2006年07月

桜が丘の百庚申塚 前橋市総社町

百庚申塚と言われるだけあって、沢山の庚申塔や石仏が並んでいます。

霊符尊文字塔があると、ある本に書かれていましたが、見つかりませんでした。

 

 

庚申の説明は、総社地区史跡愛存会の説明をお読み下さい。

お題目の新しい庚申塔もありました。

 

 

 

不動明王など

大日如来

大国主命

大天狗   地神

他にも色々な石塔が祀られていました。

駐車場がありましたが、近くの方が駐めているようで、無理矢理駐めなくてはならず、用心しましょう。

 

桜が丘の百庚申塚 群馬県前橋市総社町桜が丘 地図

千日堂 たくさんの石仏と妙見宮文字碑 群馬県沼田市新町

近在の方に他の神社を聞くと、ここを教えられました。

おかしいと思いましたが、やはり間違って教えられたようです。

千日堂でした。ただし、みなかみ町の千日堂ではありません。

でも良い場所を教えていただきました。感謝致します。

千日堂

 

御本尊は観音様でしょうか。カマドウマがいっぱいいます。

 

 

妙見宮石碑

妙見宮石碑裏 慶應三年八月建立

馬頭観世音

 

鶏が一羽と思いますので庚申塔と思います。

やはり鶏が上檀にいますので三重の庚申塔でしょう。

弘法大師

 

 

秩父三十四ヵ所札所本尊

宝篋印塔

石祠

 

井戸

 

千日堂の脇をさらに西北に向かうと御堂がありました。新町交差点の少し先です。

何堂と言うのでしょう、石祠が並んでいました。

 

   地図

 

千日堂   地図

 

曹洞宗大徳院 埼玉県小鹿野町

奈倉氏の菩提寺・大徳院です。

境内にみえる鳥居は、稲荷神社です。

小鹿野の春日野小学校跡でした。小学校は何度か場所が変わっているようです。小鹿野小学校前身の一つだったのでしょう。

門前にいるのは本郷氏。

奈倉氏の念持仏であった阿弥陀如来像(小鹿野町指定有形文化財)が、残されています。

 

脇に祀られている稲荷神社において、神楽が行われます。

 

門の脇には立派な地蔵菩薩の石仏が祀られていました。

 

 

大徳院 埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野212 地図

 

奈倉館跡 埼玉県小鹿野町

秩父氏から別れた奈倉氏が移住した場所です。

先ほど行った妙見社のすぐ近くにあります。

かなり広い敷地でしたが、写真を撮り忘れました。

館跡の一角にある石仏などです。

 

天保10年の庚申塔です。

奈倉氏の館は奈倉加賀守行家(1459-1552)、重家、下野守重則の三代の館跡です。
武田信玄の秩父侵攻により重則は討ち死にしました。

 

奈倉館跡   地図

 

妙見社 埼玉県小鹿野町

奈倉重家が永禄元年(1558)に、秩父妙見社(秩父神社)から勧請しました。

社務所が奈倉会館となっています。

平将門公の子孫・本郷氏と参拝致しました。

左右に仁王様が妙見さまを守っています。神仏習合の名残です。

 

「女歌舞伎」が伝わっています。奈倉妙見宮秋祭りホームページlink

毎年10月第1土曜日に開催されます。

小鹿野町には子供歌舞伎や小森歌舞伎もありました。まだ他の地区にもあるようです。

 

追記 テレビのニュースで見たことがありましたが、女性だけで演じられる歌舞伎は珍しいと思います。

 

妙見社  秩父郡小鹿野町下小鹿野小字奈倉124 地図

 

円満寺 平将平墓 埼玉県皆野町

円福寺は円泉寺と同じ真言宗智山派に属しています。

秩父七福神の札所です。東林寺ホームページ 秩父七福神の札所link

平将門公の墓とも伝えられていますが、円福寺の旧来記には実弟の将平と書かれています。

平将門公の子孫・本郷氏と一緒にお参りしました。

平将平の墓です。

 

畠山重忠の父である重能(平重能)の墓は、畠山重忠公園の一角にありますが、この看板は平将平と繋がりを説明するための部分だと思います。

 

円福寺 埼玉県秩父郡皆野町大字皆野293 地図

 

秩父氏の菩提寺・金剛院 埼玉県秩父市

秩父氏の祖・秩父武綱の開基です。秩父氏の菩提寺として武綱の墓と位牌を祀っています。

元々は真言宗だったと思います。

 

かつては不動明王も祀っていました。

 

曹洞宗の方に聞くと、御詠歌を行っていると聞きました。

 

お墓もお参りしたかったのですが、遠慮がありお参りせず帰りました。

よく調べず、案内板も撮しただけでしたので、見落とした物が多く残念に思いました。

 

金剛院の話しを友人にすると、秩父氏墓などを詣でたと話していました。

 

金剛院 埼玉県秩父市下吉田4690 地図

秩父氏館跡 埼玉県秩父市

最初に秩父氏が館を構えた地です。吉田小学校周辺と言われています。

秩父氏は後に中村町へ移りました。

全国に散らばった秩父氏の末流で、最も広く知られているのが千葉氏でしょう。東北地方は千葉姓の方が多くいます。さらに相馬氏など末流が大勢います。

 

ある催しが秩父市内であり、知り合った平将門公子孫の方と一緒に秩父氏館跡に行きました。

共に初めての場所です。

吉田幼稚園

 

吉田保育園

 

「桓武天皇6代の孫、平将常が武蔵権守に任ぜられ、秩父郡中村郷に住して秩父氏を名乗り、その子武基は秩父牧別当を兼ね下吉田牧林に館を築き、その子武綱がこの地に居館したという。武綱より重綱・重広・重能を経て重忠に至る。また、武綱の子孫は畠山・豊島・江戸・葛西・河越氏等の有力な武蔵武士にわかれた。」秩父氏ホームページより

吉田小の前に立つのは、平将門公の子孫・本郷氏です。

秩父氏館は吉田小学校周辺のようです。

 

 

遺構は残っていないようですが、一族は歴史に大きな足跡を残しています。

 

秩父氏館跡  埼玉県秩父市下吉田3833  地図

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