その他

渋沢栄一記念館 埼玉県深谷市

渋沢栄一の生家である「中の家(なかんち)」などを見学した後に、渋沢栄一記念館を訪ねました。

 

記念館PDFlink

 

記念館前はかなり広い駐車場が用意されています。

NHK大河ドラマ放映中は、かなりの見学者が訪れていたのでしょう。

2024年度発行予定の新一万円札には、渋沢栄一の肖像が使用される予定ですので、そのころには同じように見学者が来られると思います。

 

 

近在には渋沢栄一に関連する施設が、アチコチにあります。

 

中の資料室は撮影禁止となっています。

 

談話室には渋沢栄一のアンドロイドが「道徳経済合一説」の講義を行います。

単なる金儲けだけではダメです。経済を発展させるために、経営者として道徳を尊重すべきであると説かれたのだと思います。江戸時代の道徳を尊重し、金儲けは悪であるとの論語教育を戒めた内容でした。儒教に対する再評価を論じています。

 

内容は異なりますが、「渋沢栄一記念財団資料館だより」の一部を使用させていただきます。

渋沢栄一の中心的考え「道徳経済合一」についてです。企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならないという意味のものでした。この部分をテーマとした講演依頼が数多く寄せられていることや、渋沢栄一も人生の規範、道徳面の拠り所とした『論語』に関する出版物や、渋沢栄一の「道徳経済合一」の考えを目に見える物として世に出した一書『論語と算盤』に関する書物が多く出版されているのもその表れと思われます。
 前に示した渋沢栄一の思想ともつながるところですが、『論語』、儒教精神の再評価が見られる中で、渋沢栄一が注目されています。その要因として、中国の台頭につながる東アジアの存在感の高まりが考えられます。渋沢栄一の中心的考え「道徳経済合一」についてです。企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならないという意味のものでした。この部分をテーマとした講演依頼が数多く寄せられていることや、渋沢栄一も人生の規範、道徳面の拠り所とした『論語』に関する出版物や、渋沢栄一の「道徳経済合一」の考えを目に見える物として世に出した一書『論語と算盤』に関する書物が多く出版されているのもその表れと思われます。
 前に示した渋沢栄一の思想ともつながるところですが、『論語』、儒教精神の再評価が見られる中で、渋沢栄一が注目されています。その要因として、中国の台頭につながる東アジアの存在感の高まりが考えられます。

 

講義の後には、記念撮影が可能です。

当日受講したのは6名だけでしたが、

女性の研究員さんの説明も的確で、楽しく受講できました。

 

建物の北側では、巨大な銅像が青淵公園を眺めていました。

この場所を気がつかない人が多いようです。写真撮影をしていたのは、私を含め二人のみでした。

PDFにも記載がありません。

かつてこの像は深谷駅にありましたが、平成7年10月に記念館に移されました。

 

旧渋沢家「中の家」ブログlink

 

渋沢栄一記念館  埼玉県深谷市下手計1204 地図link

 

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」 渋沢栄一実家 埼玉県深谷市

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

渋沢栄一の生家である「中の家(なかんち)」を見学に行きました。

残念なことに工事中で、建物内の中は見ることが出来ませんでした。

 

 

渋沢家は栄一妹の貞子に須永家より婿養子にむかえました。四代目の渋沢市郎です。

 

この地域には、古い立派な家が多く残されていますが、中の家は更に立派でした。

 

平成29年に天皇皇后両陛下が訪れています。

 

庭には若き日の渋沢栄一像がありました。

2024年度発行予定の一万円札には、渋沢栄一の肖像が使用される予定です。

大河ドラマ放映中には多くの方が見学に訪れました。新札発行後も改めて多くの方々がお越しになることと思います。

 

渋沢邸は現在耐震と瓦などの葺き替え工事をしているそうです。

屋根瓦改修プロジェクトの御寄付応援のチラシが受付に置いてありましたが、昼休みのためか不在です。

他の方法で御寄付をと思いましたが、後で訪れた渋沢栄一記念館でも受け付けていましたので、僅かですが御寄付を致しました。

名前と住所を瓦に書き入れてくれるそうですが、書いていただかないことにしました。

指定文化財旧渋沢邸「中の家」屋根瓦改修プロジェクト link

 

屋敷の敷地北東側に三基の碑があります。今日の目的の一つは、この碑の確認もありました。

都内谷中にある渋沢栄一家の墓地から移された「渋沢平九郎追懐碑」です。

 渋沢平九郎自決の地ブログlink                渋沢平九郎の墓ブログlink

 

二十数年前にも訪れています。バスも止められる広い駐車場になっていました。

 

旧渋沢邸「中の家」  埼玉県深谷市血洗島247−1  地図link             

 

渋沢栄一記念館ブログlink

 

麺屋忠兵衛 煮ぼうとう店

今日の昼食は煮ほうとうです。旧渋沢邸の東隣になります。

 

ここの家主の先祖は、渋沢家の番頭だったそうです。

 

深谷市の「煮ぼうとう」は醤油味です。深谷産のネギやニンジンなどの野菜が、使用されています。

山梨などのカボチャを使用したものではありません。

 

床の間には渋沢栄一の掛軸が掛けてありました。

「天意重夕陽人間貴晩晴」(天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ)

麺屋忠兵衛で用意されている説明の一部に

「人の一生に、おろそかにしてよいという時はない  一分一秒といえども貴重な時間に相違ないが、その中でも人間は晩年がもっとも大切ではないかと思う」

「若い時に欠点があった人でも、晩年が美しければ  その人の価値は上がるものてある」

 

 

麺屋忠兵衛前の店では、焼き芋や野菜を売っていました。奥に見える古い建物が「中の家」の土蔵です。

犬と散歩をしていた奥様方が、焼き芋を絶賛していました。

 

 

焼き芋を帰ってから食べようと思いましたが、帰宅後も満腹状態でした。

夕食のこともあります。仕方がなくお客さんが来られましたので、差し上げてしまいました。

 

血洗島諏訪神社ブログlink

 

飛騨髙山 秋祭り布袋台 版画掛軸

『布袋台』は秋の高山祭で唯一からくりが保存されている屋台です。

珍しい版画の掛軸を手に入れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

布袋が前に繰り出し、男女の唐子が動き回ります。

 

 

「高山祭の屋台行事」はユネスコ無形文化遺産に登録されています。

 

高山屋台保存会ホームページ布袋 link 

 

 

 

遠くから見たメッツァビレッジ・ムーミンパークバレーの花火

昨夜19時40分より20時まで、メッツァで花火大会がありました。

直線距離で700メートルの場所での撮影です。

 

うまく写っていませんね。

 

 

以前見せて頂いた方の写真は三脚を使用して、設定も的確でしたので、とてもきれいでした。

私のは手持ちで設定もオートですので、ボケぼけも多く面白みもありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トリミングなどをすれば、少しはましなのかも知れませんが、そのまま縮小しています。

 

ムーミンパーク・メッツァビレッジ ホームページ

メッツァビレッジ  埼玉県飯能市宮沢327−6 地図link

 

四季の菓子工房シャロン CHALON のケーキ 埼玉県日高市

以前いただいたケーキが美味しかったので、自前で買いに来ました。

知人二人へのプレゼントです。

 

 

本日の目的は期間限定『まるごとピーチ姫』です。

しかし、午前11時に行くと、ピーチ姫は売り切れでした。

店員さんに聞くと、9時オープン前から店舗前に並んでいて、たちどころに売れてしまうのだそうです。

 

 

仕方がなく、知人二人のために他のケーキを求めることにしました。

私には一点のみを買いました。ショートケーキです。程よい甘さで、クリームたっぷりの上品な味です。

家族には焼き菓子を買いました。

 

知人の一人は、シャロンを知っていたようで、家族が食べたいものの取り合いだったと話していました。

さぞかし美味しかったのでしょう。

 

私が駐車場に駐めると、他に一台でしでしたが、出るときは6台に増えていました。

夏休みですから、お子さん連れも二組います。

人気があるのでしょう。

 

 

品数が多く、子供達はどれにしようか皆迷っています。

気がつくと私以外に客は女性ばかりでした。

 

 

お店の右手には、焼き菓子が並んでいます。

 

 

どれを買うか迷います。

他のお客さんも時間をかけて選んでいました。

 

四季の菓子工房 シャロン  埼玉県日高市高麗川1丁目7−8  地図link
 

キュウリの蛇

石屋の店員さんが、キュウリを持って来ました。

なんと蛇の形をしています。

 

 

社長が目を入れて、弁天様の前に飾りました。

 

 

まさに宇賀神です。

阿弥陀堂に祀っています。

 

もうしばらくは保つでしょう。

 

西行立姿図 宗理(北斎)作 巧芸品 北斎の美術館 墓 など

西行立姿図

北斎が宗理を名乗っていた寛政7年(1795)から同9年の作品のです。

北斎と名乗る前の名前になります。

あくまでも巧芸品です。

 

 

脱俗の飄々とした西行に共感を覚えて描かれたようです。

 

 

名を30回、住まいを90回代えるなど、奇行に飛んだ一生でした。

子孫は現在までつづいています。 北斎の裔PDFリンク

 

長野県小布施町

北斎館・高井鴻山記念館・岩松院巡りをお勧めします。

 

北斎館

 

北斎館ブログlink

 

 

すみだ北斎美術館  東京都墨田区

美術館は斬新なデザインです。北斎生誕の地は園児達が立っている位置近くだったようです。

 

 

みすだ北斎美術館ブログlink

 

 

北斎の信仰した柳嶋妙見山法性寺

 

墨田区業平5丁目

 

 

北斎の墓

お墓は元浅草の誓教寺にあります。

 

 

戒名は南牕院奇誉北斎居士でした。

当時江戸において院号居士の戒名は、武士階級以外には付けられませんでしたので、武家であったようです。

 

北斎墓ブログlink

 

 

神武天皇画

八紘一宇と書かれていますので、戦前の神武天皇の絵であることに間違いありません。

かつては表装されていたのでしょうが、マクリのままです。

 

 

作者は柳子とありますが、詳細は不明です。

しかし、力のあった画家であることは間違いないと思います。

 

 

 

弓の上には、光り輝く金鵄(金色の鳶)が止まっています。

金鵄は日本書紀に書かれています。同じ場面でも古事記では、八咫烏となっています。

 

 

 

今の平和な日本が、何時までも続くことを願っています。

しかし世界の情勢を見るに、隣国やウクライナのことを思うと、不安が増すばかりです。

 

※この掛軸は、ある神職の方に譲りました。

 

 

尾形光琳筆 太公望図屏風色紙

1986年に国立博物館で開催された、昭和天皇御在位60年日本美術名宝展の太公望色紙です。

 

 

高校で習った太公望のことを思い出します。

後に周の文(ぶん)王となった西伯昌が呂尚(太公望)を見いだし、軍師に迎えました。

周の国の発展に寄与しています。

 

いろいろな逸話が残されていますが、この図は有名な釣り糸を垂れている図です。

 

 

墓じまい 引き墓

近頃は墓地の申込みが一気に減りました。

永代供養墓が多くの寺院に出来ましたので、永代供養申込みは僅かですが減っています。

 

更にコロナの流行のため、葬儀に対する考え方も大きく変化してきました。一日葬どころか火葬のみが増えています。

子供がいない、子供は娘ばかり、子供が結婚しなかったなど、引き墓・墓じまいを急ぐ家が増えています。

 

当寺の墓じまいです。

 

 

娘ばかりだけですので、お骨と土の一部は永代供養塔におさめています。

 

かつて某市の個人墓から当寺に引き墓がありました。

菩提寺が無い状態でしたので、私が拝みに出かけています。

 

 

この家は当寺に墓地を求めましたが、引き墓・墓じまい後は永代供養にする方が、ほとんどになっています。

 

遠方の某霊園です。

 

 

この家は他の霊園に移りました。

 

市内ではありますが、もう少しで秩父となります。

 

 

途中清水が湧いたり、雑草ばかりの道を数百メートルも歩くため、本格的な法衣は着ないで良いことになりました。

 

このように引き墓・墓じまいをする家は良いのですが、意識の違いか墓参りに行かないだけでなく、使用者が行方不明の家も当寺もふくめて各地で増えています。

以前行った山中の墓は、何件も放置されているのが明らかでした。倒れたり埋もれています。離れた場所にあるお寺は以前から廃寺となっているようそうです。

先祖捨て、親捨て、子供捨てです。

それならば3万円でお骨を遠方に送るのが良いかと言えば、これも親捨て・連れ添い捨てでしかありません。

 

たとえ実家が遠方で、自分の家には墓がなくとも、子供を墓参りに連れて行くことや、葬儀・御法事を経験さるべきだと思います。

父が亡くなり自分の家の墓が分からない長男がいました。伯父さん達が呆れていました。

 

 

もっと酷いのは、どこの寺が菩提寺であるか忘れてしまった跡取りもいます。

通夜に私が来ていないので親戚が聞くと、どこの寺だか分からないので、葬儀社に依頼したと話していたそうです。

他宗旨の僧侶には通夜は俗名で行ってもらい、翌日の葬儀は私が行きました。

 

 

しかし、寺院・霊園・葬儀社にとって厳しい時代がやってきました。

廃寺が増えています。

 

永代供養塔link

 

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