以前お参りに来たのは15年以上前だったと思います。
歌舞伎町とは言いながら、かなり寂しげな神社でした。今は新大久保を中心とする韓国料理の店目当てで、多くの人が歩いています。
ここは平将門の幼名「鬼王丸」からとったとの伝承があります。明治以降に将門公伝承を消したのかも知れません。
大勢の人がお祀り準備をしています。
以前来たときは、ほとんど人はいませんでした。
古い雑誌・赤い鳥の表紙がコピーされ掲示されています。
祭礼に使用される神輿です。
水琴窟が二ヶ所ありました。涼しげな音が手前の竹筒に水をかけるとします。
追記
こちらの氏子さんは、成田山に参拝に行かないそうです。
平将門の調伏祈願をしたからだそうです。
そんなことを言うのなら、当時の有力な神社仏閣は、全て調伏祈願を命じられているのです。
伊勢神宮はもとより、他の所へも行かないのでしょうか。
このような説が出来たのは、明治以降のようです。
平将門を敵対視する東京に出てきたお公家さんや神社庁が、平将門を祀る神田明神に圧力をかけたことなどが、要因のようです。
くわしくは『高田嵩士著「鬼門の将軍 平将門」』をお読みください。
稲荷鬼王神社 東京都新宿区歌舞伎町2丁目17−5 地図