2017年09月

岩室観音(四国八十八カ所石仏) 松山城跡 龍性院 埼玉県比企郡吉見町

岩室観音
あることを調べていると、吉見町の岩室観音が目に止まりました。
以前車で良く通った場所でありながら気がつきませんでした。
本日は友人と一緒です。

百穴のすぐ近くです。地図

岩窟売店のすぐ前です。

岩窟ホテルの西側に車を止めるスペースがありますので、止めさせていただきました。
岩窟ホテルは「岩窟ほってる」から「岩窟ホテル」と言われるようになりました。
昔は側まで行けたのですが、今は草ボウボウです。


さて、岩室観音です。ここは龍性院の境外仏堂です。懸造りとなっています。

 


お寺の山門と思うでしょうが、お堂です。
一階には四国八十八カ所の石仏が祀られています。

 
 
 
熱心にお参りに来られる方々がいるようです。

 



二階が本堂になっていました。

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次は胎内巡りです。
チェーンの所を登って下さい。
 
ハートの穴です。子宝・安産・子育て祈願と言われてますが、かなり滑りますので危険です。
観音様と胎内巡りで、良縁成就をご祈願してください。
但し滑らない靴で行かないと大変なことになるかも !
 
松山城跡

さらに南に行くと松山城となります。関東屈指の山城でした。吉見町サイト

松山城 埼玉県比企郡吉見町北吉見


城跡だけにかなり急斜面です。
雨の時や下が湿っているときは危険です。


 

 

 
 
城跡は民有地ですので、整備がむずかしいのかもしれません。かなり荒れていました。
 

 

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東松山市街が望めます。


藪だらけで滑りますので、これ以上進むのは止めました。

 
 
龍性院
私が住職を務める寺と同じ真言宗智山派に属します。地図
 
境内の福徳弁天様です。
大きな鯉が泳いでいました。
 
 
蓮の花の頃に来たかったですね。
 
龍性院   埼玉県比企郡吉見町北吉見459
近くに根小屋集会所がありますので、この地区は松山城配下の武将が住んでいた地区なのでしょう。
 

キンモクセイ

境内参道のキンモクセイが咲いています。お墓参りの方々を甘い香りが出迎えてくれます。
ギンモクセイは完全に咲き終わっていました。

 
 
でも以外と檀家さんとの会話には出てきませんでした。
私も鼻が悪くなったのか、昔ほどには香りを感じることが出来ません。
 
 
 

金木犀

境内には銀木犀が二本、金木犀が五本植えられています。銀木犀はすでに咲き終わっていますが、金木犀は今が盛りです。

 

 

 

 

以前は咲き始めると、お参りの檀家さんから話が出るのですが、今年はどういうわけか一度もありません。

お参りの方は参道を通り、香を楽しんでください。

 

薬師如来

30年ほど前にバラバラになっていた御尊像を修復し、お厨子も新調致しました。

 

東方浄瑠璃世界の教主と言われています。
病気平癒、健康祈願の仏様として信仰されています。また十三仏の内、49日忌の担当の仏様ですので、法事の折には必ずお薬師様のお話をしています。

 

以前あるセミナーに行きました。

最期に受講者の質問があり、「曼荼羅に薬師如来が描かれてないのは」「なぜ国分寺に薬師如来が祀られているのか」の二点質問がありました。

  1. 薬師如来が信仰されたのはシルクロードの国々である。インドでは信仰されなかったために曼荼羅に描かれなかった。
  2. 国分寺に祀られたのは、「鎮護国家」のためである。

1.は全く気がつきませんでした。五仏の内、東方の阿閦如来が信仰されなかったのは、お薬師さんの世界と重なるためだったようです。そのためか阿閦如来が祀られているお寺は少ないです。奈良の薬師寺では、お薬師さまの台座に葡萄唐草文があしらわれています。

2.は高校の授業で教わったことがありましたが、すっかり忘れていました。その当時のお薬師様の役割と後世の信仰とは、違いが大きすぎます。

 

以前山梨県甲州市の大善寺のお薬師さまがブドウを持ったお姿であるのを知り、その訳がシルクロードにあったとは思いも寄りませんでした。古くは他にも葡萄を持ったお薬師様があったようです。

甲州葡萄の歴史も大善寺のお薬師さんが関連しているように書かれていますが、史実かどうかはともかく甲州にふさわしい仏様ですね。

明治になり大善寺をお参りしたお公家さんが、「薬師如来が手に葡萄を持つのは間違いだ」と葡萄を外させたことがあったようです。十数年前にはその人達の名前がネットに出ていました。

 

話は変わりますが、「逃げるは恥だが役に立つ」で大善寺が撮影に使われ、参拝者が3倍に増えたそうです。

 

大善寺お薬師さまのご開帳は5年に一度です。次回は、平成30年10月1日~14日となります。

大善寺薬師如来        大善寺Wikipedia

 

追記 2022.03.20

中武蔵薬師霊場

当寺は含まれていませんが、十二年に一度寅年に御開帳があります。

ブログlink

 

 

渡辺綱 浮世絵 役者絵 茨木の一條戻橋の場(豊原国周)と綱館(楊州州延)

十数年前になりますが、鴻巣市に出かけた折、渡辺綱がこの地で生まれたことを知りました。

その後二度ばかり綱の生地を探訪しました。

運良く手に入れることが出来た三枚綴の役者絵「茨木?」の場面です。幕末から明治に掛けて活躍した豊原国周(とよはらくにちか)と楊州周延(ようしゅうちかのぶ)により描かれました。

 

一條戻橋の場 豊原国周 浮世絵

 

綱館          楊州周延Wikipedia

 

  1. 歌舞伎の戻橋恋の角文字(もどりばしこいのつのもじ)」の一條戻橋の場は、明治23年に歌舞伎座で上演されました。髭切の太刀(現在北の天満宮に収められている)で、鬼(怪童丸)の腕を切り落とした場面です。渡辺綱を初代・市川左団次、怪童丸を五代目・尾上菊五郎が演じています。
  2. 同じく歌舞伎の役者絵です。渡辺綱を市川左団次・茨木童子を尾上菊五郎です。童子が綱邸で腕を取り戻す場面です。

鬼が怪童丸と茨木童子となっています。同じ鬼のはずですが歌舞伎に詳しくありませんので、あやふやなままです。ご了解ください。

 

これら浮世絵は、友人の渡辺さんにお譲りしました。とにかく鬼より怖い渡辺綱の子孫ですから、などと言ったら笑われるだけでしょう。

 

 

渡辺さん達と一緒に鴻巣市を訪れたときのブログです。 リンク

渡辺姓の方は、一度訪れることをお薦めします。

 

天皇皇后両陛下が飯能市にお立ち寄り

両陛下が日高市の高麗神社、巾着田の後に飯能市に寄られました。

 
 
家内と娘はは昼前から飯能の合同庁舎まで出かけました。
一番前でしたので、良い写真も撮れましたが、あえてシルエットだけです。
旗の振り方を前もって教わり、練習だそうです。
 
 
 
 
 
早く行った人は、菊をいただきました。
 
 
 
私はお寺で檀家さんのお相手です。
彼岸の入りでしたが、例年に比べお墓参りがかなり少ないと感じました。
 
 
追記
後日檀家さんに聞くと、かなりの割合で両陛下の訪れ先に出かけていたようです。
ある施設を運営する方は、施設の子供達と道路でお迎えすると、車の速度を緩めて、にこやかに手を振って頂けたと話していました。
施設の人や親御さんは、皆涙を流していたそうです。
お二人の優しさに触れた、幸福の時だったようです。
 
 
 
 
 
 
 

午頭天王のお姿 若木神社・旧別当石寳院 羽黒山橋本坊

別当 石宝院のお姿

山形県東根市の若木神社(おさなぎじんじゃ 旧別当石寳院)江戸期のお姿です。
 
 
 
現在も牛頭天王の神像が祀られているようです。
 

羽黒山橋本坊

これも山形県です。江戸期に発行されていたものです。 出羽三山大権現 ←出羽三山大権現の地図に橋本坊があります。
 
 
 
 
牛頭天王の部分
 
 
 

廃仏毀釈

仏様ではありませんが最も廃仏毀釈のやり玉に挙がった神でした。
全国の牛頭天王社や祇園社は、八坂神社や須賀神社など名前を変えられ、祭神は同神とされる素戔嗚尊に変えられています。
 
当寺境内の八坂神社は、天王さまと呼ばれています。地元の人はなぜ天王様と呼ばれているのか知りませんでした。
 
各地の神社で行われている夏越の祓の「茅の輪くぐり」は、本来牛頭天王と関連があります。
全てを消すことが出来なかったのは、それだけ広く信仰されていたことを物語っているのでしょう。
 
以前午頭天皇社であった伊勢二見の松下社のブログ      ブログ1     
 

秩父神社の妙見様と養蚕神

秩父の妙見菩薩は女性?

秩父神社の妙見様は女の神様と言われています。旧武蔵国秩父郡や隣接する地区では、長女が○○神社、次女が秩父神社、三女が△△神社であるなどの三姉妹伝承があります。

童子形の妙見菩薩で他に女性とする所は、聞いたことはありません。

 

 

秩父神社のお姿と他の童子形妙見菩薩

童子形妙見菩薩の中世以降のほぼ共通した特徴
・亀に乗る
・髪の毛が長い
・甲冑を着て剣を持つ
秩父神社のお姿は他と異なり、桑の枝を持っています。
 

 

 

 

他の童子形妙見菩薩

群馬県高崎市群馬町  妙見寺

ブログlink

福島県南相馬市  相馬太田神社

福島県南相馬市  小高神社

福島県相馬市  相馬中村神社

ホームページ

 

不明

磐裂(いわさく)神社

栃木県日光市遠下3-1

 

中世以前の妙見菩薩は、吉祥天や密教系の諸天のお姿をしています。 三井曼荼羅図link
 
髪の毛が長いだけが女性の特徴ではありません。たとえば日本でも根来の行人や占い師は長髪でした。
髪を長く伸ばしている男は、特殊な能力を持った人の意味もありました。
無関係と思いますが、牛飼い童(うしかいわらわ)も成人でありながら長髪です。
道教の神々は、長髪が多く見られます。
 
日本では子供と老人は神に近いと考えられていました。
私は童子形妙見菩薩は玄武(中国では真武)がそのまま入ったのではなく、子供の姿として日本的展開をしたとの立場でいます。
聖徳太子像も少年の姿が多く見られます。
話は変わりますが、死後老人が子供になってあの世に行く図があります。人は若返って浄土に向かうと思われていたようです。
中世の童子形(津田徹英著)が参考になります。
 

常陸国(茨城県)の三蚕神社

星福寺  茨城県神栖市日川900

星福寺の衣襲明神ブログlink

蚕養神社  茨城県日立市川尻町2

蚕影神社 茨城県つくば市神群1998

 

 妙見菩薩と養蚕神の習合

秩父に祀られるより以前に祀られている高崎市の妙見寺お姿をはじめ、他の神社仏閣では桑を持っていません。

 
秩父は養蚕で栄えました。明治以降は秩父銘仙も知られるようになりました。秩父の祭りは養蚕と関連しています。

秩父の妙見様は女神である養蚕神と習合し、江戸期に女性の神様とする考えが生まれたと思っています。

また、秩父夜祭りは、秩父神社の女の神様と武甲山の男の神様が、逢い引きする日と言う人がいますが、単なる俗信だと思います。
おそらく諏訪信仰が秩父に早くから入っており、諏訪湖の御神渡り(おみわたり)伝承が、秩父で武甲山と秩父神社に変化したのではないでしょうか。

諏訪信仰に詳しい友人も同じ様な意見でした。秩父神社の関係者も同じ様な意見の方もいます。

光明真言曼荼羅

数年前求めた掛け軸です。
大日如来の周りに梵字で光明真言が描かれています。

 

この曼荼羅図の中心は胎蔵界大日如来が描かれ、その周りを光明真言が書かれています。



画像を検索すると上に光明真言に囲まれた金剛界大日如来、下に胎蔵界大日如来が描かれている図画いくつか見られます。画像リンク

ひょっとすると別に金剛界の光明真言曼荼羅と対になっていたとも考えられますが、例が無いので何とも言えません。

 
時々お掛け軸を出して使用したいのですが、表装し直ししてからとなります。
 
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