平将門伝説の七天王塚 千葉市亥鼻











吉田松陰を祀る松陰神社です。
かなり以前、この前の通りを車で通ったのですが、寄りませんでした。
一緒に行ったAさんのお父さんは、会津若松の出身です。Aさん曰く、先祖の敵なのだそうです。
会津では天皇に恭順の姿勢を示しても受け入れてもらえず、会津戦争では多くの人が亡くなられています。
今でも郷土愛が強く、弟子達が松蔭を祀った神社には来たくなかったようです。
昭和61年、萩市が会津若松市に友好都市を申し込みましたが、拒否されました。
私も飯能市民として、気持ちが分かります。
江戸時代の現在の飯能の地域は、幕府直轄領、一橋領、田安領と旗本の領地などがありました。幕府に親近感を持つ人達がいたのだと思います。 昔の飯能link
飯能戦争では、旧幕府側に味方したい人が多かったのではないでしょうか。
渋沢栄一の養子である渋沢平九郎などの兵をかくまった農家もあったようです。
高井鴻山記念館の次に岩松院に向かいました。
ここには北斎作「鳳凰図」、一茶の読んだ「蛙合戦の池」、「福島正則墓」があります。
うっかり蛙合戦の池を撮るのを忘れていました。
情けない。
「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」小林一茶
北斎館では北斎漫画の世界展が開かれていました。 北斎館
まず映像ホールで北斎の説明、次に肉筆画を見学しました。
祭り屋台の部屋では高井鴻山が北斎に依頼した天井絵の見学です。
龍と鳳凰の二台があり、世界に大きな影響を与えた大画家北斎の素晴らしさを実感することが出来ます。
北斎の作品は教科書、雑誌、ネットなどで見たときの印象以上に素晴らしさを感ずることが出来ます。
北斎漫画は後進の画家のためのお手本集です。
この作品を見た欧米人は、日本人はいつも裸で暮らしていると勘違いしていたと書いてあった本があるのを思い出します。
中では実物の撮影が出来ません。
北斎漫画の大きく引き延ばされた壁画は撮影可能でした。
今回の企画展の北斎漫画の一つ一つは小さい絵でしたから、期待はしていませんでした。
しかし、いざ近くで見ると、あの小さな絵が生き生きと躍動しているような気がしました。
ここに来たのは二度目です。
30数年前と今回とでは、印象がまるで異なりました。年齢とともに感じ方が変わってきたのかもしれません。
他の企画展にも来てみたいと本気で思いました。
中の店舗では北斎にちなんだオリジナル商品を販売しています。
私は美人画を買いました。
追記
ディスカバージャパンの付録に北斎bookがありました。
北斎が影響を与えた、ゴッホ、ドガなどの作品も掲載されています。
今から30年以上前に、世田谷の円泉寺御住職と檀家さんの団体が、武蔵野三十三観音霊場札所の巡拝で、来られたことがあります。
一度は当寺と同じ円泉寺にお参りしたと思っており、世田谷に住む娘夫婦の家に行った帰りに参拝させて頂きました。
かなり以前にネットを始めて、地名・太子堂のいわれが円泉寺であることを知りました。
他の方が書かれているブログには、幹の間に祀られた庚申様が書かれています。
私も当然、パチリ !
先ずは御本尊・不動明王様を祀る御本堂を参拝しました。
境内南側に太子堂があります。祀られているのは、当然聖徳太子様です。弘法大師作と伝えられています。
太子堂の隣には、ブロンズ製の聖徳太子像も祀られています。
円泉寺 東京都世田谷区太子堂3丁目30−8 場所
小布施の町は北斎のお陰で、すごい人出です。
家内の希望で桜井甘精堂の栗鹿の子を買うことにしました。
他にも沢山のお店の品があるのですが、以前から家内の実家では、ここの栗鹿の子がお正月の必需品です。
家には1つのつもりが、家内に実家と娘の所も買ってきて欲しいと言われ、さらに土産に○個も買いました。
ここで買わずとも、都内にはあちこちで売っています。
昼食はここの経営する泉石亭の一茶御膳にしました。
店舗は本店の真ん前です。
かなりの順番待ちでした。
ああ、美味しかった。
素晴らしい庭園ですね。
小布施の高井鴻山記念館です。
三十数年前に来たときは、時間帯が異なりますが、もっと多くの見学者がいたように思います。
周りに沢山のお店などが建ち並び、見学者が分散されたのかもしれません。
高井家の破産、火事などがなければ、豪壮な建物、北斎などの多くの作品が残されていたのかもしれません。
東口からも出入りできます。
昭和61年に高橋克彦氏により著された「北斎殺人事件」があります。
帰った後で、改めて読み直しました。
以前この記念館に来たときは、忍者屋敷のようなカラクリを見ることが出来ました。
焼ける前の建物には、もっと凝った細工があったのかもしれません。
今でも院号居士は特別な位です。
三万円、五万円で院号居士を売る、とんでもない人や会社がある時代ではなかったのです。皆さんもだまされないようにしてください。
さて、この本のプロローグにはだまされました。
北斎作の肉筆地獄絵図が発見され、その図が見事な文章で表現されています。
北斎記念館やこの後に行った岩松院の天井画を見た後には、この作品が原色で目に浮かびます。
ここに大事な伏線がありました。このことに気がつかないなんて!
ああ情けない!
釈迦堂は、善光寺七福神の毘沙門天として知られています。
摩利支天は御本尊左側に祀られています。
釈迦堂の並びの塔頭街は、天台系の寺院が並びます。
家内の同級生の宿坊もありました。
ある友人と話していると善光寺にお参りしたことがないとのことでした。
仲間と相談の上、先週5名でお参り致しました。
かなりの高級車を出してくれる友人がいて、三列目でしたがそれほど疲れずに行くことが出来ました。
牛に引かれて善光寺
御本堂では戒壇巡りをしました。今回もここが一番印象に残った場所です。
初めて三門に上がらせていただきました。
下から眺める景色と上では、かなり印象が異なります。高所恐怖症の友人も登っています。
是非登ってみてください。
経蔵
中には八画の輪蔵があり、これを回すと一切経を全て読んだ功徳があるそうです。
私には今のところ何も無いようです。
三重塔「忠霊殿」
仁王門は正面に仁王様、裏に三面荒神、三面大黒天が祀られていました。
荒神さん、大黒さんの原型は、三重塔(忠霊殿)に祀られています。
大勧進
善光寺型六地蔵
ここのお地蔵さんは、六体並んだ左端の象が赤ちゃんを抱いています。
戦前には供出し、現在のお地蔵様は昭和29年の金銅像です。
江戸時代の一時期、善光寺中心に流行ったようです。
日本の石仏№161大久保修氏の記事によると、ここを含め31カ所確認されているそうです。
平日でありながら門前にしまっているお店が無いのがスゴイ事だと思います。
あちこちの有名寺社をお参りすると、必ず閉まっているお店があります。
ほとんど閉まっている所もあるのです。
大本願
釈迦院
善光寺七福神の内、毘沙門天をお祀りしています。link
同じ並びの宿坊です。結構の数があります。
永代供養塔での納骨、階段の上り下りや納骨中の読経の時、時々怖いと思うことがありました。
以前の階段
私以外にも参列者の方々が怖い思いをしているかもしれません。お年寄りは諦めることもあります。
かなりの出費ですが、手すりを付けることにいたしました。
これで安心しました。