2003年04月

大達原稲荷神社と妙見神社 埼玉県秩父市大滝

大滝には平将門公伝説が多く残っています。

大達原(おおだはら)の稲荷神社は、かつて将門八幡社といわれていました。

 

 

地図にあった妙見神社は、稲荷神社のすぐ東にあります。しかし地続きではありません。

扁額は妙見神社ではありませんでした。しかし、ここだと思います。

 

 

 

大達原の高札場は鳥居の場所から少し東にあります。

 

この後に三峯神社に向かいました。途中の荒川の景色です。

 

大達原稲荷神社と妙見神社  埼玉県秩父市大滝

 

追記  地図リンク

後でグーグルマップで調べると、妙見神社はもう少し下の社のようです。再び間違えている可能性もあります。

将門八幡社も稲荷神社の並びにあるように書かれているブログがありました。

高札場住所は秩父市大滝532番地1先です。

 

黒山三滝 埼玉県越生町

黒山三滝を始めて訪れたのは、小学校の遠足です。

その当時の記憶は殆どありませんが、何度か訪れています。

 

 

廃仏毀釈以前の黒山三滝は、修験の大事な行場でした。

平日のためか、誰一人いません。

土産物屋もあったはずですが、朽ち果てる寸前です。

 

黒山三滝 埼玉県越生町

 

弘法山 埼玉県越生町

越生七福神の弁財天札所として知られていますが、桜の名所でもあり、普段は多くの参拝者が訪れています。桜には少し時期が外れていましたので、盛りの頃は駐車場は満杯だったと思います。

今日は平日でしたので、私意外に女性二人です。札場には御住職と思われる方がお相手をしていました。

 

周りに平地が広がっており、ここがピラミッドのように小高い山となっています。

このような場所は昔から信仰の地として、奈良の三輪山のように寺院や神社が祀られています。

 

 

私が調べている妙見菩薩関連の寺です。

今はありませんが、かつては妙見寺がありました。

 

 

山頂に向かいました。

 

 

ここから町並みが見えます。木立がなければ、更に見渡すことができたでしょう。

 

 

 

うっかり諏訪神社を写すのを忘れていました。

 

次に向かった、すぐ前の見正寺では、ゲートボールを行っていました。

 

弘法山 埼玉県入間郡越生町大字成瀬287

 

追記 神奈備wikipediaリンク

 

井椋神社 埼玉県川本町

畠山重忠の菩提寺・万福寺の北側にある神社です。

 

重忠の父・重能により分祀されました。

 

 

豪雨のおり重忠にウグイスが浅瀬を教えてもらったために、ここを渡ることができたと伝えられています。

 

前方に見えるのが万福寺です。

 

追記 川本町は深谷市になりました。

井椋神社 埼玉県深谷市畠山942  地図

 

古宮神社

社殿を建てたのは長寛二年(1164)ですが、さらに古い歴史があるそうです。

池上の総鎮守でした。

古いいわれの神社でしたので、京都の吉田家より古宮神社の社号を賜りました。

 

古宮神社    地図

 

上之村神社 大雷神社 埼玉県熊谷市

応永年間の創建で、久伊豆神社といわれていたようです。

上之村神社は成田氏による庇護がありました。成田氏ウィキペディアlink

忍城に移るまで、成田氏は古くから当地・幡羅郡の土豪であったそうです。

 

 

神社の前は堤が築かれています。中には小川が流れていましたので、掘かと思いましたが、異なるようです。

館跡のように思っていました。

雷電神社は上之村神社の摂社のようです。

 

 

看板にあるように、熊谷市で一番古い鳥居です。

 

上之村神社    地図          ウィキペディアlink

登由宇気神社 埼玉県熊谷市

平将門と深い関係のあった平良文は、現在の熊谷市村岡にいました。良文は村岡五郎と称していました。

良文の住んでいた村岡については、他の場所であるとする説もありますが、渡辺綱の父・源宛(みなもとのあつる)との逸話の場所を考えると、現在の熊谷市村岡となります。

良文の子孫もここに住んでいた記録があります。

 

さて登由宇気(とようけ)神社神社です。

 

 

かつては神明社でしたが、明治になり今の名称になりました。

ここの祭礼は年四回あり、団子撒きが行われます。

 

 

境内末社・八坂神社祭礼ではたくさんの灯籠がともります。「村岡のばか灯籠」と言われています。

 

 

荒川の周りは田んぼが広がり、良文を支える豊かな荘園だったのでしょう。

 

 

登由宇気神社   埼玉県熊谷市村岡851-1

追記  渡辺綱ブログ

 

小鹿神社 埼玉県小鹿野町

①小鹿神社

小鹿野町にある小鹿神社です。私は「おがのじんじゃ」と読んでいましたが、「おかじんじゃ」「おしかじんじゃ」とも言われているようです。

看板にふりがなも入れて欲しいです。

4月の小鹿野春まつりは、400年の歴史を持つ例大祭のようです。

4基の屋台・笠鉾が神社や町内を行き交い、「小鹿野歌舞伎」が上演されます。

明治17年11月の秩父事件は吉田が始まりでした。

三千人以上の困窮した農民が吉田の椋神社に集結し蜂起しました。諏訪神社(現小鹿神社)は秩父困民党の宿営した場所です。

秩父事件ウィキペディアlink

 

小鹿神社  32  地図

 

②小鹿神社

もう一社、小鹿神社がありました。

 

分かりづらい写真ですが、参道入口の右側に安政6年に建てられた安積良斎の小鹿野碑があります。小鹿野碑

国道299号沿いにあります。

 

小鹿神社  下小鹿野  地図

 

埼玉県山西省友好記念館 神怡舘 (閉館) 埼玉県両神村

法養寺の後に、近くの神怡舘に向かいました。

ここに来て初めて知る施設です。拝観者は私以外に女性二人組だけでした。

 

埼玉県と山西省の友好記念館です。平成4年のオープンです。

 

 

両神村で一番の巨大施設なのでしょう。

中には中国から寄贈された神像や建物のモニュメントなどが展示されていました。

 

 

表の像だけ見ても、素晴らしさは理解できると思います。

 

 

中国製の土産などもありました。

 

 

鳳鳴閣で昼食をとりました。

やはりここでも客は、先ほどの女性二人と私だけです。

 

 

山西省友好記念館 神怡舘  埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2245  地図

 

追記 平成30年に閉館となりました。

 

法養寺薬師堂と両神神社 埼玉県両神村薄

左 薬師堂       右 両神神社

薬師堂と両神神社は県道37号線に面して、並んでいます。

四阿屋山 法養寺薬師堂 埼玉県秩父郡両神村薄1823  地図

 

①薬師堂

 

日本三大薬師尊だそうです。秩父十三仏霊場です。リンク

真言宗智山派の寺で、小鹿野町の十輪寺が兼務しているようです。

創建は室町時代になります。

 

本尊薬師如来のほか、十二神将などが祀られていました。

 

②両神神社

両神神社は三社あり、ここは県道に面した旧村社として地図に表示されているところです。

 

 

この地出身の丹党・須々木(薄)氏は、鎌倉時代に備前国(岡山県)に移りました。

 

岡山県の須々木氏子孫が、この碑を建立したそうです。

 

ページ上部へ