その他

日本橋榮太樓と埼玉の丸広百貨店は 創業者が飯能市出身です。

榮太樓の飴を頂きました。

子供の頃からなじんでいた飴でしたが、近頃は見た記憶がありません。

ネットで日本橋榮太樓を調べてみると、地元の丸広百貨店飯能店で売っているとありましが、売り場で聞くと今は扱っていないとのことでした。

 

日本橋榮太樓

 

飴以外を知りませんでしたが、ホームページを見て歴史のある和菓子屋さんであることを知りました。

「文政元年、それまで埼玉県飯能で菓子商をしていた細田徳兵衛が、2人の孫を連れて江戸に出府。現在まで続く和菓子業の礎となる「井筒屋」を九段坂に構えました。
時代は下り、徳兵衛の曾孫にあたる3代目細田安兵衛(幼名栄太郎)が日本橋の袂に屋台を開きます。 」とありました。

金鍔(きんつば)で有名になったのだそうです。

現在の飯能は古くからの菓子店が多くありました。そこで修行した方々も多くいるようです。なかには飯能から川越に出て修行し、他の市で開業したと話していた方もいたように思います。

 

後北条氏の家臣・横地監物が八王子城から逃れ、現在の飯能市永田に土着し細田を名乗りました。

永田には子孫と思われる方が、約290人、下川崎には約160人、他の地区にもいます。

埼玉県には、約7,800人 いるそうです。

 

都内ですが、私の従兄弟に「細田」がいます。叔父が飯能市の出身です。

少しは縁に繋がるのかも知れません。

 

榮太樓總本鋪  東京都中央区日本橋1丁目2−5  地図link

ホームページ 榮太樓「200年の歴史を見る」 link

 

丸広百貨店飯能店

があります。

私は以前から丸広が飯能を創業地であることを知っていました。

現在の飯能店は東飯能駅にありますが、かつては飯能駅近くにありました。

二店舗で営業していましたが、飯能駅前を閉めて東飯能駅のみになると、近くの商店街店舗は多くが立ちゆかなくなってしまいました。さらにコロナが追い打ちをかけてしまったのです。

道路への駐車禁止も影響が多かったと思います。

 

丸広百貨店飯能店ウィキペディアlink         丸広百貨店ウィキペディアlink

 

大蔵神社 埼玉県嵐山町

大蔵館跡の一角にあるのが、大蔵神社です。入口は土塁の後であることが分かります。

 

神社は図の左下になります。

 

 

 

「大蔵館は、源寺の棟梁六条判官源為義の次子・東宮帯刀先生源の義賢の居館で、都幾川をのぞむ大地上にあった。現存する遺構から推定すると、館の規模は、東西170メートル・南北200メートル余りであったと思われる。館のあった名残か、館跡のある地名は、御所ヶ谷戸及び堀之内とよばれる。現存遺構としては、土塁・空堀などがあり、ことに東面100メートル地点の竹林内(大澤知助氏宅)」には、土塁の残存がはっきり認められる。また、かつては高見櫓の跡もあった。なお、館跡地内には、殿城山稲荷と大蔵神社がある。源義賢は、当地を拠点として武蔵を高めたが、久寿二年(1155年)八月十六日、源義朝の長子である甥の悪源太義平に討たれた。義賢の次子で、当時二歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斉藤別当実盛により木曽の中原兼遠に預けられた。これが、後の朝日将軍木曽義仲である」

源義賢ウィキペディアlink      木曽義仲(源義仲) ウィキペディアlink

 

新編武蔵野風土記によれば、大蔵神社は安養寺が別当で、山王社であったことが分かります。

「埼玉県の神社」によると日吉山王権現と思われる僧形の立像が奉安されているとあります。

 

八坂神社

 

神楽殿

 

東側の鳥居には大蔵稲荷大明神とありました。大蔵神社と稲荷神社が合祀されているようです。

 

冨士浅間神社と山王大明神

 

次に大蔵神社の別当であった安養寺に向かいました。安養寺ブログlink

 

大蔵神社  埼玉県比企郡嵐山町大蔵522 地図link

 

杉山六万坂の石仏群 埼玉県嵐山町

地蔵菩薩、馬頭観音、庚申塔など、15体の石仏と大乗妙典供養塔が集められていました。

地蔵菩薩が一番新しく、古い庚申塔は貞享2年(1685年)でした。

 

 

地蔵菩薩

 

馬頭観音

 

 

庚申塔

 

庚申塔

 

優れた彫刻の石仏群でした。

 

 更に100メートル東に向かうと、庚申塔と馬頭観音板碑が祀られています。

杉山は庚申信仰が盛んであったことが分かります。

 

杉山六万坂の石仏群  埼玉県比企郡嵐山町杉山 地図link

 

慈覚大師円仁ゆかりの腰掛石と独鈷水御堂 栃木市岩舟町小野寺

慈覚大師円仁は第三代延暦寺座主です。

壬生氏の子として誕生しましたが、生まれたのは岩舟町と佐野市・壬生町の三ヶ所の説があります。

独鈷堂は岩舟町小野寺にあります。

 

 

腰掛石

案内板がありましたが、ここには駐車場がありませんので、空き地に駐めさせていただき歩くことにしました。

道路は小さな車しか通れません。

しかし、地元の車と思われる軽自動車が出てきました。

 

 

円仁は9歳で近くの大慈寺のにて修行を始めました。

伝承では、その当時か塔から帰国後に巡錫のおり座禅を組んだと伝えられているようです。

さらに独鈷水御堂に向かいました。

 

独鈷水御堂

奥まった場所を左に折れると独鈷水御堂に至ります。

 

 

干ばつで農作業が出来ずに困っていた人々のために、円仁が獨鈷杖で地面を突くと水が湧き出したの伝承があります。

 

 

独鈷水の井戸

 

 

こちらは「獨鈷水御堂 一隅照豊庵」です。

ここの独鈷水御堂と腰掛石を整備している「今野豊」さんの庵です。

 

ここでは座禅と写経を定期的に行っているそうです。

 

この場所でしたら駐車が可能だそうですが、途中すれ違い出来ない狭い道が多く、注意する必要があります。

責任は持てません。

 

独鈷水御堂 栃木市岩舟町小野寺 地図link

真性院と宝篋印塔 栃木市岩舟町小野寺

真性院は近くの大慈寺の末寺であるか、廃寺のため地域の方々により維持されてきたのかは分かりません。

しかし、先ほど訪れた小野小町の墓と同じく、須藤氏が下の宝篋印塔の覆い屋は整備しています。

 

中心にある宝篋印塔の中に経筒が納められていました。

経筒に納められていたのは、宝篋印陀羅尼一千巻でしたが、残されていなかったようです。

 

経筒には享保十三年(1729年)に歓應と常心の僧侶、5名の個人名が彫られています。

 

 

 

 

この後に円仁ゆかりの独鈷水に向かいました。

 

真性院  栃木市岩舟町小野寺 地図link

小野小町の墓 栃木市岩舟町小野寺

大慈寺と村檜神社の近くに「小野小町の墓」(伝説)と伝わる墓があります。小野小町が身投げをしたと伝わる伝承があり、近くに身投堂の地名もあるようです。

地名が小野寺ですので、他の女性の言い伝えと結びついたのかも知れません。

50m先ですが、ここからは車では行けません。

 

思ったよりきれいに整備されていました。碑文に記された須藤氏の尽力によるものです。

ネットで昔の写真を見ると、草に埋もれていました。

 

自然石に「小町墓」とあります。

 

明和の頃の古文書にも記されています。

 

日本各地に小野小町の墓と伝わる所が残されていますが、同様にに出身地と伝わる場所も数多くあります。

小野小町ウィキペディアlink

 

小野小町の墓(伝説)  栃木県栃木市岩舟町小野寺2330-1 地図link

 

磯山弁財天 出流原弁天池 淵龍寺 栃木県佐野市

 

佐野市の磯山弁財天は北関東自動車道・出流原スマートICから降りることが出来ますので、大変便利になっています。

弁財天と出流原弁天池は豊かな水の恵みをもたらしています。

 

磯山弁財天

 

そばの駐車場から参道へ向かいました。

 

よく紹介される門です。

 

門を過ぎると弁財天の御本堂が見えます。

 

銭洗い弁天ですが、柄杓がありませんでした。

 

階段を登り御本堂に至ります。

お賽銭も多めにし、弁天様に手を合わせました。

 

ここから前方の田畑がひろがっていることが分かります。

 

磯山弁財天の御朱印は、一乃館でお願いすることになります。

 

磯山弁財天  栃木県佐野市出流原町1117  地図link

 

出流原弁財天池

弁天池に向かいました。

湧釜神社を参拝し、西に向かうと弁天池となります。

 

 

池の周りには湧釜神社ののぼりが建てられていました。

寺と神社は別々な法人のようです。

神社の御朱印は「まちの情報コーナー」で受け付けていました。

 

フィッシングフラワーパーク

池にはボートがありました。藤の花がきれいです。

 

釣り堀は、かなりの広さがありますが、本日のお客さんはいないようです。

 

近くの豆腐屋さんで、豆腐のソフトクリームを食べました。

 

曹洞宗 淵龍寺

磯山弁財天の別当が淵龍寺です。本堂脇の建物は西根公民館となっていました。

御住職は他の寺にいるようです。

 

観音堂には如意輪観音が祀られています。

 

淵龍寺 栃木県佐野市出流原町1512 地図link

 

境内の草花など

境内の草花が、あちこちに咲いています。

写真を撮るのも楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

本日は境内の天神社において、月次祭が行われました。平松天神社link

桜が満開です。

 

2023/04/03

山桜が咲き出しました。

画像上部が山桜です。

 

もう少しでツツジも咲き出しそうでした。

 

フラーレン イアリング ・ネックレスなど 石の匠工房 埼玉県飯能市

境内阿弥陀堂の石屋さん『石の匠工房』で、社長さんが毎日のようにフラーレンを作っています。

人気のあるのがイアリングとネックレスに仕立てた製品です。

 

大きいのから小さいサイズまで、種類も色々あります。

 

 

先日は二人の女性が、小さなフラーレンをイアリングにしていただき喜んでいました。

 

よく細々としたものを作れるなあと感心します。

 

他の扱い業者より、かなり低価格のようです。

 

 

他にもブレスレットなどもございます。

 

 

興味のある方は、ぜひご来店ください。

 

社長が阿弥陀堂にいるのは、日曜日と火水曜日のみです。

 石の匠工房 埼玉県飯能市平松376番地 円泉寺内 042-978-7703 地図link

 

 

匠工房 埼玉県飯能市新町8 地図link

源義光より豊原時秋に笙の秘曲「大食調入詞」伝授の図

 

『古今著聞集』第6巻-255にある源義光による豊原時秋に笙の秘曲を伝授する場面です。

義光は新羅三郎の名で知られています。

 

 

前九年・後三年の役に義光は兄・義家の救援に赴きました。

豊原時秋が「大食調入詞」(だいじきちょうにゅうじきちょう)を父から伝授されていなかったったために、義光のあとについて行き秘曲を足柄山において伝授されたとされたとされます。

豊原氏は代々楽家として知られ、時秋は祖父・父・などと共に笙の大家として知られています。

 

 

源義光ウィキペディアlink     豊原時秋ウィキペディアlink

 

 

ウィキペディアを読むと豊原時元であり、曲の伝授ではなく名器「交丸」を返したとされています。

場所も逢坂関であったようです。

 

この図を書いたのは「紫峯」とありますが、榊原紫峰ではなさそうです。

 

「太食調調子」ユーチューブlink

 

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