2023年01月

手打 そば うどん 「くりはら」 飯能市栄町 東飯能駅近く

青梅信用金庫飯能支店の駐車場に車を止めると、道を挟んで西側に蕎麦・うどん「くりはら」がありました。

かつて不動屋さんのあった場所です。

 

青信で振り込みを済ますと遅い昼飯としました。

車が丁度出払ったばかりです。

 

 

家内が美味いと話していたお店です。

 

「本日の変わり そば ゆず切り」にしました。

 

 

少し黄色みがかった細い蕎麦めんでした。

かすかに柚の香りと味がします。

かなり腰があります。良いそば粉を使用していないと無理でしょう。

味・風味ともに、いままで食べたことありません。蕎麦では飯能市内で一番の味だと思います。

しかし、間違いなく蕎麦の味でした。

 

 

 

後から来たご夫婦は、盛りそばに海老・野菜の天ぷらを注文しています。

さらにご主人は、焼酎の蕎麦割と蕎麦豆腐でした。アルコールが入ると食が進むのでしょう。

 

今度来るときは田舎そばと天ぷらを注文することにしました。

その次は、うどんと決めています。

楽しみです。

 

追記

 

田舎そば大盛  野菜天ぷら

 

さらしな  野菜天ぷら

 

くりはら  埼玉県飯能市栄町10−15 地図link

営業時間

  • 11時30分~15時00分
  • 17時00分~20時00分

 定休日 月曜日

 

神像 神社・神道の美術

神像

男神像

 

上の御神像は最近迎えました。底部に元和4(1618)年と書かれています。二代将軍・徳川秀忠の時代です。

骨董屋さんに聞くと、秩父から仕入れたと話していました。

 

女神像

男神像より古いと思います。かつては色彩が施されていたことが分かります。

女神立像と思いますが、自信はありません。

小さな天神様

 

小さな天神像は、どこかの神社参詣記念だったような気がします。

しばらくすると他の方の家で、大事に祀っていただくことになると思います。

 

某神像

※昨年下の雑誌二冊に紹介されている神像の模刻を求めることが出来ました。

 

 

画像は都合により、ぼかした画像しか掲載致しません。

いずれ山口県の某神社に納められると思います。

それ以来神像に興味を持ち、上の男神像が某骨董屋さんにありましたので、すかさず迎えることに致しました。

 

男神座像 東京国立博物館にて

 

大将軍八神社蔵(京都市) 11世紀

 

神像の本

 

 

日本において元々の信仰は自然崇拝であり、神を迎える施設は簡単なものでした。送った後は取り壊しています。

現在でもアイヌの中に神道の源流と同じ考えや儀式だけでなく、古い日本語が残されています。

 

6世紀に仏教が伝来し、寺院・仏像が造られました。

神社そのものは仏教の影響により、7・8世紀の大和朝廷に関連する神社が造られてからなのだそうです。

更に神像が作られるようになりましたが、神社においては見るべきではない神さまであって、奥深いところに祀られていたようです。

祀られてありながら見たことがない宮司も多かったそうです。

 

骨董屋さんに時折展示される神像は、いずれの時代か神社から離れ、我々が目にすることが出来るようになったのです。

国立博物館において、平成25年「国宝 大神社展」において、神道美術が紹介されたのは、神社庁の協力があったからでした。

 

 

躊躇する宮司さんも多かったようです。

しかし、各地の恵比寿大黒などの七福神像や宇賀神像は、目にすることが多いはずです。

 

寺院でも長野県の牛伏寺に神像が祀られています。牛伏寺ホームページlink

 

土偶

土偶は日本列島全域に見られます。東日本では紀元前まで使用されたようです。

後世の神像とは関連はありません。

 

遮光器土偶(縄文晩期) レプリカ

 

みみづく土偶(後期)と火炎型土偶(中期) 東京国立博物館蔵のミニチュアレプリカ

国立博物館蔵のミニチュアレプリカ(土偶・矛・鏡など) ブログlink

 

東京国立博物館の土偶の一部

 

土偶は女性を表しています。

 

1万年以上前から約2000年前までに作られました。

しかし、どのような意味合いがあるのかは分かっていません。

 

 

土偶の正体は植物(食物)だったとする説をとる学者さんも出てきました。

『土偶を読む』(竹倉史人著、晶文社)

日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説(前編)

 

縄文の流れが弥生文化の流入によって変わりました。

抜歯や入れ墨などの風習は、一部地域で戦後まで残っていたようです。

 

 

※東京国立博物館本館より見た庭園(拝観できる時期があります)

 

地元 飯能市の土偶

 

加能里遺跡(縄文中期) 飯能市立博物館蔵

 

 

当寺に祀られている御神像

神像は神社だけでなく、寺院にも祀られています。

 

天神像

 

宇賀神

 

恵比寿大黒

 

 

天神・宇賀神・恵比寿天・大黒天は、あまり御開帳することはありません。

 

天神像 ブログ          宇賀神ブログ           大黒天 ブログ            エビス天 ブログ

 

掛軸

 

八幡大神

 

 

八幡神は(応神天皇)宇佐八幡宮(大分県)が総本社で、日本全国に勧請されています。

 

下照姫

 

 

古事記では出雲の神さま大国主命と多紀理毘売命の娘です。

ウィキペディアを読むと、あまりにも多くの名前で呼ばれていますので、まったく別の神さまかと勘違いしそうです。

 

木花咲耶姫

 

 

木花咲耶姫は記紀に書かれている日本の神様です。富士山・富士浅間神社の祭神として知られています。

安産・子育ての神としても信仰されているようです。

 

雨宝童子(うほうどうじ)

 

 

雨宝童子は大日如来の化身と言われ、両部神道では天照大神は大日如来としてとらえられていました。

天照大神が日向に下生した時のお姿です。

 

三社託宣図(さんじゃたくせんず)

 

天照大神と八幡大菩薩、春日大明神が描かれています。室町時代から江戸時代まで、広く流行しました。

吉田神道の偽作ともいわれています。

 

猿田彦(さるたひこ)

 

 

猿田彦は天孫降臨のおり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をした神として知られています。瓊瓊杵尊と一緒に来た天宇受売神(あめのうずめのかみ)と結婚しました。しかし !

 

天鈿女命(あめのうずめのみこと)

 

 

天照大御神が天岩戸(あめのいわと)に籠もったために暗黒の世界が訪れてしまいました。

天鈿女命は岩戸の前で、ほぼ裸の状態で踊りましたので、神々は大笑いをして喜びました。

何事かと思い、天照大御神が岩戸を少し開けると、天手力男神が天照大御神を引き出したために、元の明るい世界に戻りました。

古事記に記された有名な話しです。

 

山の神 田の神

 

山の神

田の神

「人は亡くなると山に帰り、山の神となる。春は山の神が、田の神として山から下りてくる。刈り入れが終わると、また山に帰る」と言われ、仏教と異なる古くからの山中他界(来世)観がありました。

田の神になるのは、稲作が大陸から渡ってきてからです。

山の神は各地にありますが、元々は地元の方々の氏神、ご先祖様なのです。
ご先祖様は、いつも近くにいるとする考えです。。

関東では筑波山が一番知られています。奈良の三輪山、高野山、朝熊山も先祖の集まる山の神だったと思います。

それ以上に高い富士山は、霊山とは言われていなかったと聞いたことがあります。

 

多賀大社 壽命祖神

 

 

廃仏毀釈前は馬鳴菩薩でした。

 

※検索で?

パソコン・スマホで「神像 埼玉」を検索すると、なぜか「埼玉県神川町」関連の記事ばかりが出てきます。

画像検索では円泉寺の神像がトップで出るようになりましたが、神像そのものが知られていませんので、仕方がないのかも知れません。

私も神像に関しては、いままで意識したことがありませんでした。

 

神川町には金鑚神社・大光普照寺など、何度か参拝していますが、30年以上前の事です。

今年は神川町を巡ろうと思います。

 

春日地蔵曼荼羅中の地蔵菩薩? 春日大社 奈良市

日本の美術№67「神道美術」影山春樹編を読んでいると、この地蔵菩薩イラスト像とほぼ同じ図が出てきました。

「春日地蔵曼荼羅」です。

少し異なりますが、奈良国立博物館蔵の春日地蔵曼荼羅がありました。奈良国立博物館link

 

鎌倉時代には春日山浄土は地蔵菩薩の浄土であるとの信仰が生まれたようです。

 

能満院の春日浄土曼荼羅にも後ろ向きですが、一人の往生者を引導している地蔵菩薩が描かれています。

 

春日大社

 

浄土思想の影響から春日山を補陀洛山浄土とする信仰が生まれました。

今の春日大社からは想像できない浄土観があったことを知りました。

 

春日験記と興福寺由来記によると、鹿島神が常陸から春日山麓に影向する時、白鹿に乗り移座されたと書かれているそうです。

このため春日大社・興福寺で神鹿として尊ばれました。

 

表参道の鹿

 

東京国立博物館蔵の春日鹿曼荼羅では描かれていませんが、奈良国立博物館蔵の図には春日大社の五神が仏さまとして描かれています。

 

東京国立博物館蔵

   東京国立博物館ブログlink

 

春日大社ホームページ

春日大社 

 

鹿島神宮の鹿モニュメント 親子鹿像「むつみ」地図link

 

 

境内には鹿園があります。

鹿島神宮  茨城県鹿嶋市宮中2306−1 ホームページlink

鹿島神社blog

上野の森美術館「兵馬俑と古代中国」 台東区上野公園

2015年から16年に東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」展が開かれていました。

今回は近くの上野の森美術館で「兵馬俑と古代中国」展です。

 

 

兵馬俑は撮影可能でしたので、拝観者の殆どがスマホで撮影していました。

 

銅車馬(複製)

始皇帝が乗っていたのかも知れません。

下が始皇帝廟で発掘された他の銅車馬です。

 

騎座俑

本物の馬と一緒に埋められていた人物俑です。馬の世話係のようです。

 

何体もの武士俑が展示されています。

 

後ろのパネルには数多くの人物俑 が並んで埋められていたのが分かります。

 

 

最後の展示品の前には、証明によって甲冑の構造と実際の色合いが表示されます。

 

 

始皇帝の権力者としてのすごさの一部を見ることが出来ました。

今でも始皇帝以上の権力者になろうとする人がいるようです。周りの国々も目が離せないでしょう。

 

上野の森美術館  東京都台東区上野公園1−2 ホームページ

   までです。

 

東京国立博物館 国宝「長谷川等伯筆 松林図屏風」 日本文化のひろば

今年は博物館が創立され150年になります。さらに戦後、国立博物館となりました。

国立博物館となり、最初に納められたのが、長谷川等伯筆の松林図屏風です。

 

※午前中はサントリー美術館で智積院蔵長谷川等伯の国宝・楓の図などが展示されており、美術館には二度目の見学に訪れています。サントリー美術館 名宝「智積院」展 ブログ

 

 

順番が異なりますが、先ずは松林図屏風です。

ここに一番多くの見学者がいました。

 

 

しばらく待って右側の屏風のみ人物が写らないよう撮影することが出来ました。

 

 

弘法大師像

 

古墳時代の銅鐸や埴輪

 

色々な時代の神仏画

 

春日鹿曼荼羅

 

衣装

 

鳳輦(ほうれん)

江戸時代19世紀に天皇陛下が行幸に使用する際に使用されました。

 

 

ネットのニュースに予算が足らないと書かれていました。

エネルギー危機により、光熱費の予算2億円に対し、その倍以上となる4.5億円かかるそうです。

 

 

当然修復の予算も足らなくなるのでしょう。

僅かですが納めさせていただきました。

 

水仙が咲き出しました。

数日前から一輪だけですが、水仙が咲いています。

 

慰霊碑のそばだけです。

他の花は蕾のママです。

 

 

他の種類は、まだ土から少し葉がのぞく程度でした。

 

 

兎の木目込み人形が奉納されました。

毎年お正月には檀家さんから十二支に因んだ木目込み人形が奉納されます。

今年は卯年ですので兎さんです。

 

 

亀が乗っています。

ウサギとカメの話しを誰もが浮かべるでしょう。

 

 

 

お正月の七福神参拝期間は福禄寿さまの前にまつります。

 

 

あけまして おめでとうございます

 

今年も武蔵野七福神・福禄寿さまの御開帳を御本堂にて元旦より十五日間行います。円泉寺は11日から1月末頃までは阿弥陀堂。

布袋尊 山口観音 埼玉県所沢市上山口2203 地図 04-2922-4258 事務局
大黒天 長泉寺 埼玉県入間市豊岡2丁目2-8  地図 04-2962-2306  
弁財天 円照寺 埼玉県入間市野田158  地図 04-2932-0829 会長
毘沙門天 浄心寺 埼玉県飯能市矢颪222  地図 042-972-3937  
寿老人 観音寺 埼玉県飯能市山手町5-17 地図 042-973-1331  
恵比寿 諏訪八幡神社 恵比寿神社 埼玉県飯能市飯能263  地図 042-973-1884  
福禄寿 円泉寺 埼玉県飯能市平松376   地図 042-973-5716  

 

いくつかの仏画掛軸も展示する予定です。

 

高山祭 布袋台

福禄寿  雪洞作

是非御参拝ください。

 

御本堂

妙見堂

 

 

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