2015年04月

三尺藤

境内の三尺藤があと少しで満開になります。

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花房は90㎝以上のものもあり、もっと伸びそうです。

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昨年手入れをしませんでしたので、花芽がたくさんありました。勢いもあります。

通路が藤の花でふさがりそうになり、少しだけ詰めざるを得ませんでした。

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つつじもきれいに咲いています。

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つつじはまだこれからの種類が多く、当分被写体には困りません。

毎日カメラを持ち、うろついています。

織田信長の子孫-小幡藩庭園(楽山園)と七代の墓-群馬県甘楽町

織田信長の次男・信雄(のぶかつ)の時に上野国小幡(おばた)を領しました。八代・信邦の代に出羽高畠藩に国替えとなり、後に陣屋を天童に移し天童藩となった。
 
織田家の去った小幡藩は若年寄の松平忠恒が入り、明治四年に廃止されました。
 
今も武家屋敷の町並みは残されており、整備保存されいます。
 
 
 
 
 
 
 
町中を歩いていると散策している人々を見かけることが出来ます。
桜の頃に来たかったですね。
「上州福島」駅から3㎞ほどですので、手軽なハイキングコースにもなっているそうです。
大型バスも可能な駐車場があり、お車で気軽に来ることも出来ます。
「道の駅 甘楽」が近くにありますので、お買い物も楽しめます。

楽山園

小幡藩邸の庭園が「楽山園」です。町のホームページリンク
 
平成12年(2000)3月30日に国指定名勝となり、平成24年(2012)3月24日に開園しました。
 
群馬県唯一の大名庭園です。 
 
 
 
 
 
 
私がかつて行った平成5年ごろは、散策コースではありませんでした。
 
園内の凌雲亭にある写真集を見ると畑になっていたことが分かります。
 
 昭和43年
 
歴史のある庭園とは言え、まだ装いも新しく趣に欠けますが、町並みとセットでハイキングも楽しいと思います。
 
楽山園 
   群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡648-2  TEL 0274-74-4795

織田信長子孫七代の墓

小幡の町並みをさらに南に行くと臨済宗崇福寺(すうふくじ)があり、七代の墓があります。
 
 
 
崇福寺の位牌堂には
 
 
 
車を止めるならば、寺の駐車場が便利です。
 
崇福寺
   群馬県甘楽町小幡1416   リンク
 
 
明和4年には現在の山形県高畠町、さらに天童市に移って、明治を迎えました。
配下の武将は現在も天童に大勢います。
 

東学院 永代供養 群馬県甘楽町 富岡市 高崎市吉井町 藤岡市 安中市

稲荷山東学院 永代供養のご紹介 ‥ 群馬県甘楽郡甘楽町福島

 

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永代供養
 

東學院の永代供養

  • 宗旨国籍は問いません。
  • 一霊 33万円より。
  • 御本堂で拝んだ後に納骨廻向致します。
  • 葬儀、法事なども、お受け致します。

甘楽町だけでなく高崎市、富岡市、藤岡市、安中市など、その他群馬県内外の多くの方がご利用になっています。

ご気軽にお問い合わせください。

 

稲荷山東学院

織田信長の次男・信雄が、大和宇多松山藩三万石と上野国小幡二万石を賜り、当初福島の地に仮陣屋を造り(元和二年~寛永十九年)20年あまり居住しました。
その場所が東学院(東學院)との説があるそうです。
江戸初期の元和九(1623)年の法印「快印」によって開山されました。
 
福島に織田氏が在館中三代信昌が誕生したので、笹森稲荷神社を鎮守神として崇敬しました。それ以来織田氏はここに武運長久と領内安全を祈念しました。
この神社の別当を勤めたのが東学院でした 。    織田氏家臣録
山号額に「稲荷山」とあり、わずかにその歴史を物語ります。
 
東學院は残念ながら火災と無住時代が永く、また明治以降神仏分離などにより多くの物が失われ、詳しいことは分からないことが多いそうです。
 
 
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稲荷山東学院
 
 
 
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稲荷山の扁額

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笠付六地蔵石塔

 
 
真言宗智山派  稲荷山東学院(東學院)
   電話0274-74-5485
   群馬県甘楽郡甘楽町福島741-1   地図
   最寄りの駅は上信電鉄 「上州福島」駅がすぐ近くです。「高崎」駅から「上州福島」駅まで31分です。
   御本堂北側から入るのが近道です。駅から約2分。
  
 
 
※東学院をご紹介致します。円泉寺住職
 

三井曼荼羅図-弥勒仏・尊星王・黄不動・訶梨帝母・新羅明神・智証大師円珍 他

私は妙見様を約十年ほど調べています。

資料として御尊像、掛軸、お姿なども収集していますが、密教系のみがありませんでした。

この度手に入れることが出来ましたが、詳しいことは一切不明でした。

 

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妙見菩薩、智証大師、不動明王などいろいろな単語で検索してみたところ、「三井曼荼羅図」(みいまんだらず)であることが判明しました。妙見様は三井寺の尊星王像です。

「国宝 三井寺展」の図録を出して調べると、他の御尊像も全て説明がありました。図録の三井曼荼羅図で見ると左側の画像とほぼ同じです。

 

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三井寺展図像集にある三井曼荼羅図、

 

中央が金堂のご本尊・弥勒仏です。右側が上から黄不動、新羅明神、訶梨帝母(鬼子母神)。中央上から妙見尊星王、弥勒仏、僧形山王権現。左が十八社明神、三尾明神、智証大師円珍でした。

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91㎝×41㎝

 

ここからは図録で三井曼荼羅図を解説している大阪市美術館学芸員の石井知彦先生の文章を元に書かせていただきます。

黄不動は智証大師の感得像。、新羅明神は唐から帰朝する大師の船中に現れた御法神、訶梨帝母(鬼子母神)は教法の護持を誓った御法神。

尊星王は智証大師がその秘法を始めて伝え寺門独自の修法となった。三室戸寺に伝わる尊星王図像に近い。弥勒仏は金堂のご本尊。僧形山王権現は比叡山の地主神、御法神。

十八社明神は大師が勧請した伽藍守護神、三尾明神は創建時に三井寺の御法神となった地主神。智証大師(円珍)は三井寺(園城寺)を本山とする天台寺門宗の宗祖。

この曼荼羅は三井寺内に祀られる神仏を描いた三井寺諸尊集会図と言える存在とのことです。

 

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弥勒仏

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黄不動

 

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尊星王

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訶梨帝母(鬼子母神)

 

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三尾明神

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新羅明神

 

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十八社明神

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智証大師円珍(天台寺門宗の宗祖)

 

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僧形山王権現

 

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図録の山王権現1

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図録の山王権現2

 図録の曼荼羅図は「三井寺展」で見たはずなのですが、一切記憶にありませんでした。

大津市歴史博物館のサイトも役になります。   リンク

妙見信仰   リンク

図録と当寺の図像を比べるとひいき目かもしれませんが、当寺の方が優れているような気がします。

図録を拡大しても意味がありませんが。

 

※現在は修験をしている方が使用しています。

 


三峯神社(秩父市)の三井曼荼羅図

 

〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  

 

二輪草

誰が植えたのか約30年ほど前からニリンンソウが咲き出しました。今ではかなりの面積になっています。

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花に小さな虫がいました。

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約一ミリほどの羽虫です。モニターを見てやっと気がつきました。

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もう少しすると下から茎が伸びて咲き出します。

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川中美幸の唄「二輪草」もいいですね。昔は演歌なんかと思ってましたが。

他にももいろいろな植木、草花、雑草が咲いています。

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今の季節はカメラを持って、手当たり次第に写真を撮っています。

 

花びらの絨毯

境内の桜もそろそろ終わりとなりました。ソメイヨシノは若葉が日に日に大きくなり、木の下は花びらの絨毯になっています。

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山桜もかなり花びらが散っています。

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藤の花芽が大きくなっています。棚を擬木に代えるために根をかなり切ってしまいました。樹木医さんに手当をお願いしましたが心配です。

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根が順調に伸びるように祈っています。

 

 

笹森稲荷神社 群馬県甘楽郡甘楽町福島

笹森稲荷神社

織田信長の次男・信雄が、大和宇多松山藩三万石と上野国小幡二万石を賜り、当初福島の地に仮陣屋を造り(元和二年~寛永十九年)20年あまり居住しました。
福島に織田氏が在館中三代信昌が誕生したことにより、笹森稲荷神社を鎮守神として崇敬しました。それ以来織田氏はここで武運長久と領内安全を祈念しました。
この神社の別当を勤めていたのが東学院でした 。  
 
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緑豊かな広い境内は、古い歴史を感じさせます。本殿はは約100メートルの前方後円墳の上に建てられており、玄室の高さは2.5mあります。
玄室は例祭日のみ開扉しています。 リンク

 
 
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甘楽郡甘楽町福島字笹森1350  地図
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