神像
男神像


上の御神像は最近迎えました。底部に元和4(1618)年と書かれています。二代将軍・徳川秀忠の時代です。
骨董屋さんに聞くと、秩父から仕入れたと話していました。
女神像

男神像より古いと思います。かつては色彩が施されていたことが分かります。

女神立像と思いますが、自信はありません。
小さな天神様

小さな天神像は、どこかの神社参詣記念だったような気がします。
しばらくすると他の方の家で、大事に祀っていただくことになると思います。
某神像
※昨年下の雑誌二冊に紹介されている神像の模刻を求めることが出来ました。

画像は都合により、ぼかした画像しか掲載致しません。
いずれ山口県の某神社に納められると思います。
それ以来神像に興味を持ち、上の男神像が某骨董屋さんにありましたので、すかさず迎えることに致しました。
男神座像 東京国立博物館にて

大将軍八神社蔵(京都市) 11世紀
神像の本

日本において元々の信仰は自然崇拝であり、神を迎える施設は簡単なものでした。送った後は取り壊しています。
現在でもアイヌの中に神道の源流と同じ考えや儀式だけでなく、古い日本語が残されています。
6世紀に仏教が伝来し、寺院・仏像が造られました。
神社そのものは仏教の影響により、7・8世紀の大和朝廷に関連する神社が造られてからなのだそうです。
更に神像が作られるようになりましたが、神社においては見るべきではない神さまであって、奥深いところに祀られていたようです。
祀られてありながら見たことがない宮司も多かったそうです。
骨董屋さんに時折展示される神像は、いずれの時代か神社から離れ、我々が目にすることが出来るようになったのです。
国立博物館において、平成25年「国宝 大神社展」において、神道美術が紹介されたのは、神社庁の協力があったからでした。

躊躇する宮司さんも多かったようです。
しかし、各地の恵比寿大黒などの七福神像や宇賀神像は、目にすることが多いはずです。
寺院でも長野県の牛伏寺に神像が祀られています。牛伏寺ホームページlink
土偶
土偶は日本列島全域に見られます。東日本では紀元前まで使用されたようです。
後世の神像とは関連はありません。

遮光器土偶(縄文晩期) レプリカ

みみづく土偶(後期)と火炎型土偶(中期) 東京国立博物館蔵のミニチュアレプリカ
国立博物館蔵のミニチュアレプリカ(土偶・矛・鏡など) ブログlink

東京国立博物館の土偶の一部
土偶は女性を表しています。
1万年以上前から約2000年前までに作られました。
しかし、どのような意味合いがあるのかは分かっていません。

土偶の正体は植物(食物)だったとする説をとる学者さんも出てきました。
『土偶を読む』(竹倉史人著、晶文社)
縄文の流れが弥生文化の流入によって変わりました。
抜歯や入れ墨などの風習は、一部地域で戦後まで残っていたようです。

※東京国立博物館本館より見た庭園(拝観できる時期があります)
地元 飯能市の土偶

加能里遺跡(縄文中期) 飯能市立博物館蔵
当寺に祀られている御神像
神像は神社だけでなく、寺院にも祀られています。

天神像

宇賀神

恵比寿大黒

天神・宇賀神・恵比寿天・大黒天は、あまり御開帳することはありません。
天神像 ブログ 宇賀神ブログ 大黒天 ブログ エビス天 ブログ
掛軸
八幡大神

八幡神は(応神天皇)宇佐八幡宮(大分県)が総本社で、日本全国に勧請されています。
下照姫

古事記では出雲の神さま大国主命と多紀理毘売命の娘です。
ウィキペディアを読むと、あまりにも多くの名前で呼ばれていますので、まったく別の神さまかと勘違いしそうです。
木花咲耶姫

木花咲耶姫は記紀に書かれている日本の神様です。富士山・富士浅間神社の祭神として知られています。
安産・子育ての神としても信仰されているようです。
雨宝童子(うほうどうじ)

雨宝童子は大日如来の化身と言われ、両部神道では天照大神は大日如来としてとらえられていました。
天照大神が日向に下生した時のお姿です。
三社託宣図(さんじゃたくせんず)

天照大神と八幡大菩薩、春日大明神が描かれています。室町時代から江戸時代まで、広く流行しました。
吉田神道の偽作ともいわれています。
猿田彦(さるたひこ)

猿田彦は天孫降臨のおり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をした神として知られています。瓊瓊杵尊と一緒に来た天宇受売神(あめのうずめのかみ)と結婚しました。しかし !
天鈿女命(あめのうずめのみこと)

天照大御神が天岩戸(あめのいわと)に籠もったために暗黒の世界が訪れてしまいました。
天鈿女命は岩戸の前で、ほぼ裸の状態で踊りましたので、神々は大笑いをして喜びました。
何事かと思い、天照大御神が岩戸を少し開けると、天手力男神が天照大御神を引き出したために、元の明るい世界に戻りました。
古事記に記された有名な話しです。
山の神 田の神

山の神

田の神
「人は亡くなると山に帰り、山の神となる。春は山の神が、田の神として山から下りてくる。刈り入れが終わると、また山に帰る」と言われ、仏教と異なる古くからの山中他界(来世)観がありました。
田の神になるのは、稲作が大陸から渡ってきてからです。
山の神は各地にありますが、元々は地元の方々の氏神、ご先祖様なのです。
ご先祖様は、いつも近くにいるとする考えです。。
関東では筑波山が一番知られています。奈良の三輪山、高野山、朝熊山も先祖の集まる山の神だったと思います。
それ以上に高い富士山は、霊山とは言われていなかったと聞いたことがあります。
多賀大社 壽命祖神

廃仏毀釈前は馬鳴菩薩でした。
※検索で?
パソコン・スマホで「神像 埼玉」を検索すると、なぜか「埼玉県神川町」関連の記事ばかりが出てきます。
画像検索では円泉寺の神像がトップで出るようになりましたが、神像そのものが知られていませんので、仕方がないのかも知れません。
私も神像に関しては、いままで意識したことがありませんでした。
神川町には金鑚神社・大光普照寺など、何度か参拝していますが、30年以上前の事です。
今年は神川町を巡ろうと思います。