平安時代は吉祥天と同じお姿の妙見様も祀られていました。



画像集にある妙見菩薩

耶馬溪の妙見菩薩


童子形妙見菩薩

能勢形妙見菩薩
画像集にある妙見菩薩
耶馬溪の妙見菩薩
童子形妙見菩薩
能勢形妙見菩薩
円泉寺のホームページ「智山の仏様」で紹介している星福寺の「衣襲明神」です。
ある仏様を調べる過程で、いろいろな古い神仏のお姿を集めましたが、その中に智山派の古いお姿があり、意識的に収集いたしました。
養蚕神1
星福寺の衣襲明神(きぬがさみょうじん)
手に持っているのは桑です。
養蚕神2
明治になり廃仏毀釈により、祀られていた御尊像は星福寺に移され、「馬鳴菩薩」として祀られているようです。
現在は神栖町の蚕霊(さんれい)神社となっています。
つくば市の蚕影(こかげ)神社、日立市の蚕養(こがい)神社とともに「常陸国の三蚕神社」と呼ばれているようです。
享和3年(1803)にこの近くに「うつろ舟」が漂着し、中から女性が出てきたと伝えられています。乗っていた舟?がUFOにも思えます。
描かれた女性の姿が蚕霊尊に似ているようです。
蚕霊山千手院星福寺 茨城県神栖市日川900 地図
先日青梅市のAさんが来られ、福生市・永昌院の幣束を掲載したコピーを頂きました。 リンク
蚕影山永昌院は金色姫伝説が伝わる蚕影山桑林寺(現在のつくば市・蚕影神社) より文久三年に蚕影山を分霊しています。
ここの幣束は金色姫蚕影山幣束と金色姫幣束があり、代々継承されているそうです。
なお、蚕影神社(こかげじんじゃ)の御朱印は筑波山神社授与所でいただけるようです。 山の住人さんのブログ リンク
そういえば、筑波神社にお参りしたとき、蚕影神社の御朱印のことが書いてあったのを思い出しました。しまったー、あの時いただいておけば良かったと思っても後の祭りでした。
追記 2016/01/01
日立市川尻の蚕養神社のお姿を手に入れました。
養蚕神のお姿札・掛軸・絵馬 リンク
円泉寺では、お賽銭と永代供養総供養法要のお塔婆などの御布施を東日本大震災のボランティア活動をしている「立ち上がれ飯能」(埼玉県)の活動に半分(残りは福島県大熊町の関係者に依託)に利用させていただいています。
この度、南三陸町での「海の運動会」で使用していただくことになっております。
内容について知りたい、参加を希望したいなど、下記の「タイムズマート飯能」にお問い合わせ下さい。
タイムズマート飯能店 埼玉県飯能市仲町9−1 地図link
小田原市の某家より当寺に奉納された観音堂前の北辰明見星碑のことが少し分かりました。
北辰明見星とは北辰明見菩薩(妙見菩薩)のことです。北極星、北斗七星の神格化された仏様です。
本来天部の仏様ですが、菩薩の名が付いています。
神奈川県開成町の広報に簡単ですが掲載されています。 開成町広報
少しづつアジサイが咲き出し、あと少しで見頃となります。
境内に毎年一本は苗を植えています。
手入れが悪いので、見事とは言えませんが。
サツキは赤系は盛りが過ぎましたが、ピンクや白が次々咲いています。
当山の妙見菩薩の由来を伝える文書は、当山檀家綿貫家に伝わる古文書のみであり、詳細は明らかではありません。
将門公が戦いに敗れ討ち死にすると、配下の武将であった綿貫家の先祖であ平豊八は、将門公の念持仏である妙見菩薩像を守護し、代々守り通したと伝えられています。
綿貫の名字は現在の群馬県高崎市綿貫より出たようです。
妙見菩薩像は今から180年ほど前に綿貫家より当山に移し祀りました。
それから約十年後の弘化五年綿貫家六、七代前の分家で川越藩出入りの御用商人となった綿貫伊助が、、京の神祇官公文所の許可を得て、あらためて境内を高く盛り土し、お堂を建立して祀りました。
村民が総出で工事にあたったそうです。
しかし、私が入山した時は妙見菩薩像は祀られて無く、御幣のみでしたので、新たにお姿の御神紙を元に御尊像を彫っていただき祀りました。現在は二代目の御尊像となっています。
妙見堂
私が入山後、あまりにも妙見様のことを知らなかったためにいろいろ調べた資料をホームページに掲載したのが「妙見菩薩資料集」です。
今年の9月19日より、東京都「板橋区立郷土資料館」において『特別展 武蔵千葉氏』が開催されるに当たり、この古文書はありませんが、私の集めた資料の一部が展示される予定です。
埼玉県 飯能市平松376番地 円泉寺 ホーム
懐古園は家内と行って以来、二度目となるはずです。最初は電車で、今回は車です。
しかし、ほとんど覚えていませんでした。
三の門
名のある城跡ですから、さぞかし市内から遠望できるのだろうと思いましたが、市街地の方が高い位置にあるのだそうです。
城跡の中に神社がありました。
たくさんの大きな鯉が泳いでいます。
かなり広いですね。
見所を一周しただけでした。
天守台は周りに木が生えていますが、城として機能していた時代は、遠くから遠望できたのでしょう。
向かい側は動物園になっています。
富士見展望台は、見晴らしの良い場所です。
富士見とあるのですから、富士山が見えるのでしょうか。
島崎藤村の詩や小説を高校、大学の頃読んだ記憶があるのですが、内容はほとんど思い出せません。
一部だけ覚えていたのは、「千曲川旅情の歌」だけです。
でもYouTubeで歌を聴いてみると、私の覚えている曲と似ていて非でした。とても歌えません。
駐車場近くに展示されているC56です。
ご住職は当寺檀家さんのご親戚で、通夜の時に紹介され一緒に読経をお願いいたしました。御布施はなしです。
千葉県の出身で、成田山系の方です。
あいにくの雨の中でしたが、快く迎えていただきました。
葬儀以来、時折お手伝いをお願いしています。
ある葬儀では、都内まで通夜葬儀を依頼致しました。喪主と葬儀社に土日に勝手に予定を入れられたときです。
時折依頼している後輩の内、アチコチ電話して近くから段々遠くなり、八件目でやっと空いていたのが幸祐寺さんでした。たまたま空けていた日なのだそうです。
気軽に応じていただき、ホッと致しました。
都内にホテルを予約していただき、二日間を無事済ませていただきました。
幸祐寺 長野県東御市和東上田8256 地図
甘楽町の第三回目です。
かつて埼玉県の「川の博物館」において『発見!三途の川』展を見学したことがあります。
新潟県岩船郡朝日村 奥三面遺跡 地図
縄文の里・朝日・奥三面歴史交流館 リンク
川の博物館では、3ヶ所「三途の川」を紹介していました。その内の1ヶ所が甘楽町の三途川です。
三途川は上信越自動車道の甘楽パーキングの東側を南北に流れており、上下道共に多くの車がその上を走っています。
三途の川の脇には奪衣婆(だつえば)を祀る姥子堂(うばごどう・しょうづかさん)があります。姥子堂の前も道路(国道254号線)があり、三途川の上をたくさんの車が行き来しています。
姥子堂 地図
奪衣婆(だつえば)
姥子堂(うばごどう)
三途橋と昔の写真リンク
姥子堂は近くの宝勝寺の持仏堂で、六十代の方が昔子供の頃、二度ばかりお祭りをしていたのを記憶していると教えてくれました。
お念仏も行っていたようです。
真言宗豊山派 宝蔵寺 甘楽町金井375ー1
宝蔵寺は小幡藩織田家家臣の菩提寺だったようです。今は天童市に家臣の方々の子孫が大勢居ます。
地獄は何れの処にか在る いずれかの自心の中に観ん 弘法大師(秘密曼荼羅十住心論)
それ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。真如外に非ず。身を棄てていずくにか求めん。 弘法大師(般若心経秘鍵)