2021年09月

天台宗 報恩寺 東京都青梅市

青梅市内では天台宗寺院は、ここのみです。

弘仁13(822)年に延暦寺の僧亮海が開創したと伝えられている古刹です。

 

 

地蔵堂には延命地蔵が祀られています。

脇の庭園は良く整備されており、ツツジか五月の咲く頃に訪れると良いでしょう。

 

 

境内裏手には七福神が祀られていました。

青梅七福神札所とは異なり、報恩寺のみの御尊像です。

 

 

この中では弁財天が一番印象に残りました。

 

 

報恩寺鎮護のために比叡山の日吉山王権現を勧請しています。

現在の東隣にある常盤樹神社です。

 

 

報恩寺  東京都青梅市今寺1丁目540 地図

 

福伝寺 地域の共同墓地 東京都青梅市

狭い境内でしたが、よく整備されていました。

丁度植木屋さんが、手入れをしています。

 

墓地に真言宗の卒塔婆が多くありましたので、真言宗系の寺院だと思いました。

しかし、他宗派の塔婆もあります。

 

 

ここのお墓を利用している方に聞くと、昔の歴史は分からないが、地域の人の使用する共同墓地とのことでした。

塔婆を見る限り真言宗が多く、他宗旨もあります。

中には神道もあるそうです。

 

 

往代住職の墓に案内していただきました。

しかし、墓石の文字を視ると多くが浄土宗系の住職名と思われます。

青梅市には浄土宗と近くに浄土系の時宗寺院があります。

関連の境外仏堂であったのかも知れません。

 

 

 

記念碑は天台宗報恩寺住職が書かれいました。

御堂を修復した折に、報恩寺に読経を依頼したためなのだそうです。

 

阿弥陀堂

 

新編武蔵野風土記で調べてみましたが、福伝寺は記載がありませんでした。

 

円光寺 埼玉県狭山市

円光寺は当寺(円泉寺)と同じ、真言宗智山派に属しています。

お参りをしていると、御住職がいらっしゃいました。

円光寺の本寺である坂戸市の大智寺、お近くの永代寺などで何度かお目にかかっています。

高齢でありながら私より記憶が鮮明で、私が忘れていたことも覚えていました。

川崎大師に勤務していた時代もあるそうです。

 

 

ズッと以前お参りしたことがあるのですが、記憶に残っていません。

 

仁安3年(1168)年の創建ですから、地域では古い歴史を残していることになります。

ただし火災のため詳細は不明です。

 

御本尊として不動明王を祀ります。

 

銅造聖観世音菩薩立像が狭山市の指定文化財となっています。

元亀3年(1572)に造られました。

庚申供養の御本尊として鋳造されています。

 

 

向かって右の石像は、念仏供養塔と彫られています。

 

 

 

周囲は民家が増え地域に昔の面影がありません。

よく整備された寺院となっています。

 

円光寺 埼玉県狭山市柏原1027 地図link

 

 

甲子大黒天 真言宗霊雲寺派・西浄寺 河鍋暁斎ねずみの図 埼玉県狭山市

狭山市に甲子大黒天(きのえねだいこくてん)の寺院があることを知り、参拝して参りました。

天文5年(1740)に霊雲寺の末寺となっています。

霊雲寺派の寺院は数ヶ寺は知ってはいますが、調べても多くありませんでした。

 

 

御本堂の紋を見ると、なんと「葵紋」でした。

 

 

御住職の大黒さん(奥様)に聞くと、御本山霊雲寺の宗紋が葵の紋なのだそうです。

徳川綱吉から現寺地を得て、霊雲寺を開創したことにより、宗紋となったそうです。

真言律宗の関東本山としてだけでなく、徳川家の祈願寺でした。

霊雲寺ブログlink

 

案内板にもありますが、宝篋印塔は徳川吉宗の二男である田安宗武により建立されました。

 

 

 

江戸期には霊験あらたかな大黒天様への参拝が盛んでした。

しかし、格式の高い霊雲寺派は檀家を持たない寺院が多く、明治以降苦しい時代を迎えてしまいました。

 

 

 

ある人はいろいろな自分好みの寺で七福神札所を作っていると、話していたことを思い出しました。

お正月は、それらの七福神札所を巡っているそうです。

ここなども候補に入れて、自分だけの七福神札所を考えるのも面白いでしょう。

 

後で気がついたのですが、西浄寺には河鍋暁斎が訪れ、多くの作品が残されています。

当時の住職・林法泉師は暁斎の弟子でした。林法泉ウィキペディアlink

 

暁斎の「ねずみの図」です。

現在は狭山市立博物館に寄託されています。

 

 

 

この図と同じ図柄の掛軸が、当寺(円泉寺)にあります。

大黒天は描かれていませんが、大黒天の小槌をネズミがお正月前に大掃除している場面です。

円泉寺の河西草畝筆の「遊福の図」です。

まったく同じ図柄であることが分かると思います。

河鍋暁斎の絵か、他の方が書かれた他の作品を元に描かれています。

ひょっとすると西浄寺で描いたのかも知れません。

 

 

西浄寺墓地は昭和56年にもうけられました。

祈願寺としてだけでは、寺院経営が厳しかったのです。

奥様は霊雲寺に勤務していました。

しかし、コロナのため週一回行くだけになっていると話していました。

腰の低い、明るい奥様です。檀家さんに頼られているに違いありません。

 

 

真言宗霊雲寺派 西浄寺  埼玉県狭山市柏原1059 地図リンク

河鍋暁斎展 サントリー美術館にて ブログlink

 

 

かにや工場店 埼玉県狭山市

「かにや」は入間市、狭山市を中心に11店舗あります。

私が普段買い物をするのは、ごくたまに行くだけですが、飯能店か高麗川店です。

土産以外に家内からは「あんみつ」を頼まれることがよくあります。

一番知られているのが「ケンキ」だと思いますが、他にも色々な菓子があります。

今日は土産に羊羹を買いました。

 

 

工場には街中で見かけるトラックが止まっています。

 

 

店内は、どこも共通した雰囲気があります。

 

 

 

 

 

 

「かにや」のロゴは、たしか八王子市の大本山薬王院元御貫主「山本秀順猊下」が書かれたように聞いています。

山本猊下は狭山市の出身です。

 

 

 

かにや工場店  埼玉県狭山市柏原337-13 ホームページlink

 

観光案内所 ぷらっと飯能 飯能駅構内 埼玉県飯能市

西武池袋線飯能駅構内の観光案内所「ぷらっと飯能」を覗くと、渋沢平九郎の等身大パネルがありました。

ついつられて覗くと、女性職員さんが気軽に対応してくれました。

 

 

飯能市を訪れる方々も、NHKテレビで放映されている大河ドラマ「青天を衝(つ)け」を視た人が、このパネルの横に並んで記念撮影をするそうです。

 

 

たしかに良い記念になると思います。

私も円泉寺以外にブログを書いていますが、いつも以上に読んでくださった人がいました。

テレビを殆ど見ていませんので、平九郎が人気であることを知りませんでした。

渋沢平九郎 飯能と越生ブログlink

 

 

この横に立てば、良い記念写真になるでしょう。

ここでは土産に市内「すだれや」の栗どらを買いました。

 

 

駅切符売り場の横が、「ぷらっと飯能」です。

 

京都の名勝庭園 総本山智積院 京都市東山七条

小堀遠州による池泉回遊式庭園です。

国指定名勝となっています。

 

 

50年近く前に、大学当時の同窓生や後輩に対して、大書院で智積院の説明をしたことがあります。

「智積院の末寺には、成田山・川崎大師・高尾山があります。」

すると他の参観者10名ほどが、一斉に振り向きました。智積院より、はるかに有名な寺院だからです。

関東から来られた人が多かったのかも知れません。

パンフレットを読んでいれば分かることなのですが、これら関東三山が末寺とは、マッタク知らなかったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大書院に描かれていた国宝障壁画は、収蔵庫での拝観となります。

ここには現在、模写が使用されています。

智積院の桔梗紋link

 

※写真は12年前に撮影致しました。

 

真言宗智山派総本山智積院 京都市東山区東山七条  地図

 

渋谷駅 岡本太郎画伯の明日の神話

古いデジカメ画像を見直していると、記憶のない場所が何カ所かあります。
以外や都内が多いのです。
それもよく知られた場所ばかりです。

渋谷駅にある岡本太郎氏の「明日の神話」も行った記憶がありません。
使用していたデジカメは、間違いなく私の物でした。

 

 

京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路に設置されています。

Googleマップ「明日の神話」link

1967年にメキシコで建築中のホテルから依頼された作品です。
しかし、ホテルの運営会社が倒産したため、未完成のまま放置され、納品された作品も行方不明になってしまいました。

 

再生プロジェクト link

 

2003年、メキシコシティ郊外の資材置き場に保管されていた「明日の神話」が発見されました。
岡本太郎氏の養女・岡本敏子さんが中心となり、修復するプロジェクトが始まりました。多くの方々の協力により修復が完了しています。
2008年11月に恒久設置されました。

ここを撮影したのは、公開され一月ほど後の年12月09日ですので、この壁画を目当てに行ったのだと思います。
しかし残された写真は、この一枚だけでした。

以前「川崎市岡本太郎美術館」の近くを通ったことがあります。
夕方近くでしたから帰りを急ぎました。
後日訪れたいと思いつつ、二十数年経ってしまいます。

 

宗吾堂 佐倉惣五郎碑拓本

5年前に宗吾霊堂を参拝致しました。

よく調べて行けば良かったのですが、宗吾の碑があることを後に知りました。

宗吾堂ブログ             宗吾霊堂ホームページlink

 

佐倉惣五郎(宗吾)を祀る宗吾霊堂は、現在の真言宗豊山派の別格本山ですが、真言宗智山派総本山派総本山智積院の大僧正・金剛宥性大僧正の讃です。

金剛宥性猊下は明治8年京都醍醐寺座主、明治23年智積院、さらに根来寺大伝法院座主となっています。

このころは真言宗各寺院本末関係が、次々に変化する時期でした。

 

 

 

 

上部に義民・佐倉惣五郎をたたえた金剛宥性大僧正の書に、次に宗吾像、下に当時の宗吾霊堂住職・照心師の書が彫られています。

 

 

ページ上部へ