仏像

仏涅槃図 道益作

お釈迦様の入滅される状況を描いた仏画です。涅槃仏Wikipedia

 

 

お釈迦様の周りを菩薩、弟子、信者、動物が取り囲んで、嘆き悲しんでいます。

上方の雲の上には、摩耶夫人などが描かれています。

 

一番下の真ん中に道益とありますので、江戸中期(正徳・享保頃)に活躍した画家の作品と思われます。

 

実際に入滅された日は、明らかではありませんが、2月15日には各地で涅槃会が行われます。

当寺でも掛軸を出し、住職一人の法要を行っています。

 

文殊菩薩画

当寺に4、5年前にお招きした文殊菩薩様額装の絵です。

相当古い仏画とのことですが、実際には分かりません。

 

 

お顔がきれいですので、気に入っています。

 

文殊様は獅子に乗っているお姿で知られていますが、この姿も素晴らしいと思います。

ご本堂の目立たない場所に掛けてあります。

 

十一面観世音菩薩掛け軸

最近お招きした十一面観世様の掛け軸です。

お彼岸中は、御本堂に掛けていました。お墓参りの方に披露したかったのですが、あいにくの天気と、私の花粉症のため、あまり御本堂に上がった方はいなかったようです。

 

 

少しキレイすぎるお顔ですから、手を合わすより鑑賞するための掛け軸だと思います。

 

 

一緒に掛けていた阿弥陀三尊様の方が、熱心に見ていた人が多かったと思います。

しかし、私のお気に入りの掛け軸です。

 

古四王大権現と北辰妙見大菩薩の掛け軸 遠藤昌益作品 古四王神社

市内の骨董屋さんで購入した遠藤昌益(近松栄和)の作品と思われる掛け軸です。

古四王神社は胡四・巨四・小志・高志・越などと当て字され、秋田を中心に東北と日本海側に約40社点在しています。
古四王大権現の図は、おそらく秋田市の現在の古四王神社と思われます。

古四王神社 Wikipedia      秋田県秋田市寺内児桜1丁目55-5     

 

 

甲秀山古四王大権現

上右・釈迦如来   上左・薬師如来

中右・毘沙門天  中左・文殊菩薩

下・二童子

 

古四王神社は、本尊が毘沙門天のだった所が多かったようです。

 

下の妙見菩薩掛け軸と対になっています。

 

北辰妙見大菩薩

中左・水天   中右・三面青面金剛

下中央・妙見菩薩    下左右・二童子

 

古四王大権現は

  • 四天王
  • 釈迦如来・薬師如来・毘沙門天・文殊菩薩
  • 妙見菩薩

が習合し、信仰されていたことが、この絵からも分かります。

 

この掛け軸は阿闍梨・舜浄により、安政6年(1859)に開眼されました。亀甲山四天王寺東門院(廃寺)が別当を勤めていましので、その当時の住職ではないかと思います。

しかし、絵には甲秀山とありますので、他の古四王大権現なのかもしれません。廃仏毀釈ためか、由緒のある寺でありながら、分からないことだらけです。

もし他の寺としても、甲秀山は秋田県と思います。

 

 

遠藤昌益は文政4(1821)年に生まれ、秋田藩佐竹家の湯沢城代(秋田県湯沢市)の佐竹南家のお抱え絵師的存在だったようです。明治22年に北海道で亡くなりました。

筆渦により江戸に逃げ、帰郷して矢島領城内に身を隠し、近松栄和を名乗りました。この作品は筆渦事件以前の作品なのでしょう。

 

各地の古四王神社は豊作と、目の神として信仰されています。

 

古い朝鮮?の仏様

数年前にお祀りした仏様、像高約17センチです。調べてみると古朝鮮の観音様に似ています。

戦前に収集した美術品なのだそうです。

まだ鍍金も少し残っています。

御尊像の後ろには突起があり、丸い穴が開いています。

懸仏のようにして、お参りしていたのでしょう

 

頭部にも仏様があります。

右手には何かを持っているのですが分かりません。観音様であれば経巻なのですが。

右手の内側は腐食しています。

 

 

 

摩利支天掛軸 北斎漫画の写し

摩利支天の図

 

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」展に出かけると、一番最初にこの「摩利支天」の元になった北斎漫画の図が展示してありました。  北斎とジャポニスム

「摩利支天」と検索すると同じ図柄の絵が何点か出てきます。何かの図が大元になっているのは分かりましたが、分からないまま何年も経っていました。摩利支天Wikipedia

まさか北斎漫画六編だったとは思いも寄らぬ事です。  葛飾北斎Wikipedia        北斎漫画Wikipedia

 

フルコンプリート素材集より

 

北斎漫画三編が手元にありますので、他の図ですが掲載いたしました。程度が悪くい古本でしたので安く買えましたが、お顔や肌が肌色に彩色されていない版でした。すみだ北斎記念館では、良い状態の北斎漫画や他の作品がありますので、ためになります。

四天王と荼枳尼天、稲荷大明神

 

摩利支天の掛軸は北斎漫画を大きく描き、彩色した作品でした。誰の作品か、制作年代はいつであるか不明です。

 

薬師如来

30年ほど前にバラバラになっていた御尊像を修復し、お厨子も新調致しました。

 

東方浄瑠璃世界の教主と言われています。
病気平癒、健康祈願の仏様として信仰されています。また十三仏の内、49日忌の担当の仏様ですので、法事の折には必ずお薬師様のお話をしています。

 

以前あるセミナーに行きました。

最期に受講者の質問があり、「曼荼羅に薬師如来が描かれてないのは」「なぜ国分寺に薬師如来が祀られているのか」の二点質問がありました。

  1. 薬師如来が信仰されたのはシルクロードの国々である。インドでは信仰されなかったために曼荼羅に描かれなかった。
  2. 国分寺に祀られたのは、「鎮護国家」のためである。

1.は全く気がつきませんでした。五仏の内、東方の阿閦如来が信仰されなかったのは、お薬師さんの世界と重なるためだったようです。そのためか阿閦如来が祀られているお寺は少ないです。奈良の薬師寺では、お薬師さまの台座に葡萄唐草文があしらわれています。

2.は高校の授業で教わったことがありましたが、すっかり忘れていました。その当時のお薬師様の役割と後世の信仰とは、違いが大きすぎます。

 

以前山梨県甲州市の大善寺のお薬師さまがブドウを持ったお姿であるのを知り、その訳がシルクロードにあったとは思いも寄りませんでした。古くは他にも葡萄を持ったお薬師様があったようです。

甲州葡萄の歴史も大善寺のお薬師さんが関連しているように書かれていますが、史実かどうかはともかく甲州にふさわしい仏様ですね。

明治になり大善寺をお参りしたお公家さんが、「薬師如来が手に葡萄を持つのは間違いだ」と葡萄を外させたことがあったようです。十数年前にはその人達の名前がネットに出ていました。

 

話は変わりますが、「逃げるは恥だが役に立つ」で大善寺が撮影に使われ、参拝者が3倍に増えたそうです。

 

大善寺お薬師さまのご開帳は5年に一度です。次回は、平成30年10月1日~14日となります。

大善寺薬師如来        大善寺Wikipedia

 

午頭天王のお姿

別当 石宝院のお姿

山形県東根市の若木神社(おさなぎじんじゃ 旧別当石寳院)江戸期のお姿です。
 
 
 

羽黒山橋本坊

これも山形県です。江戸期に発行されていたものです。
 
 
 
牛頭天王の部分
 
 
 

廃仏毀釈

仏様ではありませんが最も廃仏毀釈のやり玉に挙がった神でした。
全国の牛頭天王社や祇園社は、八坂神社や須賀神社など名前を変えられ、祭神は同神とされる素戔嗚尊に変えられています。
 
当寺境内の八坂神社は、天王さまと呼ばれています。地元の人はなぜ天王様と呼ばれているのか知りませんでした。
 
各地の神社で行われている夏越の祓の「茅の輪くぐり」は、本来牛頭天王と関連があります。
全てを消すことが出来なかったのは、それだけ広く信仰されていたことを物語っているのでしょう。
 
以前午頭天皇社であった伊勢二見の松下社のブログ      ブログ1         ブログ2
 

毘沙門天

毘沙門天像

縁あってお迎えした毘沙門(多聞天)様が、後背・宝棒・宝塔を加えてたくましくなって御本堂に祀られています。

古く見せていますが、結構新しい御尊像のようです。北方の守護神として、円泉寺を守って下さるでしょう。

 

 

毘沙門天掛軸

 

 

以前お招きした毘沙門天の掛軸です。結構気に入っています。

以前見つけた他の掛軸は、怖そうに書いてあるだけで、平面的な作でした。あのとき買わないで良かったと思っています。

それに比べると、この掛軸は遙かに立派です。

 

鞍馬山の毘沙門天

 
 

 

 

鞍馬山の毘沙門天お姿です。

『七難即滅 七福即生』の文は仁王経に説かれています。

室町時代になると、この文に即した神仏を当てはめた七福神信仰が生まれました。

しかし、今のように恵比須、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人になったのは、江戸時代になってからのようです。八王子七福神のように、弁財天で無く「吉祥天」入っている札所もあります。

 

鞍馬山の毘沙門天信仰が盛んになり、七福神の中に入れられたのだそうです。

 

 

 

 

鞍馬山の天狗さんです。

「僧正坊」として知られ、全国の天狗の総元締めだそうです。

 

色々な伝承が有りますが、特に源義経の話がよく知られています。

皆さんも良くご存じだと思います。

まだ二十代のころ、先輩と鞍馬口から貴船神社まで歩いたことを思い出します。

本堂の七福神

当寺は武蔵野七福神(福禄寿)の札所ですが、本堂内に別の七福神を祀りました。全て新しくお招きした御尊像です。
 
この七福神様はお正月七草頃までのご開帳と致しました。
行事のたびに内陣にお移しするのが大変なためでもあります。
このために内陣は、ゴチャゴチャしています。

ご開帳期間外にこの七福神目当てにお参りに来られた方が何人もいます。
改めて来ていただくしかありません。

お寺に祀られているから、さぞかし高価だったと思う方もいるでしょうが、毘沙門様は光背と持ち物を新たにした方が遙か数倍も高額でした。
大黒様などは安いランチ二食分です。でも好きなご尊像です。
 

善光寺式阿弥陀三尊図と他の三尊図

当寺の善光寺式阿弥陀三尊図です。掛軸になっています。

 

一つの光背に中心が阿弥陀如来立像。向かって右が観世音菩薩。左が勢至菩薩です。
 善光寺でお参りできるのは、お前立本尊であり、ご本尊様は秘仏となっています。

下は善光寺で発行したお姿だと思います。この図をもとに描かれた掛軸です。

下の台座の二人は信者で、毘舍離国の月蓋長者と娘の如是姫だそうです。
善光寺で発行したお姿札にも、このお二人が描かれています。

 

善光寺以外の三尊図です。これらも掛軸です。普通はこのような来迎図が多いと思います。

 

 

復刻された屏風図です。

 

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