仏像

神像 神社・神道の美術

神像

男神像

 

上の御神像は最近迎えました。底部に元和4年と書かれています。

 

女神像

男神像より古いと思います。女神像立像と思いますが、自信はありません。

小さな天神様

 

小さな天神像は、どこかの神社参詣記念だったような気がします。

しばらくすると他の方の家で、大事に祀っていただくことになると思います。

 

某神像

※昨年下の雑誌二冊に紹介されている神像の模刻を求めることが出来ました。

 

 

画像は都合により、ぼかした画像しか掲載致しません。

いずれ山口県の某神社に納められると思います。

それ以来神像に興味を持ち、上の男神像が某骨董屋さんにありましたので、すかさず迎えることに致しました。

 

神像の本

 

 

日本において元々の信仰は自然崇拝であり、神を迎える施設は簡単なものでした。送った後は取り壊しています。

現在でもアイヌの中に神道の源流と同じ考えや儀式だけでなく、古い日本語が残されています。

 

6世紀に仏教が伝来し、寺院・仏像が造られました。

神社そのものは仏教の影響により、7・8世紀の大和朝廷に関連する神社が造られてからなのだそうです。

更に神像が作られるようになりましたが、神社においては見るべきではない神さまであって、奥深いところに祀られていたようです。

祀られてありながら見たことがない宮司も多かったそうです。

 

骨董屋さんに時折展示される神像は、いずれの時代か神社から離れ、我々が目にすることが出来るようになったのです。

国立博物館において、平成25年「国宝 大神社展」において、神道美術が紹介されたのは、神社庁の協力があったからでした。

 

 

躊躇する宮司さんも多かったようです。

しかし、各地の恵比寿大黒などの七福神像や宇賀神像は、目にすることが多いはずです。

 

土偶

土偶は日本列島全域に見られます。東日本では紀元前まで使用されたようです。

 

遮光器土偶(縄文晩期) レプリカ

 

土偶は女性を表しています。

 

1万年以上前から約2000年前までに作られました。

しかし、どのような意味合いがあるのかは分かっていません。

 

 

しかし、土偶の正体は植物(食物)だったとする説をとる学者さんも出てきました。

『土偶を読む』(竹倉史人著、晶文社)

 

縄文の流れが弥生文化の流入によって変わりました。

しかし、抜歯や入れ墨などの風習は、一部地域で戦後まで残っていたようです。

 

当寺に祀られている御神像

神像は神社だけでなく、寺院にも祀られています。

 

天神像

 

宇賀神

 

恵比寿大黒

 

 

天神・宇賀神・恵比寿天・大黒天は、あまり御開帳することはありません。

 

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掛軸

 

八幡大神

 

 

八幡神は(応神天皇)宇佐八幡宮(大分県)が総本社で、日本全国に勧請されています。

 

下照姫

 

 

古事記では出雲の神さま大国主命と多紀理毘売命の娘です。

ウィキペディアを読むと、あまりにも多くの名前で呼ばれていますので、まったく別の神さまかと勘違いしそうです。

 

木花咲耶姫

 

 

木花咲耶姫は記紀に書かれている日本の神様です。富士山・富士浅間神社の祭神として知られています。

安産・子育ての神としても信仰されているようです。

 

雨宝童子(うほうどうじ)

 

 

雨宝童子は大日如来の化身と言われ、両部神道では天照大神は大日如来としてとらえられていました。

天照大神が日向に下生した時のお姿です。

 

三社託宣図(さんじゃたくせんず)

 

天照大神と八幡大菩薩、春日大明神が描かれています。室町時代から江戸時代まで、広く流行しました。

吉田神道の偽作ともいわれています。

 

猿田彦(さるたひこ)

 

 

猿田彦は天孫降臨のおり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をした神として知られています。瓊瓊杵尊と一緒に来た天宇受売神(あめのうずめのかみ)と結婚しました。

 

天鈿女命(あめのうずめのみこと)

 

 

天照大御神が天岩戸(あめのいわと)に籠もったために暗黒の世界が訪れてしまいました。

天鈿女命は岩戸の前で、ほぼ裸の状態で踊りましたので、神々は大笑いをして喜びました。

何事かと思い、天照大御神が岩戸を少し開けると、天手力男神が天照大御神を引き出したために、元の明るい世界に戻りました。

古事記に記された有名な話しです。

 

山の神 田の神

 

山の神

田の神

「人は亡くなると山に帰り、山の神となる。春は山の神が、田の神として山から下りてくる。刈り入れが終わると、また山に帰る」と言われ、仏教と異なる古くからの山中他界(来世)観がありました。

田の神になるのは、稲作が大陸から渡ってきてからです。

山の神は各地にありますが、元々は地元の方々の氏神、ご先祖様なのです。
ご先祖様は、いつも近くにいるとする考えです。。

関東では筑波山が一番知られています。奈良の三輪山、高野山、朝熊山も先祖の集まる山の神だったと思います。

それ以上に高い富士山は、霊山とは言われていなかったと聞いたことがあります。

 

多賀大社 壽命祖神

 

 

廃仏毀釈前は馬鳴菩薩でした。

 

※検索で?

パソコン・スマホで「神像 埼玉」を検索すると、なぜか「埼玉県神川町」関連の記事ばかりが出てきます。

画像検索では円泉寺の神像がトップで出るようになりましたが、神像そのものが知られていませんので、仕方がないのかも知れません。

私も神像に関しては、いままで意識したことがありませんでした。

 

神川町には金鑚神社・大光普照寺など、何度か参拝していますが、30年以上前の事です。

今年は神川町を巡ろうと思います。

 

骨董屋さん 夢月 埼玉県飯能市

いつもお世話になっているのが、飯能市の骨董屋さん「夢月」です。

西武池袋線飯能駅北口から、すぐの場所にお店があります。

店舗の写真は1年以上前に撮影致しましたので、内部の商品は入れ替わっています。

 

 

 

先日は神像を求めました。

 

 

江戸初期の御尊像です。県内某所で仕入れたと話していました。

九曜紋と思われる文様が書き込まれていますが、異なるかも知れません。

当寺には天神社があり、宮司さんや信者さんに披露した後に、縁のある方にお渡しするつもりでいます。

 

この日の店内には、素晴らしい大黒天像や六地蔵石仏などもありました。

 

天神様・菅原道真公の奉納額です。

これを彫った「野﨑直延」の名が左下に彫られています。

 

 

 

 

いつも使用している朱泥の水差しです。蛙がいます。

 

 

 

 

以前には達磨大師像も求めています。

小さいですが、気に入っています。

いずれ禅宗寺院のご住職にお渡ししようと思っていましたが、いまだに御本堂に祀っています。

 

 

 

オークションに出品していますので、仏画や古文書など、面白いものを手に入れたこともあります。

 

 

秋田県横手市の古四王神社は甲秀山古四王大権現と称していました。この仏画掛軸と関連する古文書は、廃仏毀釈で流出したと思われます。

古四王大権現ブログlink

ブログに掲載すると、その地区の郷土史家の方から問い合わせがあり、撮影した画像をメモリーに入れお送りすると、大変喜ばれました。

調べると面白い歴史もあります。

 

 

 

オークションは終わる時間が10時半から11時になりますので、近頃は寝てしまことが多々在ります。

先日は古い時計などが出品されていました。動かなくなっているジャンクと思うような品が、高額で競り合っているのには驚かされます。

 

 

 

大黒福天神とあります。日蓮宗系の古いお姿と思います。

 

 

骨董屋さん曰く、「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造(もぐろ ふくぞう)のようだと述べています。

 

 

 

先日は先客がおり、お皿を求めていました。

 

琉球紅型の掛軸

 

梵字円相掛軸

 

懸仏

 

鍾馗像

 

紀州雛(徳川雛)  現在は知人の手元にあります。

 

店舗の商品は入れ替わりますので、時折寄って気に入った商品を求めたり、鑑賞して楽しんでいます。

火曜・水曜・木曜が定休日です。

 

 

 

夢月  埼玉県飯能市仲町10−28  地図link

   ☎ 042-972-9850

オークションではmugiya07となっています。常に出しているわけでなく、月に数回の出店です。

 

智積院47世能化 瑜伽教如大僧正書 「南無大師遍照金剛」

円泉寺が属する真言宗智山派総本山智積院の第14世・瑜伽教如大僧正が書かれた「南無大師遍照金剛」の掛軸です。

瑜伽僧正は声明の大家として知られ、大正6年収音レコードになり、さらにCDにされて現在でも販売されています。

 

私も持っているのですが音質が悪く、あくまでも貴重な資料としています。

 

瑜伽僧正の書かれた掛軸ですが、印刷なのかも知れません。

 

 

 

生年  弘化4年7月12日(1847年)
没年  昭和3(1928)年12月20日
出生  地越後国(新潟県)

 

秘仏 歓喜天(聖天)

御本堂・本尊様の前に祀っている歓喜天の御尊像です。

毎日扉を閉めたままで手を合わすのですが、扉を開けることは殆どありません。

他の神仏では無理な願いを聞き届けてくれる力があります。

しかし、逆に私のような力のない僧侶が、いい加減な気持ちで御祈願をすれば、災いが起こることもあるのです。

 

 

各地の寺院でも秘仏としているところが多いように思います。

 

 

下はガネーシャ像です。

インドで歓喜天はガネーシャと呼ばれています。

シバ神の子として生まれ、人に災いを及ぼす悪鬼でしたが、観音菩薩が女神の姿で現れ夫婦となり、人の罪障を除く神となりました。

双身像はそのような由来があるのです。

 

インドでは、単身像と双身像があります。

 

 

今後とも御開帳をすることはないと思います。

 

歓喜天御真言 おんきりくぎゃくうんそわか

 

関東三大聖天ブログlink             

 

二股大根ブログlink

 

敦煌莫高窟五十七窟唐代菩薩の模写掛軸

敦煌莫高窟五十七窟唐代菩薩を模写した掛軸です。

補正したこともあるのですが、かなり艶っぽい菩薩の図でした。

平山郁夫画伯が同じ壁画をスケッチしています。

 

 

お祀りするには合わないような気がします。

しかし、思った以上に良い作品でした。

 

 

中国の画家さんが描いた作品のようです。

 

 

NHKの番組を思い出します。

切手は中国で発行されました。日本の一般的切手と比べ、約四倍の大きさです。

 

後日他の掛軸の仏画と共に印刷して、ある女性に差し上げました。

男性よりも女性向きの作品のように思います。大変喜んでいただけたのではと思いますました。

 

敦煌莫高窟五十七窟唐代菩薩 画像検索link

 

 

天鈿女命(アメノウズメノミコト)の図

天照大御神が天岩戸(あめのいわと)に籠もったために暗黒の世界が訪れてしまいました。

天鈿女命は岩戸の前で、ほぼ裸の状態で踊りましたので、神々は大笑いをして喜びました。

 

 

何事かと思い、天照大御神が岩戸を少し開けると、天手力男神が天照大御神を引き出したために、元の明るい世界に戻りました。

古事記に記された有名な話しです。

 

 

古事記の内容のまま描くわけにいきませんので、衣服は着けています。

 

 

後に猿田彦と結婚しました。猿田彦ブログlink

天鈿女命は日本芸能の祖と言われています。

 

作家 内海輝邦(うつみきほう)

明治6年(1873)に島根県松江に生まれました。

東京美術学校1期生(明治26年7月卒業)で、横山大観とは絵画科の同期です。

橋本雅邦を師とし、山水図や人物図を得意としていました。

改名前は内海六石・広精(こうせい)と名のっています。

明治の終わりには大阪で、画家として活躍されていましたが、愛媛、三重、福島で美術教員をし、金沢を経て昭和初年に帰郷、松江市中原に住み求めに応じて筆を執っていたようです。

どこで亡くなられたのか、また没年も不明です。

 

金山出石寺 千手観音掛軸

千手観音の掛軸です。

下の方に出石寺(しゅっせきじ)と描かれています。

 

 

大洲市の出石寺で発行された掛軸のようです。

箱書きに自然涌出之尊像と書かれています。

 

 

寺伝では養老2(718)年に金色に輝く千手観音と地蔵菩薩が姿を現したと伝えています。

御本尊は弘法大師が石で囲い密閉して秘仏としたそうです。

今でも秘仏となっています。

 

御本堂の厨子に祀られている千手観音像はお前立仏です。こちらは年に一度開帳されます。

お前立ち観音様の胎内仏が地蔵菩薩です。

観音様を拝むことが、地蔵菩薩も拝むことになります。

 

出石寺ホームページlink

真言宗御室派別格本山 出石寺   愛媛県大洲市豊茂乙1 地図link

 

 

キュウリの蛇

石屋の店員さんが、キュウリを持って来ました。

なんと蛇の形をしています。

 

 

社長が目を入れて、弁天様の前に飾りました。

 

 

まさに宇賀神です。

阿弥陀堂に祀っています。

 

もうしばらくは保つでしょう。

 

五智国分寺(天台宗)の古い御本尊・五智如来御影 新潟県上越市

 

今から25年以上前に宿泊をせず、五智国分寺などを一日で参拝する予定をたてました。

しかし出かけるのが遅くなり、どこに寄ったか忘れましたが、遅い昼(そば)を食べた記憶だけが残っています。上越市まで行かなかったことは間違いありません。

デジカメなどある時代ではありませんでしたので、記録が残っていません。

新潟は三度目でした。

 

たまたま胎蔵界五智如来の御影掛軸を手に入れました。小さな掛軸です。

胎蔵界大日如来を中心に釈迦如来、阿弥陀如来、宝勝如来、薬師如来が描かれています。

 

五智国分寺は越後国国分寺の後継寺院です。

江戸期と昭和63年に御本堂が焼けていますので、この掛軸の五仏と同じかは不明です。

 

もう遠方への旅行は気力がありません。

参拝出来なかった代わりに、この掛軸に手を合わせました。

 

五智国分寺  ウィキペディアlink

 

神武天皇画

八紘一宇と書かれていますので、戦前の神武天皇の絵であることに間違いありません。

かつては表装されていたのでしょうが、マクリのままです。

 

 

作者は柳子とありますが、詳細は不明です。

しかし、力のあった画家であることは間違いないと思います。

 

 

 

弓の上には、光り輝く金鵄(金色の鳶)が止まっています。

金鵄は日本書紀に書かれています。同じ場面でも古事記では、八咫烏となっています。

 

 

 

今の平和な日本が、何時までも続くことを願っています。

しかし世界の情勢を見るに、隣国やウクライナのことを思うと、不安が増すばかりです。

 

※この掛軸は、ある神職の方に譲りました。

 

 

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