2019年05月

畠山氏の勧請した井椋神社 深谷市畠山

天治2(1125)年に畠山重忠の父・重能が畠山庄司となり移り住み、祖父の重綱が秩父郡吉田郷芦田村の椋神社をここに勧請しました。

後に井椋神社に改称しました。

満福寺の東脇が参道になっています。もともとは一体の敷地でした。

 

廃仏毀釈までは、満福寺が別当でした。

 

蚕影神社

 

井椋神社 埼玉県深谷市畠山942 場所

畠山重忠菩提寺 満福寺

畠山重忠菩提寺の満福寺です。

畠山重忠公史跡公園にある重忠公の墓は、江戸時代ここに移され、明治に畠山氏の館跡だった元の場所に戻されました。

 

格式を感じる立派な御本堂です。御本尊はお不動様のようです。

重忠公・実山宗真大居士位牌も祀られています。

 

観音堂と御本堂

 

観音堂には、重忠公の守り本尊・千手観音像が祀られています。

 

観音堂右脇には重忠廟がありました。かなり以前お参りに来たときは、外柵がなかったように思います。横並びでした。

重忠廟石塔

梵字キリーク(阿弥陀如来)の板碑

立派な宝鏡院塔の後ろに重忠廟の石塔があります。

 

 

 

馬頭尊、金比羅大権現、畜霊之碑などが並びます。

 

馬頭尊の後ろには、荒神様、如意輪観音様の石仏がありました。

 

 

畠山重忠墓 埼玉県深谷市

かなり以前にここに来ました。また今から8年ほど前にも訪れています。

三度目の参拝になると思います。

 

一ノ谷の戦いでの「鵯越の逆落とし」で、よく知られる愛馬三日月を背負って降りる像です。

 

駐車場から少し歩くと五輪塔が六基あります。

初めて行ったときは、小屋がなかったと思います。記憶定かではありませんが。

 

この地に館があり、北条氏に卑怯な手で討たれた後に、五輪塔が建てられたことが書かれています。

中央が重忠の五輪塔のようです。

一時、近くの畠山氏の菩提寺・満福時に移されたこともあるそうですが、再びここに祀られました。

 

重忠の百年忌に建立された板碑だそうです。キリーク(阿弥陀如来)の梵字が彫られています。

 

重忠産湯の井戸だそうです

この後、畠山氏菩提寺・万福寺に向かいました。

バラ園 ル・ジャルダン・サクレ 埼玉県熊谷市押切

先日、めぬま道の駅のバラ園に行きましたが、今回は同じ熊谷市でも旧江南地区にあります。

ここはマッタク知らない場所でした。

ルジャルダンサクレ 埼玉県熊谷市押切2409−1 地図

ここで入場料を払います。飲み物代も含まれています。

 

マクロレンズも持ってくれば良かったと思いました。

 

何本か紫の房をつけたスモークツリーがありました。時折消毒しないと行けないようです。

 

ほとんどが女性客でした。男性は3人だけです。

 

一人の女性は、Canonのフルサイズで撮影していました。

 

私はホットコーヒーを飲みました。

いつもなら紅茶が多いのですが、近頃はコーヒーを飲むことが増えました。

 

店長さんに色々質問している人がいます。

気軽に的確な返事をしているようでした。バラを栽培している人が多く来ているのでしょう。

秋にも開くのだそうです。

ホームページを確認してください。

真言宗智山派 埼玉第十一教区のホームページ ご紹介

 

京都市の総本山智積院を中心とする、真言宗智山派3000ヶ寺の内、埼玉県は12の教区に分かれています。

埼玉第十一教区は飯能市・日高市・狭山市(一部)・入間市の寺院で構成されています。

当寺は寺籍29番です。

 

教区のホームページをご紹介いたします。

バナーをクリックしてください。

link

 

お問い合わせは、各寺院にお願い致します。

弁財天の絵銭

江戸時代の二種類の弁財天絵銭です。

左が面、右が裏です。

弁財天絵銭1

 

弁財天絵銭2

 

今では成田山など、落慶などの記念品として配布されたりしますが、この当時は子供のおもちゃだったそうです。

お札のように持ち歩き、大事にした大人の人もいたのではないかと思います。

 

浄土宗大龍寺 熊谷市

荻野吟子が学んだ「行余書院」のあった大龍寺です。

門前に不動堂や弘法大師八十八ヶ所の碑がありましたので、浄土宗の大龍寺とは別の寺院かとも思いましたが、大龍寺の御堂でした。

弘法大師八十八ヶ所の碑

五輪塔の石仏?

 

間違いなく浄土宗の寺でした。

 

開山は徳川家康・秀忠の帰依した演蓮社智誉幡随意上人だそうです。幡随意上人Wikipedia

 

大きな墓石を集めた無縁塔です。

 

その周りには沢山の石仏が祀られていました。よく見ると塔の中にも石仏があります。

 

立派なお地蔵様と聖観音様の石仏も祀られていました。

 

画像を調整していると、間違えて変な色彩になりました。

でも面白いですよね。

薬師堂も一枚。

 

浄土宗 大龍寺 埼玉県熊谷市葛和田898 地図

 

 

赤岩不動尊光恩寺 群馬千代田町

赤岩不動光恩寺には荻野吟子の実家長屋門が移築されていると聞きましたので、参拝に訪れました。

荻野吟子記念館からは、利根川をまたいて反対側にあります。

大祭は毎年3月28日、10月28日に行われます。

火渡りが行われるようです。

赤岩不動光恩寺 群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041 地図

 

緑豊かな境内です。

 

歴代住職の墓に面して、たくさんの板碑がありました。

 

特に知られているのは、大きな地蔵菩薩画像の彫られた板碑です。

文永8(1271)年で、画像板碑としては最古に属するようです。

 

赤井照光の墓に向かう途中に、六面地蔵塔、荒神様が祀られていました。かなり大きな石仏です。

 

赤井照光の墓は、堂山古墳の頂上にあります。

 

元禄16年の梵鐘です。千代田町指定重要文化財に指定されています。

 

阿弥陀堂には阿弥陀三尊が祀られ、鎌倉時代の大きな御尊像です。こちらも千代田町指定重要文化財に指定されています。

 

睡蓮が咲き出し始めていました。これから次々に咲くのでしょう。

 

荻野吟子実家の門は、東側の駐車場に面してあります。

ここにも石像がありました。

二人の女性が熱心にスマホで写真を撮っていましたので、女性のスマホで記念撮影を買って出ました。

荻野吟子巡りをしているようです。

 

荻野家より移築された長屋門です。

 

光恩寺の近くにある赤岩渡船場です。対岸には荻野吟子記念館があります。

 

天台宗別格本山 熊谷薬師常光院 埼玉県

以前にもお参りしましたが、豊か緑が気持ちの良いお寺です。

今から40年以上前も私が学生時代にもお参りに来ましたが、俳句寺としても知られ、いまでも句会が開かれているようです。

また、常光院は熊谷大師として知られています。

弘法大師と思っている方もいますが、元三大師です。ちなみに佐野やよけ大師も元三大師です。

熊谷市や羽生市の古代は、利根川の低地に条里制がひかれました。広大な土地が農地として整備され、四角に区切られた広い田が整備されています。中条の地名はここからおきています。

有力な氏族の古墳が多く残されています。特に羽生市の埼玉(さきたま)古墳群は有名です。埼玉地名の起こりの地域です。さいたま市は早い者勝ちで付けた市名です。

 

常光院は中条氏の館跡です。栃木県の鑁阿寺ほどではありませんが、鎌倉時代の屋敷跡とハッキリ分かる敷地です。現在は三分の一が常光院に残されています。

30年程前にも来たときは、南の方に狭い駐車場があっただけだったと思います。今は敷地から離れていますが、東側に広い駐車場があります。

 

広い境内は豊かな緑にあふれています。

熊谷大師常光院    ホームページ       地図

 

ここは武蔵国十三仏霊場 第十三番 虚空蔵菩薩の札所ですが、他の仏様も境内には祀られています。

十三仏詣で方々、散策するのも良いでしょう  

 

納経塔前の池

 

中條判官藤原常光の墓

 

江戸時代の直参旗本・天野氏の墓

 

山王社

 

俳句寺と言われるように、いくつもの句碑が広い境内にありました。

副住職さんと思われる方が、掃き掃除をしていましたが、これだけ広いとさぞかし大変だと思います。

荻野吟子記念館 埼玉県熊谷市

今から十数年前、たぶんここだったと思いますが、迷って来た記憶があります。看板があり、日本最初の公認された女医とあったように思います。

公認制度のなかった時代のシーボルトの娘・楠本イネは、医師として築地に開業しています。楠本イネWikipediaリンク

当時、楠本イネは知っていましたが、荻野吟子「嘉永4年(1851)~大正2年(1913)」はマッタク知りませんでした。

 

まだ妻沼町でした。下の看板だったのかもしれません。熊谷市に張り替えてあります。

荻野吟子記念館 熊谷市俵瀬581番地1  地図     PDF

ここのことは上のPDFが、簡潔に述べられていますので、ぜひ参照してください。

この図は記念館内部にありますが、吟子の生まれた荻野家は、利根川の淵にありました。先祖は栃木県の足利から移住してきたそうです。

当時は利根川が水運の地として栄えていましたが、俵瀬は江戸幕府の方針でここだけ堤防がありませんでした。氾濫時の遊水池としての役割がありました。この氾濫のため農作物が豊かに実りました。

このあたりの家は氾濫に備えて、少し高く土盛りした上に建っていたようです。

この絵に見える長屋門は移築され、対岸の群馬県千代田町にあります。

 

千代田町側から見た俵瀬です。高い土手があるのが分かると思います。赤堀渡船場があり対岸に渡ることができます。

 

荻野吟子記念館全体の内部写真を撮り忘れました。情けない!

 

先ずは6分間のビデオを見せていただきました。三田佳子さんの演劇の取材シーンからです。

 

係員に案内をしていただきました。

 

1868年に結婚しましたが、性病をうつされて離婚後に東京で治療をしました。

この時、女医になる決心をしたそうです。

夫の稲村貫一郎は、離婚したとしても親戚として付き合おうと言い、治療、学校への学費から生活費、開業費、再婚後の他の夫への事業資金まで負担していたそうです。

 

この写真でも分かるように、吟子は小柄な美人だったそうです。

女子師範学校を卒業後、私立医学校好寿院に入学しました。しかし、周りは男子ばかりで冷たくされたようです。

卒業後もなかなか医師試験を受けさせてもらえませんでした。

埼玉県出身の塙保己一の令義解に古代に女性医師がいたことがわかり、医師試験を受けることができました。

やたらと杓子定規な役人がいたようです。

明治17年、34歳で前期試験に合格し、翌年後期試験に合格しました。

5月に湯島に開業しましたが、待合室が女性患者であふれるほどでした。

この後、キリスト教への入信、再婚、北海道での開業など、続くわけですが、先のPDFと東京女子医大のリンクした資料などを参照してください。PDFリンク

利根川の水運も高崎線が通ったために衰退しました。

荻野吟子の兄弟は皆、嫁に行ったり他に移り、ここにはありません。近在の荻野姓の家がありますが、それ以前の分家筋になるそうです。

 

吟子が学んだ「行余書院」のあった大龍寺です。埼玉県熊谷市葛和田898

 

聖天山の山門の天井画の一部は、荻野家が納めた画もあるそうです。聖天山歓喜院  熊谷市妻沼1511

ここの繁栄を支えたのが、利根川の水運でした。

私が学生当時は、東武熊谷線は熊谷駅から妻沼駅まで延びていましたが、廃線となっています。

 

赤岩不動・光恩寺には、移築された荻野家の門と荻野吟子の像があります。光恩寺  群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041

 

めぬま道の駅 バラ園内 

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