円泉寺便り

銀杏の黄葉

境内の銀杏が黄葉しています。

 

数日前の写真ですので、向かって右側は、今かなり落ちています。

 

日に日に寒くなりますので、お墓参りは暖かい時間にお越しください。

ペット総回向法要 ペット供養塔前

毎年この時期は良い天気に恵まれる率が多く、今回は特に絶好のペット供養日寄りでした。
いままでで一番参列者の多い法要となりました。
納骨した檀家さん以上に、何倍も他のペット納骨家族が参加しています。

当日の供養は一切無料です。気軽にお参りしていただき、お寺に興味を持っていただくことも目的です。檀家さんのための施設のつもりが、他の方々の申し込みが圧倒的多数となっています。


少しお話をさせていただいてからお経となります。
今回の話は「四苦八苦」です。
そのうちの愛別離苦(あいべつりく)は「愛する人と別れる苦しみ」なのですが、「今では愛するペットと別れ別れになる苦しみも多くある時代(ペットロス)」と話すと、うなずく人が何人もいました。なにしろペットは家族ですからね。

難しそうな話と思われるでしょうが、かなり柔らかく話したつもりです。笑いも漏れていました。

前もって注文していたお花以外に参列者がお持ちした花は、その倍以上ありました。

 

まず初めての方のためにお線香の手向け方をお教えします。この供養塔では、お線香を一束、紙も取らずに火を着けている方が何人もいます。霊園などでも多く見ますね。


お線香を五本ぐらいづつ手向けていただく間、般若心経とご真言をお唱えするのですが、今までで一番多くお唱えしました。

イメージ 3


この後、阿弥陀堂、ご本堂にも希望する方は、お参りしていただきました。

 
写真では少数ですが、この5倍ほどの方が本堂に上がって、お焼香していました。
 
今回はかつてベビーカーに乗っていたお嬢ちゃんが、今ではもっと大きなお子さんと参列していました。
歳をとるのも無理ないな~と感じた日でもあります。
 
今回も石屋さん、葬儀屋さんの協力を得ることが出来ました。
かつては自分だけでも出来ると思ったのですが、車で来られる方が多く、駐車場も二重に止めていただかなくてはなりません。お線香も今では一人でお渡しするのも不可能と思える人数になりました。
雨であれば、テントも必要になります。
 
無事終わり、ホッとしました。
 
ペット供養塔 link
 

菅原道真公の生涯

菅原道真公

※この文は、「滝行の会」スタッフのN女子のご協力を得ました。

学者出身の優れた政治家

菅原道真は大学で歴史や詩文を教える文書博士(もんじょはかせ)を代々歴任する学問の名家に生まれた。道真は幼少の頃から非凡な才能を開花させ、やがて文書博士に就任する。

勢いを増す藤原氏の勢力を押さえたい宇多(うだ)天皇に以降を託された道真は、天皇のブレーンとして政治改革に邁進する。学者の家系として異例の右大臣まで登りつめた。

藤原氏の讒言による失脚

ところが、脅威と見た藤原時平の讒言により、道真は九州の大宰府の長官に左遷されてしまう。黙って受け入れた道真は、旅立つ朝自宅の梅の花に「東風(こち)吹かば、にほいおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(春になって東風が吹いたなら、太宰府にいる私のところへ梅の花の香りを届けておくれ。私がいなくても春をわすれてはいけないよ) と語りかけたと伝えられる。

太宰に就いて二年ののち、道真は死去する。

死後三十年恐れられた道真の祟り

道真が去った後、都では天変地異が続く。激しい雷雨、飢餓、、疫病の流行で多くの死者を出した。さらに、藤原時平を始めとして左遷に関わった人々が次々と病に倒れ死去する。

また、内裏に激しい落雷があり、左遷に関わった藤原氏ゆかりの人々が、顔面や腹部の焼けただれた姿で発見されたことにより、人々は「道真の祟りだ」と恐れた。天災への恐れと相まって、道真の死後、約三十年にわたって「道真の祟り」が人々の口に上り続けた。

怒りを鎮めるために神に祀る

朝廷は道真の怒りを鎮めようと、京都北野の地にある北野社に道真を神として祀る(北野天満自在天神宮)。道真の祟りを恐れた藤原氏により、手厚く祀られることとなった。

天神として祀られた道真は荒ぶる祟りの神の姿から、罪をそそいで恵みをもたらす慈悲の神に姿を変え、人々の信仰を集める。さらに道真のがくさいにあやかって学問の神として信仰は広がっていった。

平安中期より現代に至るまで、学問の神様として人々の信仰を集めている。

 

天神社

〒357-0014

埼玉県飯能市平松376   円泉寺境内  

携帯090-3225-6286 西澤

普段は神社におりません。ご用の方は、前もってお電話下さい。

平松天神社 link

 

 

摩利支天掛軸 北斎漫画の写し

摩利支天の図

 

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」展に出かけると、一番最初にこの「摩利支天」の元になった北斎漫画の図が展示してありました。  北斎とジャポニスム

「摩利支天」と検索すると同じ図柄の絵が何点か出てきます。何かの図が大元になっているのは分かりましたが、分からないまま何年も経っていました。摩利支天Wikipedia

まさか北斎漫画六編だったとは思いも寄らぬ事です。  葛飾北斎Wikipedia        北斎漫画Wikipedia

 

フルコンプリート素材集より

 

北斎漫画三編が手元にありますので、他の図ですが掲載いたしました。程度が悪くい古本でしたので安く買えましたが、お顔や肌が肌色に彩色されていない版でした。すみだ北斎記念館では、良い状態の北斎漫画や他の作品がありますので、ためになります。

四天王と荼枳尼天、稲荷大明神

 

摩利支天の掛軸は北斎漫画を大きく描き、彩色した作品でした。誰の作品か、制作年代はいつであるか不明です。

 

永代供養塔階段に手すりがつきました。

永代供養塔での納骨、階段の上り下りや納骨中の読経の時、時々怖いと思うことがありました。

以前の階段

 

私以外にも参列者の方々が怖い思いをしているかもしれません。お年寄りは諦めることもあります。

かなりの出費ですが、手すりを付けることにいたしました。

 

これで安心しました。

 

金木犀

境内には銀木犀が二本、金木犀が五本植えられています。銀木犀はすでに咲き終わっていますが、金木犀は今が盛りです。

 

 

 

 

以前は咲き始めると、お参りの檀家さんから話が出るのですが、今年はどういうわけか一度もありません。

お参りの方は参道を通り、香を楽しんでください。

 

薬師如来

30年ほど前にバラバラになっていた御尊像を修復し、お厨子も新調致しました。

 

東方浄瑠璃世界の教主と言われています。
病気平癒、健康祈願の仏様として信仰されています。また十三仏の内、49日忌の担当の仏様ですので、法事の折には必ずお薬師様のお話をしています。

 

以前あるセミナーに行きました。

最期に受講者の質問があり、「曼荼羅に薬師如来が描かれてないのは」「なぜ国分寺に薬師如来が祀られているのか」の二点質問がありました。

  1. 薬師如来が信仰されたのはシルクロードの国々である。インドでは信仰されなかったために曼荼羅に描かれなかった。
  2. 国分寺に祀られたのは、「鎮護国家」のためである。

1.は全く気がつきませんでした。五仏の内、東方の阿閦如来が信仰されなかったのは、お薬師さんの世界と重なるためだったようです。そのためか阿閦如来が祀られているお寺は少ないです。奈良の薬師寺では、お薬師さまの台座に葡萄唐草文があしらわれています。

2.は高校の授業で教わったことがありましたが、すっかり忘れていました。その当時のお薬師様の役割と後世の信仰とは、違いが大きすぎます。

 

以前山梨県甲州市の大善寺のお薬師さまがブドウを持ったお姿であるのを知り、その訳がシルクロードにあったとは思いも寄りませんでした。古くは他にも葡萄を持ったお薬師様があったようです。

甲州葡萄の歴史も大善寺のお薬師さんが関連しているように書かれていますが、史実かどうかはともかく甲州にふさわしい仏様ですね。

明治になり大善寺をお参りしたお公家さんが、「薬師如来が手に葡萄を持つのは間違いだ」と葡萄を外させたことがあったようです。十数年前にはその人達の名前がネットに出ていました。

 

話は変わりますが、「逃げるは恥だが役に立つ」で大善寺が撮影に使われ、参拝者が3倍に増えたそうです。

 

大善寺お薬師さまのご開帳は5年に一度です。次回は、平成30年10月1日~14日となります。

大善寺薬師如来        大善寺Wikipedia

 

渡辺綱 浮世絵 役者絵 茨木の一條戻橋の場(豊原国周)と綱館(楊州州延)

十数年前になりますが、鴻巣市に出かけた折、渡辺綱がこの地で生まれたことを知りました。

その後二度ばかり綱の生地を探訪しました。

運良く手に入れることが出来た三枚綴の役者絵「茨木?」の場面です。幕末から明治に掛けて活躍した豊原国周(とよはらくにちか)と楊州周延(ようしゅうちかのぶ)により描かれました。

 

一條戻橋の場 豊原国周 浮世絵

 

綱館          楊州周延Wikipedia

 

  1. 歌舞伎の戻橋恋の角文字(もどりばしこいのつのもじ)」の一條戻橋の場は、明治23年に歌舞伎座で上演されました。髭切の太刀(現在北の天満宮に収められている)で、鬼(怪童丸)の腕を切り落とした場面です。渡辺綱を初代・市川左団次、怪童丸を五代目・尾上菊五郎が演じています。
  2. 同じく歌舞伎の役者絵です。渡辺綱を市川左団次・茨木童子を尾上菊五郎です。童子が綱邸で腕を取り戻す場面です。

鬼が怪童丸と茨木童子となっています。同じ鬼のはずですが歌舞伎に詳しくありませんので、あやふやなままです。ご了解ください。

 

これら浮世絵は、友人の渡辺さんにお譲りしました。とにかく鬼より怖い渡辺綱の子孫ですから、などと言ったら笑われるだけでしょう。

 

 

渡辺さん達と一緒に鴻巣市を訪れたときのブログです。 リンク

渡辺姓の方は、一度訪れることをお薦めします。

 

午頭天王のお姿

別当 石宝院のお姿

山形県東根市の若木神社(おさなぎじんじゃ 旧別当石寳院)江戸期のお姿です。
 
 
 

羽黒山橋本坊

これも山形県です。江戸期に発行されていたものです。
 
 
 
牛頭天王の部分
 
 
 

廃仏毀釈

仏様ではありませんが最も廃仏毀釈のやり玉に挙がった神でした。
全国の牛頭天王社や祇園社は、八坂神社や須賀神社など名前を変えられ、祭神は同神とされる素戔嗚尊に変えられています。
 
当寺境内の八坂神社は、天王さまと呼ばれています。地元の人はなぜ天王様と呼ばれているのか知りませんでした。
 
各地の神社で行われている夏越の祓の「茅の輪くぐり」は、本来牛頭天王と関連があります。
全てを消すことが出来なかったのは、それだけ広く信仰されていたことを物語っているのでしょう。
 
以前午頭天皇社であった伊勢二見の松下社のブログ      ブログ1         ブログ2
 

秩父神社の妙見様と養蚕神

秩父の妙見菩薩は女性?

秩父神社の妙見様は女の神様と言われています。旧武蔵国秩父郡や隣接する地区では、長女が○○神社、次女が秩父神社、三女が△△神社であるなどの三姉妹伝承があります。

童子形の妙見菩薩で他に女性とする所は、聞いたことはありません。

 

 

秩父神社のお姿と他の童子形妙見菩薩

童子形妙見菩薩の中世以降のほぼ共通した特徴
・亀に乗る
・髪の毛が長い
・甲冑を着て剣を持つ
秩父神社のお姿は他と異なり、桑の枝を持っています。
 

 

 

 

他の童子形妙見菩薩

群馬県高崎市群馬町  妙見寺

ブログlink

福島県南相馬市  相馬太田神社

福島県南相馬市  小高神社

福島県相馬市  相馬中村神社

ホームページ

 

不明

磐裂(いわさく)神社

栃木県日光市遠下3-1

 

中世以前の妙見菩薩は、吉祥天や密教系の諸天のお姿をしています。 三井曼荼羅図link
 
髪の毛が長いだけが女性の特徴ではありません。たとえば日本でも根来の行人や占い師は長髪でした。
髪を長く伸ばしている男は、特殊な能力を持った人の意味もありました。
無関係と思いますが、牛飼い童(うしかいわらわ)も成人でありながら長髪です。
道教の神々は、長髪が多く見られます。
 
日本では子供と老人は神に近いと考えられていました。
私は童子形妙見菩薩は玄武(中国では真武)がそのまま入ったのではなく、子供の姿として日本的展開をしたとの立場でいます。
聖徳太子像も少年の姿が多く見られます。
話は変わりますが、死後老人が子供になってあの世に行く図があります。人は若返って浄土に向かうと思われていたようです。
中世の童子形(津田徹英著)が参考になります。
 

常陸国(茨城県)の三蚕神社

星福寺  茨城県神栖市日川900

星福寺の衣襲明神ブログlink

蚕養神社  茨城県日立市川尻町2

蚕影神社 茨城県つくば市神群1998

 

 妙見菩薩と養蚕神の習合

秩父に祀られるより以前に祀られている高崎市の妙見寺お姿をはじめ、他の神社仏閣では桑を持っていません。

 
秩父は養蚕で栄えました。明治以降は秩父銘仙も知られるようになりました。秩父の祭りは養蚕と関連しています。

秩父の妙見様は女神である養蚕神と習合し、江戸期に女性の神様とする考えが生まれたと思っています。

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