2017年07月

日テレ・ヒルナンデスに私の菅原道真浮世絵画像が使用される予定です

先日、日本テレビから、ブログにある歌川豊国の「菅原道真 藤原時平」の浮世絵画像を使用させて欲しいと電話がありました。
 

 

以前私が求めた浮世絵です。

藤原時平の謀略により、昌泰四年(901)に道真が九州の太宰権師(だざいふごんのそち)に左遷されてしまいます。
その宮中での場面と思われます。 
二年後に五十九歳でこの世を去りました。
 
放送の詳細は不明ですが、京都のパワースポット、人気スポットを取り上げるそうです。
 
七カ所ほどの寺社の内、道真公が生まれた地にある菅原院天満宮紹介の中で使用されるようです。
 
番組名        日本テレビ「ヒルナンデス!/木曜日」『福くんのひとり旅~京都編から』
放送予定日  8月2日  AM11:55~13:55
出演者        鈴木 福 (子役)
 
 
以前、ある画像をテレビ局に依頼されながら、送っても使用されなかったことがありました。
今回も必ず使用されるか分かりませんが、興味のある方は、ご覧ください。
出るとしても、ホンの一瞬だと思います。
 
以前にも何度か番組に使用する「戒名」を依頼されたことがあります。リンク
他も含め、何かをいただいたことなどは、一度もありませんでした。
自己満足です。
 
 
追記 2018/08/02
録画したのを見てみると、一番最初と途中何度か左側の菅原道真図、菅原院天満宮で藤原時平図が使用されていました。
 
他にも一点送っていた図も使用されました。
中山秋湖の作品です。
 
 
大宰府で、院からいただいた衣を捧げ、京の都を思う図です。
 
 

無理に通夜葬儀に出さない場合

以前、入院中のおばあちゃんを無理矢理葬儀に列席させた親族がいました。
おじいちゃんの死を内緒にしていることを批判して、通夜終了後に病院に向かい、無理矢理翌日の葬儀に出させてしまいました。
 
 
当日おばあちゃんは、泣き崩れていました。介護師と看護師付きで、点滴しながらの葬儀です。
その後何も食べられなくなり、三ヶ月後に亡くなりました。
あの時は認知症なら良かったのになあと、思わざるを得ませんでした。家族は親戚を恨んだでしょう。
四十九日忌納骨とおばあちゃんの通夜葬儀には、その親族は来ませんでした。
 
たとえ通夜葬儀でも、連れ添いを列席させるしないは、ケースバイケースです。
しかし、子供だから、孫だから出席させない家族もあります。
儀式を体験して、他の方々に対する思いやりを育む場所であることを忘れてはいけません。
 

弁財天十六童子像が修復されました。埼玉県飯能市 円泉寺

ご本堂にお祀りしている弁天様をご紹介します。十六童子を従えている御尊像です。最近修復致しました。

修復前のお顔が黒いのは、お顔に銀箔を貼っていたために、酸化して黒くなったのだそうです。
今回も以前の状態で復元致しました。いずれ酸化し黒くなるのだと思います。
このような技術があったことを初めて知りました。
 
しかし、明るい照明の下では、お顔が銀色で異常な色合いでした。
ふと昔だったら、どのように祀られているのだろうと思い、ロウソクだけにしました。

 

穏やかなお顔です。
さらに夕方になると、不思議な雰囲気になりました。
お顔を銀箔にしたのは、暗いお堂の中で拝むことを計算しての方法のようです。
 

 

中央に坐す仏様は八臂弁才天様です。八本の手には弓、矢、刀、独鈷杵、羂索などを持ち、回りには、角髪を結った十六体の童子像を従えています。弁天様の頭部にある像は、宇賀神様です。

下の画像は、明るい電気の下での撮影です。

童子像の衣服は金箔の上に朱で描いています。
 
回りに十六童子が祀られていますが、以前は十四体だけでした。
 
印錀童子、官帯童子、筆硯童子、金財童子、稲籾童子、計升童子、飯櫃童子、衣裳童子、蚕養童子、酒泉童子、愛敬童子、生命童子、従者童子、牛馬童子、船車童子、大黒天善財童子
を従えています。
 
弁天様と十六童子の功徳を見ると、家内安全、ペット安全、商売繁盛、学業成就、恋愛成就、五穀豊穣など、あらゆる功徳を授けて下さる神様です。
 
一般の方々の参拝は、お正月七草頃まで武蔵野七福神福禄寿様のお参りと併せてお参り可能です。武蔵野七福神 link
 
全国の弁財天十五童子十六童子 link
 
 

掛軸とお姿で見る十六童子・十五童子

弁財天十六童子

江島神社 弁財天十五童子   神奈川県藤沢市江の島

本来、弁財天だけでしたが、日本的展開を見せ、十五童子が加えられ、さらに善財童子が加えられたのが十六童子です。

信州・戸隠神社旧本坊勧修院 久山館  にも祀られています。

 

宇賀弁才天

現在この弁天様は、知人が祀っています。

 

阿弥陀堂の辨財天

以前にもご紹介した、阿弥陀堂に祀られてい弁天様です。歯や指の関節まで再現されています。

 

こちらの弁天様は、お近くでお参りできますので、気軽にご参拝下さい。

銭洗い弁天様も祀りしています。 銭洗い弁天リンク

 

円泉寺ホームページ

 

〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  地図リンク

 

西澤形一師履歴 当寺境内小社・平松天神社の宮司さん

 

 

※西澤形一宮司が、令和2年1月17日に帰幽(死去)致しました。長年のご厚情に対し、感謝申し上げます。

新たに大谷由紀宮司、佐藤宏禰冝が就任致しました。

 

経歴

神職(神社庁資格)・宗教研究者
多くの書籍出版に携わる。
笛畝人形記念美術館館長退任後、秩父の神社に8年間奉職する。
滝行と自然を味わう会を主宰
 
西澤形一師は円泉寺境内の平松天神社宮司です。円泉寺住職ではありません。
併せて境内にある地元小社  八坂神社  山の神(やまのかみ)社もみています。

代表書籍出版物

・日本人形のあゆみ 西澤形一 著 藤間寛著 芸艸堂 版
・人形今昔物語展 笛畝人形記念館コレクション 西澤形一 (解説) – 犀書店
・中国美術全集12 工芸編 西澤形一 (他)著 京都書院版
・お諏訪さま 鈴鹿千代乃編 西澤形一 編 勉誠出版版

メディア情報  一部をご紹介

  • 天神社の西澤宮司が、「有吉ジャポン」に出演しました。
  • 特番「噂の現場直行ドキュメンガンミ」の撮影に「滝修行」の指導と「宮古島の恐怖スポット」に出演しました。     宮古島
  • 「女性セブン」「週間ポスト」「婦人公論」などの取材に協力しました。
  • 「NHK」で紹介されました。
  •  「日本経済新聞」夕刊に掲載されました。リンク
  • 吉本興業「PASMO」の指導をしました。リンク

その他テレビ・ラジオ・新聞・雑誌にも出演・指導も行っております。

 円泉寺との関係

 

住職とは友人としての付合いです。住職並びに地元の方々から八坂神社祭礼も依頼されています。
天神社への相談者や信者さんを円泉寺で縛るようなことはありません。
宗旨・宗教にとらわれず、気軽にご相談ください。

〒357-0014
埼玉県飯能市平松376   円泉寺境内 天神社     
普段は天神社におりません。
直接来られても対応できません。ご了解下さい。
 
 
 

アザミ

いつもアザミは切り取ってしまうのですが、今年はそのままにしてみました。
まだ蕾がほとんどです。
この花ももっときれいになるでしょう。
 
 
 
私よりはるか高く成長しました。
 
 
イメージ 2
 
 
もう咲き終わった物もありました。
 
 
イメージ 4
 
 
もっと咲き出すのが楽しみです。
 

学習院女子初等科の遠足 当寺にご来山 昭和11年

当時の平松村に、女子学習院初等科の生徒が遠足に来られると住職が警察に伝えても、誰も信じなかったそうです。
今も田舎ですが、当時はもっと田舎でした。
 

戦前ですから事実と分かると、さあ大変。
駅から歩いて来られますので、道普請は当然ですが、境内の汚い小屋は取り壊し、トイレも正目の木材で作り直しました。
 
 
境内では、脱穀や餅つき、満作の歌踊りなどを披露したそうです。
数十年前までは、当時演じた人もいました。
自慢話を聞かされたものです。
 
 
 
近所の栗林では、栗拾いです。
しかし、その時期は栗も落ちていました。
 
当日のために栗を畑に蒔き、栗の入ったいがを針金で吊ったそうです。
 
 
 
 
写真はありませんが、風船工場も見学されたと聞いています。
 
孝宮和子内親王様・久邇宮家・伏見宮家より、御菓子料や御酒肴料が下賜されました。
 
 
 
 
戦後お寺の裏手の山林あたりで、皇籍離脱後に久邇朝融氏は鉄砲打ちに何度も来られていたそうです。
その場所が、今では西武系になっている久邇カントリークラブです。
 
 
先日、千円札に描かれていた元総理大臣の子孫の方が来られました。(前列真ん中と向かって一番の左側の方)
ちなみにこの女性は、学習院女子初等科のOGです。
私も関連しているボランティア団体の顧問をされています。
 
御本堂前でご説明しただけしたが緊張しました。
 
 
その時お渡ししたのが、上の古い画像を印刷した写真です。
祖母から借りた写真をずっと以前にスキャナーで取り込んでいたのですが、画質が悪く、画素数も少ないために大きくは引き延ばせません。
 
 

わらべうたコンサート

本日はわらべうたコンサートに招待され、市内のホールまで行って参りました。
地元の公民館で童歌を楽しんでいる方々です。
 
檀家さんが二人、檀家さんのご親戚もいました。
皆さん、お爺ちゃん、おばちあちゃんと言われる年齢の方です。
 
 
 
 
私も高校大学と合唱のクラブに入っていましたので、昔の感覚でいましたが、今は歌うだけでく、子供の遊戯、関係するプロの楽器演奏、合唱中に歌詞に合わせた寸劇(?)など、来た人を飽きさせない流れになっていました。
 
 
他のコンサートなどでも、目で見ても楽しめる構成が多くなっているようです。
プロの方々も気軽に楽しんでいただこうとしています。
会話だけでも楽しめました。
 
知っている歌が多く、一緒に歌ってくださいと言われ、久しぶりに歌いました。
「兎追いしかの山~」と歌っていると自然と涙が出てきました。
 
すっかり変わってしまった故郷。実家の周りには知った風景はありません。
少し離れると、やっと昔の記憶にある所がありますが、ずいぶんと変わりつつあります。
 
「小鮒釣りし、かの川」は深く掘り下げられ、氾濫しないようになっています。
 
 
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