2016年10月

栄福寺 千葉市大宮町

千葉大医学部内外にある七天王塚を後にして、「千葉妙見大縁起」を所蔵する栄福寺を訪れました。
平常長(千葉常胤の曽祖父)の家臣・坂尾五郎治(さんごのごろうじ)が、大治5年(1130)に妙見堂を建立し、翌年創建したのが栄福寺の前身だそうです。
 
金剛授寺として建立だそうですから、金剛授寺(現千葉神社)が二カ所あったのでしょうか。
こんがらかっています。
 
 
 
 
 
千葉妙見大縁起は真言宗であった金剛授寺(現千葉神社)にあったことから、宗旨の違う栄福寺に移ったのは何故だろうと思っていたのですが、途中から天台宗に変わったのですね。
でも、金剛授寺が二カ所あったとすると?。
 
 
 
 
ここも月星と九曜紋でした。
 
ここに来たとき、タクシーの運転手さんは、毎年ここに花見に来ると行っていました。千葉県下一番のしだれ桜だそうです。
 
 
 
妙見地蔵堂
 
長い参道が延びており、途中を東金道路が分断しています。
 
 
 
さらに参道を南に行くと、天台宗泉福寺に降りる階段がありました。
 
 
 
ここは栄福寺の参道です。桜並木が続きますが、昔は桜の名称でした。
 
 
 
脇のお墓に栄福寺並びに泉福寺歴代墓所と掘られた外柵がありました。
 
 
 
他の墓は個々の家の墓でしたから、昔は共同の住職のお墓があったのかもしれません。
 
さらに南に行くと下り坂になり、途中六地蔵が立っています。
六地蔵はお寺の入り口にあることが多いので、ここの下あたりが参道入り口だったのでしょう。
 
 
 
 
広い道に出て、栄福寺、泉福寺方面を見ると小高い山になっています。
この泉福寺の裏山あたのは中世城址で、 坂尾五郎治の居城と伝えています。東金道路により分断され、ほとんど残されていないそうです。
また、栄福寺の周りにも土塁が残されているようです。
 
 
 
 
栄福寺 千葉県千葉市若葉区大宮町3869  地図
 
次にバスで千葉神社に向かいました。
 

千葉神社

栄福寺の次に千葉神社です。
 
本当は、その前に千葉寺に寄る予定でしたが、タクシーが全く通らないので、たまたま来た千葉駅行きのバスで千葉神社に向かいました。
スマホで見つければ簡単だったのですが、頭が固く使い方がわかりません。
 
廃仏毀釈以前は北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗のお寺でした。
千葉一族は結束を守るため、妙見信仰で絆を深めていました。
一族が各地に広がると、青森から鹿児島まで、それぞれの地に妙見菩薩を祀りました。その中心がここだったのです。
千葉県下だけでも妙見菩薩を祀る寺社が400位あるそうです。
 
千葉神社 千葉県千葉市中央区院内1-16-1  地図
ホームページlink
 
 
分霊社「尊星殿」から入りました。とにかく変わった建物です。まず他では見られない建築物です。説明できないので、ホームページを参照してください。
 
 
 
御本社は我が国初の重層社殿になっています。
 
 
 
二階より見た尊星殿です。千葉駅から徒歩で10分ですから、ビジネス街の中にあることがわかります。
 
 
 
摂社千葉天神に向かいます。
 
 
 
 
 
千葉天神と末社
 
 
尊星殿から出ると公園になっています。
 
 
 
 
公園の西脇に「出世弁天」があります。
 
 
 
じっと見つめられていました。かわいいですよ。
 
 
 
出世弁天管理所の前には、千葉常胤の像があります。千葉市立博物館の像とそっくりですが、コンクリート製のようです。
 
 
 
 
 
千葉駅までは歩いてすぐでしたが、疲れて途中紅茶タイムです。
 
 
今回のコースならば、千葉神社→千葉市立博物館→七天王塚→栄福寺が良かったと思いました。
 
かなり歩きました。千葉寺に寄らなくて正解だったかもしれません。帰ってからが大変でした。

「千葉妙見大縁起の世界―千葉妙見大縁起絵巻の全容―」 千葉市立郷土博物館

千葉市立郷土博物館、七天王塚、栄福寺、千葉神社に行ってきました。四回に分けて掲載いたします。
朝8時に出かけ、17時半の帰宅です。
 
まずは、千葉市立郷土博物館で開催された「千葉妙見大縁起の世界―千葉妙見大縁起絵巻の全容―」です。
JR本千葉駅より歩きました。
 
 
 

平成28年8月9日(火曜日)から平成28年年12月11日(日曜日)まで開催され、会期中展示替えが行われます。 企画展link

 
 
千葉市立郷土博物館
千葉市中央区亥鼻1-6-1 地図
 
 
亥鼻城址
 
千葉常胤の銅像
 
 
 
城跡に文化施設があり、城を模した館物が千葉市立郷土博物館になっています。
 
 
 
お城に入ると受付の先に大きな千葉妙見大縁起のパネルがあります。
 
 
 
上記は平将門、平良文の前に現れた七星山息災寺(現・天台宗妙見寺 高崎市引間)妙見菩薩。
妙見寺へは何度もお参りに行っています。近くには国分寺跡もありますので、今年中には、また訪れてみる予定です。地図
ちなみに高崎市新町にも日蓮宗妙見寺があります。
 
千葉妙見大縁起(栄福寺蔵)  link  より 
   上・下二巻の絵巻は、千葉氏が妙見尊の御加護によって数度に及ぶ合戦に勝利をおさめた様子を描いたものです。
 絵巻の 奥書(おくがき) から、享禄元年(1528)本庄伊豆守 胤村(たねむら) が 詞書(ことばがき) を作らせ、その後天文19年(1550)詞書と絵を合せて上・下二巻の絵巻にさせたと思われます。
(千葉市教育委員会『千葉市文化財マップ』より抜粋)

千葉神社の前身である 北斗山金剛授寺(ほくとざんこんごうじゅじ) ( 妙見寺(みょうけんじ) )の19世 光雅(こうが) が 寛文(かんぶん) 2年(1662)11月に書いた『 下総(しもうさ) 国千葉郷妙見寺大縁起』によると、この絵巻はもと妙見寺にあったが、光雅が住僧となった 寛永(かんえい) 19年(1642)10月にはすでに 栄福寺(えいふくじ) の所蔵に移っていたという。 
(千葉市『千葉市の散歩道』より抜粋)
 
別のlinkも参考になります。
 
縁起絵巻は千葉県指定有形文化財になっています。
 
企画展の入り口では千葉常胤の像が迎えてくれます。千葉常胤Wikipedia link
 
 
 
企画展の中は、いくつかに分かれており、時代ごとに分かりやすく解説されています。
千葉妙見大縁起は第一巻が展示されていました。部分だけです。
展示替えされていくようです。
①10月18日(火)より展示開始
②11月 1日 (火)場面替え
③11月15日(火)場面替え
④11月29日(火)場面替え
これらは撮影禁止でしたので、パンフレットの画像などを参照してください。
 
 
パンフレットの裏面一部分
 
撮影可の場所だけ撮してきました。
 
 
 
千葉氏の末裔が各地に移住すると、各地に妙見菩薩を祀りました。
北は青森県、南は鹿児島県まで祀られています。
 
 
 
展示パネルの説明が書かれています。31枚全部いただいてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
左が堀内神社に祀られていた妙見菩薩像(複製)と右、東保胤氏より寄贈された妙見菩薩像の複製。
 
神田明神の平将門と七人の影武者の掛け軸(複製)もありました。
 
 
 
 
平安以前の発掘物も展示されていました。
 
 
 
以前来たとき求めた「紙本著色  千葉妙見大縁起絵巻」(千葉市立郷土博物館刊)は、まだ在庫があるようです。
 
妙見菩薩に関しては、二階堂善弘氏(関西大学)の「妙見菩薩と真武信仰における文化交渉」PDFがためになります。link
 
日本全国の妙見菩薩・平将門関連資料集が私のHome pageにあります。
但し、専門家ではありませんので間違いも多いと思います。  link
 
郷土博物館を出ると、ちょうど昼頃です。
城址内すぐ近くにある「いのはな亭」で食事をしました。
 
 
 
 
 
うどんにしましたが、結構美味しいです。甘い物なども多く、私以外は女性ばかりでした。
水琴窟もありました。
 
次に近くの千葉大学医学部内と道路反対側にある七天王塚に向かいました。
七天王塚は平将門公の七人の影武者の墓とも伝えられています。
 

相模国分寺 海老名市温故館(市立郷土資料館)

相模国分寺
もう十年ほど前にお参りしてから、記憶に残る国分寺と全く変わっていないような気がします。
まあ私の記憶など当てになりませんが。

 
長い間には、かなりの浮き沈みがあったようです。
 
六地蔵
 
 
 
この前の道をまっすぐ左に行くと、約200㍍で相模国分寺跡に着きます。
 
高野山真言宗 相模国分寺  本尊・薬師如来
   神奈川県海老名市国分南1-25-38  地図
 
 
 
相模国分寺跡
 
 

以前来たときは駐車場がなく、あたふたと写真を撮った記憶があります。
今回は郷土資料館に止めさせていただきました。
上の写真の左側建物が資料館です。
中央が塔跡、右側の木の茂ったあたりが、金堂跡です。

※このようなパノラマ写真を撮りたいので、某社のデジカメをまた買いました。ここのような場所では、普通の写真より広さを実感できますね。
以前手放した機種より、はるか画質が良くなっていました。

相模国分寺は、法隆寺式の配置であり、七重の塔が立っていたそうです。

 
七重塔跡
 
 
 
 
 
国分寺跡だけあって広いですね。
現在の敷地跡だけでなく、もっと広い範囲だったようです。

でも、もっと広い駐車場があると、ありがたいのですが。
資料館は二台しか駐められません。


海老名市温故館(市立郷土資料館)
海老名村役場庁舎として使用されていた建物を移築し、郷土資料館として、使用されています。

 
職員の方が案内をしてくれました。
大変わかりやすく説明していただき、海老名市が相模国における大事な地であることを理解できました。
 
全国の国分寺は、国府の近くに建てられましたが、相模の国府は所在が明らかでないそうです。
ここに国分寺が建てられたのは、高座郡司壬生氏の影響が大きいようです。
 
 
 
国分寺七重塔の模型
 
国分寺で使用されていた瓦
 
たしか海老名氏の五輪塔
 
海老名には2万年以上前から人が住んでいたそうです。
 
 
 
縄文式土器
 
発掘品を調べると、かなり遠方と取引していたのが分かるようです。

 
 
秋葉山古墳群のパネル
 
帰りに資料を買ってきました。パンフレットも色々いただきました。
二階には、成果用具・農具などが展示してあるようですが、略させていただきました。
 
 
 
あまり広くない施設ですが、貴重な遺物が展示されています。ここはぜひ見学していただきたい場所です。
とてもためになりました。
 
 
海老名市温故館    link     地図
   神奈川県海老名市国分南1-6−36
 
 
国分寺そば
もう少し北に行くと「国分寺そば」です。
以前もここで食べたと思います。
 
 
 
駐車場も、丁度で出て行く車があり、入ることが出来ました。
かなりの台数が止められますが、いっぱいなのはおいしい証拠でしょう。
 
 
いや~、美味しかった。
満足満足!。

お店の向かい側も史跡でした。
このお店の敷地も昔々は、国分寺の境内だったのでしょう。
 
 
 

 

追記 2008年に国分寺と国分寺跡に行った時のブログです。ブログlink

勝楽寺 神奈川県愛川町

愛川町郷土資料館の常設展示に、愛川半原の宮大工が勝楽寺山門を造ったとありましたので、お参りに行きました。
 
 
 
カーナビで来ると、国道412号線から山門前を通り、412号線の下を通り、勝楽寺に至ります。
駐車場に入ると、ちゃんと412号線から出入りできるようになっていました。
 
境内が道路で分断されてしまったようです。
 
 
 
立派な総門ですね。
半原の宮大工は、かなりの芸術家だったようです。来た甲斐がありました。
 
 
 
 
御本堂
 
 
 
 
半僧坊堂
 
 
奥山方広寺の半僧坊を勧請し、勝楽寺より「田代半僧坊」として知られているようです。
4月17日の大祭は、多くの人で賑わいます。
 
十六羅漢堂の御尊像
 
 
十王堂の十王と奪衣婆の石仏
 
曹洞宗 勝楽寺
神奈川県愛甲郡愛川町田代2061  地図
 

神奈川県立あいかわ公園と宮ヶ瀬ダム

愛川町郷土資料館に行きましたが、資料館は神奈川県立あいかわ公園の中にあります。
 
 
 
 
平日でしたが、保育園児や若い親子連れ、私と同年配のご夫婦など、結構来ていました。とても広い公園です。
リードを付ければペット可なので、ワンちゃんと一緒のご夫婦が多かったですね。
 
 
 
 
 
公園と宮ヶ瀬ダムの下まで往復しています。
愛ちゃん号には、ペットも乗れます。
 
 
 
山の上にも歩いて行けます。何人か上っている人がいました。
 
 
 
パークセンターでは休息や軽い食事もできます。お土産も売っていました。
 
 
 
 
 
工芸工房村
 
 
愛川町郷土資料館のステゴドン
 
相模ハ菅修験展が開催されています。 link
 
この後、宮ヶ瀬ダムに向かいました。
歩いてすぐです。
 
 
 
右の橋を渡るとエレベーターで降りることができます。
 
 
 
石小屋ダム(副ダム)
 
 
 
 
川面の色がきれいです。
 
 
行きはインクラント(有料)でダムまで上ります。インクラントは工事中の資材を運ぶ施設だったそうです。
エレベーターもあります。
 
 
 
 
宮ヶ瀬ダムは愛川町、相模原市緑区、清川村に跨がります。
宮ヶ瀬湖はかなり広いですね。この先には色々な施設があるようです。link
 
 
 
恥ずかしながら宮ヶ瀬ダムを全く知りませんでした。平成12年の完成だそうです。
水とエネルギー館ではダムの色々な展示物があります。流域では、たびたび洪水に悩まされていたそうです。
体験コーナーもありますので、挑戦してみてはいかがでしょうか。
 
 
 
 
ダムの上から横浜のランドマークタワーが見えました。中央上の建物です。
 
 
 
 
 
今日は結構歩くために、パノラマ写真を撮れる軽いデジカメを持って行きました。
いつもの大きなデジカメと異なり、レンズの違いが出ますね。逆光ではフレアやゴーストが盛んに出ます。
 
かなり重そうな一眼レフを持った人もいました。私もこのくらいの距離なら大丈夫だったと思います。
 
負け惜しみですけれど。
 
清川村宮ヶ瀬ビジターセンターからの遠望 link
 

愛川町郷土資料館企画展「相模国八菅修験」- 神奈川県

先日のハ菅神社参拝の折、「ハ菅修験」展があることを知り出かけました。
   
 
 
車は神奈川県立あいかわ公園の駐車場に駐めます。
 
 
 
 
公園入口を通り、案内板に沿っていけば郷土資料館です。
 
 
 
正面が資料館です。
※橋が曲がって見えますが、パノラマ写真を撮影するとき、少し平行でなかったからです。
 
 
 
中に入るとステゴドン(アケボノゾウ)が迎えてくれます。
ここから先の展示室に入ると写真は撮れません。
 
 
 
ハ菅神社は廃仏毀釈前は、「ハ菅山八社権現」と言われ、光勝寺を中心とする50坊以上の寺院を擁する聖護院門跡の本山派修験の寺でした。
 
愛川町の指定文化財の内、なんと三分の一以上が、ハ菅神社関係だそうです。
この企画展では、現在まで伝えられる貴重な品々が、展示されています。
 
パンフレットにある役行者像はレプリカでしたが、常に資料館に展示されています。
今回は、昭和47年に発掘された八菅山経塚より出土した和鏡、壺、木造念持仏・愛染明王(本物)などが展示されています。
 
古文書に興味深い内容が記されているようです。
ハ菅の安達原姓の家は、上総介広常の末裔だそうです。前宮司が千葉姓、元安養院は相馬姓ですから、以前書いたように平将門公の子孫として繋がる伝承が残っていたのではないでしょうか。
 
「銅像聖観世音菩薩立像」は、八菅山を崇敬した鎌倉時代の武将、海老名季貞の守護仏で13~14世紀に作られたようです。
 
「金銅杵と金銅鈴」は峰入作法書に、五鈷、三鈷、独鈷杵は磨くべからざる事とあるそうです。
 
棟札は戦国時代に荒廃していたハ菅権現が、天文10年(1541)に再建されたことが記されています。
 
修験の峰入りのルートは、八菅山から丹沢山系、大山不動へ向かった様です。
 
正応4年(1291)の碑伝の複製は368㎝あり、峰入修行の証だそうです。
 
 
他にもいろいろな興味深い展示物がありました。
 
 
常設展では、中津層群の化石。中津川域の自然、地質、岩石、草花、イノシシなどの剥製、昆虫などが展示されています。
 
興味深い展示もありました。
 
三増合戦資料は、武田軍と北条軍との戦の陣立図があり、武田勢が勝ったそうです。
 
 
現在の三増地区
 
半原の宮大工は勝楽寺や龍福寺の山門を作りました。大山不動の宮殿の図も展示されています。
 
中津の座敷箒は神奈川では有名で、大塚地区は9割が携わっていたそうです。中津台地には、ホウキトウモロコシが散見されていました。
しかし、昭和40年代になると掃除機の普及で姿を消していったそうです。
 
糸の町として知られ、撚糸作業の機器や作業風景の写真が展示されています。
 
戦前は陸軍の飛行場もありました。
昭和19年(1940)から終戦まで「疾風(はやて)」の基地でした。
その後この場所は、工業団地に変わっていきました。
 
三増の獅子舞の様子も展示されています。
 
 
愛川町資料館
  神奈川県愛川町半原5287  地図
 

服部牧場のアイスクリーム

服部牧場は神奈川県立あいかわ公園のすぐ近くにあります。
アイスクリームの看板につられて寄ってきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結構若い親子連れが多かったです。
 
 
アイスクリームはこの建物の中で売っています。こちらで作っているようです。
 
 
 
食券を買い好みのアイスを求めました。これはおいしいですね。かなり濃厚です。
 
 
 
 
服部牧場
神奈川県愛甲郡愛川町半原6087  link
 

相模一宮 寒川神社

八方除けで知られる寒川神社は年間40万人の参拝があるそうです。
以前お参りに来た時も多くの方が訪れており、御祈願の方々も沢山いました。
 
 


駐車場を出て、まずは正面より本殿に向かいました。
 
 
 
気持ちの良い参道です。
 
 
 
 
 
 
 
ずいぶんと大きなお水屋ですね。
 
 
 
 
 
 
こんなに大きなおみくじを掛ける場所は見たことがありません。
 
 
 
ここでも七五三のお参りです。
見ず知らずの人が、ここでも臨時カメラマンを買ってでいました。
 
 
大事な時は、やはりデジカメですよね。
スマホでは思い通りになりません。お爺ちゃんは良いカメラを持っていました。
 
寒川神社link   地図
神奈川県高座郡寒川町宮山3916

海老名総鎮守 有鹿神社 神奈川県

無量光寺、ハ菅神社神社の後に相模国分寺をお参りすることにしました。
時間的に余裕があるので、調べてみると「有鹿(あるか)神社」が相模国の延喜式内社十二社であることを知り、先にお参りすることにしました。
 
 
 
相模国では、最古に属する神社のようです。
本宮、奥宮、中宮の三社からなり、かつては広い敷地を持っていたようです。
今でも海老名の総鎮守です。
 
 
 
 
 
 
 
ここに来るまで有鹿神社のことは、全く知りませんでした。
近くには、海老名氏の館があったようです。  海老名氏 Wikipedia
かなり有力な一族だったようです。
 
 
 
今日は初参りの御祈願がありました。
急遽このご家族のために写真屋さんになりましたが、きっと曲がっていたでしょうね。
今日アップした画像は、全て画像ソフトで編集したものばかりです。
結構気さくな神主さんで、少しお話をさせていただきました。
是非お参りに行ってください。
有鹿神社
神奈川県海老名市上郷1-4-41 地図
電話 046-234-4763
 
追記 2019 11 14
 パンダ宮司が知られるようになったそうです。画像検索link
 
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