仏像

敦煌莫高窟五十七窟唐代菩薩の模写掛軸

敦煌莫高窟五十七窟唐代菩薩を模写した掛軸です。

補正したこともあるのですが、かなり艶っぽい菩薩の図でした。

平山郁夫画伯が同じ壁画をスケッチしています。

 

 

お祀りするには合わないような気がします。

しかし、思った以上に良い作品でした。

 

 

中国の画家さんが描いた作品のようです。

 

 

NHKの番組を思い出します。

切手は中国で発行されました。日本の一般的切手と比べ、約四倍の大きさです。

 

後日他の掛軸の仏画と共に印刷して、ある女性に差し上げました。

男性よりも女性向きの作品のように思います。大変喜んでいただけたのではと思いますました。

 

敦煌莫高窟五十七窟唐代菩薩 画像検索link

 

 

天鈿女命(アメノウズメノミコト)の図

天照大御神が天岩戸(あめのいわと)に籠もったために暗黒の世界が訪れてしまいました。

天鈿女命は岩戸の前で、ほぼ裸の状態で踊りましたので、神々は大笑いをして喜びました。

 

 

何事かと思い、天照大御神が岩戸を少し開けると、天手力男神が天照大御神を引き出したために、元の明るい世界に戻りました。

古事記に記された有名な話しです。

 

 

古事記の内容のまま描くわけにいきませんので、衣服は着けています。

 

 

後に猿田彦と結婚しました。猿田彦ブログlink

天鈿女命は日本芸能の祖と言われています。

 

作家 内海輝邦(うつみきほう)

明治6年(1873)に島根県松江に生まれました。

東京美術学校1期生(明治26年7月卒業)で、横山大観とは絵画科の同期です。

橋本雅邦を師とし、山水図や人物図を得意としていました。

改名前は内海六石・広精(こうせい)と名のっています。

明治の終わりには大阪で、画家として活躍されていましたが、愛媛、三重、福島で美術教員をし、金沢を経て昭和初年に帰郷、松江市中原に住み求めに応じて筆を執っていたようです。

どこで亡くなられたのか、また没年も不明です。

 

金山出石寺 千手観音掛軸

千手観音の掛軸です。

下の方に出石寺(しゅっせきじ)と描かれています。

 

 

大洲市の出石寺で発行された掛軸のようです。

箱書きに自然涌出之尊像と書かれています。

 

 

寺伝では養老2(718)年に金色に輝く千手観音と地蔵菩薩が姿を現したと伝えています。

御本尊は弘法大師が石で囲い密閉して秘仏としたそうです。

今でも秘仏となっています。

 

御本堂の厨子に祀られている千手観音像はお前立仏です。こちらは年に一度開帳されます。

お前立ち観音様の胎内仏が地蔵菩薩です。

観音様を拝むことが、地蔵菩薩も拝むことになります。

 

出石寺ホームページlink

真言宗御室派別格本山 出石寺   愛媛県大洲市豊茂乙1 地図link

 

 

キュウリの蛇

石屋の店員さんが、キュウリを持って来ました。

なんと蛇の形をしています。

 

 

社長が目を入れて、弁天様の前に飾りました。

 

 

まさに宇賀神です。

阿弥陀堂に祀っています。

 

もうしばらくは保つでしょう。

 

五智国分寺(天台宗)の古い御本尊・五智如来御影 新潟県上越市

 

今から25年以上前に宿泊をせず、五智国分寺などを一日で参拝する予定をたてました。

しかし出かけるのが遅くなり、どこに寄ったか忘れましたが、遅い昼(そば)を食べた記憶だけが残っています。上越市まで行かなかったことは間違いありません。

デジカメなどある時代ではありませんでしたので、記録が残っていません。

新潟は三度目でした。

 

たまたま胎蔵界五智如来の御影掛軸を手に入れました。小さな掛軸です。

胎蔵界大日如来を中心に釈迦如来、阿弥陀如来、宝勝如来、薬師如来が描かれています。

 

五智国分寺は越後国国分寺の後継寺院です。

江戸期と昭和63年に御本堂が焼けていますので、この掛軸の五仏と同じかは不明です。

 

もう遠方への旅行は気力がありません。

参拝出来なかった代わりに、この掛軸に手を合わせました。

 

五智国分寺  ウィキペディアlink

 

神武天皇画

八紘一宇と書かれていますので、戦前の神武天皇の絵であることに間違いありません。

かつては表装されていたのでしょうが、マクリのままです。

 

 

作者は柳子とありますが、詳細は不明です。

しかし、力のあった画家であることは間違いないと思います。

 

 

 

弓の上には、光り輝く金鵄(金色の鳶)が止まっています。

金鵄は日本書紀に書かれています。同じ場面でも古事記では、八咫烏となっています。

 

 

 

今の平和な日本が、何時までも続くことを願っています。

しかし世界の情勢を見るに、隣国やウクライナのことを思うと、不安が増すばかりです。

 

※この掛軸は、ある神職の方に譲りました。

 

 

馬に乗った神さま仏さま

動物に乗った神仏は、各地に祀られています。

その内の馬に乗った御尊像を掲載致しました。

 

勝軍地蔵

甲冑を着て馬に乗る地蔵菩薩です。愛宕権現とも呼ばれています。

京都の愛宕山と瓜生山にまつられ、武将の信仰を受けていました。

愛宕山の愛宕権現は、火伏・防火の霊験があると全国に祀られましたが、廃仏毀釈後は多くが破棄されたり燃されました。

 

この図は愛宕権現曼荼羅の一部です。 ブログlink

 

 

江戸愛宕江戸期のお姿です。

勝軍地蔵像は廃仏毀釈後に近くの真福寺に祀られもした。

しかし、関東大震災において焼失しています。

 

 

愛宕権現曼荼羅とお姿掛軸は、愛宕真福寺に奉納致しました。

 

 

愛宕真福寺の勝軍地蔵銅像

 

 

相馬妙見三社

能勢妙見など一部を除き、妙見菩薩は亀蛇に乗っていますが、相馬野馬追で知られる相馬妙見三社は馬に乗っています。相馬野馬追ウィキペディアlink

 

相馬妙見三社 小高神社  中村神社  太田神社

 

多く見られる亀蛇に乗った妙見菩薩

群馬県高崎市 妙見寺

 

 

八幡大神

応神天皇を祭神としているのが、八幡神社です。

源氏など武家の信仰がありました。

 

 

 

養蚕神

蚕の神様です。必ずしも馬に乗っているわけではありません。

桑の枝を持っています。

 

 

 

 

壽命祖神(馬鳴菩薩)

江戸時代に多賀大社の宿坊・観音院で祀られていた壽命祖神です。

勝軍地蔵に似ています。

廃仏毀釈以前は不動院・観音院・般若院・成就院がありました。

 

 

 

馬鳴(めみょう)とはインドの僧侶ですが、馬鳴菩薩がどのような神さま仏さまか不明です。

養蚕神として祀られているところもあります。

 

相染明王

勝軍地蔵そっくりですが、相染明王(しょうぜんみょうおう)です。

 

 

角館西勝薬町は、現在の秋田県仙北市角館町です。

象潟神社(妙見神社)は、廃仏毀釈以前は北辰星並びに相染明王を祀っていました。

 

秋田県岩手県では、厩(うまや)にまつられる神で馬の守護神として蒼前(そうぜん)様とよばれています。

養蚕神とする地域もありました。

 

 

千葉県には馬に乗った馬頭観音石仏が多数あるようです。画像検索link

以前参拝していながら、興味が無かったために撮していない馬乗り馬頭観音石仏がありました。

 

 

八幡大神と各地の八幡宮・八幡神社

八幡大神

八幡神社の祭神は、八幡神(応神天皇)であるとばかり思っていましたが、他の神である神社もありました。

 

 

三社託宣図は天御中主神・八幡大神・春日大神が描かれています。

弓を持ったのが八幡大神です。

 

吉田神道の偽作ともいわれているそうです。八幡大神・春日大神が馬に乗った図もあります。

 

室町時代から江戸時代まで、広く流行しました。

 

各地の八幡宮・八幡神社

八幡神は宇佐八幡宮(大分県)が総本社で、日本全国に勧請されています。

 

石清水八幡宮  京都市八幡市八幡高坊30

平安時代末期に宇佐八幡宮から勧請されました。

 

 

 

鶴岡八幡宮   神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31

 

 

 

筑土八幡神社   東京都新宿区筑土八幡町2−1

 

 

 

穴八幡宮  東京都新宿区西早稲田2丁目1−11

 

 

 

金王八幡宮   東京都渋谷区渋谷3丁目5−12

 

 

 

富岡八幡宮(深川八幡宮)   東京都江東区富岡1丁目20−3

 

 

 

旗岡八幡神社  東京都品川区旗の台3丁目6−12

 

 

 

小室八幡神社   千葉県船橋市小室町148

 

 

 

薬師寺八幡宮  栃木県下野市薬師寺1509

 

 

 

横堤妙見八幡神社  茨城県常総市新石下1680

 

 

 

水海道鎮守 八幡神社  茨城県常総市水海道橋本町3329   

 

 

 

妙見八幡神社    茨城県つくばみらい市筒戸3182

祭神は、妙見と八幡でなく妙見八幡大菩薩です。御尊像は妙見菩薩のようです。

 

 

 

小幡八幡宮  群馬県甘楽郡甘楽町小幡1

 

 

 

八幡神社   群馬県多野郡神流町万場

 

 

 

八幡神社     群馬県沼田市

民家の庭にも祀られていました。屋敷神です。

 

 

 

上久屋神社   群馬県沼田市上久屋町1375

明治41年に日枝神社に武尊神社、十二山神社を合祀 し、上久屋神社となりました。

 

しかし扁額には八幡宮とありました。

 

 

春日部八幡宮   埼玉県春日部市粕壁5597

 

 

 

箕田氷川八幡神社    埼玉県鴻巣市箕田2041

 

 

 

鎧宮八幡神社  埼玉県さいたま市岩槻区大字南辻字鎧宮68

 

 

 

津久根八幡神社 埼玉県入間郡越生町津久根23

 

 

 

鎌形八幡宮   埼玉県比企郡嵐山町鎌形1993

 

 

 

八幡神社 埼玉県比企郡小川町大塚427

 

 

 

下浅見八幡神社  本庄市児玉町下浅見879

 

 

 

八幡神社    埼玉県狭山市入間川3丁目6-14

 

 

 

八幡神社  埼玉県飯能市八幡町12−6

 

 

 

諏訪八幡神社 埼玉県飯能市飯能263

武蔵野七福神の恵比寿さん社があります。お諏訪様として親しまれている神社です。

 

 

諏訪八幡神社ブログlink

 

 

まだまだ数多く参拝していますが一部だけです。各地に44,000社もあります。

さらに境内社や祠、合祀社などがあり、八幡神社を名乗らないこともあります。

 

養澤神社  東京都あきる野市養沢1018

熊野神社、八幡神社、日天神社、門客人(あらはばき)神社、譲葉神社を合祀

 

 

龍の狛犬?が迎えてくれます。

 

東入西神社   埼玉県 坂戸市小坂452

 

八幡八坂神社(向かって左)

 

金胎寺内 天満神宮・出世八幡・菅領稲荷    埼玉県深谷市本住町9-76

 

 

数多くの石仏が祀られていました。

 

八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)  千葉県市川市八幡

足を踏み入れると二度と出てこられなくなるという伝承があります。

 

 

 

浅間神社境内社・八幡宮  埼玉県坂戸市北浅羽262

 

 

 

国渭地祇神社内・八幡神社   埼玉県坂戸市森戸616

 

 

 

 

保渡田八幡塚古墳   群馬県高崎市保渡田町2000−1

 

 

おそらくここの古墳には、八幡神社が祀られていたのだ思います。保渡田古墳群には数多くの古墳があります。

かみつけの里博物館見学もお勧めします。

 

 

月岡芳年の八幡太郎義家

芳年武者无類の一点です。

 

 

 

お地蔵さまの図 造作五迷罪 常念地蔵尊 遊戯諸地獄 決定代受苦

かなり古い地蔵菩薩の掛軸です。

吊り下げて祀ることが出来ないほどになっています。

 

 

有名な室町時代の画僧の名が書かれていますが、おそらく後に書き込んだと思われます。

画風が異なるように思います。

 

 

「造作五迷罪 常念地蔵尊 遊戯諸地獄 決定代受苦」

五迷の罪を作っても  常に地蔵尊を念じれば  色々な地獄に落ちても 代わりに苦を受けてくれることは疑いないことです。

鎌倉時代の法相宗僧・貞慶の言葉のようです。

法然による浄土教の台頭に対抗するために、南都仏教が民衆救済の一環として地蔵信仰を積極的に取り入れました。

貞慶の地蔵信仰 邦彦 PDFlink

 

弘法大師は地獄のことを地獄は何れの処にか在る いずれかの自心の中に観ん     弘法大師(秘密曼荼羅十住心論)と説いています。

 

 

木版に彩色が施されています。

 

 

いずれ表装をしたいのですが、まだ先になりそうです。

 

 

良寛図 あしびきの 国上の山の山畑 蒔きし大根ぞ あさずくらいせ君    

あしびきの 国上の山の山畑 蒔きし大根ぞ あさぞ食せ君 

あしびきの くにがみのやまのやまばたけ まきしぞおおねぞ あさぞくらいせきみ

 

 

「あしびきの 国上の山の 山畑 蒔きし大根ぞ あさず食せ君」 はありましたが、下の歌と少し異なりました。

 

 

良寛の元に訪れた客に、大根を振る舞った歌です。

 

 

この掛軸は他にも多くあるようです。

肉筆に見えますが、巧芸品のようです。

 

他の作品では作者名が異なっていました。

良寛の後の文字は、書風が異なります。後で他の人が書き入れたようです。

 

歌とあっていないようにも思われますが、子供と戯れる良寛の人柄が偲ばれる作品です。

 

又野龍也画伯の絵です。

 

 

この絵はお世話になっている方へのプレゼントです。

手元にはありません。

画伯は隣の日高市に住んでいます。日高市link

 

 

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