2021年11月

仁科秋弘作曲 酒井 清 詩 「音のかなたに」

先日、脚本家で声楽家の酒井清氏より、飯能市民会館で行われる「歌劇 渋沢平九郎」のポスターを持って来ていただいたきました。歌劇 渋沢平九郎 ブログlink

後に私が合唱団をしていたと知ると、無伴奏男声合唱曲の譜面を届けてくださいました。

 

一部だけですが、掲載致します。

 

 

私が合唱団に属していたときは、曲がりなりにも譜面が読めたのですが、今はマッタク自信がありません。

トップテナーだったのですが、上は裏声でやっと出てるかなの状態です。

さらに音程も下がりっぱなしでした。

 

 

 

仲間に読経の癖が出て、おかしな歌になっているのに気がつかない僧侶がいましたが、それよりはましかもしれません。

 

※酒井清氏に許可をいただきました。

 

 

講談 宝井琴鶴さんの曽我物語①「平重盛御裁き」

地元の当寺檀家さんの姪御さんが、真打ちとなり、五代目宝井琴鶴(たからいきんかく)となっています。講談界の名跡です。

 

 

一昨年の永代合同法要では講談を披露していただいています。

 

 

檀家の御親戚も多数来られていました。

 

琴鶴さんのホームページがリニューアルされ、ユーチューブで鑑賞することが出来ます。

コロナのために、自宅待機講談会です。

 

 

ホームページ 「講談師 五代目 宝井琴鶴」link

ホームページからは、たくさんのユーチューブを鑑賞することが出来ます。

コロナの影響も少なくなり、お仕事は回復しつつあるようです。

 

 

三面大黒天 マハーカーラ 青面金剛 三宝荒神 庚申塔

大黒天

大黒天は七福神に含まれることもあり、よくしられています。



まだにこやかなお顔になる以前の大黒天像です。

恵比須大黒として祀られることが多い神様です。



三面大黒天(摩訶迦羅天)


しかし、本来の大黒天は恐ろしい神でした。

Wikipediaの大黒天の説明に「胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。」とあります。

日本では大国主と習合し、福神と変わっていきました。

この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。





特に明治以降は、赤痢などの疫病流行のおり、摩多利神(忿怒相の三面大黒天) としても信仰されました。
あえて悪神である神を祀り、病気平癒を祈ったのです。

摩多利神ブログlink

民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。とあります。



 
川村湊氏の「牛頭天王と消された異神たち 蘇民将来伝説」によれば、寛永寺の真如院覚深の「摩多羅神考」により、摩多羅神と摩多利神は同じ行疫神とされたことが書かれています。安楽律騒動で天台宗が否定した摩多羅神(またらじん)を再度正当化するために、仏教の正当な神である七母女天(摩多利神)と同じとされたようです。
三面大黒天の廻りに女神が描かれています。
上の図は安楽律騒動以降に使用された図のように思います。
 
摩多羅神と摩多利神は名前が似ているだけで、全く異なる神です。たとえばインドの神である大黒天と日本の大国主命が同じ神とされたように。

 

庚申信仰では、青面金剛に似た像を本尊としています。
三宝荒神とも同じようなお姿をしています。
日本独特の信仰です。

青面金剛の姿を見たチベットの方が、「マハーカーラだ ! 」と言ったそうです。
比べてみると、確かによく似ています。
マハーとは「大 」、カーラとは「黒 暗黒」の意味です。

 

青面金剛




手に髪の毛を捕まれた人間が描かれています。

 

三面大黒天(摩訶迦羅天)の恐ろしい姿と、重なることが理解できます。

 





庚申塔

青梅市の宗建寺 ブログlink


寄居町の少林寺 ブログlink


本庄市児玉町の成就院  ブログlink



確かにマハーカーラ、庚申、青面金剛、三宝荒神はよく似ています。

三面大黒天が福の神となり、七福神の中の大事な神として参拝する方が大勢います。

武蔵野七福神では、入間市の長泉寺(きのえねさま)に祀られています。

甲子大黒天 長泉寺 ブログlink            武蔵野七福神link

 

 

七福神 恵比寿(えびす)の古い御尊像と掛軸など 埼玉県飯能市

当寺は武蔵野七福神の福禄寿様を祀ります。
 
 
武蔵野七福神ではありませんが、七体の七福神を全てお祀り致しました。
その内の恵比寿(えびす)さまです。
 
恵比寿さんは、伊弉諾尊と伊弉冉尊の子である蛭子命、あるいは少彦名神や彦火火出見尊とする説などがあるそうです。
 
 

恵比寿像

にこやかなお顔になる前の古い御尊像と思われます。
 
 
 
円泉寺の恵比寿さん
 

 

 

 
お厨子には家紋がありました。五三桐と抱き柏です。
嫁ぎ先の紋とご実家の紋なのでしょう。
 

 

 

関西のかなりの名家に祀られていたとのではと話す人がいました。

 
恵比寿は恵比須・戎・夷などとも書きます。
えびす信仰は、兵庫県の西宮神社の神人である傀儡師が、積極的に神徳を広めたたことと、七福神の一神となったことが、大きいようです。
 
昔は古い家で、よく恵比寿大黒の二神を見かけました。今では人形ケースに入っていれば良い方でしょう。神棚も少なくなりました。
 
骨董屋さん、古道具屋さんには、家を取り壊すときに持ち込まれた、真っ黒な恵比寿大黒像を見かけます。
あまりにも多く、中には恵比寿大黒二体で、二人分の昼食代より安い像があったのには驚きでした。
結構良い恵比寿大黒さんもたくさんあります。
 
 

円泉寺七福神の内

 
 
 
 

小さな恵比須大黒

 
小さな恵比寿大黒さんも、祀ってあります。ヤフオクでも時たま見かけます。
 
 
高さ約4センチメートル
 

恵比寿天

戦前の御尊像のようです。
 
 
 

 

 

恵比寿大黒の風鎮

珍しい那智黒の風鎮です。
 
 
 
二十代半ばに青岸渡寺と那智の滝を見学したときに、那智黒の硯を販売している店がありました。
客の前で加工していたのを思い出します。
 

ヱビスビール

家内の好きなエビスビールです。
写真撮影用に買ってきました。
 
 
 
写真の胸と同じ、三つ柏紋があります(エビスビールは同類の蔓柏紋)。恵比須系の神社には、この紋が多いようです。
 
 

恵比寿さんの掛軸

 
恵比寿さんの掛け軸です。私の好きな絵です。
 
 
掛け軸
 

 

二代目 英一挺作  恵比寿図

 

 

恵比寿図

 印刷の掛軸
 
 

 恵比寿大黒図

 
 
 
 
 
 
恵比寿さん大黒さんは単独より、恵比寿大黒として描かれることが多いようです。
古い農家で、子供の頃観た記憶があります。
 
 

大津絵の恵比寿

本物の大津絵を手に入れることが出来ました。小さな掛軸になっています。
「大津絵 恵比寿」で検索しても、同じ図柄は見つかりませんでした。
 
一福延寿
 
 
一福延寿  えび寸殿  きげん良きこそ道理なれ  おのが家職のたいをはなさず 」
 
 

西宮恵比寿のお姿

 
最近手に入れた古いお姿札です。恵比寿信仰の古い神社です。
 
 
20162417561.jpg
西宮えびす
 

七福神図中の恵比寿

 
 
 
 
七福神図(巧芸品)中の 恵比寿図
元気な壮年の恵比寿です。恵比寿オジさんですね。
 
 

七福神図 淵龍作

 

 

恵比寿さんが鯛を持って、鶴亀と踊っています。

七福神は大喜び。

「鶴は千年亀は万年」 めで鯛七福神図です。

 

恵比寿のイラスト

 

 

七福神の額

お正月には七福神がそろいます。
福禄寿が鶴に乗って、やってきました。
 
 
 
 
昭和初期に飯能の画家に依頼して描いていただいたと聞いています。
恵比寿さんは、ここでも大きな鯛を抱えています。
御本堂にあります。
 

円泉寺七福神

御本堂に祀られています。
古くても明治の御尊像だと思います。
武蔵野七福神「福禄寿」様参拝の折には、こちらの七福神もお参り出来ます。
 
  
 
円泉寺内七福神
 
 
飯能市では、武蔵野七福神札所の恵比寿さんは、諏訪八幡神社内・恵比寿神社です。
 
 

いろいろな円泉寺の七福神

 
 

 

各御尊像をリンクしています。

    大黒天    弁財天   毘沙門天   福禄寿   寿老人   布袋

 

円泉寺  埼玉県飯能市(はんのうし)平松376 地図リンク

 

歌劇 渋沢平九郎 飯能市民会館 令和3年12月11日(土)

脚本家で声楽家の酒井清氏が来られ、「歌劇 渋沢平九郎」のポスターとチラシを持って来られました。

寺院や観光案内所など、挨拶かたがた来ていただけるよう、お願いしているのだそうです。

 

 

 

あいにく土曜日ですので、出かけることが出来ません。

私は渋沢平九郎のブログを書いていましたので、時間があれば行きたかったのです。渋沢平九郎のブログlink

 

音感が悪いですが、高校大学と合唱部に属していました。

ぜひ飯能市民会館で、歌劇を楽しんでください。

 

お問い合わせは、飯能市民会館へ

電話 042-972-3000

 

※掲載の許可を酒井氏からいただいています。

 

飯能市民会館 埼玉県飯能市飯能226−2 地図

 

月食

昨夜は月食でした。月の97・8%が欠けるのだそうです。

撮影の準備中は雲がなかったのですが、撮影始める前から薄く雲がかかってきました。

 

望遠ズームで撮影しています。

条件が悪いだけでなく、かなりトリミングしています。

 

 

 

 

 

この後は目では確認できるのですが、写っていませんでした。

スマホで撮影している人もいましたが、はたして写っていたのでしょうか。

 

境内の花々と銀杏の黄葉

他の地域ばかり書いていましたので、境内での影です。

もう少しすると銀杏もさらに紅葉が進みます。

 

 

 

寒椿が盛りとなっています。

 

 

お水屋脇の千両が赤い実を付けています。

いつの間にか大きくなりました。

 

 

 

 

マンリョウ

 

 

 

黄色い実の南天

 

 

 

妙見堂脇の皇帝ダリア

次々に花を咲かせています。

 

 

 

白いサザンカ

 

 

 

 

寒椿

 

 

 

きれいな場所のみの撮影です。

 

赤城高原SA(下り)からの景色

何回も赤城高原SA(下り)を利用していてますが、施設の裏の広場に向かったことはありませんでした。

店舗とトイレの間から西に向かうと、サービスエリアとは思えない広場がありました。

 

 

 

広場に向かう人が大勢います。

もう少しすれば紅葉の散策道で写真を撮影するのにふさわしい時期となります。

 

 

スマホに自撮り棒を使用している人もいました。

ここでは見ませんが、コロナ以前は海外から来た人たちが、自撮り棒で撮影していました。日本人は少ないですね。

 

広場の欅の葉はほぼ落ちきっています。

北側はまだでした。

 

 

 

 

 

もう少しで紅葉となるでしょう。

その頃に来たかったと思いました。

 

 

 

これからここへ寄るときは、四季折々の自然を楽しみたいと思います。

 

赤城高原SA(下り)  群馬県利根郡昭和村森下字箱崎1552 地図link
 
 
 

浄土宗正覚寺と小松姫墓 群馬県沼田市

以前、埼玉県鴻巣市の勝願寺を参拝すると、真田信之の室である小松姫(本多忠勝の娘)の墓がありました。

慶安元年(1648)に鴻巣で亡くなってなっています。

NHK大河ドラマ「真田丸」関連で、小松姫の「のぼり旗」が目立ちます。

ブログlink

鴻巣市の勝願寺は、私のブログを参照して下さい。

 

正覚寺と小松姫の墓

以前から小松姫の墓を詣でたいと思っていました。

一旦駐車場に入れましたが、山門から挨拶をして御本堂に向かいました。

 

 

 

御本尊に阿弥陀如来を祀ります。

 

 

正覚寺の墓には小松姫(大蓮院殿)の分骨が祀られています。

鴻巣でなくなっていますので、ここと上田の芳泉寺(松代町の大英寺にも、現本堂の御霊屋があります)に祀られました。

 

 

お墓右側の御堂は、大蓮院殿の位牌を祀っているのだと思います。

閻魔様と奪衣婆も祀られています。

 

 

 

市指定天然記念物のコウヤマキです。

樹高21メートルあります。

 

 

 

 

境内の東側からは、利根川に沿った町並みを眺めることが出来ます。

 

 

真田家の沼田城跡や、先ほど書いた舒林寺や正覚寺などのある地域とは、かなりの高低差があることが分かります。

 

正覚寺 群馬県沼田市鍛冶町938 地図

 

 

浄土宗勝願寺

鴻巣市の勝願寺と小松姫墓です。

 

 

左から千石久秀、真田信重室、真田信重(信之の三男)、信之室・真田小松の墓です。

 

 

知らない方が多いと思いますが、鴻巣は渡辺綱の生まれた場所です。

渡辺綱の生地 埼玉県鴻巣市箕田のブログlink

 

勝願寺 鴻巣市本町8-2-31 地図

 

曹洞宗 舒林寺( 群馬県沼田市)と舒林寺古跡(みなかみ町)

舒林寺

今から15年前に舒林寺の前身である「みなかみ町  三峰山怒林寺」古跡に行ったことがあります。

その後現在の天桂寺の場所に移り、さらに寛文6年(1666)に現在の場所に移転しています。

一度参拝したいと思っていました。

慶長17年(1612)に真田家の菩提寺になっています。

 

 

沼田市内でも格式のある広い寺院です。

 

 

丁度木々の葉が紅葉を迎えていました。

 

 

御本尊はお釈迦様のようです。

 

 

 

良い時期にお参り出来ました。

 

真田家四代・信政の子、八郎信守の墓があります。

 

 

沼田は歴史ある古い町ですので、市内には多くの寺院が並んでいました。

真田家に関連する寺が多くあるそうです。

 

舒林寺 群馬県沼田市材木町15  地図link

 

 

舒林寺古跡 群馬県みなかみ町後閑

 

沼田市にある曹洞宗沼田市 の故地が、みなかみ町後閑にあり、当時は三峰山怒林寺と称していました。

後に材木町に移転し、慶長17年(1612)に真田家の菩提寺になっています。

 

 

 

舒林寺古跡 みなかみ町後閑 ストリートビュー
 

 

 

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