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匠工房が看板を作りました 『整体 ぐっど楽』マッサージ 埼玉県飯能市

匠工房の社長が、時々通っている整体があります。通っているお客さんは、口コミで来ている方が、ほとんどだそうです。

社長は他の整体に通っていましたが、今は「ぐっと楽」のみになています。

 

 

看板を依頼され、匠工房が製作しました。

 

 

この板は、私が持っていました。

この板と角材を利用して台を作るつもりでしたが、諦めて社長にプレゼントしました。

 

 

思った以上の物になり、私も喜んでいます。

 

「ぐっど楽」整体  マッサージ  カイロプラクティック  東飯能駅付近  

  電話  042-978-5637  電話予約

 

円泉寺阿弥陀堂内「匠工房」

小さなお仏壇、仏具、位牌、念珠、線香、パワーストーン・天然石を発売中です。

TEL: 042-978-7703    FAX: 042-972-8862

 

←布袋画の掛軸 景信作               彼岸の入り→

福寿海 草繋全弘師書

当寺は真言宗智山派ですが、他の智山派寺院にも何カ所か草繋全弘師の書を見たことがあります。

草繋全弘師は高野山真言宗の宗務総長でした。

 

この「福寿海」の書は、観音経の「福聚海無量」から出ています。 聚を寿に変えて書かれることが多くあります。

福徳の集まることが海のように広大であるということ。観世音菩薩の恵みが広大であることをたたえた語(三省堂 大辞林)

 

 

 

草繋全弘師は厳しい方でしたが人徳があり、多くの方に慕われたと聞いています。昭和44年に63歳で無くなられました。

 

←虚空蔵菩薩像 肉筆白描 岩崎信盈の模写               布袋の掛軸 景信作→

遠頼の画像

遠頼(よりとお)は、歴史上知られた人が何人もいます。

右脇にマスクがありますので、写経が終わりったところのようです。

 

 

にこやかなお顔をしていますので、満足する写経が書けたのでしょう。

 

 

藤原信實の絵を元に描かれた写しのようです。 藤原信實 wikipediaリンク

これを写した画家も、優れた力量の方だったと思います。

 

←聖観音と空也上人の掛軸          ホオズキのスケルトン→

 

楠木正成 桜井の別れ 斉藤弓弦作

斉藤弓弦作の「桜井の別れ」です。

太平記にある有名な話しです。足利尊氏との決戦前、桜井の駅にて楠木正成(まさしげ)と息子の正行(まさつら)の別れが描かれています。

別れの後、正成は足利尊氏軍と湊川で戦い戦死しました。勝算のない覚悟の戦いでした。楠木正成 wikipedia リンク               楠木正行 wikipediaリンク

戦前であれば、国語や修身の本には、必ず掲載されていたそうです。

私は戦後の生まれでしたが、「月刊歴史読本」を時折購読していましたので、少しは知っていました。桜井の別れ ウィキペディア リンク

 

 

今から45年程前に京都から大阪の寺院詣でに向かう途中、「桜井の駅跡」の案内板がありました。桜井の駅ウィキペディア リンク

桜井の駅ですから、てっきり奈良県の桜井にあると思っていたのが、恥ずかしく思い出されます。

その時、寄らずに行ってしまったのが、今では残念でしかありません。

桜井の駅跡  大阪府三島郡島本町桜井1丁目3  地図

 

 

斉藤弓弦の作品は、上品な顔立ちの人物像が多く見られます。

厳しい戦いを迎える前に、正行に対する深い愛情を感じさせます。

 

 

作者の斉藤弓弦は、宮城県で明治14年生まれ、本名は亀治。小堀鞆音門下となりました。得意画は人物です。

東京淀橋区に住みました。文展・帝展で活躍し、戦後は郷里の丸森町に帰り、創作に励んだそうです。

昭和49年に94才で亡くなられました。

 

←序の舞 上村松園作復刻版               永代供養塔の観音様

序の舞 上村松園作復刻版

有名な上村松園が描いた「序の舞」(重要文化財)の復刻版です。

かつて映画やテレビで、松園の一生が取り上げられました。

映画は見ていませんが、テレビ放送はわずかに記憶しています。

 

あの時以来、「序の舞」の巧芸品を手に入れたいと思っていましたが、とてもとても手に入れられるような金額ではありませんでした。

 

上村松園 wikipediaリンク

 

この掛け軸は以前に1500部も作られていました。それだけ人気のある作品だったわけです。

これが数百では、ますます手に入らなかったと思います。

 

日本の建物に床の間がなくなったのが、安く手に入れられた要因の一つでしょう。

 

檀家さんが、御本堂に掛けたこの掛軸を見て、一生懸命撮影をしていました。フルサイズで単眼の高級機です。

私には、とても買えません。

 

←寒山拾得拓本の掛軸                桜井の別れ 斉藤弓弦作

 

寒山拾得拓本の掛軸

たしか高校生の頃、森鴎外の小説を読んだ記憶があります。

また、京都のどこかの寺?で、墨絵の掛け軸を見たことがありました。二人とも前を見ていたと思います。

かなり以前に求めた掛軸です。よく知られるこの拓本は、記憶にある絵とはマッタク異なっています。

 

 

唐代の寒山寺に伝わる二人には、いろいろな伝承が残されています。寒山拾得wikipediaリンク

普賢文殊の化身と言われているですが、後世多くの禅僧に注目されました。

 

 

多くの人が寒山拾得図を描いていますが、良い作品は高価すぎて私には無理そうです。

 

東京都青梅市の寒山寺は「澤乃井」「ままごとや」の一角のような施設(寺)ですが、階段上部右脇に寒山拾得の姿が彫られた碑が建てられています。リンク

おそらく、この図を写したものと思います。約5年前の写真です。

 

青梅市 寒山寺

 

 

澤乃井から吊り橋を渡り、対岸に寒山寺が在ります。

「澤乃井ままごとや」には、かつて家内と時折食事に行きました。好きな場所です。近くの澤乃井・櫛かんざし美術館は面白い施設です。

 

←日射病で救急車で緊急搬送               序の舞 上村松園作復刻版

 

日射病のため救急車で緊急搬送

先日の朝4時45分に急に胃が痛くなりました。

歩くことができず、家族に119番を依頼し、緊急医療センター搬送となりました。

家族が保険証など、私が通院している病院へ持っていく袋を忘れずに手に持っていました。

 

 

二階から降りられませんでしたので、救急隊員が降ろしてくれました。

救急車に搬送され病院に着くと、レントゲン、脈拍、血圧、体温などを検査です。

普段の脈拍から10低く、血圧は上下とも20も低くなっています。

 

すぐに点滴も行われます。

途中嘔吐すると、急に楽になりました。

 

以前のように入院と思っていましたので、着替えは用意しませんでした。

来たときのパジャマを着ましたが、汗ビッショリでした。あんなに汗でぬれたのは初めてです。

手続きが終わり、戻ったのが午前8時半です。

 

家内が担当者に聞いた話では、軽い日射病だったのだろうと話していました。

お盆中に無理をしていたようです。

 

70歳一歩前ですので、もっと気を使わねばいけなかったと思います。特に夜の冷房は必要と思いました。

昨日あたりから、いつもとそれほど変わらない体調となりました。

 

多くの方々にご心配をお掛けしました。皆さんも、この異常気象ですので気をつけてください。

 

←小さな猫の七福神               寒山拾得拓本の掛軸

 

「無 良寛禅師」 又野龍也作

又野龍也画伯の作品です。

テレビアニメの日本昔話で知られています。画像検索リンク

以前は子供と一緒に、テレビで見ていました。

 

隣の日高市在住で、たしか私の住む飯能市にある丸広百貨店で、個展を見た記憶があります。他の場所だったかも知れません。

 

 

煩悩ばかりの私には、良寛さんのような「無」は無理です。

余計なことばかりを考えて、70歳近くになってしまいました。

 

 

平成8年の作品です。

 

 

この作品は、お世話になっている方へのプレゼントにしました。

もうしばらくすると私の手元を離れます。

 

追記

私が時々行く日高市の画材屋さん「銀河堂」には、又野龍也画伯の絵画教室案内が張られています。きっと額や画材などは、ここで求めているのではないかと思います。

この額には、ガラスでなくアクリルが使用されています。

私もここで額を求めるときには、有料ですがガラスからアクリルに変更しています。割れる心配が無く、安全です。

 

←ハグロトンボ               犬山 寂光院 恵比須と弁財天のこけし 愛知県犬山市

 

カナブンとヤマトタマムシ

カナブン

昨日朝のお勤めのおり脇を見ると、妙見堂の樫の木にカナブン(コガネムシの一種)が、樹液を吸っていました。

戻ってネットで調べると、カナブンは害虫ではないと書かれていました。

 

 

しかし、一緒にスズメバチも樹液を吸っています。

近くには、もう一匹います。

 

 

ただひたすら樹液を吸っていました。

もっと近くで撮影したかったのですが、君子危うきに近寄らずです。

私は君子ではありませんが、スズメバチの被害で入院した檀家さんもいます。

 

ヤマトタマムシ

しばらくすると地面に黄金虫が、仰向けになっていました。

木に穴を開ける害虫です。

蟻がたかっていましたので、うつ伏せにしましたが、飛ぼうとしません。体力が無くなっているのでしょう。

 

 

とりあえず近くの植木に移しました。徐々に登っていきました。

 

 

 

しばらくすると、いなくなっていました。

飛んでいったとは思われません。もう寿命なのでしょう。

 

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釋道本憲壽の書 和合楽 良藥苦於口

江戸期に御本山智積院に40年間在住していた僧侶です。

信州で生まれ9歳で出家しました。信州の智山系の寺院だったのかは分かりません。江戸時代は仏教総合大学のような寺院であった京都智積院に入りました。

この当時の智積院は超優秀な僧侶が学ぶ寺院で、真言宗以外の僧侶も大勢学んでいました。

多い時期は3000人も学んでいたそうです。智積院ホームページlink

 

法名は憲壽、字は虎溪、法号は道本、号を安忍子・不可得・楽々庵などと称していました。

後に京都の六波羅蜜寺、10年間佐渡の蓮華峰寺、江戸浅草・石清水八幡宮別当大護院住職となりました。

江戸では他宗旨の僧侶とも広く交流していたそうです。

安政4年(1857)8月に亡くなり、享年91歳でした。

 

和合楽

歌舞伎や浄瑠璃の外題にあるそうです。

「わごうらく」と読みますが、意味は分かりません。「夫婦和合して楽来る」夫婦仲良くでしょう。

 

 

 

良薬於苦口

良薬は口に苦しです。出典は『孔子家語』です。「孔子曰、良藥苦於口、而利於病。忠言逆於耳、而利於行」

私に対する、戒めの言葉です。

 

 

虎溪道本、印は憲壽道本とあります。

 

大護院は廃仏毀釈によりありません。浅草・石清水八幡宮は蔵前神社となっています。

本寺は御室御所仁和寺でしたが、関東では実質的に新義真言宗系(現在の智山派・豊山派・新義真言宗)の僧侶が住職をしている寺院が多くありました。

 

追記 2020/07/21

岡谷市の正光寺ホームページに釈道本の記載がありました。

「当山第十九世法印憲快は、憲寿と法兄弟の間柄であったので、当山は憲寿の書蹟を多数伝存する。」とあります。

     照光寺ホームページlink

前照光寺御住職・宮坂宥勝師は、真言宗智山派管長・総本山智積院化主でした。

 

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