

とてつもない費用がかかったのでしょう。

広い駐車場がありますので、普段は困ることが無いと思います。10時に入れますが、先客は御夫婦二人だけでした。途中で観光バスが一台と数台の自家用車が入ってくるのが見えました。

 

道教は日本では認識されていませんが、深く日本人の中に根付いています。

 

あいにくの天気のために、あまり良い写真を撮れませんでした。晴れの日がお勧めです。

 

 

内部は多くの彫刻と共に中国の絵が描かれています。

 

前殿天井の細かな彫刻も日本では考えられないほど、ビッシリ並んでいます。

中国、台湾、韓国に旅行に行った方は、珍しくないかも知れません。海外では、いつも多くの方が参拝していると行った人が、かつて話していました。

 

鼓楼から見た天門です。周りに家が増えていますが、坂戸駅や若葉駅の周りと異なり、田園風景も残っています。

 

本殿に向かいました。御本尊の三清道祖が祀られています。私たちは案内の方に教わりながら、お線香を三本ずつ手向けました。

写真は手前の黒い下張りの所からしか、撮影できません。

 

 

北斗星君は、日本では妙見菩薩・霊符神として祀られています。健康長寿をお願い致しました。

 

ここの天井もスゴイ彫刻です。

 

休憩室で、帰りに台湾の飲み物を自動販売機で買って帰りました。

 

聖天宮  埼玉県坂戸市大字塚越51−1  地図           聖天宮ホームページlink

 

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曹洞宗・高福寺 埼玉県毛呂山町

私にとっては遠縁の方が御住職をしています。かなりの遠縁で親戚付き合いをしているわけではありません。

前々からお参りに行こうと思っていたのですが、知ってから50年以上経ってしまいました。

 

 

昔から精進料理で知られており、父も生前に教職員の研修で行ったことがあると話していたのを覚えています。

 

 

また、友人の菩提寺であり、葬儀の折には副住職さんとお会いしています。

御法事後の御斎では、御住職と話しを致しました。

 

 

ホームページにありますが、一般の方に向けた座禅会も行っています。変わっているのは、曹洞宗では珍しい滝行があります。

友人から聞いたのですが、なんと副住職が修験を行っていることです。鳩山町の金澤寺さんも仲間のようです。

柴燈護摩などを当寺と同じ真言宗智山派僧侶と共に、行っているようです。

 

 

境内からは出雲伊波比神社の杜や埼玉医科大学病院を見渡すことが出来ました。

 

 

高福寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字滝ノ入117  地図        高福寺ホームページlink

 

←毛呂氏菩提寺 妙玄寺 毛呂山町      道教の神社 聖天宮 坂戸市→

毛呂氏菩提寺 曹洞宗妙玄寺 毛呂山町

妙玄寺は天文3年(1533)に毛呂顕季(あきすえ)婦人の創建と伝えられています。

毛呂氏の墓がありますので、お参りに行きました。毛呂氏 武家家伝link

 

読みづらくなっていますが、「墓参りには まず本堂の御本尊様に参拝してから 自分の家のご先祖様のお墓に お参りしましょう」の看板があります。

私も御法事の時などに話していますが、手を合わす檀家さんは少ないのが現実です。何枚かポスターを貼る事にします。

 

御本堂

 

この御堂には、埼玉医科大学献体、病理解剖体の慰霊の御堂です。観音様が祀られていました。

以前、円泉寺の永代供養を希望した人が2名おり、献体後にお骨を火葬にしてから納骨することを依頼されました。まだ健在なのかも知れません。

近年は献体の申込みが多いそうです。

しかし檀家ではありませんが、夫を献体したので葬式はしないと言った奥さんがいました。親族のムッとした顔を思い出します。

葬儀屋さんに聞いたのですが、髪の毛とか爪などを前もって用意し、葬儀を行った家があるそうです。

 

 

植木屋さんがいましたので、お墓参りは可能かと聞くと大丈夫とのことでした。

毛呂氏のお墓は屋根が見えましたので、すぐ分かりました。

 

墓石と言うよりも供養塔のようです。

創建よりも古い供養塔もあり、開山以前から毛呂氏の墓だった可能性があるそうです。

毛呂土佐守秋重は北条方について、八王子城に籠城しましたが討ち死にしました。毛呂氏の末裔は、徳川幕府の旗本として残ったようです。

以前何かで読んだのですが、残された一族は上州に逃げ隠れたと書いてあったように記憶します。間違いかも知れません。

毛呂姓が一番多いのが群馬県です。

 

曹洞宗 妙玄寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字毛呂本郷244 場所

 

←国津神神社と山本坊歴代の墓          高福寺 毛呂山町→

国津神神社と山本坊墓 毛呂山町

国津神神社

廃仏毀釈によって日本全国の修験は廃止され、神社にしたり帰農した行者が多くいました。後に復活したのは、ごくわずかです。今でも復活することを考えている僧侶や神職もいます。

越生に山本坊を起こした本山派修験の別当・栄円の末裔が、後に西戸に移り熊野社を勧請しました。慶安2年(1649)には寺領47石あったそうです。

武蔵国の入間群・秩父郡・比企郡と常陸・越後の一部をの霞を支配したです。48ヶ寺の末寺がありました。

 

大正4年に熊野社から国津神神社と改めました。

国津神神社 毛呂山町西戸916

 

山本坊二十五世・徳栄法印が建立した芭蕉の句碑  「山さとは 万歳をそし うめの花」

 

山本坊墓

埼玉県毛呂山町西戸  地図

国津神神社の前を北向かい、突き当たりを左に折れます。

また突き当たりますので、今度は右折です。

 

右折後に階段のある場所の手前を右に折れて、約20メートルで歴代の墓に至ります。

 

山本坊は平将門の子孫と伝えられ、相馬の姓を名乗っていました。家紋も九曜星です。

 

以前、友人が山本坊は絶えてしまうと話していました。絶えてしまったのかも知れません。

お墓参りに来られているようには思えませんでした。

 

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