市内の骨董屋さんで購入した遠藤昌益(近松栄和)の作品と思われる掛け軸です。
古四王神社は胡四・巨四・小志・高志・越などと当て字され、秋田を中心に東北と日本海側に約40社点在しています。各地の古四王神社は豊作と、目の神として信仰されています。
古四王大権現の図は、秋田市の古四王神社と思いましたが、違ったようです。 古四王神社 Wikipedia
甲秀山古四王大権現
後に手に入れた古文書には秋田平鹿郡植田村とありました。平鹿郡は現在の横手市にある古四王神社のようです。廃仏毀釈以前は甲秀山古四王大権現でしたが、古四王堂とも言われていた可能性があります。
文亀元年(1501)に小鼓城主が祀った神社です。小鼓城跡
小鼓城落城の際、古四王尊像を守り、長い年月をかけて再び古四王殿を建立したのが現在の古四王神社です。北向に祀られています。
祀られている神像は多聞天王(毘沙門天)で、秋田県重要文化財となっています。
古文書の画像は図像の次に掲載しました。
古四王神社 横手市十文字町植田字宮ノ前6 地図 古四王神社 横手市リンク
甲秀山古四王大権現
上右・釈迦如来 上左・薬師如来
中右・毘沙門天(多聞天) 中左・文殊菩薩
下・二童子
古四王神社は、本尊が毘沙門天(多聞天)だった所が多かったようです。
北辰妙見大菩薩
上・妙見菩薩
中左・水天 中右・三面青面金剛
下中央・妙見菩薩 下左右・二童子
古四王大権現は
- 四天王
- 釈迦如来・薬師如来・毘沙門天・文殊菩薩
- 妙見菩薩
が習合し、信仰されていたことが、これらの掛軸からも分かります。
この掛け軸は阿闍梨・舜浄により、安政6年(1859)に開眼されました。その当時の住職ではないかと思います。
あるいは近くの寺院が別当だったのかも知れません。
(追記 近くの王秀山護昌寺が別当だったのかも知れません。甲秀山 王秀山 一文字異なります。横手市十文字町植田65)
廃仏毀釈ためか、由緒のある寺でありながら、分からないことだらけです。
願主・近野伊左エ門 藤原信光とあります。

遠藤昌益
文政4(1821)年に生まれ、秋田藩佐竹家の湯沢城代(秋田県湯沢市)の佐竹南家のお抱え絵師的存在だったようです。
筆渦により江戸に逃げ、帰郷して矢島領城内に身を隠し、近松栄和を名乗りました。この作品は筆渦事件以前の作品なのでしょう。
明治22年に北海道で亡くなりました。
秋田(11)-ネット検索で出てこない画家link
甲秀山古四王大権現御利益記
古文書も手に入れました。
スマホでは字が小さいため読みづらいです。パソコンで読んでください。















古四王神社探訪記に このブログが紹介されています。古四王神社探訪記 秋田11リンク
以前資料お送りさせていただいた、古文書の一部解読文が掲載されていました。

古四王大権現図中の多聞天(毘沙門天)
古四王大権現には、多聞天立像と禅尼子童子像・吉祥天像が祀られていたようです。
鬼子母神・毘沙門天・禅尼子童子像・吉祥天 円泉寺blog
古四王神社古地図
「字古四王堂」の古地図を手に入れました。
地番のあるのは、明治になってからです。
廃仏毀釈後に古四王神社になっても、小字は古四王堂のままだったようです。

字古四王堂の文字が貼られています。

御堂はほぼ北向です。現在と変わりません。

一度参拝したいと思っていますが、まず無理でしょう。

私はかつて妙見菩薩を調べていました。廃仏毀釈以前の信仰が古四王大権現・妙見菩薩掛軸で、少しでも明らかになればと思います。