2017年07月

弁財天十六童子像が修復されました。

ご本堂にお祀りしている弁天様をご紹介します。十六童子を従えている御尊像です。最近修復致しました。

修復前のお顔が黒いのは、お顔に銀箔を貼っていたために、酸化して黒くなったのだそうです。
今回も以前の状態で復元致しました。いずれ酸化し黒くなるのだと思います。
このような技術があったことを初めて知りました。
 
しかし、明るい照明の下では、お顔が銀色で異常な色合いでした。
ふと昔だったら、どのように祀られているのだろうと思い、ロウソクだけにしました。

 

穏やかなお顔です。
さらに夕方になると、不思議な雰囲気になりました。
お顔を銀箔にしたのは、暗いお堂の中で拝むことを計算しての方法のようです。
 

 

中央に坐す仏様は八臂弁才天様です。八本の手には弓、矢、刀、独鈷杵、羂索などを持ち、回りには、角髪を結った十六体の童子像を従えています。弁天様の頭部にある像は、宇賀神様です。

下の画像は、明るい電気の下での撮影です。

童子像の衣服は金箔の上に朱で描いています。
 

修復前の像

 
回りに十六童子が祀られていますが、以前は十四体だけでした。
 
印錀童子、官帯童子、筆硯童子、金財童子、稲籾童子、計升童子、飯櫃童子、衣裳童子、蚕養童子、酒泉童子、愛敬童子、生命童子、従者童子、牛馬童子、船車童子、大黒天善財童子
を従えています。
 
弁天様と十六童子の功徳を見ると、家内安全、ペット安全、商売繁盛、学業成就、恋愛成就、五穀豊穣など、あらゆる功徳を授けて下さる神様です。
 
一般の方々の参拝は、お正月七草頃まで武蔵野七福神福禄寿様のお参りと併せてお参り可能です。武蔵野七福神 link
 
掛軸とお姿で見る十六童子・十五童子

弁財天十六童子

江島神社 弁財天十五童子   神奈川県藤沢市江の島

本来、弁財天だけでしたが、日本的展開を見せ、十五童子が加えられ、さらに善財童子が加えられたのが十六童子です。

信州・戸隠神社旧本坊勧修院 久山館  にも祀られています。

 

当寺の二臂の宇賀弁才天様

これらの弁天様は、普段は本堂の奥に祀られており、お参りすることはできません。

 

阿弥陀堂の辨財天

以前にもご紹介した、阿弥陀堂に祀られてい弁天様です。歯や指の関節まで再現されています。

 

こちらの弁天様は、お近くでお参りできますので、気軽にご参拝下さい。

銭洗い弁天様も祀りしています。 リンク

ホーム

 

〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  

 

西澤形一師履歴 当寺境内小社・天神様の宮司さん

 

 

経歴

神職(神社庁資格)・宗教研究者
多くの書籍出版に携わる。
笛畝人形記念美術館館長退任後、秩父の神社に8年間奉職する。
滝行と自然を味わう会を主宰
 
西澤形一師は円泉寺境内の平松天神社宮司です。円泉寺住職ではありません。
併せて境内にある地元小社  八坂神社  山の神(やまのかみ)社もみています。

代表書籍出版物

・日本人形のあゆみ 西澤形一 著 藤間寛著 芸艸堂 版
・人形今昔物語展 笛畝人形記念館コレクション 西澤形一 (解説) – 犀書店
・中国美術全集12 工芸編 西澤形一 (他)著 京都書院版
・お諏訪さま 鈴鹿千代乃編 西澤形一 編 勉誠出版版

メディア情報  一部をご紹介

  • 天神社の西澤宮司が、「有吉ジャポン」に出演しました。
  • 特番「噂の現場直行ドキュメンガンミ」の撮影に「滝修行」の指導と「宮古島の恐怖スポット」に出演しました。     宮古島
  • 「女性セブン」「週間ポスト」「婦人公論」などの取材に協力しました。
  • 「NHK」で紹介されました。
  •  「日本経済新聞」夕刊に掲載されました。リンク
  • 吉本興業「PASMO」の指導をしました。リンク

その他テレビ・ラジオ・新聞・雑誌にも出演・指導も行っております。

 円泉寺との関係

 

住職とは友人としての付合いです。住職並びに地元の方々から八坂神社祭礼も依頼されています。
天神社への相談者や信者さんを円泉寺で縛るようなことはありません。
宗旨・宗教にとらわれず、気軽にご相談ください。

連絡先
〒357-0014
埼玉県飯能市平松376   円泉寺境内 天神社     
普段は天神社におりません。隣接する市に住んでいます。
直接来られても対応できません。ご了解下さい。
ご用の方は、お電話をお願い申し上げます。
Tel:(090)3225-6286
 
 

学習院の遠足で当寺にご来山 昭和11年

当時の平松村に、女子学習院初等科の生徒が遠足に来られると住職が警察に伝えても、誰も信じなかったそうです。
今も田舎ですが、当時はもっと田舎でした。
 
戦前ですから事実と分かると、さあ大変。
駅から歩いて来られますので、道普請は当然ですが、境内の汚い小屋は取り壊し、トイレも正目の木材で作り直しました。
 
 
境内では、脱穀や餅つき、満作の歌踊りなどを披露したそうです。
数十年前までは、当時演じた人もいました。
自慢話を聞かされたものです。
 
 
 
近所の栗林では、栗拾いです。
しかし、その時期は栗も落ちていました。
 
当日のために栗を畑に蒔き、栗の入ったいがを針金で吊ったそうです。
 
 
 
 
写真はありませんが、風船工場も見学されたと聞いています。
 
 
 
戦後お寺の裏手の山林あたりで、皇籍離脱後に久邇朝融氏は鉄砲打ちに何度も来られていたそうです。
その場所が、今では西武系になっている久邇カントリークラブです。
 
 
先日、千円札に描かれていた元総理大臣の子孫の方が来られました。(前列真ん中と向かって一番の左側の方)
ちなみにこの女性は、学習院女子初等科のOGです。
私も関連しているボランティア団体の顧問をされています。
 
御本堂前でご説明しただけしたが緊張しました。
 
 
その時お渡ししたのが、上の古い画像を印刷した写真です。
祖母から借りた写真をずっと以前にスキャナーで取り込んでいたのですが、画質が悪く、画素数も少ないために大きくは引き延ばせません。
 
 
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