他の寺社

霊巖寺 日高市

先日お寺に来た日高市の郷土史研究家が、霊巖寺に勝軍地蔵像が祀られていると話していました。

たまたま日高のパン屋さんに行き、思いついてお参りに行きました。

御住職は当寺と同じ、真言宗智山派埼玉十一教区に属するお寺です。教区の布教師会長も務めています。

 

 

 

買ったパンを土産に、お話を聞かせていただきました。勝軍地蔵像は、御本堂に祀られているとのことです。

御本堂他、境内の石仏などもお参りしました。

枝タレ桜開花の季節には、さぞかし見事でしょう。

 

 

箕輪観音の下に宝鏡院陀羅尼塔他、3体の石像が祀られていました。

 

十三松堂先生のことは知りませんでした。帰って調べると正木直彦氏でした。正木直彦Wikipediaリンク

どのようなことで、ここに石像の祈念碑があるのか、後日御住職にお目にかかったとき聞こうと思います。

景仰治とありますので、ここに来られたことを記念して関係者が建立したのでしょうか。

 

先日の台風では、高麗川も甚大な被害がありました。

近くの養鶏場では何万羽の鶏が犠牲になり、橋も流された場所もあるそうです。

 

来る途中に入場塚があります。

霊巖寺第十六世御住職が、寛政9年に即身仏となったとき建てられた石塔のようです。

即身仏は山形県など、東北の日本海側に多く祀られています。隣の日高市におられたとは知りませんでした。

 

←境内の花々           第七回ペット合同供養→

 

当寺の勝軍地蔵掛軸は最近もとめた愛宕権現曼荼羅です。京都の愛宕山信仰が江戸時代に各地に伝播しました。

その当時使用されていた掛軸と思います。

 

 

 

霊巖寺  埼玉県日高市大字新堀740 地図

 

道教の神社 聖天宮 5000の龍 坂戸市

聖天宮(せいてんきゅう)は埼玉県坂戸市に平成7年に開廟されました。 

当時、開廟されたのは知っていましたが、お参りしたのは初めてです。関越高速の坂戸鶴ヶ島インターからすぐです。

あいにくの天気でしたが、4人の仲間と参拝です。4人とも初めてでした。

 

 

五千の龍が登ると書かれていましたが、大小たくさんの龍が祀られています。

とてつもない費用がかかったのでしょう。

広い駐車場がありますので、普段は困ることが無いと思います。10時に入れますが、先客は御夫婦二人だけでした。途中で観光バスが一台と数台の自家用車が入ってくるのが見えました。

 

道教は日本では認識されていませんが、深く日本人の中に根付いています。

 

あいにくの天気のために、あまり良い写真を撮れませんでした。晴れの日がお勧めです。

 

 

内部は多くの彫刻と共に中国の絵が描かれています。

 

前殿天井の細かな彫刻も日本では考えられないほど、ビッシリ並んでいます。

中国、台湾、韓国に旅行に行った方は、珍しくないかも知れません。海外では、いつも多くの方が参拝していると行った人が、かつて話していました。

 

鼓楼から見た天門です。周りに家が増えていますが、坂戸駅や若葉駅の周りと異なり、田園風景も残っています。

 

本殿に向かいました。御本尊の三清道祖が祀られています。私たちは案内の方に教わりながら、お線香を三本ずつ手向けました。

写真は手前の黒い下張りの所からしか、撮影できません。

 

 

北斗星君は、日本では妙見菩薩・霊符神として祀られています。健康長寿をお願い致しました。

 

ここの天井もスゴイ彫刻です。

 

休憩室で、帰りに台湾の飲み物を自動販売機で買って帰りました。

 

聖天宮  埼玉県坂戸市大字塚越51−1  地図           聖天宮ホームページlink

 

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曹洞宗・高福寺 埼玉県毛呂山町

私にとっては遠縁の方が御住職をしています。かなりの遠縁で親戚付き合いをしているわけではありません。

前々からお参りに行こうと思っていたのですが、知ってから50年以上経ってしまいました。

 

 

昔から精進料理で知られており、父も生前に教職員の研修で行ったことがあると話していたのを覚えています。

 

 

また、友人の菩提寺であり、葬儀の折には副住職さんとお会いしています。

御法事後の御斎では、御住職と話しを致しました。

 

 

ホームページにありますが、一般の方に向けた座禅会も行っています。変わっているのは、曹洞宗では珍しい滝行があります。

友人から聞いたのですが、なんと副住職が修験を行っていることです。鳩山町の金澤寺さんも仲間のようです。

柴燈護摩などを当寺と同じ真言宗智山派僧侶と共に、行っているようです。

 

 

境内からは出雲伊波比神社の杜や埼玉医科大学病院を見渡すことが出来ました。

 

 

高福寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字滝ノ入117  地図        高福寺ホームページlink

 

←毛呂氏菩提寺 妙玄寺 毛呂山町      道教の神社 聖天宮 坂戸市→

毛呂氏菩提寺 曹洞宗妙玄寺 毛呂山町

妙玄寺は天文3年(1533)に毛呂顕季(あきすえ)婦人の創建と伝えられています。

毛呂氏の墓がありますので、お参りに行きました。毛呂氏 武家家伝link

 

読みづらくなっていますが、「墓参りには まず本堂の御本尊様に参拝してから 自分の家のご先祖様のお墓に お参りしましょう」の看板があります。

私も御法事の時などに話していますが、手を合わす檀家さんは少ないのが現実です。何枚かポスターを貼る事にします。

 

御本堂

 

この御堂には、埼玉医科大学献体、病理解剖体の慰霊の御堂です。観音様が祀られていました。

以前、円泉寺の永代供養を希望した人が2名おり、献体後にお骨を火葬にしてから納骨することを依頼されました。まだ健在なのかも知れません。

近年は献体の申込みが多いそうです。

しかし檀家ではありませんが、夫を献体したので葬式はしないと言った奥さんがいました。親族のムッとした顔を思い出します。

葬儀屋さんに聞いたのですが、髪の毛とか爪などを前もって用意し、葬儀を行った家があるそうです。

 

 

植木屋さんがいましたので、お墓参りは可能かと聞くと大丈夫とのことでした。

毛呂氏のお墓は屋根が見えましたので、すぐ分かりました。

 

墓石と言うよりも供養塔のようです。

創建よりも古い供養塔もあり、開山以前から毛呂氏の墓だった可能性があるそうです。

毛呂土佐守秋重は北条方について、八王子城に籠城しましたが討ち死にしました。毛呂氏の末裔は、徳川幕府の旗本として残ったようです。

以前何かで読んだのですが、残された一族は上州に逃げ隠れたと書いてあったように記憶します。間違いかも知れません。

毛呂姓が一番多いのが群馬県です。

 

曹洞宗 妙玄寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字毛呂本郷244 場所

 

←国津神神社と山本坊歴代の墓          高福寺 毛呂山町→

国津神神社と山本坊墓 毛呂山町

国津神神社

廃仏毀釈によって日本全国の修験は廃止され、神社にしたり帰農した行者が多くいました。後に復活したのは、ごくわずかです。今でも復活することを考えている僧侶や神職もいます。

越生に山本坊を起こした本山派修験の別当・栄円の末裔が、後に西戸に移り熊野社を勧請しました。慶安2年(1649)には寺領47石あったそうです。

武蔵国の入間群・秩父郡・比企郡と常陸・越後の一部をの霞を支配したです。48ヶ寺の末寺がありました。

 

大正4年に熊野社から国津神神社と改めました。

国津神神社 毛呂山町西戸916

 

山本坊二十五世・徳栄法印が建立した芭蕉の句碑  「山さとは 万歳をそし うめの花」

 

山本坊墓

埼玉県毛呂山町西戸  地図

国津神神社の前を北向かい、突き当たりを左に折れます。

また突き当たりますので、今度は右折です。

 

右折後に階段のある場所の手前を右に折れて、約20メートルで歴代の墓に至ります。

 

山本坊は平将門の子孫と伝えられ、相馬の姓を名乗っていました。家紋も九曜星です。

 

以前、友人が山本坊は絶えてしまうと話していました。絶えてしまったのかも知れません。

お墓参りに来られているようには思えませんでした。

 

←智福寺の板碑と八坂神社の御まら様          毛呂氏菩提寺 妙玄寺 毛呂山町→

智福寺の弘安・応長の板碑 八坂神社 埼玉県毛呂山町

智福寺

智福寺は無住の寺院です。

お寺の駐車場に電話ボックスがありました。いつもスマホがありますので、意識したのは久しぶりです。

 

御本堂前に大きな板碑が並んでいます。

大きな二面の板碑は、幕末に廃寺となった常楽寺に建てられていました。

 

阿弥陀如来の梵字キリークと不動明王カンマンが彫られています。毛呂山町で一番古い板碑です。

弘安三年(1280)の板碑

 

応長元年の板碑は上部が掛けていますが、 おそらく胎蔵界大日如来の梵字「アーンク」が彫られていたのでしょう。アーンク梵字リンク

年号の左右には光明真言 右「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」   左「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」が彫られています。

応長元年(1311)の板碑

 

阿弥陀如来梵字「キリーク」の板碑  梵字の上は阿弥陀、観音、勢至の三尊仏かもしれません。

嘉元3年(1305)の板碑

 

小さな板碑も3体ありました。

 

六地蔵様と石仏

 

この石像は尼僧のように見えますが不明です。近くで文字を撮影しておけば良かったと思います。

 

真言宗智山派・智福寺 埼玉県入間郡毛呂山町西大久保148 地図

 

八坂神社

八坂神社は智福寺の牛頭天王社でした。

廃仏毀釈のおり、智福寺を離れ八坂神社となりました。

 

興味をひいたのは、御まら様の社です。

昭和50年頃、越辺川にかかる万年橋上流の河岸より、砂利採取中に発見された男根の石像御神体です。

この石棒は縄文時代中期に近畿地方以東を中心に広がったそうです。 石棒Wikipediaリンク

 

比較的大きな石棒が8体祀られています。縄文時代とは知りませんでした。

 

初めて石棒の実物を見たのは、茨城県の神社でした。やはり大事に小さな社に祀られていたと思います。

石棒ではありませんが、川崎市の金山神社では「かなまら祭」が行われています。金山神社 かなまら祭 Wikipediaリンク

 

道路の向かい側は、毛呂山町農業センターです。当日は祭の準備なのか、太鼓を自動車に積んでいました。

 

←延命寺 星宮神社 毛呂山町          国津神神社と山本坊墓→

真言宗智山派・延命寺 と 星宮神社 毛呂山町

延命寺

先代のご住職は日高市の霊巖寺に移られていますが、副住職が延命寺住職となりました。

なかなか立派な御住職です。奥様と共にお寺を維持しています。

境内には仏像や動物たちの石像がありました。以前来たときにはありませんでしたので、今の御住職のアイデアでしょう

入口左側には六地蔵様が祀られていました。

 

11月4日 柴燈大護摩供が境内で行われるようです。友人から地域の若手僧侶達は他宗旨の僧侶も含めて、熱心に柴燈大護摩供を行っていると聞きました。

御本尊様は鎌倉期のお不動様です。庭でもお不動様が迎えてくれました。

本堂前の犬は石像です。動きません。

 

西側は池になっていました。見事な鯉が泳いでいます。

 

以前はなかった永代供養塔です。五輪塔のかなり凝った意匠です。

これからの時代は、どこの寺でも必要ですね。

 

星宮神社の西側に御堂と墓地が見えました。お塔婆の文字からすると、延命寺の墓地のようです。

 

夏まつりのアトラクションに城西大学経営学部石井研究室ローカルヒーロー高麗戦士トライのユーチューブがありました。

画像をクリックして再生

 

真言宗智山派 延命寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字下川原245 地図

 

星宮神社

延命寺の西側にあるのが星宮神社です。江戸時代は延命寺が別当を務める妙見社でした。

今でも「みょうけんさま」と言われているようです。

長い参道には、杉や檜が並んでいます。

以前、延命寺先代御住職が、あまりにも落ち葉が多いので、掃除をしていると話していました。

毎月1日が氏子による掃除が行われているようですが、さらにして欲しいと言っても無理なようです。すぐ隣の寺の境内や道路にも落ち葉がたくさん落ちるようです。

 

 

延命寺、星宮神社の前は、三大学の学生が川角駅から次々と登校していました。

円泉寺の檀家さんも、ここに通っていた人がいました。

 

←滝ノ入 ローズガーデン          智福寺の板碑と八坂神社かなまら様→

稲荷鬼王神社 新宿区歌舞伎町

以前お参りに来たのは15年以上前だったと思います。

歌舞伎町とは言いながら、かなり寂しげな神社でした。今は新大久保を中心とする韓国料理の店目当てで、多くの人が歩いています。

平将門の幼名「鬼王丸」からとったとの伝承があります。明治以降に将門公伝承を消したのかも知れません。

 

 

大勢の人がお祀り準備をしています。

以前来たときは、ほとんど人はいませんでした。

 

古い雑誌・赤い鳥の表紙がコピーされ掲示されています。

 

祭礼に使用される神輿です。

 

水琴窟が二ヶ所ありました。涼しげな音が手前の竹筒に水をかけるとします。

 

稲荷鬼王神社 東京都新宿区歌舞伎町2丁目17−5 地図

妙見菩薩 平将門 資料集 リンク

 

        鎧神社 新宿区北新宿       ショウリョウバッタ→  

鎧神社 新宿区北新宿

円照寺の後に鎧(よろい)神社に向かいました。

日本武尊が甲冑などを埋めた。あるいは平将門公が鎧を埋めたなどの伝承があります。

ここでは将門公は大事に祀られています。

近々祭礼があるようです。道路から神社に至る町内の通りに提灯が掛けてありました。

参道脇の天神社

 

稲荷神社

 

鎧神社  東京都新宿区北新宿3丁目16−18 鎧神社リンク       Wikipedia

妙見菩薩 平将門 資料集 リンク

 

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真言宗豊山派 円照寺 新宿区北新宿

円照寺は真言宗豊山派の寺です。写真家篠山紀信さんのご実家です。

大学のクラブの後輩に住職の娘さんがいました。

我々男子学生の中には「モデルになった?」と聞く人物もいました。期待しても子供の時に普通の格好で撮られただけと言っていました。

学生時代に伺ったことがありますが、すっかり様相が変わっています。

 

JR大久保駅の近くですが、新大久保だけでなく韓国の人が住み着いているようです。前方から来る母子が、母親は韓国語、子供は日本語で話をしていました。十分意思の疎通ができているようです。母親として母国語を忘れないようにしているのでしょう。

円照寺は豊山派の寺院ですから本山の牡丹に因み、たくさん植えられていました。

 

枝タレ桜と牡丹の頃が、一番の見頃なのでしょう。

 

閻魔堂です。

 

閻魔様、奪衣婆が祀ってありました。

 

次に行く鎧神社は、円照寺の境内だったこともあるようです。かつてはかなり広かったのでしょう。

円照寺 東京都新宿区北新宿3丁目23−2  地図      Wikipedia

 

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