仏像

青面金剛の掛軸

 

青面金剛の石仏は、各地で見ることが出来ます。

結構な割合で、現在に伝わっていますが、名前を知らない人が多いのではないでしょうか。

昔は、三尸蟲から身を守るため、庚申様の前で一晩寝ずに行事を行っていたそうです。

 

その時に使用されていた江戸時代の掛軸なのでしょう。

三面大黒天の記事を読んでいたとき、青面金剛の像を見たチベットの僧侶が、「マハーカーラだ」と言っていたと書いてありました。

そもそも仏教でなく、道教から来た考えです。密教の仏様を庚申に取り入れた像ですから、似たような仏さまもあるでしょう。

 

 

三面大黒天

 

確かに三面大黒天に似ていますね。

興教大師覚鑁聖人と一行阿闍梨の掛軸

この掛軸は両方とも工芸品です。

当寺は新義真言宗系の真言宗智山派に属します。他にも豊山派、新義真言宗があり、両祖大師として弘法大師と興教大師覚鑁上人は、大事な方々です。

 

 

お勤めの時や、ご法事には、必ず両祖大師の御法号「南無大師遍照金剛」「南無興教大師覚」とお唱えいたします。

興教大師覚鑁聖人は平安末期の嘉保2年(1095年)-康治2年(1144年)の僧侶で、高野山の座主を務めていました。

訳あって山を下り弘田荘内に移り、根来寺の祖となりました。
今の根来寺は規模が小さいですが、室町時代には450の坊があったそうです。

豊臣秀吉に根来寺は焼かれ、多くの僧侶は全国に散らばりました。

 

根来寺 根本大塔

徳川側であったために、江戸時代には重用されたようです。智山派、豊山派、新義真言宗は、関東に多くの寺院があります。

 

一行阿闍梨は、真言八祖の一人です。

 

 

向きが反対になりますが、興教大師像とほぼ同じ図柄です。うっかり興教大師と間違えそうです。

興教大師 もう一つのブログ     

色々な大黒天さま

当寺は武蔵野七福神の札所です。

色々な七福神様を集めてみようと思いました。その内の大黒天様です。

 

現在、よく知られているお姿の大黒様。

 

小さな大黒天

おそらく明治時代の大黒天

大黒天は、インドのヒィンドゥーの神様でマハーカーラとして、今でも信仰されています。マカカーラともよびまする

マハーは大、カーラは時で死も意味するのだそうです。カーラは暗黒と訳され、大黒天となりました。

本来は、恐ろしい神なのですが、その神を祀ることにより、災いを避けようとする考えがあったようです。

 

下の図は胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 マカカーラ)と同じです。摩多利神としても信仰されていました。ブログlink

三面の図ですが、後世には大黒天、毘沙門天、弁財天が三体合体されている御尊像が知られています。

 

三面大黒天(摩訶迦羅天)

 

大黒天が大国主命と一体になり、日本的服装になったのは、平安中期頃のようです。次第に福神としての信仰に移行していったようです。

戦国時代、大黒天(摩訶迦羅)は戦闘神として武将の信仰がありました。そのころ民間では大黒天を、福神として信仰しており、異なる立場での信仰が残されていたそうです。

 下の大黒天は、江戸初期の像ですが、私たちが知っている福神らしい姿に移行する過程のようです。まだ頭巾は大きくなく、手は拳印です。

印は槌握りとも言われ、これが大槌に変わったと聞いています。女握りとも言われます。

 

 

正面が大黒天、右が弁財天、左に毘沙門天の三像が一体となった御尊像です。今は手元にありません。

素焼きで、明治時代に量産されたものです。

明治時代になると、豊臣秀吉が信仰していた三面大黒天に因み、 三面大黒天信仰が大流行したそうです。よく知られているのが、京都・高台寺塔頭の圓徳院でしょう。

 

 

大黒天は、恵比須大黒の対で祀られている事が多いですね。

 

山形県にある岩根沢三山神社の大きな恵比須大黒像です。ブログ

 

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仏涅槃図 道益作

お釈迦様が旧暦の2月15日に入滅される状況を描いた仏画です。涅槃仏Wikipedia

 

 

お釈迦様の周りを菩薩、弟子、信者、動物が取り囲んで、嘆き悲しんでいます。

上方の雲の上には、母親の摩耶夫人などが描かれています。

 

一番下の真ん中に道益とありますので、江戸中期(正徳・享保頃)に活躍した画家の作品です。木版手彩色で小さな掛軸です。この図は多く作られたようです。

 

実際に入滅された日は、明らかではありませんが、2月15日には各地で涅槃会が行われます。

当寺でも掛軸を出し、住職一人の法要を行っています。

 

文殊菩薩画

当寺に4、5年前にお招きした文殊菩薩様額装の絵です。

相当古い仏画とのことですが、実際には分かりません。

 

 

お顔がきれいですので、気に入っています。

 

文殊様は獅子に乗っているお姿で知られていますが、この姿も素晴らしいと思います。

ご本堂の目立たない場所に掛けてあります。

 

十一面観世音菩薩掛け軸

最近お招きした十一面観世様の掛け軸です。

お彼岸中は、御本堂に掛けていました。お墓参りの方に披露したかったのですが、あいにくの天気と、私の花粉症のため、あまり御本堂に上がった方はいなかったようです。

 

 

少しキレイすぎるお顔ですから、手を合わすより鑑賞するための掛け軸だと思います。

 

 

一緒に掛けていた阿弥陀三尊様の方が、熱心に見ていた人が多かったと思います。

しかし、私のお気に入りの掛け軸です。

 

古四王大権現と北辰妙見大菩薩の掛け軸 遠藤昌益作品 古四王神社

市内の骨董屋さんで購入した遠藤昌益(近松栄和)の作品と思われる掛け軸です。

古四王神社は胡四・巨四・小志・高志・越などと当て字され、秋田を中心に東北と日本海側に約40社点在しています。
古四王大権現の図は、おそらく秋田市の現在の古四王神社と思われます。

古四王神社 Wikipedia      秋田県秋田市寺内児桜1丁目55-5     

 

 

甲秀山古四王大権現

上右・釈迦如来   上左・薬師如来

中右・毘沙門天  中左・文殊菩薩

下・二童子

 

古四王神社は、本尊が毘沙門天のだった所が多かったようです。

 

下の妙見菩薩掛け軸と対になっています。

 

北辰妙見大菩薩

中左・水天   中右・三面青面金剛

下中央・妙見菩薩    下左右・二童子

 

古四王大権現は

  • 四天王
  • 釈迦如来・薬師如来・毘沙門天・文殊菩薩
  • 妙見菩薩

が習合し、信仰されていたことが、この絵からも分かります。

 

この掛け軸は阿闍梨・舜浄により、安政6年(1859)に開眼されました。亀甲山四天王寺東門院(廃寺)が別当を勤めていましので、その当時の住職ではないかと思います。

しかし、絵には甲秀山とありますので、他の古四王大権現なのかもしれません。廃仏毀釈ためか、由緒のある寺でありながら、分からないことだらけです。

もし他の寺としても、甲秀山は秋田県と思います。

 

 

遠藤昌益は文政4(1821)年に生まれ、秋田藩佐竹家の湯沢城代(秋田県湯沢市)の佐竹南家のお抱え絵師的存在だったようです。明治22年に北海道で亡くなりました。

筆渦により江戸に逃げ、帰郷して矢島領城内に身を隠し、近松栄和を名乗りました。この作品は筆渦事件以前の作品なのでしょう。

 

各地の古四王神社は豊作と、目の神として信仰されています。

 

古い朝鮮?の仏様

数年前にお祀りした仏様、像高約17センチです。調べてみると古朝鮮の観音様に似ています。

戦前に収集した美術品なのだそうです。

まだ鍍金も少し残っています。

御尊像の後ろには突起があり、丸い穴が開いています。

懸仏のようにして、お参りしていたのでしょう

 

頭部にも仏様があります。

右手には何かを持っているのですが分かりません。観音様であれば経巻なのですが。

右手の内側は腐食しています。

 

 

 

摩利支天掛軸 北斎漫画の写し

摩利支天の図

 

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」展に出かけると、一番最初にこの「摩利支天」の元になった北斎漫画の図が展示してありました。  北斎とジャポニスム

「摩利支天」と検索すると同じ図柄の絵が何点か出てきます。何かの図が大元になっているのは分かりましたが、分からないまま何年も経っていました。摩利支天Wikipedia

まさか北斎漫画六編だったとは思いも寄らぬ事です。  葛飾北斎Wikipedia        北斎漫画Wikipedia

 

フルコンプリート素材集より

 

北斎漫画三編が手元にありますので、他の図ですが掲載いたしました。程度が悪くい古本でしたので安く買えましたが、お顔や肌が肌色に彩色されていない版でした。すみだ北斎記念館では、良い状態の北斎漫画や他の作品がありますので、ためになります。

四天王と荼枳尼天、稲荷大明神

 

摩利支天の掛軸は北斎漫画を大きく描き、彩色した作品でした。誰の作品か、制作年代はいつであるか不明です。

埼玉と東京の摩利支天を祀る寺社         

 

薬師如来

30年ほど前にバラバラになっていた御尊像を修復し、お厨子も新調致しました。

 

東方浄瑠璃世界の教主と言われています。
病気平癒、健康祈願の仏様として信仰されています。また十三仏の内、49日忌の担当の仏様ですので、法事の折には必ずお薬師様のお話をしています。

 

以前あるセミナーに行きました。

最期に受講者の質問があり、「曼荼羅に薬師如来が描かれてないのは」「なぜ国分寺に薬師如来が祀られているのか」の二点質問がありました。

  1. 薬師如来が信仰されたのはシルクロードの国々である。インドでは信仰されなかったために曼荼羅に描かれなかった。
  2. 国分寺に祀られたのは、「鎮護国家」のためである。

1.は全く気がつきませんでした。五仏の内、東方の阿閦如来が信仰されなかったのは、お薬師さんの世界と重なるためだったようです。そのためか阿閦如来が祀られているお寺は少ないです。奈良の薬師寺では、お薬師さまの台座に葡萄唐草文があしらわれています。

2.は高校の授業で教わったことがありましたが、すっかり忘れていました。その当時のお薬師様の役割と後世の信仰とは、違いが大きすぎます。

 

以前山梨県甲州市の大善寺のお薬師さまがブドウを持ったお姿であるのを知り、その訳がシルクロードにあったとは思いも寄りませんでした。古くは他にも葡萄を持ったお薬師様があったようです。

甲州葡萄の歴史も大善寺のお薬師さんが関連しているように書かれていますが、史実かどうかはともかく甲州にふさわしい仏様ですね。

明治になり大善寺をお参りしたお公家さんが、「薬師如来が手に葡萄を持つのは間違いだ」と葡萄を外させたことがあったようです。十数年前にはその人達の名前がネットに出ていました。

 

話は変わりますが、「逃げるは恥だが役に立つ」で大善寺が撮影に使われ、参拝者が3倍に増えたそうです。

 

大善寺お薬師さまのご開帳は5年に一度です。次回は、平成30年10月1日~14日となります。

大善寺薬師如来        大善寺Wikipedia

 

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