如意輪観音図
当寺には如意輪観音様の石仏はありますが、お参りできない場所にあります。また、墓地の石塔にも多く見られます。
きれいなお顔の摺仏がありましたので、購入致しました。
元々は掛軸になっていたようです。
画像を調整して、見やすいようにしたのですが、裏打ちにした紙の様子がハッキリ出てしまいましたので、スキャンした状態のままにしてあります。
如意輪観音様は六観音様の内の一尊です。各地で優れた仏像や掛軸、石仏を多く見ることが出来ます。
当寺には如意輪観音様の石仏はありますが、お参りできない場所にあります。また、墓地の石塔にも多く見られます。
きれいなお顔の摺仏がありましたので、購入致しました。
元々は掛軸になっていたようです。
画像を調整して、見やすいようにしたのですが、裏打ちにした紙の様子がハッキリ出てしまいましたので、スキャンした状態のままにしてあります。
如意輪観音様は六観音様の内の一尊です。各地で優れた仏像や掛軸、石仏を多く見ることが出来ます。
今朝、外でのお勤め中にハグロトンボ(羽黒蜻蛉)が飛んでいました。神様トンボとも言われているそうです。
終わってカメラを持ち出しました。
まあまあに撮れたのは、この2枚だけでした。
場所も悪いし、ピントも合わず、腕も悪いのピンぼけばかりでした。
飛んでいるトンボを見事に捕らえるなど、夢のまた夢です。
今日は道路に面した木々の枝を伐採しました。寺の役員さんの提案で、護持会費で対応していただくことになりました。
道路に枝が出ており、危険防止のためです。紅葉は根を切りすぎていましたので、かなり枯れ枝がありました。
朝は8時から近くの植木屋さんが3人と警備員1人の計4人でした。
抜け道になっていますので、かなりの車の量でした。
昔は桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言われておりましたが、今は桜を切った後に何かの液剤を塗り、幹を保護しています。
たしか、北海道の公園で行われたのが、国内に広がったのだと記憶しています。
警備員がいないと、外での伐採は怖いです。
しかし、指示に気がつかず、停止しないで対向車が来て慌てている車を三台見ました。
状況判断が出来ない運転手さんもいますので、警備員さんも大変です。
4時に山桜の太い枝を切りました。これでおおむね最後の作業です。
5時に作業は終了です。
道路に太い枝が落ちる心配は、ほぼ無くなりました。
後は境内の桜の木が何本か残っています。急ぐ必要がありませんので、後日改めて行うことになっています。
当寺には数種類の観音菩薩像が祀られています。その内の聖観音菩薩様です。
奈良県の薬師寺にある国宝には、とてもかないません。東京国立博物館に展示された御尊像をわずかに記憶しています。
御本堂にお祀り致しました。
おそらく江戸時代の聖観音菩薩像と思います。
素描と掛軸
聖観音画像1
聖観音掛軸2
聖観音掛軸3
得明侃山作 聖観音
他にも永代供養塔の御本尊も聖観音様です。
六観音様の中では、一番ノーマルな観音様です。
御真言 オン アロリキャ ソワカ
円泉寺仏像リンク 白衣観音リンク 板仏リンク 千手観音リンク 聖観音石像 永代供養塔link
役小角・理源大師を中心に、大峰山の諸尊を描いた曼荼羅です。
大峯曼荼羅図
役小角
理源大師
蔵王権現
不動明王
文殊菩薩
愛染明王
大日如来
後鬼 前鬼
現京都府八幡市
明治20年に新調されたことが分かります。
当寺のご本尊は、お不動さまです。阿弥陀堂にも祀られています。
初七日本尊、十二支の酉年本尊です。
幕末に御本堂は焼けていますので、それ以降の御尊像と思われます。
元々は、山形県の月山出羽湯殿山三神社(旧日月寺 通称・岩根沢三山神社) 宿坊の少貳坊に祀られていた御尊像です。
湯殿山別當日月寺少貳坊とあります。
何故、月山系なのに湯殿山とあるのか不明なので、岩根沢三山神社に行きました。伺うと少貳坊は戦前まであったそうです。
その折のブログ2です。ブログ
神社の二階に、私がお送りしたお不動様の写真が、飾ってあるそうです。
阿弥陀堂
阿弥陀堂のお不動様は、開いているときは近くでお参りできます。お堂ではコーヒーを飲みながら、時間つぶしをする人が結構います。気軽にお参りください。
ファンの多いお不動さまです。
下野の古代寺院跡の旅に、楽しみの一つは昼飯です。
1時近くになっていましたが、駐車場に車が多い所を選びました。
田舎や
帰る途中、4時過ぎでも車がありました。
きのこ汁うどんの大盛りを注文しました。
田舎うどんで腰が強く、食べ応えがあります。味も私好みでした。
混んでいるのも当然ですね。
近ければ何度でも行きたいところです。
田舎や 栃木県下野市笹原 10-5
下野国庁跡資料館は、5時過ぎでしたのでしまっていました。
資料館リンク 月火が休館日です。
栃木市田村町300 下野国庁跡資料館 地図
宮野辺神社に接しています。
発掘調査により、昭和54年に国庁跡と確認されました。
草ぼうぼうで、雨のため靴はビショビショになってしまいました。あまり訪れる人もいないのでしょうか。
復元された前殿
脇殿跡は、藤棚になっている。
この資料館は、今年4月21日に開かれたばかりですので、カーナビでは表示されません。琵琶塚古墳、摩利支天古墳を目指していくことになります。
大和政権が下野の国(ほぼ現在の栃木県)全体を支配下に置いた最初の大首長の墓(5世紀末から6世紀初頭)と言われているようです。
摩利支天塚古墳の次に造られたのが、栃木県で一番大きな古墳・琵琶塚古墳です。親子なのかもしれません。 下毛野古麻呂(不詳 – 和銅2年・710)の先祖のお墓のようです。
琵琶塚古墳のすぐ北側が、東山道と推測されているようです。PDF資料
国史跡 琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳資料館 リンク 栃木県小山市飯塚335 地図
中に入ると新しい施設だけあって、面白い展示をしています。
両古墳だけでなく、他の発掘品も展示されていました。
資料館の道を挟んで反対側が琵琶塚古墳です。
摩利支天塚古墳は、資料館の南西になります。
近くの天台宗台林寺の持ち物になっています。
摩利支天社
今でも年に一度、祭礼が行われています。
天台宗 台林寺