円泉寺便り

大家神社 埼玉県坂戸市

東武越生線の一本松駅からは約600メートル北側です。

大家神社は坂戸市。一本松駅は鶴ヶ島市になります。

以前は坂戸分が発展いましたが、鶴ヶ島分の一本松駅南側が区画整備で発展しています。

 

 

いつもは通り過ぎるのみでしたが、初めて参拝致しました。

 

 

大家神社は白鬚神社でしたが、明治40年に大家と成りました。

大家地区の鎮守としてふさわしい何変更したのだと思います。

白鬚神社は数多くあり、分かりやすい名称にしたのかも知れません。

 

 

 

社殿の作りが面白い建物でした。

神楽殿に本殿があるような造りです。

 

 

 

でも右手には神楽殿がありました。

 

 

 

金比羅神社、養蚕神社、八坂神社の三社があります。

 

 

 

かつて父が、この地域の中学校に勤務していました。

昔を思い出します。

 

大家神社   埼玉県坂戸市厚川135 地図

 

 

浄土宗 浄國寺 埼玉県毛呂山町

浄國寺は浄土宗単立の寺院のようです。

殆ど情報がありません。

全国の法人名簿に浄國寺は2015年10月5日に法人番号が指定され、2015年11月6日に法人情報が更新されましたとあります。

この時点で住職が指定されていないとありました。

 

しかし門柱は大正年間に建立されて、当時の住職名が彫られていました。

かつては浄國寺跡となっており、元檀家の尽力によって復旧されたようです。

 

 

御本堂は八角堂でした。

ひょっとすると某出版社が企画した御堂のように思います。

 

掲示板には浄土宗の印刷された標語が掲載されていましたので、どちらかの御住職が兼務されているのでしょう。

 

境内には墓地がありました。

今日の目的の庚申塔です。

 

 

天正二年に建立されています。

 

 

御本堂前には南無阿弥陀仏の板碑がありまとた。

 

 

 

門前を100メートルほど行くと、地蔵菩薩が祀られています。

 

 

地元の方々に大事にされているようです。

 

浄國寺 埼玉県入間郡毛呂山町大類398−1  地図

 

 

天台宗 福正寺 埼玉県毛呂山町

飯能寄居線バイパスを時折利用致しますが、いつもは通り過ぎていました。

バイパスが、かなり高いところを通っており、脇に見えてもすぐに参拝できません。

福正寺は六百年の歴史があります。

 

 

桜が満開の時か、銀杏が黄葉のころ参拝したかったと思いました。

御本尊は阿弥陀如来でした。

 

 

毘沙門天の寺として知られており、毎年1月7日に祭礼が行われています。

毘沙門堂で御護摩が行われます。

 

 

 

孫弟子が叡山で回峰行第百日成満とは、すごいことです。

現在は副住職でしょうか。

 

現住職のお母様は、飯能市の真言宗智山派寺院出身です。

教職員が多いご兄弟でした。

姉妹は各地の寺院に嫁がれています。

 

境内には砂利が引き詰められており、枯山水の趣があります。

砂目が整えてありましたので、できるだけ砂を踏まないように致しました。

 

 

駐車場隅には石仏が祀られていました。

一番大きな石仏は、右手に五鈷を持っています。おそらく弘法大師だと思います。

弘法大師は真言宗の祖ですから、他の場所から移されたのかも知れません。

 

 

左から三番目の石仏は、両手を下にして礼をしています。

今までに見たことのない像です。

 

 

寺域から外に出て、少し西側には墓地がありました。

入口道路に面して地蔵菩薩石仏が祀られています。

 

 

 

福正寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字長瀬447 地図

 

 

無住廃寺問題

Yahoo!ニュースを見ていると、無住寺院問題が出ていました。
地域が安定していれば、住職不在の寺院でも持ちこたえることが出来ます。
過疎の地だけでなく多くの寺では、檀家を増やすどころか減る一方です。

廃寺」で検索すると数多くの寺が出てきます。

檀家が数十件では、修理も出来ない寺院が数多くあるのです。
時代が違いますが、維新で勝利し東京に移住した人が多い地区では、無縁墓が数十件並んでいる写真を見たこともあります。
更に写ってない場所に数多くあるようです。
まだ市が管理していましたので、残っていただけでした。



十数年間ある仏さまを調べに関東各地を調べていたことがありました。

無住でも殆どの寺院が管理されていましたが、屋根が崩れていたり、無くなっていたことがありました。
小さな神社では、石の鳥居は残っていましたが、草ぼうぼうで崩れ落ちていたこともあります。

地方から引き墓をして、新たに当寺檀家さんになった方が何件もあります。
元菩提寺が無くなっており、過去帳すら残されていなかったと話していた方もいました。

「兄さん、これ以上管理できないから、引き墓して下さい。」と高齢の妹に言われた人もいました。



あまりにも貧乏寺でしたので、兼務住職にもなっていただけない寺だった所もあります。
収入より支出が多すぎる寺も多くあるのです。
手続きをして廃寺にするのも大変です。

田舎にお墓がありながら管理できない方は、高齢になる前に引き墓を考えるべきだと思います。
ただし、引き墓の相談を住職にすると、途方もない離檀料を請求された方も数件いました。
霊園ですら、管理が満足に出来ないところも出ています。



新型コロナウイルスの影響で、困窮寺院が益々増えていきそうです。

 

初雪

昨夜八時頃まで雪が降っていました。

昨年にも北風に運ばれた雪が舞っていましたが、実質の初雪になります。

 

 

見ての通り、たいしたことはありません。

 

 

 

まだ七福神の福禄寿様開帳期間ですが、雪の予報もあり昨日は参拝者が10名ほどでした。

埼玉や東京で積雪10㎝のニュースが報じられています。

 

今日の参拝客は更に少ないかも知れません。

 

 

ノーマルタイヤのままと言っていた方がいましたが、やはり早めにスタッドレスにしておくべきでしょう。

 

今日はユックリ暖まっているつもりです。

 

 

円泉寺の御守 元旦より10日間のみ

円泉寺は武蔵野七福神福禄寿札所です。

毎年元旦より1月10日ごろまでは、御本堂で福禄寿様を御開帳しています。

お守りを用意しているのは、御本堂での開帳期間のみとなります。

 

11日以降、1月いっぱいは阿弥陀堂で、お祀りしています。

それ以外は福禄寿様には参拝できません。

 

七福神ではありませんが、お守りで一番多く出るのが、円泉寺御本尊・不動明王様の開運交通安全守です。

 

 

武蔵野七福神・福禄寿様お守り

 

本物の四葉クローバーを使用した幸運守です。

小さなお守りです。

 

根付けも用意してありますが、あまり多くありません。

縁結び、七福神姿守、一期一会などです。

 

あくまでも七福神福禄寿様御開帳期間のみとなっています。

 

武蔵野七福神札所link

 

 

お正月準備完了

いよいよ明日で令和4年です。

元旦から武蔵野七福神・福禄寿様参拝の方々を迎える準備が整いました。

 

 

 

今年は葬儀屋さんがシンビジューム、花屋さんが白い蘭と生け花を持って来てくれましたので、超豪華です。

 

 

 

 

新しい根付けも数点増やしました。

 

 

掛軸も四点掛けてあります。

今までにブログ以外では、ご紹介していません。

吉沢貫達氏の仏教版画、七福神の福禄寿と恵比寿、仏画では十一面観音です。

 

 

午後7時過ぎました。

 

 

 

 

しかし、毎年忘れている物が何かしらあります。

正月早々焦らないようにしたいのですが、無理かも知れません。

 

来年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

長谷寺式 十一面観世音図像

真言宗豊山派・総本山長谷寺御本尊・十一面観音様は像高10メートル以上あり、国の重要文化財となっています。

 

この図は全高が158㎝の印刷された掛軸です。

かなり多く制作されたと思いますが、画像検索しても出てきません。

真言宗豊山派寺院販売用に作成されたのかも知れません。

 

 

 

二体の脇士は雨宝童子と難陀龍王です。

 

八大童子の内、雨宝童子です。天照大神の化身です。

 

八大龍王の内、難陀龍王です。

 

長谷寺御本堂

 

真言宗豊山派総本山長谷寺には三度参拝致しました。

二度目の参拝は、45年ほど前になります。西国三十三観音霊場第八番札所となっていますので、ここで札所廻りの掛軸を求めました。

何度か分けましたが、最後の四ヶ所は台風のために諦めて帰るしかありませんでした。

未だ空欄のママです。

 

三度目の参拝は、今から9年前に参拝いたしました。

上はその折の写真です。ブログlink

 

豊山派総本山長谷寺   奈良県桜井市初瀬731−1  地図

長谷寺ホームページ

 

 

本堂にメジロが飛来

寺院葬の準備をしていると、本堂内陣にメジロが飛来しました。

追い出そうとしても飛び回るだけで、天蓋などに隠れてしまいます。

 

 

葬儀屋さんと二人で追い出そうとしましたが、天井近くを飛び回るだけで、一向に下を飛びません。

 

 

 

 

こちらと思えば又あちら !

 

 

花屋さんが準備に来て、網で捕まえてくれました。

約35分の捕物劇です。私たちが翻弄された一時でした。

 

恐竜の子孫が空を飛ぶなんて、信じられません。

しかしメジロは必死だったでしょう。

目を白黒していました。

 

 

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