2020年10月

小さな犬の七福神

来年のお正月に飾ろうと思ったのですが、一年ぶりに犬の保護活動をしている女性がお見えになりましたので、差し上げることに致しました。

彼女はインスタグラムに載せると話していました。

寺の名前は書かなくて良いと言ってあります。

 

七福犬となっており、向かって左から福禄寿、大黒天、寿老人、弁財天、毘沙門天、布袋、恵比須の順です。

 

 

可愛いですよね。

 

 

以前ご紹介した猫の七福神です。

御本堂に飾っておくと、阿弥陀堂の石屋が嬉しそうに「ください !」と言って、お堂に飾ってしまいました。

嫌がらせに、体に悪い物を時折食べさせています。喜んで食べるので、仕返しは成功しました。

 

 

七福猫ならぬ七悪猫になるかも知れません。

 

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源氏物語の色紙 東聖観 高度箔押し印刷

ヤフオク!で染色作家東聖観(木下勝功)氏による源氏物語の色紙を手に入れました。

届いてみると写真とは別物でした。素晴らしい !

 

 

絵も良いのですが、箔が光り輝いて重厚さも感じられます。デフラサーモ加工による箔押しなのだそうです。

実際の色紙は、箔の部分が光り輝いています。キラキラ光りながら重厚な作品でした。

もっと良い画像で紹介すれば、良いのにと思います。

nachi_nol_tokyojoshiさんの出品作品です。

 

残念ながら東聖観氏は平成18年に逝去されたそうです。

 

追記 2020/11/08

記念品にするため、更に求めました。

 

今回の撮影は照明を変えましたので、箔が光っていますが、自然な色合いではありませんでした。

また挑戦したいと思います。

 

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十社神社と大類古墳群 埼玉県毛呂山町

鎌倉街道が近くに通っており、古くは開けた所でした。大類には中世に活躍した大類氏の館跡があります。

神社は大類氏の菩提寺であった大薬寺が別当を務めていました。

興味をひくのは境内だけでなく周囲にも多くの古墳が残されていることです。畑になった場所にも、更に多くの古墳が点在していたと思われます。

 

 

社号のある場所も古墳と思いましたが、大類氏館跡で北側の土塁のようです。大薬寺あたりが館跡でした。館跡の古墳群は取り払われたと思います。

社の周りには誰でも分かる土盛りが、アチコチに点在しています。間違いなく古墳群であることを理解できます。

 

 

祭神は足利基氏配下の武将・金井新左エ門以下九士の霊だそうです。

明治40年に愛宕神社、諏訪神社。大正3年に鹿島神社、稲荷神社を合祀しています。大類地区ばかりが氏子でしたが、鹿島神社が合祀され、苦林地区も氏子となりました  

 

神社の周りを歩き回れば、大事な場所で会ったことが分かります。

 

 

西脇の道を挟んだ所にもありました。

 

 

弁財天の石仏が、祀られていました。

 

 

十社神社神社  埼玉県毛呂山町大類29 地図link

 

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智積院第七世化主 運敞僧正の書「群玉府」巧芸品

泊如運敞僧正(1614~1693)は智積院の教学を隆盛に導来ました。

この時期には1300名の僧侶が学んでいたそうです。

 

 

境内の密厳堂の建立や利休好みと言われる名勝庭園も僧正の力です。

残念ながら巧芸品ですが、まさか手に入れることが出来るとは思っていませんでした。

余裕が出来ましたら、表装に出したいと思います。

総本山智積院 運敞僧正忌 リンク

 

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稚児大師色紙

今から40年以上前の弘法大師稚児像の色紙と思います。

何かの催しに記念品として作られたか、販売されたのかは忘れました。

川崎大師大本坊大玄関の稚児像を元に印刷されています。

 

 

掛軸もあったような気もしますが、遙か記憶の彼方です。

 

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軍用手票 軍票 占領地で戦中に使用された擬似紙幣

戦中に日本軍が戦地で使用した擬似紙幣です。

日本に於いて最初に使用されたのは、西郷隆盛が使用した西郷札(さいごうふだ)だそうです。

かなり以前読んだ松本清張の「西郷札」がありましたが、残念ながら全然と言うほど覚えていません。松本清張 西郷札 wikipedia リンク

 

 

 

軍用手票wikipediaを読んでみると、後々問題になることが多かったようです。軍用手票wikipediaリンク

発行した国が敗戦となると、支払い義務がなくなることもあったようです。

 

世界中で、このような紙幣が使用されない平和な時代になるよう祈るばかりです。

 

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北斎(為一)の朝顔に雨蛙 浮世絵

北斎が「為一」を使用していた1820(文政3)~1833(天保4)の作品です。

ただしアダチ版画による巧芸品になります。

北斎のいた時代の作品であるとすれば、とんでもない金額になると思います。

 

 

このような作品は初めて見ました。

どこに雨蛙がいるのかと思い探してみると、大きな花の左下にいました。これではぱっと見ただけでは分かりません。葉っぱと思っていました。

 

 

時々額に入れて、楽しみたいと思います。

 

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食彩酒房わごころ 埼玉県嵐山町

午後1時寸前に入りましたので、先客は3人だけでした。

注文はタブレットのような物を利用して行います。初めてでも簡単にできました。スマホになれている人ならば、誰でも簡単だと思います。

 

 

ランチメニューを選びました。何種類かありますので、野菜天ぷらの肉汁うどんにしました。

 

 

埼玉産の小麦粉を使用しています。

私の近在の饂飩屋さんと比べると、かなり上品な味がします。良い粉を使用しているからかも知れません。

もう少しボリュームがあると良いかなと思いましたが、食べ終わると十分な量でした。近かったら何度も行きたいお店です。

 

食彩酒房わごころ  埼玉県比企郡 嵐山町古里413-1 ホームページlink                地図リンク

 

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嵐山町 志賀観音堂 聖徳太子などの石仏

志賀観音堂には多くの石仏があります。

バイパスが出来てからは前を通ることがなくなりましたが、学生の頃から何度か寄ってお参りをしています。もう少し緑が豊かでした。

 

 

聖徳太子像は大工職人の神様として祀られました。

当寺には指金を持った掛軸があります。ブログlink

 

 

立派な宝とうです。

文字の聖徳太子塔や大黒天、馬頭観音、青面金剛、地蔵菩薩なども祀られていました。

 

 

志賀観音堂 埼玉県比企郡嵐山町志賀  地図リンク

 

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