円泉寺便り

赤岩不動光恩寺 群馬千代田町

赤岩不動光恩寺には荻野吟子の実家長屋門が移築されていると聞きましたので、参拝に訪れました。

荻野吟子記念館からは、利根川をまたいて反対側にあります。

大祭は毎年3月28日、10月28日に行われます。

火渡りが行われるようです。

赤岩不動光恩寺 群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041 地図

 

緑豊かな境内です。

 

歴代住職の墓に面して、たくさんの板碑がありました。

 

特に知られているのは、大きな地蔵菩薩画像の彫られた板碑です。

文永8(1271)年で、画像板碑としては最古に属するようです。

 

赤井照光の墓に向かう途中に、六面地蔵塔、荒神様が祀られていました。かなり大きな石仏です。

 

赤井照光の墓は、堂山古墳の頂上にあります。

 

元禄16年の梵鐘です。千代田町指定重要文化財に指定されています。

 

阿弥陀堂には阿弥陀三尊が祀られ、鎌倉時代の大きな御尊像です。こちらも千代田町指定重要文化財に指定されています。

 

睡蓮が咲き出し始めていました。これから次々に咲くのでしょう。

 

荻野吟子実家の門は、東側の駐車場に面してあります。

ここにも石像がありました。

二人の女性が熱心にスマホで写真を撮っていましたので、女性のスマホで記念撮影を買って出ました。

荻野吟子巡りをしているようです。

 

荻野家より移築された長屋門です。

 

光恩寺の近くにある赤岩渡船場です。対岸には荻野吟子記念館があります。

 

天台宗別格本山 熊谷薬師常光院 埼玉県

以前にもお参りしましたが、豊か緑が気持ちの良いお寺です。

今から40年以上前も私が学生時代にもお参りに来ましたが、俳句寺としても知られ、いまでも句会が開かれているようです。

また、常光院は熊谷大師として知られています。

弘法大師と思っている方もいますが、元三大師です。ちなみに佐野やよけ大師も元三大師です。

熊谷市や羽生市の古代は、利根川の低地に条里制がひかれました。広大な土地が農地として整備され、四角に区切られた広い田が整備されています。中条の地名はここからおきています。

有力な氏族の古墳が多く残されています。特に羽生市の埼玉(さきたま)古墳群は有名です。埼玉地名の起こりの地域です。さいたま市は早い者勝ちで付けた市名です。

 

常光院は中条氏の館跡です。栃木県の鑁阿寺ほどではありませんが、鎌倉時代の屋敷跡とハッキリ分かる敷地です。現在は三分の一が常光院に残されています。

30年程前にも来たときは、南の方に狭い駐車場があっただけだったと思います。今は敷地から離れていますが、東側に広い駐車場があります。

 

広い境内は豊かな緑にあふれています。

熊谷大師常光院    ホームページ       地図

 

ここは武蔵国十三仏霊場 第十三番 虚空蔵菩薩の札所ですが、他の仏様も境内には祀られています。

十三仏詣で方々、散策するのも良いでしょう  

 

納経塔前の池

 

中條判官藤原常光の墓

 

江戸時代の直参旗本・天野氏の墓

 

山王社

 

俳句寺と言われるように、いくつもの句碑が広い境内にありました。

副住職さんと思われる方が、掃き掃除をしていましたが、これだけ広いとさぞかし大変だと思います。

荻野吟子記念館 埼玉県熊谷市

今から十数年前、たぶんここだったと思いますが、迷って来た記憶があります。看板があり、日本最初の公認された女医とあったように思います。

公認制度のなかった時代のシーボルトの娘・楠本イネは、医師として築地に開業しています。楠本イネWikipediaリンク

当時、楠本イネは知っていましたが、荻野吟子「嘉永4年(1851)~大正2年(1913)」はマッタク知りませんでした。

 

まだ妻沼町でした。下の看板だったのかもしれません。熊谷市に張り替えてあります。

荻野吟子記念館 熊谷市俵瀬581番地1  地図     PDF

ここのことは上のPDFが、簡潔に述べられていますので、ぜひ参照してください。

この図は記念館内部にありますが、吟子の生まれた荻野家は、利根川の淵にありました。先祖は栃木県の足利から移住してきたそうです。

当時は利根川が水運の地として栄えていましたが、俵瀬は江戸幕府の方針でここだけ堤防がありませんでした。氾濫時の遊水池としての役割がありました。この氾濫のため農作物が豊かに実りました。

このあたりの家は氾濫に備えて、少し高く土盛りした上に建っていたようです。

この絵に見える長屋門は移築され、対岸の群馬県千代田町にあります。

 

千代田町側から見た俵瀬です。高い土手があるのが分かると思います。赤堀渡船場があり対岸に渡ることができます。

 

荻野吟子記念館全体の内部写真を撮り忘れました。情けない!

 

先ずは6分間のビデオを見せていただきました。三田佳子さんの演劇の取材シーンからです。

 

係員に案内をしていただきました。

 

1868年に結婚しましたが、性病をうつされて離婚後に東京で治療をしました。

この時、女医になる決心をしたそうです。

夫の稲村貫一郎は、離婚したとしても親戚として付き合おうと言い、治療、学校への学費から生活費、開業費、再婚後の他の夫への事業資金まで負担していたそうです。

 

この写真でも分かるように、吟子は小柄な美人だったそうです。

女子師範学校を卒業後、私立医学校好寿院に入学しました。しかし、周りは男子ばかりで冷たくされたようです。

卒業後もなかなか医師試験を受けさせてもらえませんでした。

埼玉県出身の塙保己一の令義解に古代に女性医師がいたことがわかり、医師試験を受けることができました。

やたらと杓子定規な役人がいたようです。

明治17年、34歳で前期試験に合格し、翌年後期試験に合格しました。

5月に湯島に開業しましたが、待合室が女性患者であふれるほどでした。

この後、キリスト教への入信、再婚、北海道での開業など、続くわけですが、先のPDFと東京女子医大のリンクした資料などを参照してください。PDFリンク

利根川の水運も高崎線が通ったために衰退しました。

荻野吟子の兄弟は皆、嫁に行ったり他に移り、ここにはありません。近在の荻野姓の家がありますが、それ以前の分家筋になるそうです。

 

吟子が学んだ「行余書院」のあった大龍寺です。埼玉県熊谷市葛和田898

 

聖天山の山門の天井画の一部は、荻野家が納めた画もあるそうです。聖天山歓喜院  熊谷市妻沼1511

ここの繁栄を支えたのが、利根川の水運でした。

私が学生当時は、東武熊谷線は熊谷駅から妻沼駅まで延びていましたが、廃線となっています。

 

赤岩不動・光恩寺には、移築された荻野家の門と荻野吟子の像があります。光恩寺  群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041

 

めぬま道の駅 バラ園内 

道の駅のバラ園 めぬまアグリパーク 熊谷市

今日は妻沼を中心に何カ所か巡って参りました。

数年前来たときは、時期違いで咲いていませんでしたので、今日は最高のバラ日寄りだったと思います。

ここは「めぬま道の駅」のバラ園です。

かなり広いバラ園です。

ここには荻野吟子の像がありました。今日出かけた場所にも、他に二ヶ所ありました。荻野吟子Wikipediaリンク

荻野吟子は公認としては、日本最初の女医です。

 

道の駅ではバラを売っていましたが、私は紫陽花を買いました。

 

櫛かんざし美術館 東京都青梅市

清酒で有名な澤乃井が運営する美術館です。

岡崎智子さんが集めた櫛・かんざし・笄(こうがい)などの、江戸から昭和に至る4000点の品を収蔵しています。

館内の収蔵品は撮影できませんので、室内の一部と多摩川の写真だけです。下のホームページを参照してください。

うっかり建物の外観を撮り忘れましたので、画像にパンフレットを貼り付けました。

櫛かんざし美術館   東京都青梅市柚木町3丁目764−1   地図

 

 

 

イラストの額がありましたが、北沢楽天の作品でしょうか。聞くのを忘れました。

たぶん伊東深水の舞子画も展示されていました。

お土産は笄ならぬボールペンです。

家族には馬鹿にされましたが、差し上げた方からはお愛想に喜ばれました。

 

たましん 御岳美術館 9月末閉館 東京都青梅市

あいにくの大雨でしたので予定を変更して、友人達と奥多摩に食事に行きました。

帰りに御岳美術館に行っていただきました。今年9月末日をもって閉館になるからです。link

他のたましん美術館2館と統合になるそうです。

ロダンのカレーの市民の第一試作品、アリスティード・マイヨールのTORSE、高村光太郎の手萩原守衛(碌山)の女、北村西望の夢(乙女像)など、教科書にも紹介される作品が展示されています。

東魏の二尊仏も素晴らしい石仏です。

写真禁止なのが残念でした。外からのみでご了承ください。

たましん 御岳美術館 東京都青梅市御岳本町1−1  地図

現在は、倉田三郎記念室 旅の素描展を行っています。

今泉今右衛門の壺などの展示もあります。

すぐ前の多摩川は、いつもよりかなり増水していました。

第十回 永代供養合同法要

 

本日は永代供養塔に納骨されている方々、並びに震災などの物故者各霊の供養を行う合同法要です。

今回で十回目になりました。

 

私が読経中に全員でお焼香をしていただきます。計算通りにお焼香が終わりました。

お焼香後に全員で般若心経などをお唱え致します。

みごとにそろった読経です。祀られている方々も喜んでいただけたのではと、勝手に解釈しています。

 

御本堂での法要の後は、宝井琴柑さんによる講談です。

10月に真打ちとなり、宝井琴鶴を襲名します。宝井琴鶴は元宝井馬琴師の前に使用していた名前ですから驚きでした。

金柑さんのご本家は当寺の檀家さんです。お爺さんがお墓に眠っています。

儀式が始まる前にご本家、ご親戚とお墓参りに行かれたそうです。

宝井琴柑さんブログlink

演目は「村越茂助  左七文字」でした。

講談が終わると、永代供養塔前でも全員でお焼香です。

私が般若心経をお唱えする中、一緒に唱えて頂いた方が何人かおり、少し楽をさせて頂きました。

参列者は170人ほどだったようです。

今回のお塔婆料、御寄付などは合計30万円ほどになりました。

全額を震災などで活動するボランティアの方々にお渡し致しました。

黄色い牡丹

檀家さんからいただいた黄色い花の牡丹が、咲き出しました。

仮植えしたありますので、いずれにか御本堂前に植えたいと思っています。

赤系の牡丹は、全て散ってしまいました。

芍薬

今朝芍薬を見ると半分ほどの花が開いていました。

昼過ぎには開く寸前の花が、一気に開いています。

仮植えの芍薬は、明日以降に開きそうです。

 

普賢菩薩 文殊菩薩 掛け軸

紺地に金の線で描かれた「普賢菩薩」と「文殊菩薩」です。

中心に釈迦如来の掛軸があり、釈迦三尊になっていたのかもしれません。

普賢菩薩

文殊菩薩

12日の永代合同法要に左右に祀る予定です。

永代合同法要

永代合同法要

 

当寺の仏様ですが、釈迦三尊として撮した画像です。

 

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