他の寺社

真言宗智山派・大福院と葦原大神社 子育て 子授け 埼玉県深谷市

大福院

血洗島諏訪神社の裏手に向かうと、お寺と神社が見えました。

 

当寺(円泉寺)と同じ真言宗智山派の寺院でした。

門柱の文字を読むと、以前参拝した本庄市の大正院関連の寺院です。

大正院副住職が住職を務めていますが、ここに住んでいるわけではありません。大正院ブログlink

 

入口のお地蔵様には、女性用の着物が着せられています。子供用のようです。

七五三で使用された衣装でしょう。

お地蔵様は、子育て地蔵と言われているようです。

(秩父市の廣見寺にも、着物を着たお地蔵さまがありました。)廣見寺ブログlink

 

まず山門から御本堂に向かいました。

 

境内には桜が多く、花の時期に参拝するのが良さそうです。駐車場は広いですので、困ることはなさそうです。

 

 

大福院  深谷市南阿賀野277  地図link

 

葦原大神社

西隣は葦原(あしはら)大神社があります。祭神は醜男命:しこおのみこと(大国主命)です。

大福院は葦原山の山号があります。廃仏毀釈以前はここの別当でした。

廃仏毀釈後に葦原が葦原醜男命に通じることから、祭神としたようです。

葦原大神社は女性の守り神、とりわけ安産の御利益があるとされています。

 

当地の獅子舞は、子授けの御利益があるとされるのは、それほど古い信仰ではありません。

昭和初年に当地出身で長い間子宝に恵まれなかった持田某が、子供が授かるよう当社に祈願し、妻に獅子頭をかぶせてみたところ、程なく懐妊したことが評判となったことに始まります。

祭礼後の直会(なおらい)は、大福院で行われます。今でも寺と神社は一体とされているようです。

大福院のお地蔵様の着物は、子授け・子育ての御礼の意味があるのかも知れません。

 

 

天神社と手長神社

 

葦原大神社  埼玉県深谷市南阿賀野276

 

大福院と葦原大神社は、子授け・安産・子育てとして信仰されているようです。

 

諏訪神社 深谷市血洗島

渋沢栄一の生家「中の家」から諏訪神社に向かいました。

創建は明らかでありませんが、日本武尊・源経基・岡部六彌太忠澄が祈願をしたとの伝承があります。

 

 

鳥居の脇には「中の家」渋沢家に養子で入った渋沢市郎と二男・治太郎の遺徳顕彰碑があります。

上部に善光寺の貫主大勧進大僧正・ 都筑玄妙師の書かれた「貴為和以」(聖徳太子の言葉)が彫られていました。

市郎は養蚕で財をなし、名誉村長、県会議員となりました。

治太郎は県会議員、村長を務めています。

 

 

二の鳥居の額は、渋沢栄一の起毛となります。

 

拝殿は渋沢栄一の寄進により建立されています。

 

御祭神として建御名方神を祀ります。

 

 

渋沢青淵翁喜寿碑

大正5年に栄一翁(青淵)の喜寿を祝って氏子が建立しています。

題字は侯爵徳川慶久によります。

 

渋沢栄一の生家である「中の家(なかんち)」ブログlink

 

諏訪神社 埼玉県深谷市血洗島117 地図link

 

横瀬神社 埼玉県深谷市

かつて北側にある華蔵寺が別当で、聖天宮があり修験・壽命院が社人でした。

廃仏毀釈後、横瀬神社となっています。

祭神は伊弉諾命・伊弉冉命と豐受姫命を祀りました。

 

しかし、華蔵寺は新田氏関連ですが、横瀬神社は武蔵七党の横瀬氏の創建です。

横瀬の地は秩父の横瀬からの移住に始まるそうです。

 

 

華蔵寺と同じく、当地は永禄年間(1558-70)の洪水で、上野国から武蔵国に編入されています。

 

建武年間(1334-36)に新田義貞の孫である国寿丸が聖天宮として再建しています。

華蔵寺秘仏の歓喜天像が御本尊だったのでしょう。

国寿丸は後に横瀬新六郎貞氏と名のり、上野国金山城主となっています。

 

拝殿の額は、渋沢栄一の起毛です。額の右脇の写真は渋沢栄一です。

 

稲荷社

 

神社の北側が華蔵寺です。華蔵寺ブログlink

 

横瀬神社  埼玉県深谷市横瀬1358  地図link

 

真言宗豊山派 華蔵寺 埼玉県深谷市 元渋沢栄一家菩提寺

渋沢栄一は東京に出てしまいましたので、台東区谷中の谷中霊園に墓があります。かつては華蔵寺が菩提寺でした。

栄一の父・渋沢市郎右衛門の葬儀導師を務めたのが、二代前の御住職です。

 

華蔵寺は新田氏本宗家総領2代目・義兼により、建久五年(1194)に開基されました。新田義兼ウィキペディア

新田義貞は吉兼より六代目の子孫です。

当地は永禄年間(1558-70)の洪水によって利根川の流れが変わり、上野国から武蔵国に編入されています。

このため新田家関連の寺院が、群馬県でなく埼玉県にあるわけです。

 

華蔵寺美術館の胎蔵界大日如来

 

関東八十八ヵ所霊場の八十七番、彩の国武州路十二支守り本尊霊場未年札所です。

 

 

御本堂の寺号額は、渋沢栄一の起毛になります。

 

 

 

鐘楼門

 

閻魔堂(十王堂)

秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王の十王が祀られています。

 

大日堂

かつては埼玉県指定有形文化財の大日如来像(華蔵寺美術館内)が祀られていましたが、今は江戸時代中期作 胎蔵界大日如来が御本尊です。

 

薬師堂

 

毘沙門堂

毘沙門天、不動明王、阿弥陀如来・歓喜天を祀ります。

 

美術館には埼玉県指定有形文化財の胎蔵界大日如来像が祀られています。

 

 

 

貴重な仏像仏画や渋沢栄一や尾高惇忠の書も展示されていました。

 

真ん中の円空仏は、貴重な御尊像です。

永禄の洪水によって利根川の流れが変わらなければ、華蔵寺は上野国において、更に重要な寺院となっていたと思います。

 

NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門葬儀の導師を演じたのが、華蔵寺御住職でした。

美術館の中に写真があります。マスクを付けていますので、おそらくリハーサル中の画像だと思います。

 

洗心苑

 

寺の南側に横瀬神社があります。

横瀬神社ブログlink

 

華蔵寺ホームページlink

華蔵寺 埼玉県深谷市横瀬1360 地図link

 

 

八幡大神と各地の八幡宮・八幡神社

八幡大神

八幡神社の祭神は、八幡神(応神天皇)であるとばかり思っていましたが、他の神である神社もありました。

 

 

三社託宣図は天御中主神・八幡大神・春日大神が描かれています。

弓を持ったのが八幡大神です。

 

吉田神道の偽作ともいわれているそうです。八幡大神・春日大神が馬に乗った図もあります。

 

室町時代から江戸時代まで、広く流行しました。

 

各地の八幡宮・八幡神社

八幡神は宇佐八幡宮(大分県)が総本社で、日本全国に勧請されています。

 

石清水八幡宮  京都市八幡市八幡高坊30

平安時代末期に宇佐八幡宮から勧請されました。

 

 

 

鶴岡八幡宮   神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31

 

 

 

筑土八幡神社   東京都新宿区筑土八幡町2−1

 

 

 

穴八幡宮  東京都新宿区西早稲田2丁目1−11

 

 

 

金王八幡宮   東京都渋谷区渋谷3丁目5−12

 

 

 

富岡八幡宮(深川八幡宮)   東京都江東区富岡1丁目20−3

 

 

 

旗岡八幡神社  東京都品川区旗の台3丁目6−12

 

 

 

小室八幡神社   千葉県船橋市小室町148

 

 

 

薬師寺八幡宮  栃木県下野市薬師寺1509

 

 

 

横堤妙見八幡神社  茨城県常総市新石下1680

 

 

 

水海道鎮守 八幡神社  茨城県常総市水海道橋本町3329   

 

 

 

妙見八幡神社    茨城県つくばみらい市筒戸3182

祭神は、妙見と八幡でなく妙見八幡大菩薩です。御尊像は妙見菩薩のようです。

 

 

 

小幡八幡宮  群馬県甘楽郡甘楽町小幡1

 

 

 

八幡神社   群馬県多野郡神流町万場

 

 

 

八幡神社     群馬県沼田市

民家の庭にも祀られていました。屋敷神です。

 

 

 

上久屋神社   群馬県沼田市上久屋町1375

明治41年に日枝神社に武尊神社、十二山神社を合祀 し、上久屋神社となりました。

 

しかし扁額には八幡宮とありました。

 

 

春日部八幡宮   埼玉県春日部市粕壁5597

 

 

 

箕田氷川八幡神社    埼玉県鴻巣市箕田2041

 

 

 

鎧宮八幡神社  埼玉県さいたま市岩槻区大字南辻字鎧宮68

 

 

 

津久根八幡神社 埼玉県入間郡越生町津久根23

 

 

 

鎌形八幡宮   埼玉県比企郡嵐山町鎌形1993

 

 

 

八幡神社 埼玉県比企郡小川町大塚427

 

 

 

下浅見八幡神社  本庄市児玉町下浅見879

 

 

 

八幡神社    埼玉県狭山市入間川3丁目6-14

 

 

 

八幡神社  埼玉県飯能市八幡町12−6

 

 

 

諏訪八幡神社 埼玉県飯能市飯能263

武蔵野七福神の恵比寿さん社があります。お諏訪様として親しまれている神社です。

 

 

諏訪八幡神社ブログlink

 

 

まだまだ数多く参拝していますが一部だけです。各地に44,000社もあります。

さらに境内社や祠、合祀社などがあり、八幡神社を名乗らないこともあります。

 

養澤神社  東京都あきる野市養沢1018

熊野神社、八幡神社、日天神社、門客人(あらはばき)神社、譲葉神社を合祀

 

 

龍の狛犬?が迎えてくれます。

 

東入西神社   埼玉県 坂戸市小坂452

 

八幡八坂神社(向かって左)

 

金胎寺内 天満神宮・出世八幡・菅領稲荷    埼玉県深谷市本住町9-76

 

 

数多くの石仏が祀られていました。

 

八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)  千葉県市川市八幡

足を踏み入れると二度と出てこられなくなるという伝承があります。

 

 

 

浅間神社境内社・八幡宮  埼玉県坂戸市北浅羽262

 

 

 

国渭地祇神社内・八幡神社   埼玉県坂戸市森戸616

 

 

 

 

保渡田八幡塚古墳   群馬県高崎市保渡田町2000−1

 

 

おそらくここの古墳には、八幡神社が祀られていたのだ思います。保渡田古墳群には数多くの古墳があります。

かみつけの里博物館見学もお勧めします。

 

 

月岡芳年の八幡太郎義家

芳年武者无類の一点です。

 

 

 

泉福寺 重要文化財・阿弥陀如来像収蔵 真言宗智山派 埼玉県嵐山町

泉福寺

泉福寺は無住のお寺ですが、本尊の木造阿弥陀如来坐像が重要文化財に指定されています。

新編武蔵野風土記によれば、建久元年(1190)の開創になるようです。阿弥陀三尊像は慈覚大師の御作とも書かれていますので、古は天台宗だったのかも知れません。

 

像内に仏師定朝の流れをくむ、定生の建長6年(1254)墨銘がありますが、修復名のようです。

開創後の僅か60年で修復とは思われませんので、開創以前の仏像の可能性もあると思います。

 

泉福寺 ウィキペディアlink

 

 

御本堂参拝後に収蔵庫に向かいます。

 

御本堂に祀られていた重文の阿弥陀如来と埼玉県指定有形文化財の観音菩薩・勢至菩薩像が納められている収蔵庫です。

 

 

下記に書きました三門館跡は、NHK放映中の『鎌倉殿の13人』に出て来る比企氏関連として、比企遠宗と妻・比企尼が暮らしていた館跡の説もあります。

新たに作られた看板には、比企尼と思われるイラストが描かれていました。

 

 

収蔵庫内の阿弥陀さまなどを拝観するには、滑川町教育委員会へ申し込む必要があります。

 

泉福寺 埼玉県比企郡滑川町和泉1681 地図link

 

三門館跡

泉福寺東側約200メートルに三門館(みかどやかた)跡があります。

堀と土塁がありますが、築城年代や誰の館であったかは不明です。

泉福寺とも関連があると思います。

 

三門館跡  埼玉県比企郡滑川町和泉1237 地図link

 

曹洞宗 慶徳寺 埼玉県滑川町

慶徳寺は中武蔵薬師霊場72番札所の結願寺です。

中武蔵七十二薬師霊場ブログlink

 

創建は永承元年(1504)になります。

 

寺に向かう途中に不動明王の石仏が祀られていました。

素晴らしい不動明王像です。

 

四天門の四天王御尊像は、埼玉でも珍しい優品では無いかと思います。

 

御本堂の参拝を済ませると、階段を登り薬師堂に向かいました。

 

かなりの中抜きでしたが、薬師霊場結願の薬師堂をお参りすることが出来ました。

 

向背天井には、素晴らしい絵が描かれていました。

 

御住職が境内の掃除をしていましたので、邪魔とは思いましたが声をかけさせていただきました。

今年の参拝は御朱印ブームもあって普段より多い程度と話していました。

 

かつて慶徳寺では、薬草を薬研で細かくし、目に良い薬を無料で差し上げていた時代があるそうです。

薬事法が出来ため出来なくなったのだそうです。

 

今は官地となってしまった寺池(てらいけ)です。

昔は目が良くなった方々が、寺池に鯉を放ったそうです。

戦後の物資不足の時には、檀家さんが恋をとって食べてしまったと話していました。

 

ここでは分かりませんが、各地のため池などではブラックバスなどを放流している人がいますが、やめてもらいたいものです。

 

 

慶徳寺  埼玉県比企郡滑川町中尾812  地図link

 

 

寄居町 閻魔大王 ペット納骨永代供養墓 高蔵寺(天台宗) 延命地蔵尊 子育て地蔵 埼玉県

天台宗 高蔵寺

高蔵寺は柳澤兵部丞信俊が開基で、慶長19年(1614)没しました。柳沢吉保の祖父です。

信俊の墓は御本堂裏にありました。

 

御本尊は阿弥陀如来です。

併せて武蔵十三仏霊場の阿閦如来を祀ります。

 

本日目的の一番お目当ては「閻魔さま」の参拝です。

 

 

駐車場に駐めましたが、先ずは入口近くから山門を通り、御本堂に手を合わせました。

 

 

重厚な御本堂です。

 

その後で閻魔堂に向かいました。

 

実際には拝観出来ない寺院もありますが、お参りしやすいように扉が開かれていました。

このように立派な閻魔様は、なかなかお目にかかることはありません。

ましてすぐ近くです。

 

墓地の方に目を向けると花壇が見えます。

寄ってみるとペットの墓地(ペット霊園)でした。

当寺(円泉寺)もペット供養塔(お骨にしてから納める)があり、毎月数件の申し込みがあります。

ここは手のかかる樹木葬のような墓地でした。鉢にはきれいな花々が咲き誇っています。ガーデン風樹木葬墓(にじの橋)link

 

立派な永代供養墓もありました。

当寺(円泉寺)では、ペット供養塔に納骨された方が、墓地や永代供養の契約をする方が、けっこういました。

ペットのそばで眠りたいと話す人もいます。

 

今は墓じまいが多くなり、墓地は申し込む方が減っています。

永代供養への需要が多い時代となっていますので、併せてペットの納骨施設も必要なのかも知れません。

 

お参りを済ませると、草花の手入れをしている御住職の奥様から声をかけられました。

けっこう長時間お話をさせていただました。

 

地名が今市ですので、宿駅として重要な地域であったことが想像されます。

 

高蔵寺 埼玉県大里郡寄居町今市700 地図link

☎048-582-0342

 

延命地蔵尊

奥様に近くの延命地蔵尊も管理していると伺いました。

着いてみると若い頃に二度ばかり参拝している御堂でした。

 

鎌倉街道上道(かみつみち)に面しており、多くの武将が鎌倉を往復したり、戦に馳せ参じた古の道です。

 

 

埼玉県内でも大きな室町時代に作られた地蔵菩薩で、寄居町指定文化財です。

 

イボとり地蔵として知られていましたが、現在では子育て地蔵として信仰されているようです。

赤ちゃん用よだれ掛けが納めてありました。

以前参拝したときには無かった風習です。

 

境内には鎌倉街道上道の案内板がありました。

 

 

延命地蔵尊 埼玉県大里郡寄居町今市 地図link

 

※追記 先日来られた寄居町の当寺(円泉寺)檀家さんがこのブログを読んで、ズッと以前に寿司の出前で時折伺ったことがあると話していました。

 

大日堂の胎蔵界曼荼羅板碑 埼玉県寄居町

不動寺から約300メートル南に大日堂があります。

 

 

御本尊は金剛界大日如来を祀ります。

 

 

蔵界曼荼羅が彫られた寛元元(1243)年の板碑です。

 

数多くの梵字が彫られた正中2(1325)年の板碑は、左右に光明真言が彫られています。

光明真言供養塔の初期の例かも知れません。

 

他にも板碑が祀られています。

 

六地蔵と石仏

 

二十二夜塔

 

曼荼羅と光明真言ですから、近くの不動寺と関連のある御堂のような気がします。

不動寺ブログlink

 

大日堂 埼玉県大里郡寄居町富田2063 地図link

 

 

真言宗智山派 不動寺 埼玉県寄居町

かなり古い寺院のようですが、詳細は不明です。

新編武蔵野風土記が著された時点で、住職は26代目でした。

 

武蔵七党のひとつ猪俣党一族の不動寺太郎の居館跡といわれています。

平安時代末期の武将です。

 

鐘楼門の鐘は天明2年(1782)の鋳造です。

 

 

新編武蔵野風土記に「本尊不動は大山不動と同木同作と云傳ふ」とあります。

 

歌碑がありましたが、私には読めませんでした。

素晴らしい書体です。

 

春もやゝ 気色とゝのふ 月と梅  芭蕉

 

 

 

 

庫裏の前には長屋門があります。

 

境内には色々な場所に七福神が祀られていました。

 

板碑は寄居町で一番古く、康元2年(1258)の紀年銘があるようです。

阿弥陀如来の梵字キリークはどうにか読めるのですが、蓮座と花瓶は分かりませんでした。

 

 

約300メートル南の大日堂には、蔵界曼荼羅が彫られた寛元元(1243)年の板碑があります。

大日堂ブログlink

 

不動寺駐車場は裏手にあります。カーナビでも裏手に案内されました。

 

不動寺  埼玉県大里郡寄居町富田2024 地図link

 

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