水野長勝は三河松平氏の一門で織田信長に仕えていましたが、本能寺の変の後は北条氏邦の家臣となっています。
北条氏滅後は徳川家康の従兄弟でしたので、旗本に取り立てられ後に800石の旗本となりました。
北条氏時代に現在の昌国寺となった場所に館を構えています。
徳川の旗本となってから陣屋としました。さらに昌国寺とし菩提寺にしました。
子の忠貞の代に5000石となっています。御本尊はお釈迦さまのようです。

境内には陣屋跡であったことが分かる空堀・土塁などがあります。


矢印にはだまされました。

墓は御本堂の北西側でした。方向が180度異なります。
水野長勝が水野十郎左衛門と書かれてある文章がありましが、新編武蔵野風土記には書かれていませんでした。
旗本奴で知られる水野十郎左衛門とは異なるようです。旗本奴の水野十郎左衛門墓があるわけではありません。
十郎左衛門は千五百石取の旗本でした。歌舞伎の『極付幡随長兵衛』などで知られています。
遠縁なのかも知れませんが、ここに墓があるわけではありません。
水野成之(水野十郎左衛門)ウィキペディアlink
案内板には、水野家累代の墓地が記されています。



向かって左側が水野長勝墓です。

昌国寺 埼玉県大里郡寄居町赤浜915 地図link
昌国寺は無住の寺院です。
御本堂も立派であったのでしょうが、今は小さな建物になっています。
鉢形城歴史館において、令和4年6月5(日)まで、『昌国寺展』が開催されています。企画展link


鉢形城跡は昭和7年に国指定史跡にしていされ、日本100名城としても知られています。
鉢形城ウィキペディアlink

時間はかかりますが、城跡を全て見学するのも楽しいことです。
写真は以前行ったときの物です。改めて歴史館に寄るつもりです。
鉢形城歴史館 埼玉県大里郡寄居町鉢形2496−2 地図link