2018年03月

漫画で知る永代供養

永代供養塔の漫画が出来ました

面白い企画を提案する会社もあるものですね。

全ての方に該当する永代供養の漫画ではありません。子供は娘ばかりの設定です。申し込む方の中でも、けっこう多い例です。

最初のラフスケッチは酷いモノでした。

家族の構築が出来ていない、主役のお婆ちゃんがいない、着ている和服・法衣を理解していない、私が若い尼さん?、おじいさんが幽霊、落語家さんが長髪で、髪の毛がボサボサ、などなどです。

しかし、一番の欠点は、永代供養がなんなのかを理解していない提案でした。言葉を入れ替えるだけで、どうにか対応できましたが、こればかりは実際のお寺、お墓、霊園、永代供養施設の写真だけでは、無理だったと思います。

若い担当者さんでは無理もないかとも思いました。

今の時代を理解しないと、無理でしょうね。少子化、子供が結婚していない、お墓はいらない、お墓が買えないなど、いろいろな問題があると思います。

これには関係ありませんが、地方から都市への一極集中がもたらす、地方寺院の衰退、廃寺など、山積みになっています。

永代供養・納骨堂のホームページに使用しています。link

 

 

1万円の永代供養があるなんて 困ったね !

先日、ネットで検索していると、15,400円の永代供養が見つかりました。
お骨は郵送(ゆうパック)で、送れば良いそうです。

他に一塔合祀墓もありますが、これは最初に46万2000円ですから、ずいぶん差があります。


かつて漫画家だった方が寺を作り、永代供養施設を作ったそうです。
元々は「牛次郎」と名乗り、「包丁人味平」などを書いた人です。
私もずっと以前、友人のを借りて読んだことがありました。

 

 

色々な思いがあり、出家した方です。何度か新聞や雑誌で読んだ記憶があります。
よっぽどの考えがあって納骨堂を作ったに違いありません、


しかし、私の寺だけでなく、他の寺院や霊園は脅威だと思います。
おそらく申し込む人は送るだけで、ちゃんとした供養を行う人はいないでしょうね。

いろいろな立場の人がいますので、一概には言えませんが、私は共に御供養することが、一番大事だと思っています。  漫画で知る永代供養
そのことを住職は、どのように思っているのでしょう。

ますます地方のお寺の崩壊、廃寺が進むでしょう。
書きたくなかったのですが、あえて開き直り書きました。

静岡県伊東市富戸1164-7 
  願行寺link 
 
※他に1万円ポッキリなどもあるようです。

 

古四王大権現と北辰妙見大菩薩 遠藤昌益画 秋田県横手市の古四王神社古文書御利益記

市内の骨董屋さんで購入した遠藤昌益(近松栄和)の作品と思われる掛け軸です。

古四王神社は胡四・巨四・小志・高志・越などと当て字され、秋田を中心に東北と日本海側に約40社点在しています。各地の古四王神社は豊作と、目の神として信仰されています。
古四王大権現の図は、秋田市の古四王神社と思いましたが、違ったようです。 古四王神社 Wikipedia          

甲秀山古四王大権現

後に手に入れた古文書には秋田平鹿郡植田村とありました。平鹿郡は現在の横手市にある古四王神社のようです。廃仏毀釈以前は甲秀山古四王大権現でしたが、古四王堂とも言われていた可能性があります。

文亀元年(1501)に小鼓城主が祀った神社です。小鼓城跡

小鼓城落城の際、古四王尊像を守り、長い年月をかけて再び古四王殿を建立したのが現在の古四王神社です。北向に祀られています。

祀られている神像は多聞天王(毘沙門天)で、秋田県重要文化財となっています。

 

古文書の画像は図像の次に掲載しました。

古四王神社  横手市十文字町植田字宮ノ前6   地図          古四王神社 横手市リンク

 

 

 

甲秀山古四王大権現

上右・釈迦如来   上左・薬師如来

中右・毘沙門天(多聞天)  中左・文殊菩薩

下・二童子

 

古四王神社は、本尊が毘沙門天(多聞天)だった所が多かったようです。

 

下の妙見菩薩掛け軸と対になっています。

 

北辰妙見大菩薩

上・妙見菩薩

中左・水天   中右・三面青面金剛

下中央・妙見菩薩    下左右・二童子

 

古四王大権現は

  • 四天王
  • 釈迦如来・薬師如来・毘沙門天・文殊菩薩
  • 妙見菩薩

が習合し、信仰されていたことが、これらの掛軸からも分かります。

 

この掛け軸は阿闍梨・舜浄により、安政6年(1859)に開眼されました。その当時の住職ではないかと思います。

あるいは近くの寺院が別当だったのかも知れません。

(追記  近くの秀山護昌寺が別当だったのかも知れません。甲秀山 王秀山 一文字異なります。横手市十文字町植田65)

 

廃仏毀釈ためか、由緒のある寺でありながら、分からないことだらけです。

願主・近野伊左エ門 藤原信光とあります。

 

 

 

遠藤昌益

文政4(1821)年に生まれ、秋田藩佐竹家の湯沢城代(秋田県湯沢市)の佐竹南家のお抱え絵師的存在だったようです。

筆渦により江戸に逃げ、帰郷して矢島領城内に身を隠し、近松栄和を名乗りました。この作品は筆渦事件以前の作品なのでしょう。

明治22年に北海道で亡くなりました。

秋田(11)-ネット検索で出てこない画家link

 

甲秀山古四王大権現御利益記

古文書も手に入れました。

スマホでは字が小さいため読みづらいです。パソコンで読んでください。

 

 

古四王神社探訪記に このブログが紹介されています。古四王神社探訪記 秋田11リンク

以前資料お送りさせていただいた、古文書の一部解読文が掲載されていました。

 

古四王大権現図中の多聞天(毘沙門天)

 

古四王大権現には、多聞天立像と禅尼子童子像・吉祥天像が祀られていたようです。

鬼子母神・毘沙門天・禅尼子童子像・吉祥天 円泉寺blog

 

古四王神社古地図

「字古四王堂」の古地図を手に入れました。

地番のあるのは、明治になってからです。

廃仏毀釈後に古四王神社になっても、小字は古四王堂のままだったようです。

 

 

字古四王堂の文字が貼られています。

 

 

御堂はほぼ北向です。現在と変わりません。

 

 

一度参拝したいと思っていますが、まず無理でしょう。

 

 

私はかつて妙見菩薩を調べていました。廃仏毀釈以前の信仰が古四王大権現・妙見菩薩掛軸で、少しでも明らかになればと思います。

妙見堂(妙見宮)と妙見菩薩・平将門資料集 link

雪のお中日

今日はお中日ですが、ミゾレから雪になりました。

駐車場は、いつもの三分の一程度です。

普段は来客が多いのですが、ほとんどいません。

ここ数年、お彼岸のお中日と日曜日は、駐車場が混み合いますので、ご法事を入れないようにしています。

ミゾレの後に雪に変わりました。その後、また雨になりましたが、自宅の車には雪が少し積もっていました。

 

彼岸の入り(日曜)は、かなりの人出ででした。

真言宗豊山派 即清寺 七九供養塔(薬師如来・妙見菩薩・不動明王の石仏) 東京都青梅市

即清寺は真言宗豊山派の寺院です。
私の住む飯能市は、隣接していながら真言宗智山派が多いですが、青梅は武蔵国西多摩郡であったためか、真言宗でも豊山派が多い地区です。


歴史を感じる、落ち着きのあるお寺です。



私の目指す妙見様の石仏は、七九供養塔の向かって左側に彫られています。



正面のお薬師さまは、子供を抱いています。初めて来たときは、本当にお薬師さまなのかと思いました。
他の方もそのように思った方が、けっこういたようです。



妙見菩薩は竜に乗っています。



お不動様も威厳があり、素晴らしい彫刻です。



山門の仁王様



境内には他にも沢山の石仏が祀られています。




ご本堂と鐘楼堂

 



山内四国八十八カ所霊場の一番です。

 



境内にお雛様が飾ってありました。
今年は3月5日~3月25日までです。

 



青梅には梅林があるのですが、病気で伐採されてしまい、小さな木だけでした。
当然散策の人は見かけません。
立派に育つまでは、何年もかかりそうです。


即清寺  東京都青梅市柚木町1丁目4-1  地図

臨済宗建長寺派宗徳寺 西分神社 東京都青梅市

駐車場はお寺の中にもありましたが、線路を渡る手前に広い駐車場があります。



山号が妙見山です。
元々西分神社は宗徳寺の妙見社でした。廃仏毀釈の折、分離して神社になりました。
今でも地元の人は、妙見様と呼んでいると聞いたことがあります。

現在、妙見菩薩の御尊像は宗徳寺にあります。



本堂の屋根には、七曜星の紋があります。

宗徳寺  東京都青梅市西分町1丁目33  地図


お寺の西側に西分神社があります。



西分神社に向かいました。





階段の途中には面白い狛犬があります。
獅子が子供を崖下に突き落とした像です。子供がたくましく育って欲しいとの思いを込めた石像でしょう。
千葉神社にも似た狛犬があります。
ここの天御中主神は安産の神と言われているそうです。関連あるのかもしれません。






ここの社紋は宗徳寺と同じ七曜星でした。

 

葬儀屋さんだけ参列のお葬式と永代供養

近年、直葬(火葬のみ)が多くなりました。

子供や親戚がありながら、葬儀社に火葬後にお骨を預け、永代供養にする人も出てきています。

 

※実際の写真ではありません。

 

以前は、誰もいない葬儀も認めていたのですが、永代供養の生前予約を除き、今は最低限誰かがいる場合のみ受けています。例外として、跡取りがいない喪主さんが、入院中の場合だけでした。

今回は地元の葬儀屋さんの依頼です。財産も無く、甥御さんはいるのですが、関わりたくなかったようです。

手続きから供養、永代供養塔納骨まで、責任を持って立ち会ってくれました。本人はそれが当然だと言っています。ここの葬儀屋さんは、これで4度目です。

お骨を送るだけの納骨は、一度も認めていません。その場合、そのような施設に送るよう話しています。ある程度まとまってからの納骨もしていません。必ずお施主さんと共に行うのが当然と思っているからです。

 

私は他で葬儀をしたことが明らかでも、必ず引導作法を行っています。当寺の他の檀家さんとの整合性が必要だと思っています。

 

金刀比羅神社 妙見□星頂輪王 東京都青梅市

車を青梅鉄道公園近くの駐車場に置き、西に向かうと金刀比羅神社があります。


鉄道公園前の広場には、彼岸桜か咲いていました。



ハイキングや散歩をする人たちが、かなりいます。
神社の裏側に出ます。妙見□星頂輪王石碑がお社の裏側に見えます。

今から15年ほど前より、私が調べている妙見菩薩関連の寺社などを掲載した「妙見菩薩資料集」がホームページにあります。link

この近くまで来たことがあるのですが、当時は正確な場所が分からなく、資料集には掲載してありません。



金刀比羅神社です。青梅駅の真北にあります。
毎月10日に祭礼が行われているようです。

 



金刀比羅神社  東京都青梅市本町 220   地図

お社の裏側に 妙見□星頂輪王 七星大権現が祀られています。



亀踏像の妙見様 北斗妙見塚



七星大権現の祠



十二方角碑です。
石工は、飯能の粕谷端其とありました。
私の住む飯能にも優れた石工がいたようです。

 



境内から青梅市内をながめることが出来ます。



武蔵御嶽神社の遥拝所

 

大山不動の石灯籠

境内の中門の前にある石灯籠です。

今から30年程前に道路拡張で行き場所が亡くなり、当寺に移されました。

 

 

正面は大山不動ですが、飯縄大権現(高尾山)、満行大権現(榛名山)も彫られています。江戸期には地元にはそれぞれの講があり、お参りに行ったのでしょう。

 

大山詣は江戸庶民だけでなく、多くの人で賑わいました。

廃仏毀釈でお不動様はどうにか難を逃れられましたが、現在の阿夫利神社には廃仏毀釈を先導した人の銅像がありました。どこかの町では名誉町民です。

 

 

正面

    大天狗

大山不動明王石尊大権現

    小天狗

 

向かって左側

飯縄大権現

 

向かって右側

満行大権現

 

 

裏面

嘉永元年(1848)‥‥    

願主‥‥

村内‥‥

 

全ての文字が読めれば良いのですが、あやふやな所は後日調べ直そうと思います。

 

 

 

当寺の阿弥陀様石仏

当寺境内には、阿弥陀如来様の石仏が4体祀られています。一体は平成ですので、取り上げません。

まずは、永代供養塔脇の御尊像です。三体の内一番大きな像です。

秀性代の延享四年(1747)の建立です。

 

次にすぐそばに祀られている小さな御尊像です。

延享元年(1744)ですから、おそらく秀性の時でしょう。

 

昭和9年に開設された奥多摩新四国霊場の御尊像です。お堂と下の大きな台座は、私の代の物です。

この札所開設者の武田弥兵衛の奉納です。札所は今はほとんどお参りがありません。

 

当寺を含む旧高麗群精明村には六ヶ寺ありますが、江戸以前の阿弥陀如来石仏は当寺だけしかありませんでした。
お地蔵様と馬頭観音様が圧倒的に多く祀られています。
各お寺に必ず祀られていると思ったのですが、意外でした。
 
 
 
関係ありませんが、境内のラッパ水仙です。
 
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