仏像

薬祖神

薬祖神(やくそじん)・神農は中国由来の神さまです。

 

 

どの植物が薬草になるか、調べるために自らなめたと伝えられており、この図のように口に入れている図が、多く残されています。

初めてこの図を見たとき、鬼かと思いました。

数千年の長い年月をかけて調べ上げ、数多くの漢方薬となったのです。先人の知恵と経験が薬祖神の姿としての信仰されてきた訳です。


中国では薬祖神が、大切にされていたことを知りました。
特に漢方薬業者や医療関係者、交易関連の方が信仰していたようです。

 

 

日本では神農大帝として、香具師やテキ屋にも信仰されていたそうです。
映画・テレビ・小説で見たこともありません。

神農廟が湯島聖堂にあるようですが、以前参拝しながら撮してきませんでした。

 

湯島聖堂 東京都文京区湯島1−4−25 地図link

 

湯殿山 弘法大師の拓本

何時の拓本かは不明です。
表装はペラペラの紙でした。良く今まで持ったと思われるほどです。
 
 

 

出羽三山の内、湯殿山は真言宗でした。
廃仏毀釈後に残されている寺院は、注連寺(智山派)と大日坊(豊山派)だけだと思います。
いくつもあった真言宗寺院の石碑なのだと思います。

 

 

この画像を画像検索しても、求めたオークションサイトのこの画像のみでした。
廃仏毀釈と共に壊されたか埋められたのかも知れません。

 

どこかの湯殿山信仰の講中により作られ、どこかの寺などに祀られていれば良いなと思います。
 
 

迦楼羅像

鮮やかな色彩の迦楼羅像です。

古い仏像ではなく、戦後に制作されたのだと思います。

本格的な仏像ではありません。

 

迦楼羅とはインド説話のガルダです。

ガルーダ・インドネシア航空は、ヒンドゥー教の神鳥ガルダから名付けられました。

 

 

多くの迦楼羅像には笛を吹き羽がありますが、このように羽のない像もあります。

 

 

 

 

 

不動明王背後は迦楼羅の吐く炎、あるいは迦楼羅そのもののであるとされ、迦楼羅焔と呼ばれています。

 

阿弥陀堂の不動明王像

 

 

迦楼羅ウィキペディアlink

 

今は御本堂に祀られていますが、他の御堂に移すかも知れません。

 

 

下照比賣命図 下照姫

下照比賣命(したてるひめのみこと)は、古事記日本書紀に出て来る女神です。

古事記では出雲の神さま大国主命と多紀理毘売命の娘です。

ウィキペディアを読むと、あまりにも多くの名前で呼ばれていますので、まったく別の神さまかと勘違いしそうです。

 

 

高天原から遣わされた天若日子と結婚をしています。

 

 

 

数は少ないのですが、祀られているのは京都以西が多いようです。

 

長野県岡谷市には下照姫命神社があります。

諏訪大社祭神・建御名方神の姉が下照姫であることに関係するのでしょう。

 

下照比賣命ウィキペディアlink

 

 

円泉寺の御守 元旦より10日間のみ

円泉寺は武蔵野七福神福禄寿札所です。

毎年元旦より1月10日ごろまでは、御本堂で福禄寿様を御開帳しています。

お守りを用意しているのは、御本堂での開帳期間のみとなります。

 

11日以降、1月いっぱいは阿弥陀堂で、お祀りしています。

それ以外は福禄寿様には参拝できません。

 

七福神ではありませんが、お守りで一番多く出るのが、円泉寺御本尊・不動明王様の開運交通安全守です。

 

 

武蔵野七福神・福禄寿様お守り

 

本物の四葉クローバーを使用した幸運守です。

小さなお守りです。

 

根付けも用意してありますが、あまり多くありません。

縁結び、七福神姿守、一期一会などです。

 

あくまでも七福神福禄寿様御開帳期間のみとなっています。

 

武蔵野七福神札所link

 

 

長谷寺式 十一面観世音図像

真言宗豊山派・総本山長谷寺御本尊・十一面観音様は像高10メートル以上あり、国の重要文化財となっています。

 

この図は全高が158㎝の印刷された掛軸です。

かなり多く制作されたと思いますが、画像検索しても出てきません。

真言宗豊山派寺院販売用に作成されたのかも知れません。

 

 

 

二体の脇士は雨宝童子と難陀龍王です。

 

八大童子の内、雨宝童子です。天照大神の化身です。

 

八大龍王の内、難陀龍王です。

 

長谷寺御本堂

 

真言宗豊山派総本山長谷寺には三度参拝致しました。

二度目の参拝は、45年ほど前になります。西国三十三観音霊場第八番札所となっていますので、ここで札所廻りの掛軸を求めました。

何度か分けましたが、最後の四ヶ所は台風のために諦めて帰るしかありませんでした。

未だ空欄のママです。

 

三度目の参拝は、今から9年前に参拝いたしました。

上はその折の写真です。ブログlink

 

豊山派総本山長谷寺   奈良県桜井市初瀬731−1  地図

長谷寺ホームページ

 

 

当寺の大工神(聖徳太子)図が、産経新聞記事に使用されました。

聖徳太子没後1400年を記念して、各地でいろいろな催しが行われています。

産経新聞に当寺の指金を持った聖徳太子図が使用されました。

 

 

 

 

 

掛軸は信州安原山宝幢院とあります。現在の長野県松本市の安原山大安楽寺のようです。

おそらく宝幢院より発行された図です。

 

記事は有料になりますが、産経新聞のホームページより読むことが出来ます。聖徳太子産経新聞記事リンク

 

以前の円泉寺大工神ブログlink

 

善導大師御影

先日檀家さんからお預かりした掛軸です。

広げて見て、すぐに浄土宗関連の図と思いました。

善導大師は南無阿弥陀仏の称名念仏の思想を確立し、日本においても浄土宗法然上人・浄土真宗親鸞上人に大きな影響を与えました。

 

善導大師御影(みえい)を検索すると、同じような図がありました。

南無阿弥陀仏とお唱えすると、五体の阿弥陀さまが姿を現している図です。

お預かりした掛軸の図も同じでした。

 

 

 

紀州藩の第7代藩主・徳川 宗将(とくがわ むねのぶ)が、播磨国龍野大慈院に三尊阿弥陀如来像一幅と善導大師像一幅を奉納した古文書のコピーが入っていました。

 

播磨国瀧野は現在の「兵庫県加東市」です。

兵庫県加東市には、高野山真言宗の光明寺大慈院があり、善導大師御影堂があります。

大慈院が真言宗とは思いませんでした。

承和14年(1174)に天台宗慈覚大師円仁によって、大師の御影が招来されています。

 

 

宝暦3年(1753)に慈覚大師招来の御影を写し納めた証明が、この古文書のようです。

 

 

 

さらに二幅の内、善導大師御影を新たに描き、工芸印刷にて制作された掛軸なのかも知れません。

 

大慈院 兵庫県加東市光明寺433 地図

 

 

※この掛軸は、後日浄土宗か浄土真宗僧侶に使用していただくつもりです。

 

 

三面大黒天 マハーカーラ 青面金剛 三宝荒神 庚申塔

大黒天

大黒天は七福神に含まれることもあり、よくしられています。



まだにこやかなお顔になる以前の大黒天像です。

恵比須大黒として祀られることが多い神様です。



三面大黒天(摩訶迦羅天)


しかし、本来の大黒天は恐ろしい神でした。

Wikipediaの大黒天の説明に「胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。」とあります。

日本では大国主と習合し、福神と変わっていきました。

この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。





特に明治以降は、赤痢などの疫病流行のおり、摩多利神(忿怒相の三面大黒天) としても信仰されました。
あえて悪神である神を祀り、病気平癒を祈ったのです。

摩多利神ブログlink

民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。とあります。



 
川村湊氏の「牛頭天王と消された異神たち 蘇民将来伝説」によれば、寛永寺の真如院覚深の「摩多羅神考」により、摩多羅神と摩多利神は同じ行疫神とされたことが書かれています。安楽律騒動で天台宗が否定した摩多羅神(またらじん)を再度正当化するために、仏教の正当な神である七母女天(摩多利神)と同じとされたようです。
三面大黒天の廻りに女神が描かれています。
上の図は安楽律騒動以降に使用された図のように思います。
 
摩多羅神と摩多利神は名前が似ているだけで、全く異なる神です。たとえばインドの神である大黒天と日本の大国主命が同じ神とされたように。

 

庚申信仰では、青面金剛に似た像を本尊としています。
三宝荒神とも同じようなお姿をしています。
日本独特の信仰です。

青面金剛の姿を見たチベットの方が、「マハーカーラだ ! 」と言ったそうです。
比べてみると、確かによく似ています。
マハーとは「大 」、カーラとは「黒 暗黒」の意味です。

 

青面金剛




手に髪の毛を捕まれた人間が描かれています。

 

三面大黒天(摩訶迦羅天)の恐ろしい姿と、重なることが理解できます。

 





庚申塔

青梅市の宗建寺 ブログlink


寄居町の少林寺 ブログlink


本庄市児玉町の成就院  ブログlink



確かにマハーカーラ、庚申、青面金剛、三宝荒神はよく似ています。

三面大黒天が福の神となり、七福神の中の大事な神として参拝する方が大勢います。

武蔵野七福神では、入間市の長泉寺(きのえねさま)に祀られています。

甲子大黒天 長泉寺 ブログlink            武蔵野七福神link

 

 

七福神 恵比寿(えびす)の古い御尊像と掛軸など 埼玉県飯能市

当寺は武蔵野七福神の福禄寿様を祀ります。
 
 
武蔵野七福神ではありませんが、七体の七福神を全てお祀り致しました。
その内の恵比寿(えびす)さまです。
 
恵比寿さんは、伊弉諾尊と伊弉冉尊の子である蛭子命、あるいは少彦名神や彦火火出見尊とする説などがあるそうです。
 
 

恵比寿像

にこやかなお顔になる前の古い御尊像と思われます。
 
 
 
円泉寺の恵比寿さん
 

 

 

 
お厨子には家紋がありました。五三桐と抱き柏です。
嫁ぎ先の紋とご実家の紋なのでしょう。
 

 

 

関西のかなりの名家に祀られていたとのではと話す人がいました。

 
恵比寿は恵比須・戎・夷などとも書きます。
えびす信仰は、兵庫県の西宮神社の神人である傀儡師が、積極的に神徳を広めたたことと、七福神の一神となったことが、大きいようです。
 
昔は古い家で、よく恵比寿大黒の二神を見かけました。今では人形ケースに入っていれば良い方でしょう。神棚も少なくなりました。
 
骨董屋さん、古道具屋さんには、家を取り壊すときに持ち込まれた、真っ黒な恵比寿大黒像を見かけます。
あまりにも多く、中には恵比寿大黒二体で、二人分の昼食代より安い像があったのには驚きでした。
結構良い恵比寿大黒さんもたくさんあります。
 
 

円泉寺七福神の内

 
 
 円泉寺御本堂七福神の内
 
 

小さな恵比須大黒

 
小さな恵比寿大黒さんも、祀ってあります。ヤフオクでも時たま見かけます。
 
 
高さ約4センチメートル
 

恵比寿大黒の風鎮

珍しい那智黒の風鎮です。
 
 
 
二十代半ばに青岸渡寺と那智の滝を見学したときに、那智黒の硯を販売している店がありました。
客の前で加工していたのを思い出します。
 

ヱビスビール

家内の好きなエビスビールです。
写真撮影用に買ってきました。
 
 
 
写真の胸と同じ、三つ柏紋があります(エビスビールは同類の蔓柏紋)。恵比須系の神社には、この紋が多いようです。
 
 

恵比寿さんの掛軸

 
恵比寿さんの掛け軸です。私の好きな絵です。
 
 
掛け軸
 

 

二代目 英一挺作  恵比寿図

 

 

恵比寿図

 印刷の掛軸
 
 

 恵比寿大黒図

 
 
 
 
 
 
恵比寿さん大黒さんは単独より、恵比寿大黒として描かれることが多いようです。
古い農家で、子供の頃観た記憶があります。
 
 

大津絵の恵比寿

本物の大津絵を手に入れることが出来ました。小さな掛軸になっています。
「大津絵 恵比寿」で検索しても、同じ図柄は見つかりませんでした。
 
一福延寿
 
 
一福延寿  えび寸殿  きげん良きこそ道理なれ  おのが家職のたいをはなさず 」
 
 

西宮恵比寿のお姿

 
最近手に入れた古いお姿札です。恵比寿信仰の古い神社です。
 
 
20162417561.jpg
西宮えびす
 

七福神図中の恵比寿

 
 
 
 
七福神図(巧芸品)中の 恵比寿図
元気な壮年の恵比寿です。恵比寿オジさんですね。
 
 

七福神図 淵龍作

 

 

恵比寿さんが鯛を持って、鶴亀と踊っています。

七福神は大喜び。

「鶴は千年亀は万年」 めで鯛七福神図です。

 

恵比寿のイラスト

 

 

七福神の額

お正月には七福神がそろいます。
福禄寿が鶴に乗って、やってきました。
 
 
 
 
昭和初期に飯能の画家に依頼して描いていただいたと聞いています。
恵比寿さんは、ここでも大きな鯛を抱えています。
御本堂にあります。
 

円泉寺七福神

御本堂に祀られています。
古くても明治の御尊像だと思います。
武蔵野七福神「福禄寿」様参拝の折には、こちらの七福神もお参り出来ます。
 
  
 
円泉寺内七福神
 
 
飯能市では、武蔵野七福神札所の恵比寿さんは、諏訪八幡神社内・恵比寿神社です。
 
 

いろいろな円泉寺の七福神

 
 

 

各御尊像をリンクしています。

    大黒天    弁財天   毘沙門天   福禄寿   寿老人   布袋

 

円泉寺  埼玉県飯能市(はんのうし)平松376 地図リンク

 
ページ上部へ