2017年10月

平将門伝説の七天王塚 千葉市亥鼻

郷土博物館の次に、七天王塚のある千葉大学医学部に向かいました。
博物館の北西にある階段を降りて行けば、大学のそばに出られます。
大学も亥鼻城の跡です。
 
北斗七星の形で七カ所に塚が築かれ、牛頭天王が祀られています。
 
 
 
 
 
 
以前行ったときは、校内に入れるか心配でしたが、気軽に入ることが出来ました。
これらの塚は、古墳を利用したのではないかと思われているようです。
都内にある平将門首塚も、今よりはるかに大きな古墳でした。
 
①校内
 
イメージ 3
 
 
②校内
 
 
車の場合、一般の駐車所は校内校外共にありません。亥鼻城址から南の方にはありましたので、そのあたりから歩いて行くしかないと思います。
 
 
 
 
③校内
 
 
 
 
④校内
 
 
⑤校内
 
 
 
⑥校外
 
 
 
 
 
 
 
⑦校外
 
 
以前行ったときには、枝が切られずに伸びていました。
切ると悪いことが起きると、伝えられていたようです。
 
今の時代では、切らざるを得なかったのでしょう。
 
 
千葉大学医学部
   千葉県千葉市中央区亥鼻 1-8-1 
 
次に栄福寺に向かいました。
 

松陰神社 世田谷区若林

吉田松陰を祀る松陰神社です。

 


かなり以前、この前の通りを車で通ったのですが、寄りませんでした。


一緒に行ったAさんのお父さんは、会津若松の出身です。Aさん曰く、先祖の敵なのだそうです。
会津では天皇に恭順の姿勢を示しても受け入れてもらえず、会津戦争では多くの人が亡くなられています。
今でも郷土愛が強く、弟子達が松蔭を祀った神社には来たくなかったようです。
昭和61年、萩市が会津若松市に友好都市を申し込みましたが、拒否されました。

私も飯能市民として、気持ちが分かります。
江戸時代の現在の飯能の地域は、幕府直轄領、一橋領、田安領と旗本の領地などがありました。幕府に親近感を持つ人達がいたのだと思います。 昔の飯能link

飯能戦争では、旧幕府側に味方したい人が多かったのではないでしょうか。
渋沢栄一の養子である渋沢平九郎などの兵をかくまった農家もあったようです。

吉田松陰像
 
萩にあった松下村塾を模した建物

 

 

 

北斎天井画、一茶蛙合戦の池、福島正則墓の岩松院 長野県小布施町

高井鴻山記念館の次に岩松院に向かいました。
ここには北斎作「鳳凰図」、一茶の読んだ「蛙合戦の池」、「福島正則墓」があります。

 
 
駐車場に駐めると入口に戻り、参拝です。
立派な六地蔵さんが、お出迎えです。
 
 
大きな田舎寺の雰囲気です。
あまり新しく立派になっていないのが良いですね。
 
 
本堂に入り、まず北斎の天井画の拝観です。
以前は寝転がってみた記憶があります。
さすが北斎、この迫力は別格です。
残念ながら写真の撮影は出来ませんでした。
 
本堂裏の福島正則墓に詣でました。
不運な武将ですね。
 
 
 


うっかり蛙合戦の池を撮るのを忘れていました。
情けない。

「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」小林一茶

 

北斎館 長野県小布施町

北斎館では北斎漫画の世界展が開かれていました。 北斎館


まず映像ホールで北斎の説明、次に肉筆画を見学しました。

祭り屋台の部屋では高井鴻山が北斎に依頼した天井絵の見学です。
龍と鳳凰の二台があり、世界に大きな影響を与えた大画家北斎の素晴らしさを実感することが出来ます。


北斎の作品は教科書、雑誌、ネットなどで見たときの印象以上に素晴らしさを感ずることが出来ます。

北斎漫画は後進の画家のためのお手本集です。
この作品を見た欧米人は、日本人はいつも裸で暮らしていると勘違いしていたと書いてあった本があるのを思い出します。

中では実物の撮影が出来ません。
北斎漫画の大きく引き延ばされた壁画は撮影可能でした。

 

 

 

 

 


今回の企画展の北斎漫画の一つ一つは小さい絵でしたから、期待はしていませんでした。
しかし、いざ近くで見ると、あの小さな絵が生き生きと躍動しているような気がしました。

ここに来たのは二度目です。
30数年前と今回とでは、印象がまるで異なりました。年齢とともに感じ方が変わってきたのかもしれません。
他の企画展にも来てみたいと本気で思いました。

中の店舗では北斎にちなんだオリジナル商品を販売しています。

私は美人画を買いました。 


追記
ディスカバージャパンの付録に北斎bookがありました。


北斎が影響を与えた、ゴッホ、ドガなどの作品も掲載されています。

北斎ー富士を越えてー    あべのハルカス美術館   
 

真言宗豊山派 円泉寺 東京都世田谷区太子堂

今から30年以上前に、世田谷の円泉寺御住職と檀家さんの団体が、武蔵野三十三観音霊場札所の巡拝で、来られたことがあります。

一度は当寺と同じ円泉寺にお参りしたと思っており、世田谷に住む娘夫婦の家に行った帰りに参拝させて頂きました。

 

 

かなり以前にネットを始めて、地名・太子堂のいわれが円泉寺であることを知りました。

 

 

他の方が書かれているブログには、幹の間に祀られた庚申様が書かれています。

私も当然、パチリ !

 

 

先ずは御本尊・不動明王様を祀る御本堂を参拝しました。

 

 

境内南側に太子堂があります。祀られているのは、当然聖徳太子様です。弘法大師作と伝えられています。

 

 

 

太子堂の隣には、ブロンズ製の聖徳太子像も祀られています。

 

 

円泉寺 東京都世田谷区太子堂3丁目30−8 場所

世田谷区 円泉寺 ホームページlink

 

桜井甘精堂の栗鹿の子と泉石亭 長野県小布施町

小布施の町は北斎のお陰で、すごい人出です。
家内の希望で桜井甘精堂の栗鹿の子を買うことにしました。
他にも沢山のお店の品があるのですが、以前から家内の実家では、ここの栗鹿の子がお正月の必需品です。

桜井甘精堂本店


家には1つのつもりが、家内に実家と娘の所も買ってきて欲しいと言われ、さらに土産に○個も買いました。
ここで買わずとも、都内にはあちこちで売っています。

昼食はここの経営する泉石亭の一茶御膳にしました。
店舗は本店の真ん前です。
かなりの順番待ちでした。

 

イメージ 4

 

ああ、美味しかった。



素晴らしい庭園ですね。

 

北斎隠密説と高井鴻山記念館(小布施町)

小布施の高井鴻山記念館です。

三十数年前に来たときは、時間帯が異なりますが、もっと多くの見学者がいたように思います。
周りに沢山のお店などが建ち並び、見学者が分散されたのかもしれません。

 

高井家の破産、火事などがなければ、豪壮な建物、北斎などの多くの作品が残されていたのかもしれません。

 

東口からも出入りできます。

 

昭和61年に高橋克彦氏により著された「北斎殺人事件」があります。
帰った後で、改めて読み直しました。

以前この記念館に来たときは、忍者屋敷のようなカラクリを見ることが出来ました。
焼ける前の建物には、もっと凝った細工があったのかもしれません。

 

 
 
北斎は川村姓ですが、この本によれば北斎の生家である中島家は、幕府の御庭番の筆頭だった可能性があるようです。
養子の崎十郎はなんと!
これ以上は書きません。興味のある方は読んでください。
日本推理作家協会賞を受けています。
 
高井鴻山は多くの文人と付き合いがあり、大塩平八郎、梁川星厳、九条尚忠、佐久間象山など、幕府にとって危険人物と見なされている人達がいたのです。
 
北斎は隠密として高井鴻山に近づき、屋敷の内から探っていたわけです。
このことが事実であれば、多くの北斎作品が小布施の町に残された一番の要因かもしれません。
ここに多くの観光客が訪れているのは、高井鴻山と北斎のお陰です。
 
 
お墓は台東区にある浄土宗誓教寺にあります。北斎墓ブログ
北斎の戒名は、「南牕院奇譽北齋居士(なんそういんきよほくさいこじ)」
北斎が武家であった証拠でしょう。 戒名上座ブログ
 
ただの絵師では戒名が院号居士はあり得ないのです。


今でも院号居士は特別な位です。
三万円、五万円で院号居士を売る、とんでもない人や会社がある時代ではなかったのです。皆さんもだまされないようにしてください。

さて、この本のプロローグにはだまされました。
北斎作の肉筆地獄絵図が発見され、その図が見事な文章で表現されています。
北斎記念館やこの後に行った岩松院の天井画を見た後には、この作品が原色で目に浮かびます。

ここに大事な伏線がありました。このことに気がつかないなんて!
ああ情けない!

 

善光寺 世尊院釈迦堂の摩利支天 長野県長野市

 

釈迦堂は、善光寺七福神の毘沙門天として知られています。

摩利支天は御本尊左側に祀られています。 

 
 
 
 

釈迦堂の並びの塔頭街は、天台系の寺院が並びます。

家内の同級生の宿坊もありました。

 

善光寺参拝 ② 長野県

ある友人と話していると善光寺にお参りしたことがないとのことでした。

仲間と相談の上、先週5名でお参り致しました。
かなりの高級車を出してくれる友人がいて、三列目でしたがそれほど疲れずに行くことが出来ました。

 



牛に引かれて善光寺

 


御本堂では戒壇巡りをしました。今回もここが一番印象に残った場所です。



初めて三門に上がらせていただきました。
下から眺める景色と上では、かなり印象が異なります。高所恐怖症の友人も登っています。
是非登ってみてください。

 



経蔵


中には八画の輪蔵があり、これを回すと一切経を全て読んだ功徳があるそうです。
私には今のところ何も無いようです。

三重塔「忠霊殿」
仁王門は正面に仁王様、裏に三面荒神、三面大黒天が祀られていました。
荒神さん、大黒さんの原型は、三重塔(忠霊殿)に祀られています。

 
資料館でもあります。いつも略していましたが、次に行くときもコースに入れたいと思います。
でもまた来られるかな。


大勧進



善光寺型六地蔵

 


ここのお地蔵さんは、六体並んだ左端の象が赤ちゃんを抱いています。
戦前には供出し、現在のお地蔵様は昭和29年の金銅像です。
江戸時代の一時期、善光寺中心に流行ったようです。
日本の石仏№161大久保修氏の記事によると、ここを含め31カ所確認されているそうです。


平日でありながら門前にしまっているお店が無いのがスゴイ事だと思います。
あちこちの有名寺社をお参りすると、必ず閉まっているお店があります。
ほとんど閉まっている所もあるのです。

 


大本願



釈迦院


善光寺七福神の内、毘沙門天をお祀りしています。link

同じ並びの宿坊です。結構の数があります。

 
 
常智院はたしか家内が大学生当時の友人のお寺です。常智院link
かなり以前食べた精進料理は、上品で手が込んでいました。美味しかったですよ。お勧めです。
 
 
 
前回2010年参拝のブログ リンク

永代供養塔階段に手すりがつきました。

永代供養塔での納骨、階段の上り下りや納骨中の読経の時、時々怖いと思うことがありました。

以前の階段

 

私以外にも参列者の方々が怖い思いをしているかもしれません。お年寄りは諦めることもあります。

かなりの出費ですが、手すりを付けることにいたしました。

 

これで安心しました。

 

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