仏像

天神さま(道真公)の彫刻

 

菅原道真公(天神さま)を祀る神社には、牛の像が奉納されているのを目にします。

大宰府において道真公がなくなり、遺体を載せた車を引く牛が、座り込んで動かなくなりました。道真公が動かなくなった場所を自分のお墓にしたいのだと、周りの人は思い、そこが墓地となりました。

また丑年生まれであったことも、全国の天神社に牛の像を奉納し祀るようになったわけです。

 

骨董屋さんに聞くと、かつてこの彫刻は、飯能市内の神社に納められていたようです。

彫刻の左下にこれを彫った「野﨑直延」の名が彫られています。市内稲荷町の久下稲荷神社の稲荷神像台座には、野﨑直延の名があるようです。

 

この彫刻は、ご本堂に掲げてあります。

 

当寺天神社の撫で牛です。祭礼の時のみ拝むことが出来ます。 平松天神社

 

當麻曼荼羅(観経曼荼羅)

當麻曼荼羅は、奈良県の當麻寺に伝えられた、観無量寿経の世界を描いた刺繍の図です。

中将姫が蓮の糸を染め、作られたと伝えられています。(実際には綿糸のようです)

この曼荼羅図は原本からではなく、當麻寺の中之坊に伝えられた掛け軸の工芸品です。

當麻寺中之坊           當麻曼荼羅Wikipedia

 

 

阿弥陀如来

 

勢至菩薩

観音菩薩

 

 

当寺で迎えた勢至菩薩像は、この図と同じ形でした。そのような縁もあって迎えた掛け軸です。

一周忌法要には勢至菩薩のお話をしますが、當麻曼荼羅の話が中心になっています。

 

當麻寺には行ったことがありませんが、奈良市内に中将姫誕生地と言われる誕生寺前を通ったことがあります。

もう7年も前のことです。

 

朝の8時半頃でしたので、中ではお参りできませんでした。

誕生寺  奈良市三棟町2   地図

立山曼荼羅と布橋灌頂会

かなり以前、テレビで布橋灌頂を放映していました。

それまで立山曼荼羅や芦峅寺(あしくらでら)は知りませんでした。芦峅寺Wikipedia

毎日新聞布橋灌頂記事            布橋灌頂会ユーチューブ

 

立山は女人禁制でしたので、極楽往生を願い、女性のための布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)が行われたそうです。

廃仏毀釈で神社になったあとも、憲法上の問題もあり、町としてはイベントとして真言宗豊山派・天台宗僧侶が協力して、声明(しょうみょう)の演者として行っているのだそうです。

この曼荼羅は、有名な和宮(静寛院宮)の寄進です。芦峅寺の吉祥坊に伝えられました。

本物はかなり大きな曼荼羅のようです。

 

この面には阿弥陀如来二十五菩薩来迎が描かれています。

 

内容は立山の開山縁起、地獄図、女人往生の布橋灌頂会の様子などが描かれています。

 

 

 

 

布橋灌頂会

立山参詣  布橋灌頂会 奪衣婆

 

元が和宮の寄進だけあって、工芸品の小さな掛け軸でも、素晴らしい作品であることが分かります。

 

 

立山縁起絵巻の漫画は、立山曼荼羅図を理解するのに役立つでしょう

※追記

先日、あるお寺の施餓鬼会で、布橋灌頂会の導師をされた新井弘順師に、お話を伺う機会がありました。

芦峅寺(あしくらでら)が神社にされて、儀式がなくなった後、布橋灌頂会再興に尽力された方です。

 

地元では、宗教でなくイベントとして開催したかったようです。

新井師は地元の意向に沿って、イベントとして行うことに同意したそうです。

 

しかし、やるべきことは真言宗の僧侶として、恥ずかしくないように行っていたそうです。

私も「あれは結縁灌頂(けちえんかんじょう)ですよね」と伺うと、同意されていました。

 

資料館の学芸員は、立山曼荼羅にあるように、あくまでも昔のままで再開したかったようですが、あくまでも、真言宗としてのこだわりを通したそうです。

 

たとえば曼荼羅図の中の布橋灌頂会の場面を見ると、目隠しをしていません。着ている物も普段着に裸足のようです。

ユーチューブを見ていただければ、全女性が目隠しをしています。私もここが大事だと思いました。

目隠しを取り、暗いお堂の扉を開くと、眼前に立山の山並みが見えることは、感動深い経験を生むことになる訳です。結縁灌頂に使用する曼荼羅が、立山の山々なのです。

 

慈母観音の掛け軸 工芸品

工芸品の慈母観音掛け軸です。

実物は、かなり色あせた状態ですので、かなり画像をいじくりました。

 

 

 

 

元々の絵を撮影し、印刷した画像を使用していましたので、かなり眠い絵でした。

狩野芳崖の作品だったと思います。

 

以前、他の慈母観音掛け軸のパンフレットが、送られてきましたが、高価すぎで買えませんでした。

仏具屋さんで見た掛け軸も同じく高価でした。

 

修正した画像をA3で印刷し、額に入れようかと思っています。

 

如意輪観音図

当寺には如意輪観音様の石仏はありますが、お参りできない場所にあります。また、墓地の石塔にも多く見られます。

きれいなお顔の摺仏がありましたので、購入致しました。

 

 

元々は掛軸になっていたようです。

画像を調整して、見やすいようにしたのですが、裏打ちにした紙の様子がハッキリ出てしまいましたので、スキャンした状態のままにしてあります。

 

如意輪観音様は六観音様の内の一尊です。各地で優れた仏像や掛軸、石仏を多く見ることが出来ます。

 

聖観音画像

当寺には数種類の観音様像が祀られていますが、聖観音様は祀られていません。

たまたま目にした素描と掛軸を手に入れることが出来ました。

聖観音画像1

 

聖観音画像2 掛軸

 

六観音様の中では、一番ノーマルな観音様です。

御真言  オン アロリキャ ソワカ

大峯曼荼羅

役小角・理源大師を中心に、大峰山の諸尊を描いた曼荼羅です。

大峯曼荼羅図

 

役小角

 

理源大師

 

蔵王権現

不動明王

文殊菩薩

 

愛染明王

大日如来

後鬼                                         前鬼

 

 

現京都府八幡市

明治20年に新調されたことが分かります。

不動明王

当寺のご本尊は、お不動さまです。阿弥陀堂にも祀られています。

御本尊 不動明王像

幕末に御本堂は焼けていますので、それ以降の御尊像と思われます。

阿弥陀堂のお不動さま

元々は、山形県の月山出羽湯殿山三神社(旧日月寺 通称・岩根沢三山神社) 宿坊の少貳坊に祀られていた御尊像です。

 

 

湯殿山別當日月寺少貳坊とあります。

何故、月山系なのに湯殿山とあるのか不明なので、岩根沢三山神社に行きました。伺うと少貳坊は戦前まであったそうです。

その折のブログ2です。ブログ

神社の二階に、私がお送りしたお不動様の写真が、飾ってあるそうです。

 

阿弥陀堂

阿弥陀堂のお不動様は、開いているときは近くでお参りできます。

ファンの多いお不動さまです。

掛軸

 

 

板仏

青面金剛の掛軸

 

青面金剛の石仏は、各地で見ることが出来ます。

結構な割合で、現在に伝わっていますが、名前を知らない人が多いのではないでしょうか。

昔は、三尸蟲から身を守るため、庚申様の前で一晩寝ずに行事を行っていたそうです。

 

その時に使用されていた江戸時代の掛軸なのでしょう。

三面大黒天の記事を読んでいたとき、青面金剛の像を見たチベットの僧侶が、「マハーカーラだ」と言っていたと書いてありました。

そもそも仏教でなく、道教から来た考えです。密教の仏様を庚申に取り入れた像ですから、似たような仏さまもあるでしょう。

 

 

三面大黒天

 

確かに三面大黒天に似ていますね。

興教大師覚鑁聖人と一行阿闍梨の掛軸

この掛軸は両方とも工芸品です。

当寺は新義真言宗系の真言宗智山派に属します。他にも豊山派、新義真言宗があり、両祖大師として弘法大師と興教大師覚鑁上人は、大事な方々です。

 

 

お勤めの時や、ご法事には、必ず両祖大師の御法号「南無大師遍照金剛」「南無興教大師覚」とお唱えいたします。

興教大師覚鑁聖人は平安末期の嘉保2年(1095年)-康治2年(1144年)の僧侶で、高野山の座主を務めていました。

訳あって山を下り弘田荘内に移り、根来寺の祖となりました。
今の根来寺は規模が小さいですが、室町時代には450の坊があったそうです。

豊臣秀吉に根来寺は焼かれ、多くの僧侶は全国に散らばりました。

 

根来寺 根本大塔

徳川側であったために、江戸時代には重用されたようです。智山派、豊山派、新義真言宗は、関東に多くの寺院があります。

 

一行阿闍梨は、真言八祖の一人です。

 

 

向きが反対になりますが、興教大師像とほぼ同じ図柄です。うっかり興教大師と間違えそうです。

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