他の寺社

犬山 寂光院 恵比須と弁財天のこけし 愛知県犬山市

先日、ある仏様の像を検索していると、ヤフオク!のサイトで見つけることができました。

その画像を見ているとマッタク関係ない、寂光院の恵比須、弁財天のこけし?があり、ついクリックをしていました。

御本堂に毘沙門天、恵比須大黒の石像、七福神坂があり、全ての七福神が祀られているようです。

 

 

今でもお授けしているのか、記念品なのかは分かりません。

名古屋には何度か行っていますが、あくまでも観光です。仲間がいましたので、自分の思うようにはなりません。

参拝したのは智山派寺院では、別格本山の大須観音と友人の寺だけでした。

 

 

御住職は袋町お聖天・福生院御住職の弟さんです。

福正院の御住職は、大学時代のクラブ先輩です。たしか私が入学する6年以上前に卒業されていたと思います。

 

寂光院御住職は、寂れていた寺を復興するため尽力されました。

紅葉で有名だった昔に戻すため雑木を切り旧に復しました。

積極的に布教に励み、お寺にいるよりは布教を依頼され、各地に出かけることが多かったと聞いています。

名鉄ともタイアップして、参拝者を増やしたそうです。

 

私にはとてもとても真似することができません。

 

寂光院  愛知県犬山市大字継鹿尾杉ノ段12  地図             寂光院 ホームページlink

近くには、やはり智山派の成田山別院もあります。

 

←「無 良寛禅師」 又野龍也作          板仏 観音菩薩? 釈迦 音声菩薩 不動明王 妙見菩薩

梵鐘の供出 現在の坂戸市・鳩山町・鶴ヶ島市の寺院 永源寺において 昭和18年

全国の寺院の殆どが、太平洋戦争中、梵鐘を供出致しました。

批判をする人も多いと思いますが、この時代は致し方ないことだったのです。

現在の坂戸市・永源寺御本堂前です。昭和18年の撮影でした。

 

 

向かって右から寺院名と住所を記載致します。表示は現在の地名です。

  • 圓正寺 鳩山町
  • 休山寺 鳩山町
  • 坂戸市 宗福寺
  • 鳩山町 真光寺
  • 坂戸市 休薹寺
  • 坂戸市 永源寺(仲町)
  • 坂戸市 大智寺
  • 坂戸市 法音寺(おそらく坂戸市小沼)
  • 鶴ヶ島市 満福寺
  • 坂戸市 西福寺
  • 坂戸市 西光寺(画像が鮮明でありません。坂戸市塚越)
  • 坂戸市 長久寺
  • 坂戸市 永源寺(多和目)

 

私の祖父も一番右に写っています。ただし、この中の寺の住職であったわけではありません。大智寺住職(向かって左から四番目)との関係かも知れません。

今から二十年程前に某寺より借りることができました。スキャナーで取り込んだ貴重な写真です。

このような時代があったのです。

 

←飯能市の入間川と美杉台展望台              オリエンタルユリ ピンクの百合

 

真言宗智山派 圓泉寺 埼玉県川島町

当寺と同じ名前の円泉寺です。坂戸市の御住職が兼務しています。

たまたま近くを通ると、カーナビ「圓泉寺」とありました。

 

 

正面の参道を入ろうとしましたが、かなり狭い道でした。

どこか駐められる場所を確保しようと、すぐ東にある神明神社近くの道路端に駐めました。

この画像左側が神社の杜です。

 

御本尊が、お薬師さまでした。

 

宝篋印塔

 

この板碑は上が欠けています。下が観音菩薩と勢至菩薩の梵字ですから、上は阿弥陀如来の梵字キリークの阿弥陀三尊板碑です。

 

 

圓泉寺  埼玉県比企郡川島町大字一本木71  地図

全国の円泉寺リンク

 

←ある檀家さん 高熱と肺炎で緊急入院               梵字円相掛軸

 

高麗山 聖天院 埼玉県日高市

聖天院は真言宗智山派の寺院です。

埼玉県入間郡の旧高麗群(こまごおり)にある智山派寺院の多くが末寺となっており、円泉寺もここの末寺です。

山門前には、朝鮮式の天下大将軍と地下女将軍の石柱が立てられています。

 

この旧高麗郡には、大陸から大勢の渡来人が来ています。さらに高句麗だけでなく、各地に移住していた新羅(しらぎ)、百済の人々も集められました。

すぐ隣に高麗神社がありますが、各地の白鬚神社は新羅が転訛したと思われています。白子の地名も同じです。

 

 

山門には大きな風神雷神の像が祀られており、山内を守っています。

 

 

山門の東側には、渡来した高麗王若光(こまのこしき じゃっこう)の廟があり、その前に狛犬ならぬ高麗羊が祀られています。

御住職の話ですと、羊は日本における狛犬の役目をしていると教えてくれました。

近々『世界ふしぎ発見!』の取材が来るそうです。

 

高麗王若光の墓    高麗王若光wikipedia

 

 

梵字キリーク(阿弥陀如来)の板碑です。

 

 

中門前の階段などが厳しい人は、東側から登る道もあります。

 

 

この寺の文化財は歴史を伝える、貴重な宝物です。詳しくは聖天院ホームページを参照して下さい。

聖天院ホームページlink

 

 

中門をくぐると、客殿・庫裏に続く庭園前に出ます。元々の御本堂は、ここの庭園の場所にありました。

 

 

庭園の前を左に向かうと、ここも長い階段になりますが、御本堂への参道です。

やはり庫裏の東側から歩いて登る道もあります。

 

 

平成12年に完成した御本堂です。

私もここの落慶式には参列させていただきました。

 

 

御本堂前の八画灯籠は東大寺を模した物と思います。それぞれの面に音声菩薩が彫られています。

 

さて、御本堂に参拝です。

中央に不動明王、左側に歓喜天、右側に大日如来などの仏さまが祀られています。

聖天院に来ると、つくづく寺院格差を感じてしまいます。

 

 

御本堂前の見晴らしからは、左手に日高市の中心部が望めます。

 

 

鐘楼堂から在日韓民族慰霊塔に行くことができます。参拝客もここから向こうに行く人は少ないようです。

 

 

しばらく行くと、在日韓民族慰霊塔に至ります。

在日の方々が、お参りをしていました。以前お参りに来たときもおりましたので、土日や祝日には大勢の方がおいでになっていると思います。

今日は平日ですが、新型コロナウイルスのため少ないのでしょう

 

 

ここにも羊が左右におり、供養塔を守っています。更に武人もいました。

ここも若光の墓と共に平成12年の奉納です。御本堂落慶にあわせて納められたのでしょう。

 

 

さらに大きな檀君、広開土大王、王仁博士などの石像が、東側斜面に並んで祀られています。

 

 

ここに来られている方々と話しをすると、国内在日韓国人のキリスト教系新興宗教・統一教会信者さんでした。

現在の教祖さんの本をいただきました。

 

帰ってから読み始めたのですが、どうしても知人のことが目に浮かびます。

数十年前に、たまにはお茶でも飲まないかと電話があり、話してみると統一教会信者となっていました。

信仰を勧めるために会いに来たようです。

一時、ご両親とも信仰のことがあり、連絡が付かない期間がありました。

それから6年ほどして会った折りには棄教していました。その後、かなり遅い結婚をして今は良い家庭を築いています。

 

それ以外にも

  • 若い信者の会ったこともない人との韓国での合同結婚式
  • 霊感商法
  • 初代教祖の死後に、跡目争いと勢力争い

 

私は仏教系大学を卒業していますが、授業でキリスト教の講義もありました。講師の先生の本や4分の1だけですが聖書も読んでいます。※ただし、実際にはほとんど忘れています。※私は仏教の初期経典・阿含経や法句経が好きです。

統一教会はカトリック、プロテスタントと、大きく異なる教義です。

どうしても違和感を覚えて、この本を読むのを止めました。

中に入ってしまえば、仲の良い信者同士として違和感なく暮らせるのでしょう。この方々は穏やかで、感じの良い人ばかりでした。

 

ここは聖天院の境内ですが、信仰もそれぞれ異なる大勢の在日韓国人が参拝に訪れています。

当然日本人も気楽に訪れていると思います。

 

境内には阿弥陀堂があります。阿弥陀・観音・勢至の阿弥陀三尊が祀られています。

今年は武蔵野三十三観音霊場のご開帳にあたります。

 

 

聖天院   埼玉県日高市大字新堀990−1 地図

 

←中国の仏さま              父親の一周忌に帰れない !

 

円照寺の睡蓮とコウホネ 埼玉県入間市

円照寺は円泉寺と共に、武蔵野七福神の札所です。

埼玉県の七福神札所の御朱印を紹介する本が出版されるとのことで、札所の会長している御住職に御朱印を届けに参りました。

 

 

弁天堂の池には、たくさんの睡蓮とコウホネが咲いていました。

一眼レフを持ってくれば良かったと思いましたが、小さな古いカメラが車に入れてありましたので、撮影をすることにしました。

 

 

睡蓮が一番の見頃でした。

 

 

 

鯉が寄ってきました。受付に鯉のエサを売っています。

 

 

コウホネも咲いているのですが、もっとアップで撮れば良かったと思います。

 

 

若い女性が、キヤノンのフルサイズで撮影していました。あれならば良い作品になるでしょう。

私はAPS-Cでも軽いカメラと軽いレンズのみの撮影が多くなりました。近頃は古い普通のデジカメが増えていますが、画質は一眼レフにはかないません。

 

まだ、掲載予定のブログもあるのですが、睡蓮が見頃ですので、こちらを優先致しました。

 

真言宗智山派 円照寺 埼玉県入間市大字野田158  地図

 

←緊急事態解除後も新宿には寄るな ! 新宿区の某会社の方針               能勢形妙見菩薩像

天台宗 薬王寺 埼玉県毛呂山町

嘉元の板碑に行く途中、ナビに薬王寺とありましたので参拝致しました。

毛呂山町の医王寺に参拝した後でした。寺名が異なっても薬師如来が御本尊となるわけです。

 

 

新編武蔵野風土記によれば、「天台宗、仙波中院の門徒、医王山千手院と号す、本尊薬師を安ぜり、」とあるだけでした。

まるで当寺・円泉寺のような新編風土記の文章です。

円泉寺のように江戸末期に住職が住んでいなかったからかも知れません。無住のため幕府への提出書類が、おろそかになっていた可能性もあります。

しかし、薬王寺は、良く整備されていると思います。

 

 

入口から御本堂に向かう途中に、六地蔵の石仏が祀られていました。

三面に地蔵菩薩が二体づつ、側面には南無阿弥陀仏と彫られています。

 

 

御本堂正面の額は、医王山とありました。

 

 

境内には板碑がありました。一部は読めるのですが、よく見ると自信が無くなります。

中央には大きめの梵字が三文字あります。上から梵字・大日如来「バン」、阿弥陀如来「キリーク」、釈迦「ハク」と思います。

左右の梵字と下の文字は、摩耗しており自信がありません。

 

 

天台宗 薬王寺 埼玉県毛呂山町葛貫821  地図

 

←嘉元の板碑 埼玉県毛呂山町               緊急事態解除後も新宿には寄るな ! 新宿区の某会社の方針

 

真言宗智山派 医王寺 埼玉県越生町

医王寺は円泉寺と同じ真言宗智山派に属しています。

越生町のホームページによると

「室町時代の応永19年(1412)、法恩寺第二世の曇秀を開山とする法恩寺の末寺です。寺に伝わる貴重な歴史資料として、天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの際、前田利家が軍勢の乱暴狼藉を禁じた禁制状が保存されています。また、薬師堂本尊、木造薬師如来坐像は越生に残る平安彫刻のひとつです。」

とあります。

法恩寺と同格の時代もあり、応永年間には十八ヶ寺の末寺がありました。

 

 

かなり大きな御本堂でした。

 

 

御本尊は平安末期から鎌倉時代の薬師如来とありましたが、下の画像の御堂が薬師堂のようです。

 

 

御堂の彫刻は、格式を誇る寺院らしく、見事な彫刻が施されていました。

 

 

鐘楼堂

 

ご住職夫人がおりましたので、虚空蔵尊のことを聞くと、「 祭礼の時は住職が儀式を執り行いますが、虚空蔵様は村持ちです」と話されました。

兼務寺とか医王寺持ちと書かれていることもありましたが、親切に教えていただき感謝しています。

 

医王寺 埼玉県入間郡越生町大字上野2043 地図

 

←虚空蔵尊 埼玉県越生町               嘉元の板碑

三満山 虚空蔵尊 埼玉県越生町

昭和48年(1973)に虚空蔵堂の万蔵寺(廃寺)天井裏から小判や古銭が109枚発見されました。

そのため福の神としての名声を高めたようです。

私も新聞で読んだ記憶がありました。ここだったとは思ってもいませんでした。

 

毎年3月にだるま市が開かれ、多くの参拝者で賑わいます。

 

 

参道東側の赤い屋根の寺が、廃寺となった万蔵寺と思います。

全国の寺院は無住や廃寺が増えています。特に祈願寺を維持するには、厳しい時代となっています。

 

 

ここから桂木観音方面には車では行けません。通行止めになっていました。

あくまでもハイキングコースとして、地元の方の道です。

 

 

この後に近くの医王寺にも参拝しましたが、たまたま住職夫人がおり、「 祭礼の時は住職が儀式を執り行いますが、虚空蔵様は村持ちです」と話されていました。

兼務の寺や医王寺持ちではないそうです。

 

 

朝方まで降っていた雨のため、落ち葉のある階段を注意して登りました。

手すりがあって助かります。

 

 

虚空蔵堂に到着しましたが、息切れをしてしまいました。運動不足です。

 

御堂は比較的新しく、高い場所での資材の搬送、工事など、どのように行ったのか興味があります。工事用道路があるのか確認を忘れました。

今日は誰もいませんが、祭礼のブログなどを読むと、多くの人に愛されていると思いました。

 

 

毎年3月の祭礼には、多くの参拝者で賑わいます。

中を覗くと虚空蔵菩薩の三満山星光院とあるお姿がありました。

私はうさぎ年ですが、旧暦で言えば寅年です。健康を祈願して般若心経などをお唱え致しました。

 

 

ここの石仏は子授けの虚空蔵菩薩です。

各地(特に関西)の虚空蔵菩薩をお祀りしている寺院では、十三詣りが昔から知られています。数えで十三歳になったおりに、知恵と健康を授けていただくよう、お参りする行事があります。

知恵の文殊と言われていますので、入学成就・学業成就祈願で多くの参拝者が詣でる寺院もあります。

私は、これ以上ボケないようにと、お願い致しました。

 

 

階段を登り切った場所に狛牛、狛虎の石像が祀られています。

 

 

虚空蔵菩薩の生まれ年本尊が、丑年・寅年にちなみ祀られています。

 

狛牛

 

狛虎

 

以前はこのくらいの階段は怖くありませんでしたが、ぬれていましたので慎重におりました。

 

 

この後、近くの医王寺に向かいました。

 

三満山 虚空蔵尊 埼玉県入間郡越生町大字上野2261 地図

 

円泉寺と七観音石塔 埼玉県越生町               真言宗智山派 医王寺 埼玉県越生町

 

円泉寺と七観音石仏 埼玉県越生町

私が住職を務める寺と同じ寺院名であり、宗派も同じ真言宗智山派に属しています。

東松山市の御住職が兼務しています。

 

 

新編武蔵野風土記によれは、御本尊は薬師如来とあります。

 

参道入口には立派な板碑が祀られていました。右側には地蔵菩薩です。

板碑は残念ながら上部の梵字部分が割れており、文字も風化しています。

 

 

寺の西側の道を北に向かうと、七観音と馬頭観音の石仏がありました。

 

 

一番上が千手観、右に聖観音・十一面観音・馬頭観音、左に如意輪観音・不空羂索観音・准胝観音だそうです。

文化11年(1814)に鹿下村の観音講によって作られました。

もともとは白根橋のたもとにあったそうです。円泉寺に祀られたわけではありませんでした。

 

七観音石仏

 

寺の裏側から、ここに来る小道があるようでしたので、てっきり寺の石仏と思っていました。

 

 

円泉寺 埼玉県越生町鹿下60  地図

 

←法恩寺 渋沢平九郎の埋首の碑 埼玉県越生町          虚空蔵尊 埼玉県越生町  

法恩寺 渋沢平九郎の埋首の碑 埼玉県越生町

法恩寺は天平10年(738)に行基菩薩によって開かれた寺として知られています。

江戸時代は真義真言宗関東十一檀林の寺で、多くの僧侶を養成していました。現在でも多くの末寺を持つ真言宗智山派の本寺です。兼務する寺院も多くあります。

ここも越生七福神の札所で、恵比須さまを祀っています。

 

渋沢平九郎の墓の三回目です。自決の地リンク     全洞院墓

 

場所は「越生駅」西側から、すぐの場所にあります。

 

 

多くの宝物が残されており、重要文化財などに指定されています。

同じ宗派ですが、私が住職をする寺とは、歴史も規模も大違いです。

 

 

渋沢平九郎埋首の碑は、墓地に向かう階段の途中にあります。

 

 

明治7年(1874)、法恩寺の渋沢平九郎お骨は、場所が分からないようです。谷中の渋沢栄一家の墓に移されましたと書いてあるサイトもありましたが、事実ではなさそうです。

渋沢栄一家の墓にある平九郎の墓は、石塔が深谷に移されたようです。事実か分かりませんので、後日確認したいと思っています。ストリートビューで見ても、谷中には他の方が紹介している石塔がありませんでした。渋沢栄一家 谷中墓地 地図

全洞院のように墓は作らなかったようです。

この碑は、昭和39年に建立されました。

 

 

境内は広く、また整備されていました。

 

 

法恩寺 ホームページlink

法恩寺 埼玉県入間郡越生町大字越生704  地図

 

 

←渋沢平九郎の墓 全洞院 埼玉県越生町          円泉寺と七観音石塔 埼玉県越生町

 

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