2016年05月

樹齢約200年の大きなタブの木

当寺で一番大きな木が椨(タブ)の木です。妙見堂の西側にあり、境内に入れば誰でも気づくはずです。

 

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市内にはもっと大きなタブもあり、巨木とまではいきませんが、約200年ほど経っているはずです。近くの数社の御神木に比べても見劣りしません。

 

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6月末になると、たくさんの実がなります。さらにしばらくすると実が青く熟し鳥が食べに来ます。

温暖化のせいか、境内や近在にたくさんのタブの木が生えてきます。暖かい地域に生える木ですから、気候の変動を強く感じます

 

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たまに参拝に来られた方が、この木のパワー(気)をいただこうと抱きついているのを見かけます。

檀家さんでは見たことはありません。

お正月の七福神福禄寿様開帳のころが一番多いようです。

 

各地の有名な神社の御神木では、気をいただこうとする人を必ず見かけます。私が見た限りでは、女性が圧倒的に多いですね。

ブームなのか、今まで案内看板が無かった所でも出しています。

 

さきたま古墳群と金錯銘鉄剣 埼玉県行田市

昭和43年に稲荷山古墳から出土した鉄剣が、昭和54年に115の文字があることがわかり、大変な話題となったことがありました。今では「金錯銘鉄剣」(きんさくめいてっけん)と名付けられ国宝になっています。

 

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そのおり度々お名前が出ていたのが、金井塚良一先生でした。高校の恩師で西洋史の授業を受けたはずです?。

高校に勤務しながら地域に根ざした古代史の研究を行っていたことなど、まるで知りませんでした。退職後、埼玉県立さきたま資料館(現・埼玉県立さきたま史跡の博物館)や埼玉県立博物館の館長を務められ、残念なことに昨年亡くなられたそうです。

 

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201652513281.jpg埼玉県立さきたま史跡の博物館
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金錯銘鉄剣パンフレット

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埴輪や神獣鏡・帯金具など興味深い発掘品が展示されています。

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馬形埴輪はかなり大きいです。

 

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金錯銘鉄剣

ここに来られる方々は、ここが一番の目当てでしょう。

2016525141438.jpgいろいろな埴輪

 外に出て、あちこちに散策しに出かけました。

ここの古墳群を見るだけでも利根川と荒川を挟んだ地が栄えたことを如実にうかがえます。

 

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「さいたま市」が出来るにあたり、かつての旧埼玉郡の方々が強く反対したことがありました。私もおかしいと思った一人です。

武蔵国埼玉郡Wikipedia

2016525145025.jpg幸手市から移築した遠藤家住宅

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丸墓山古墳は日本一大きい円墳。

忍城攻めの時は、石田三成軍の陣が置かれた。

 

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二子山古墳

ポピーがキレイでした。

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稲荷山古墳は金錯銘鉄剣が出土した所です。残念ながら工事中で入れませんでした。工事期間は平成29年3月末ごろまでの予定です。

 

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古墳内部が「将軍山古墳展示館」に鳴っています。レプリカですが、さきたま史跡の博物館の展示物が、実際にあったであろう状態で見学することが出来ます

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武人と馬の装い

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石室模型の配置

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さて、さきたま古墳群あたりは条里制により、方格地割の田圃が残されています。近くの熊谷には中条の地名があります。   幡羅郡の条里遺構 リンク

利根川や荒川の流域は豊かな田園地帯だったのでしょう。有力な部族による開墾により、力を付けた豪族が数多くいたに違いありません。

残念ながら古墳に埋葬された豪族は、どこに住んでいたか発掘調査の結果からも不明だそうです

 

しかし、鉄剣鉑銘のヲワケの父・カサヒヨがカサハラとも読めることから、鴻巣市笠原あたりにいた豪族で、武蔵国国造に任命され笠原直使主の一族ではと思われているようです。

 

渡辺綱の生地 埼玉県鴻巣市箕田(こうのすしみだ)

以前この地を訪れて、たまたま氷川八幡神社神社に参拝致しました。そのおり渡辺綱(わたなべのつな)(源綱・953-1025)がこの近くで生まれたことを知りました。豪傑として知られ、頼光四天王の筆頭として知られています。

謡曲、歌舞伎、浮世絵で広く知られました。

渡辺綱 一條戻橋の場 歌舞伎座 明治23年

東京都港区三田の説もありますが、調べてみると平良文(たいらのよしぶみ)と 綱の父・源宛(みなもとのあつる・933-953)との関係からも、ここに間違いないと思います。

京都か大阪で生まれたと思っている人も多いようです。私もかつてはそう思っていました。

 

源宛は源経基(みなもとのつねもと 未詳-961)に仕えていましが、わずか21歳でなくなりました。幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。ここの姓を名乗り渡辺姓の祖となりました。源頼光の四天王として知られています。ただし、坂田金時(足柄山の金多郎)が一番知られているかもしれません。

日本全国で6番目の姓ですが、綱系の子孫の渡辺姓が一番多くいます。  渡辺氏Wikipedia

渡辺の紋は、渡辺星(三つ星に一文字)がよく知られています。上の星はオリオン座の三星で中国における将軍星、一は武運長久や無敵を意味するそうです。

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渡辺綱生地伝説 港区三田ブログ   渡辺綱Wikipedia

 

源宛Wikipedia  源経基Wikipedia  平良文Wikipedia

 

氷川八幡神社、宝持寺の北側当たりから、満願寺と氷川神社にある箕田2号墳南側付近が発掘調査から箕田源氏の館跡と推定されているそうですす。伝箕田氏館(久右衛門遺跡・鴻巣市箕田)。 

 

満願寺       鴻巣市箕田1345  地図

  源経基、あるいは源頼義が創建したと伝えられています。源宛の館がこの南にあったと言われています。 源頼義Wikipedia

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ここの南側が箕田源氏の館跡と考えられています。

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お寺の東にある大御堂は、源経基が阿弥陀三尊を安置する場所を決めるために放った矢が落ちたところと伝えられています。

 ここの北側近くに「武蔵水路」があります。以前は漏水や地版沈下の心配があったようですが、味気ないようでも安心が一番です。

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氷川神社     鴻巣市箕田1260  地図  お隣の家が表示されます。 

  箕田2号墳の上に小さな社があり、別名・三氏塚とも言います。源任と妻子の墓とする古記述があるそうですが、時代が合わないようです。

     満願寺の東脇を南に行くと、すぐの場所にあります。かつては多くの古墳群があったようです。 遺跡マップ

2016526202123.jpgもっと大きな神社と思っていました。でも趣があります。
2016526202239.jpg箕田2号墳

 

氷川八幡神社 鴻巣市箕田2041 地図

  源宛(綱の父)が勧請した八幡宮と源経基(頼朝、義経などの先祖)が勧請した氷川社を合祀した神社です。

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ここの北側が綱の生まれた屋敷跡らしい。

2016526193250.jpg箕田碑には渡辺綱辞世の句や芭蕉・鳥酔の句が彫られています。

鳥居脇の通りに面した場所には、箕田源氏と氷川神社に関する分かりやすい解説版があります。

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宝持寺     鴻巣市箕田2034  地図             

  渡辺綱が祖父・源仕(みなもとのつこう)と父・源宛の菩提を弔う為に創建したと伝えられています。

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寺宝に渡辺綱が鬼を退治した刀があります。

2016526191819.jpg全国渡辺(部)会・嵯峨源氏顕彰会による顕彰碑。左脇には嵯峨天皇から綱などの系譜が彫られています。いけばな「創美流」の家元さんが全国渡辺会事務局長のようです。 創美流リンク
 

 

箕田観音  鴻巣市箕田3755    地図   箕田自治会館が同じ敷地にあります。

   渡辺綱の守り本尊を祀っていたと伝えらてれます。

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箕田観音前バス停が目印です。

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お寺の紋は渡辺の紋でした。

 

伝源経基屋敷跡    鴻巣市大間(埼玉県立上尾高校のすぐ南側)   伝源経基館跡Wikipediaリンク

源経基は、足利氏、新田氏、武田氏、源頼朝・義経など名門清和源氏の先祖です。ただし、武将としては尊敬できる人物ではありません。権威を笠に着た卑小な役人のイメージがあります。

 

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周りは土塁に囲まれています。

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北側が鴻巣高校。

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六尊王経基城址の石碑

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地主が市に寄贈したのだそうです。なかなか出来ることではありません。

 

源経基と武蔵武芝の争いに平将門が間に入り、天慶の乱(天慶2年939)の遠因となっています。 綱の父・源宛はまだ幼少でしたので、この戦には参戦していません。祖父の源仕(みなもとのつこう)は可能性があります。

天慶の乱以降に源仕・宛が経基に従い他の国にも行ったのかも不明です。

この乱が無ければ、源氏も平家(平清盛など)も後世歴史の表に出なかったかもしれません。室町幕府、鎌倉幕府は無かったでしょう。

 

※鴻巣市は武蔵(无邪志)国造の笠原直使主、清和源氏の祖先・源経基、全国の渡辺姓の大本・渡辺綱など超大物がいた土地です。地元の幾人かと話をしたのですが、このことを全然知らない人ばかりでした。私もほとんど知らないことばかりでした。

さらに鴻巣市に国府が置かれ、日本一の古墳群である生出塚古墳群(おいねづかこふんぐん)、東日本最大級の埴輪生産遺跡・生出塚埴輪窯跡(おいねづかはにわかまあと)があります。

人形の町鴻巣として、少しは知られていますが、もっと地元や他の地区の方々に知ってもらいたいですね。

 

勝願寺 埼玉県鴻巣市の二件のお寺  

埼玉県鴻巣市には関東十八檀林の浄土宗勝願寺と真言宗豊山派の勝願寺があります。

 

浄土宗 勝願寺 鴻巣市本町8-2-31

NHK大河ドラマ「真田丸」の小松姫のお墓のあるお寺です。

 

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かつて鴻巣市を通る時は、東松山市を経由して、いつもこの寺の北側を通りました。

檀林であり、有力なお寺であることは知っていましたが、一度も行ったことはありませんでした。 檀林Wikipedia

文永(1264年から1274)年中に登戸の勝願寺(後述の勝願寺)に創建されたと伝えられています。真言宗の寺院となっていたため、天正年間に浄土宗の名跡を残すため、現在の地に浄土宗勝願寺を中興しました。寺領30石の御朱印状を拝領しています。

 

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境内はかなり広く、南側は公園になっていました。

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格式を感じさせる仁王門ですね。

堂宇は明治以降の度重なる災難のためか、傷んでいる建物もありました。鴻巣には多くの寺院があり、各お寺には檀家数が少ないため苦労している所も多いそうです。

 

境内に入ると、真っ先に目に入るのが、「真田丸・小松姫」の旗です。

 

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小松姫には吉田羊が扮しています。

近頃はテレビを見ませんので、吉田羊の名は知っていてもお顔は浮かびません。

2016524192158.jpg真田小松姫の墓
小松姫は真田信重の正妻。本多忠勝の娘。

 

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左から千石久秀、真田信重室、真田信重、真田小松の墓

 

この墓の大きさを見ると、徳川幕府での序列の違いが、一目で分かります。たとえ夫人でも格が上であれば、夫より墓石が大きいですね。

 

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山門を入るとすぐに塀に囲まれたお墓があります。丹後国田辺城主三万五千石の牧野家累代の墓で、かなり広い面積を占めています。

 

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また、伊奈忠次のお墓もあるようです。

 

真言宗豊山派 勝願寺 鴻巣市登戸369 

 

文永年間に然阿良忠上人が浄土宗寺院として創建したと伝えられています。堂宇がそのまま残されましたが、名跡を惜しんだ徳川家康より御朱印状10石を拝領しました。当時住していた僧侶が真言宗でしたので、真言宗勝願寺として再建したのだそうです。

 

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境内はかなり荒れています。

2016524203226.jpg近年本堂を改修しました。

 墓地入口に市指定文化財になっている緑泥片岩製の六地蔵 図像板碑(断碑)があり、観無量寿経の偈と北朝時代中期の康安二年(1362)年の年号が彫られているそうです。

 

野々宮(野宮)神社-日高市・狭山市・鴻巣市と全国の同名の神社

先月に伊勢神宮と斎宮歴史博物館に行きましたが、斎宮と京都の嵯峨野にある野宮神社(ののみやじんじゃ)の関連で埼玉の野々宮(野宮)神社が気になり始めました。  ブログ

埼玉には、野々宮神社が日高市と狭山市。野宮神社が鴻巣市にあります。

日高市の表示板には嵯峨野の野宮神社との関連と考えられていると書かれおり、社家である野々宮家の祖先は日向国タカサダより来在したと伝えられています。

埼玉県神社庁発行の「埼玉の神社」三巻にも関連を否定していませんが、残念ながら確実な資料はないようです。

 

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資料 埼玉の神社三巻の内と新編武蔵野風土記の内一巻

 

斎王の潔斎する野宮がもうけられたのは、崇神天皇の御代からですので、時代が合わないような気もします。

武蔵国の他の神社であったところに、後世になって野宮を祀ったのかもしれません。

 

埼玉の三社は、別々の日に参拝致しました。

 

日高市の野々宮神社

住所  日高市野々宮146 

 

祭神は天照大神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命。社家の古文書によると大宝3年(703)社殿修築という記述があります。慶安2年(1649)徳川家光から社領4石5斗を賜わっています。

私が円泉寺に入ったとき、ある郷土史家の方から「日高市で一番古く格式のある神社は野々宮神社だよ。」と言われたのを思い出します。

 

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日高市 野々宮神社

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ここの鳥居は嵯峨野の野宮神社と同じ黒ですが、形が異なり明神鳥居です。嵯峨野の野宮神社は黒木鳥居といい、神明鳥居で古い形態を残しています。

 

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狭山市の野々宮神社

住所  狭山市北入曽276

 

狭山市の野々宮神社社家の宮崎家の口碑によると、「日向より神武天皇東征に従い大和に入り、朝命により兄弟三人が東国に派遣される。一人は入間(狭山市)に、一人は高麗に、一人は鴻巣に居を構えて、それぞれ野々宮神社を祀り、土地の経営に当たった。」という。

 

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狭山市 野々宮神社

 

主祭神は倭姫命、合祀神は大国主命・少毘古名命(すくなひこなのみこと)。

江戸期は別当の聖護院末宝泉寺が勤めていました。また。宝泉寺は狭山市篠井の観音堂の配下でもありました。

神仏分離で明治7年に住職は復職飾し、宮崎宝と名乗り祠官となりました。宮崎家が代々神職をを勤めています。

 

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神社の100メートル西の鎌倉街道上道(かみつみち)に七曲井があります。  

狭山市北入曽1366

 

鴻巣市の野宮神社

住所  鴻巣市原馬室806

鴻巣市の野宮神社には、神武天皇東征のおりとの伝承は伝わっていないそうです。

 

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祭神は野槌命(のづちのみこと)、別名を草野姫命(かやぬひめのみこと)といいます。

江戸期まで稲福寺が別当でしたが、神仏分離のため明治6年に廃寺となっています。

 

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京都の野宮

天皇が即位すると卜定(ぼくじょう)により選ばれた斎王は野宮に移り、1年の潔斎生活を送り、斎宮へ旅立ちました。

野宮は斎王が選ばれるたびに新たに定められたために野宮跡とされる神社が京都には幾つかあるそうです。嵯峨天皇の皇女・仁子内親王(じんしないしんのう)の時からから野宮神社が野宮となりました。

 

野宮神社  京都市右京区嵯峨野宮町1  HPリンク

西院野宮神社  京都市右京区西院日照町55

 

全国の同名の神社

調べていて、嵯峨野の野宮神社と関連ある神社は少ないようです。

たとえば、地名の相模野の宮とか○○野の宮が野宮といわれ、さらに神社が後世付け加えられ、野宮神社になった所もあるのかもしれませんね。

 

野々宮神社    鳥取八頭郡八頭町上野201

野々宮神社    高知県()香南市()野市町西野()449

神津神社合祀社・野々宮神社    大阪市淀川区十三東2-6-39    ()()

野々宮神社    大阪府淀川区野中1丁目

野々宮神社    大阪府堺市中区深井清水町3889

野々宮神社    大阪府泉佐野市日根野631

猪名野神社    大阪府伊丹市宮ノ前3-6   古くは野宮などと呼ばれていた。

大川神社摂末社・野々宮神社    京都府舞鶴市大川徹光山169-1

木野愛宕神社    京都市左京区岩倉木野町    祭神として野々宮社などを祀る。

野々宮天神社    奈良市六条1   ※天神社のようだ。

野々宮神社    福井県越前市北小山町第20号16番 

笠野神社(元野々宮神社)    石川県河北郡津幡町刈安ヨ22

野宮神社       滋賀県東近江市八日市金屋1-5-12

野宮神社       岐阜市近島829-1

野々宮神社    岐阜県()羽島市江吉良町379

野々宮神社    岐阜県加茂郡七宗町上麻生1609

野々宮神社    岐阜県関市広見808

野々宮神社    三重県いなべ市藤原町市場798

野々宮神社    愛知県西尾市野々宮町北大割55    最初は斎宮明神と称した。

野々宮神社    長野県松本市梓川倭字宮村182

野々宮神社    長野県松本市笹部2-8−3

野々宮神社    長野県松本市征矢野2-14-29 

野々宮神社    長野県松本市両島11-13

野々宮神社    長野県下伊那郡大鹿村大河原2332

野々宮神社    静岡県焼津市大島1507

野々宮神社    群馬県藤岡市上日野字小柏

野々宮神社    群馬県利根郡みなかみ町東峰978

 

ネットで調べただけですので、まだまだあるかもしれません。

 

元伊勢内宮天照大神のお姿掛軸-京都市福知山市

友人のFさんが、元伊勢神宮などを巡礼いたしました。巡礼のテーマは元伊勢だそうです。  Fさん 元伊勢ブログ1  元伊勢ブログ2

先日当寺に来られ、いろいろお話を伺いました。私も元伊勢には興味があり、古い掛軸のお姿を手に入れましたのでご紹介致します。

 

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伊勢神宮も崇神天皇の御代までは皇居に祭られていました。

崇神天皇が豊鋤入姫命に理想的な地を求めさせ、そのあとに倭姫命が引き継ぎ現在の地に定められました。この中の一社が丹後の元伊勢神宮籠(この)神社です。  元伊勢神宮

 

ここでFさんは宮司さんに、いろいろお話を伺ったそうです。Fさんの人徳ですね。

元伊勢に関しては私が書くより、Fさんのブログが良く書かれていますので読んでください。

 

ちなみにFさんは、7月に大峯・天河弁財天に山伏修行を行います。

一般の方の参加者も募集していますので、検討されてはいかがでしょうか。  

山歩きの経験のない私の友人や女性も参加します。

 

  • 募集期間  5月末日まで!  定員になり次第締め切ります。定員30名。
  • 参加資格   18歳以上 男女問わず。                 
  • 日     時  平成28年7月16日(土)~18日(月)  2泊3日 
  • 集     合  近鉄吉野線福神駅
  • 参 加 費    45000円~参加者10名以下の場合追加費用あり。
  •  

費用には現地での移動(車両借上げ、運転手費用)、宿泊2泊(朝・夕食含む)、現地ガイド(山先達)社寺参詣、護摩祈祷料、参拝料含みます。
※現地集合解散のため、行き帰りの交通費は含みません。

お申し込み、資料請求はこちらから         gudou@jcom.home.ne.jp

 

 

鴻神社 埼玉県鴻巣市

先日鴻巣市に行った折、鴻神社(こうじんじゃ)をお参りしました。

当寺の檀家さんのご親戚で、以前この近くに住んでいた方が、子供の安産祈願、初宮参り(お宮参り)、七五三はすべてここで行ったと話していたことがありました。

 

鴻神社は、いくつかの神社を合祀して付けられた神社名です。その中の一社にこうのとり伝説があったようです。

 

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子授け、安産の旗とこうのとり伝説の旗が、あちこちに立っています。

ネーミングがいいですね。ヨーロッパではコウノトリが子供を運んでくると言われています。この伝承は日本のことではないのにもかかわらず、イメージの勝利でしょうね。

 

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大きな銀杏の木の下で、奥さんが気をいただいていました。子供の健康を願っていたのでしょうか。

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赤ちゃんを抱いたご家族が三組いました。駐車場から出て行った方々を含めれば、四組です。カメラマンを買って出て、喜ばれました。

周りは家が建ち並んでいますが、この一角はとても気持ちが良いです。

当寺で「お金(円)が泉のごとく湧き出でる寺」として宣伝しても誰も来ないでしょうね。

でも宝くじで5年以内に大当たりは出ませんが、中当たりが3人出ています。普通は隠しますよね。

 

ケーキ屋さん・パン屋さん「ラポシェ」 飯能市下川崎

地区仏教会の会費を集めに行く途中、ケーキ屋さんを見つけました。ラポシェと読むのですね。意味はフランス語で帽子でした。

私の所から約1.2キロメートルでしかありません。

 

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帰って味にうるさい友人と食べると、美味しいと絶賛していました。帰りにいくつか持ち帰りました。(しめしめ、また太るぞ。)

他の方々にも差し上げましたが、「あんな所にこんな美味しいケーキ屋さんがあるんだ」と言う感想でした。

 

甘めを抑えた上品な味です。

私は健康のため一つだけです。時間をおいてもう一つ食べたかったのですが、我慢我慢。

 

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もっとうまく撮れば良かったのですが。申し訳ありません。

 

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パンは月・火・水曜日

 

奥さんは芦苅ゴルフ社長の姪だそうです。

妙見様のお祭には毎年お参りしています。ありがとうございます。

 
「La poche」  埼玉県飯能市下川崎193-5  地図
℡042-978-5673
 
 
営業日  時間     9~20時 
月 火 水曜日 パン
木 金 土曜日 ケーキ
 
「芦苅ゴルフ」(バス停・川崎)の看板を目印に、2件目です。
 
 

永代総回向法要5月8日(日)の収益金を熊本地震などの義援金としました。

義援金

先日の法要お塔婆料などの収益金すべてを熊本地震と東日本大震災の義援金並びに支援活動資金費と、特定非営利活動法人「小さな一歩」へ、115000円をお渡し致しました。  Home Pageリンク

残金部は福島県大熊町出身の荒岡氏にお渡ししました。千円札と小銭がほとんどですので、数えておりません。後日何かのおり大熊町に荒岡氏が届けます。大熊町

今回の義援金は東日本大震災と重複した支援関係者もおり、熊本にほとんど使用して欲しいとのことでした。

ご協力できる方は「小さな一歩」リンク先よりお問い合わせください。

 

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お塔婆などの合計

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義援金箱(賽銭箱)の中

 

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お位牌は「永代供養各霊位」「大震災物故者各霊」

 

回向法要

 

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読経中のお焼香

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全員で智山勤行式をお唱えしました。

 

瀧川鯉橋師匠による落語の奉納

「強制ではありませんが、木戸銭、義援金として10円以上を募金箱に入れて下さい」とお願いしました。ご協力ありがとうございました。

 

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師匠は檀家さんのご親戚です。

最後に永代供養塔前でご供養。

 

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今後も震災のご支援をお願い申し上げます。

 

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賽銭箱が義援金箱になっています。


追記  2016/05/17

どうでも良い話しですが。

 

この記事を書く前にお渡しする義援金の写真を画像処理しました。

ここで使用したした画像ではありませんが、画像処理が出来ません。偽札防止の技術が使われていました。別の画像縮小ソフトで縮小してから画像処理を致しました。

面白いですね。

 

以前試しにプリンターで千円札をモノクロコピーしたときも出来ませんでした。

良いことですが、今はパソコンもプリンターもネットで繋がっていますので、通報機能があったなら困ったことになったでしょうね。

 

 

北斗七星祠-群馬県沼田市

私が妙見菩薩を調べ始めたのは平成年からでした。妙見菩薩とは北極星、北斗七星が神格化された仏様です。

関東一円の妙見様の寺院、神社、路傍の石仏など本やネットで調べたに週一回はデジカメを持って出かけていました。

 

その中で数多くの石祠にも接しましたが、一番のお気に入りが「北斗七星祠」です。10年前に偶然に見つけた石仏でした。

撮影 平成18年(2006)年6月

 

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石室部分正面に北斗星が彫られています。

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剣が付いた部分は破軍星です。
 愛知県春日井市内津の妙見寺の紋によく似ています。

破軍星が軍を破る星と書きますので、妙見菩薩は武士に広く信仰されました。
 

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八幡宮

沼田市上川田町

 

嫁ぐとき実家の土地と八幡宮を受けついたそうです。かなり旧家のようです。八幡様ですから、古くは武家だったのかもしれません。

後日お写真と妙見菩薩、北斗七星の資料をお送りしたところ、達筆なお礼のお手紙をいただきました。

 

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この近在には、このように石室部分に仏様、神様が浮彫されているのを見られます。

十年前は日本石仏協会の坂口会長にいろいろ教えていただきました。

 

妙見菩薩資料集 リンク

 

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