円泉寺便り

永代供養塔階段に手すりがつきました。

永代供養塔での納骨、階段の上り下りや納骨中の読経の時、時々怖いと思うことがありました。

以前の階段

 

私以外にも参列者の方々が怖い思いをしているかもしれません。お年寄りは諦めることもあります。

かなりの出費ですが、手すりを付けることにいたしました。

 

これで安心しました。

 

金木犀

境内には銀木犀が二本、金木犀が五本植えられています。銀木犀はすでに咲き終わっていますが、金木犀は今が盛りです。

 

 

 

 

以前は咲き始めると、お参りの檀家さんから話が出るのですが、今年はどういうわけか一度もありません。

お参りの方は参道を通り、香を楽しんでください。

 

薬師如来

30年ほど前にバラバラになっていた御尊像を修復し、お厨子も新調致しました。

 

東方浄瑠璃世界の教主と言われています。
病気平癒、健康祈願の仏様として信仰されています。また十三仏の内、49日忌の担当の仏様ですので、法事の折には必ずお薬師様のお話をしています。

 

以前あるセミナーに行きました。

最期に受講者の質問があり、「曼荼羅に薬師如来が描かれてないのは」「なぜ国分寺に薬師如来が祀られているのか」の二点質問がありました。

  1. 薬師如来が信仰されたのはシルクロードの国々である。インドでは信仰されなかったために曼荼羅に描かれなかった。
  2. 国分寺に祀られたのは、「鎮護国家」のためである。

1.は全く気がつきませんでした。五仏の内、東方の阿閦如来が信仰されなかったのは、お薬師さんの世界と重なるためだったようです。そのためか阿閦如来が祀られているお寺は少ないです。奈良の薬師寺では、お薬師さまの台座に葡萄唐草文があしらわれています。

2.は高校の授業で教わったことがありましたが、すっかり忘れていました。その当時のお薬師様の役割と後世の信仰とは、違いが大きすぎます。

 

以前山梨県甲州市の大善寺のお薬師さまがブドウを持ったお姿であるのを知り、その訳がシルクロードにあったとは思いも寄りませんでした。古くは他にも葡萄を持ったお薬師様があったようです。

甲州葡萄の歴史も大善寺のお薬師さんが関連しているように書かれていますが、史実かどうかはともかく甲州にふさわしい仏様ですね。

明治になり大善寺をお参りしたお公家さんが、「薬師如来が手に葡萄を持つのは間違いだ」と葡萄を外させたことがあったようです。十数年前にはその人達の名前がネットに出ていました。

 

話は変わりますが、「逃げるは恥だが役に立つ」で大善寺が撮影に使われ、参拝者が3倍に増えたそうです。

 

大善寺お薬師さまのご開帳は5年に一度です。次回は、平成30年10月1日~14日となります。

大善寺薬師如来        大善寺Wikipedia

 

渡辺綱 浮世絵 役者絵 茨木の一條戻橋の場(豊原国周)と綱館(楊州州延)

十数年前になりますが、鴻巣市に出かけた折、渡辺綱がこの地で生まれたことを知りました。

その後二度ばかり綱の生地を探訪しました。

運良く手に入れることが出来た三枚綴の役者絵「茨木?」の場面です。幕末から明治に掛けて活躍した豊原国周(とよはらくにちか)と楊州周延(ようしゅうちかのぶ)により描かれました。

 

一條戻橋の場 豊原国周 浮世絵

 

綱館          楊州周延Wikipedia

 

  1. 歌舞伎の戻橋恋の角文字(もどりばしこいのつのもじ)」の一條戻橋の場は、明治23年に歌舞伎座で上演されました。髭切の太刀(現在北の天満宮に収められている)で、鬼(怪童丸)の腕を切り落とした場面です。渡辺綱を初代・市川左団次、怪童丸を五代目・尾上菊五郎が演じています。
  2. 同じく歌舞伎の役者絵です。渡辺綱を市川左団次・茨木童子を尾上菊五郎です。童子が綱邸で腕を取り戻す場面です。

鬼が怪童丸と茨木童子となっています。同じ鬼のはずですが歌舞伎に詳しくありませんので、あやふやなままです。ご了解ください。

 

これら浮世絵は、友人の渡辺さんにお譲りしました。とにかく鬼より怖い渡辺綱の子孫ですから、などと言ったら笑われるだけでしょう。

 

 

渡辺さん達と一緒に鴻巣市を訪れたときのブログです。 リンク

渡辺姓の方は、一度訪れることをお薦めします。

 

午頭天王のお姿

別当 石宝院のお姿

山形県東根市の若木神社(おさなぎじんじゃ 旧別当石寳院)江戸期のお姿です。
 
 
 

羽黒山橋本坊

これも山形県です。江戸期に発行されていたものです。
 
 
 
牛頭天王の部分
 
 
 

廃仏毀釈

仏様ではありませんが最も廃仏毀釈のやり玉に挙がった神でした。
全国の牛頭天王社や祇園社は、八坂神社や須賀神社など名前を変えられ、祭神は同神とされる素戔嗚尊に変えられています。
 
当寺境内の八坂神社は、天王さまと呼ばれています。地元の人はなぜ天王様と呼ばれているのか知りませんでした。
 
各地の神社で行われている夏越の祓の「茅の輪くぐり」は、本来牛頭天王と関連があります。
全てを消すことが出来なかったのは、それだけ広く信仰されていたことを物語っているのでしょう。
 
以前午頭天皇社であった伊勢二見の松下社のブログ      ブログ1         ブログ2
 

秩父神社の妙見様と養蚕神

秩父の妙見菩薩は女性?

秩父神社の妙見様は女の神様と言われています。旧武蔵国秩父郡や隣接する地区では、長女が○○神社、次女が秩父神社、三女が△△神社であるなどの三姉妹伝承があります。

童子形の妙見菩薩で他に女性とする所は、聞いたことはありません。

 

 

秩父神社のお姿と他の童子形妙見菩薩

童子形妙見菩薩の中世以降のほぼ共通した特徴
・亀に乗る
・髪の毛が長い
・甲冑を着て剣を持つ
秩父神社のお姿は他と異なり、桑の枝を持っています。
 

 

 

 

他の童子形妙見菩薩

群馬県高崎市群馬町  妙見寺

ブログlink

福島県南相馬市  相馬太田神社

福島県南相馬市  小高神社

福島県相馬市  相馬中村神社

ホームページ

 

不明

磐裂(いわさく)神社

栃木県日光市遠下3-1

 

中世以前の妙見菩薩は、吉祥天や密教系の諸天のお姿をしています。 三井曼荼羅図link
 
髪の毛が長いだけが女性の特徴ではありません。たとえば日本でも根来の行人や占い師は長髪でした。
髪を長く伸ばしている男は、特殊な能力を持った人の意味もありました。
無関係と思いますが、牛飼い童(うしかいわらわ)も成人でありながら長髪です。
道教の神々は、長髪が多く見られます。
 
日本では子供と老人は神に近いと考えられていました。
私は童子形妙見菩薩は玄武(中国では真武)がそのまま入ったのではなく、子供の姿として日本的展開をしたとの立場でいます。
聖徳太子像も少年の姿が多く見られます。
話は変わりますが、死後老人が子供になってあの世に行く図があります。人は若返って浄土に向かうと思われていたようです。
中世の童子形(津田徹英著)が参考になります。
 

常陸国(茨城県)の三蚕神社

星福寺  茨城県神栖市日川900

星福寺の衣襲明神ブログlink

蚕養神社  茨城県日立市川尻町2

蚕影神社 茨城県つくば市神群1998

 

 妙見菩薩と養蚕神の習合

秩父に祀られるより以前に祀られている高崎市の妙見寺お姿をはじめ、他の神社仏閣では桑を持っていません。

 
秩父は養蚕で栄えました。明治以降は秩父銘仙も知られるようになりました。秩父の祭りは養蚕と関連しています。

秩父の妙見様は女神である養蚕神と習合し、江戸期に女性の神様とする考えが生まれたと思っています。

当寺の新聞 円泉寺通信

 

円泉寺通信

当寺で年4回出している新聞です。春彼岸、お盆、秋彼岸、暮れ正月号の年4回で、内容は毎回ほぼ同じです。

法話や仏事の歴史も入れるときもありますが、昨年同時期の記事に写真を入れ替え、日時を変更しているだけす。「○月○○日は何々があります。是非お参りください。」のような記事ばかりです。

裏面も入れて2ページの事もありましたが、知力が追いつきません。

数十年前に大先輩が、ガリ版刷りの葉書新聞を年10回ほど発行していました。

「内容はともかく、とにかく出すことが大事だよ。」と言っていたことを思い出します。

まねは出来ませんが、ワープロを購入してから一度も休んだことはなかったはずです。

新聞は、出すことが大事と言われたことが、事実だったことを今実感しています。

檀家数の多い寺院より、お墓参りが多く感じます。

実際、お参りに来られた方から、「どうしてこの寺は、お墓参りが多いの!」と言われたこともありました。

同じ儀式をしても、檀家の多いお寺より参加者が多く、「実家の菩提寺より参列者が多いですね。」などと言われたことが何度かあります。今年のお施餓鬼の参列者は、雨にもかかわらず、檀家の多い寺より遙かに多くの方がお見えになりました。

本山の印刷物も檀家さんにお渡ししていますが、同宗派寺院の檀家さんから、「このような本はもらった事がありません。」言われたこともあります。

菩提寺からは、○月○日までに、付け届けを銀行口座に入れてくださいの通知が来るだけと言っている方もいました。

読んでいない方も多く、経費は掛かりますが、少しは寺と檀家さんとの結びつきが強くなっていると思われます。

 

 

毘沙門天

毘沙門天像

縁あってお迎えした毘沙門(多聞天)様が、後背・宝棒・宝塔を加えてたくましくなって御本堂に祀られています。

古く見せていますが、結構新しい御尊像のようです。北方の守護神として、円泉寺を守って下さるでしょう。

 

 

毘沙門天掛軸

 

 

以前お招きした毘沙門天の掛軸です。結構気に入っています。

以前見つけた他の掛軸は、怖そうに書いてあるだけで、平面的な作でした。あのとき買わないで良かったと思っています。

それに比べると、この掛軸は遙かに立派です。

 

鞍馬山の毘沙門天

 
 

 

 

鞍馬山の毘沙門天お姿です。

『七難即滅 七福即生』の文は仁王経に説かれています。

室町時代になると、この文に即した神仏を当てはめた七福神信仰が生まれました。

しかし、今のように恵比須、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人になったのは、江戸時代になってからのようです。八王子七福神のように、弁財天で無く「吉祥天」入っている札所もあります。

 

鞍馬山の毘沙門天信仰が盛んになり、七福神の中に入れられたのだそうです。

 

 

 

 

鞍馬山の天狗さんです。

「僧正坊」として知られ、全国の天狗の総元締めだそうです。

 

色々な伝承が有りますが、特に源義経の話がよく知られています。

皆さんも良くご存じだと思います。

まだ二十代のころ、先輩と鞍馬口から貴船神社まで歩いたことを思い出します。

本堂の七福神

当寺は武蔵野七福神(福禄寿)の札所ですが、本堂内に別の七福神を祀りました。全て新しくお招きした御尊像です。
 
この七福神様はお正月七草頃までのご開帳と致しました。
行事のたびに内陣にお移しするのが大変なためでもあります。
このために内陣は、ゴチャゴチャしています。

ご開帳期間外にこの七福神目当てにお参りに来られた方が何人もいます。
改めて来ていただくしかありません。

お寺に祀られているから、さぞかし高価だったと思う方もいるでしょうが、毘沙門様は光背と持ち物を新たにした方が遙か数倍も高額でした。
大黒様などは安いランチ二食分です。でも好きなご尊像です。
 

善光寺式阿弥陀三尊図と他の三尊図

当寺の善光寺式阿弥陀三尊図です。掛軸になっています。

 

一つの光背に中心が阿弥陀如来立像。向かって右が観世音菩薩。左が勢至菩薩です。
 善光寺でお参りできるのは、お前立本尊であり、ご本尊様は秘仏となっています。

下は善光寺で発行したお姿だと思います。この図をもとに描かれた掛軸です。

下の台座の二人は信者で、毘舍離国の月蓋長者と娘の如是姫だそうです。
善光寺で発行したお姿札にも、このお二人が描かれています。

 

善光寺以外の三尊図です。これらも掛軸です。普通はこのような来迎図が多いと思います。

 

 

復刻された屏風図です。

 

ホームページをリニューアル致しました。

しばらくの間、検索等におきまして、ご迷惑をおかけすると思います。

特にブログは新URL移行に伴い、認識されるまでの間、トップページが表示されます。

リンク先が表示できないブログがほとんどとなりますので、順次変更する予定です。

よろしくお願い申し上げます。

 

 
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