2015年11月

日本三古碑の多胡碑と羊様ー高崎市吉井町

多胡碑

那須国造碑、多賀城碑と共に日本三古碑として知られる多胡碑(たごひ)です。この碑は八世紀後半に造られました。

 

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多胡碑

 

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多胡碑掲示板  画像をクリックして拡大

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碑文  画像をクリックして拡大

「給羊」が方角説、人名説などがありますが、現在は人名説が有力だそうです。

 

土地の人は「羊様」(羊太夫)と呼び、信仰の対象となっています。多くの伝承が残されており、ここより秩父の和銅発見に功績があったのが「羊」あるなど、各地に広く分布しています。

Aさんが和銅鉱山にある秩父の聖神社の「聖」が、どうしてなのか不思議だったが、羊(ひつじ)と聖(ひじり)が何か関係あるのだろうかと言っていたことを思いだします。

併設の多胡碑記念館は関連資料の展示や企画展などの催しが開催されます。以前家内の関係の方が書道展を行ったときに来たこともあります。

 

すぐ近くには七世紀頃の南高原1号墳と片山1号墳があります。

 

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南高原1号墳

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1号墳玄室

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画像をクリックして拡大

 

多胡碑 高崎市吉井町池1095  リンク     地図

 

羊神社

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羊神社

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御由緒  画像をクリックして拡大

多胡碑から西に約13キロメートル

多胡一族が移り住んだ地に羊太夫を祀った神社です。

このあたりには多胡の姓の方が多くおり、神社のすぐ近くにも一族のお墓がありました。

 

羊神社  群馬県安中市中野谷1751  リンク

   地図

 

富岡製糸場と和田英

もう一週間以上たちますが、群馬県の富岡製糸場を見学してきました。

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富岡製糸場

 

世界遺産であることは知っていましたが、国宝であったとは知りませんでした。日本を発展させた大事業でした。

日本国内で最所の製糸場として建設され、引き継いだ片倉工業が後世に残していただいたことにより、現在私たちも目にすることが出来るわけです。

平日でしたので、ついた時間が早かったために駐車場に楽には入れましたが、帰るときはいっぱいでした。

団体の見学客が次々にやってきます。

 

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たくさんの見学者

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工場内

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ただ見て歩くだけでなく、ガイドしていただくことをおすすめします。ひとり200円です。

明治初めの多くの建物群が現在に残されているのに、近代に建てられた物が、壊れているのを見ると、どれだけ海外からあらゆる分野の技術を熱心に習得したのか垣間見ることが出来ます。

 

ここに残された膨大な遺産だけでなく、外部資料として松江から女工として来た和田英(わだえい・旧姓 横田)の著した「富岡日記」が今も出版され読むことが出来ます。 PDF 富岡日記 リンク

 

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富岡日記(ちくま文庫)

ちなみに和田英の兄弟は、大審院長、鉄道大臣になるなど、秀才の家系のようです。  旧横田家住宅

 

以前「女工哀史」を読んだことがありました。ガイドさんに聞いたところ「富岡製糸では、そのようなことはありませんでした」「後に造られた製糸工場では、そのようなことがあった所もあるようです」とのことです。

映画の「ああ野麦峠」のようなことは他の工場ではあったのでしょう。

富岡製糸では当時労働時間が、7時間45分と決められていたそうです。

 

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 富岡日記を読むと、女工達はかなりの覚悟でここに来たことが分かりますが、思った以上にのびのび働いていたことが知られます。

 

フランスから来た技術者も、日本人の勤勉さ、能力の高さに舌を巻いたのではないでしょうか。

 

かつて日本に鉄道が敷かれたとき、外国からの機関士よりたちまち優れた技術を習得し、日本人を馬鹿にしていた人々も悔しがっていたことを何かで読んだことがあります。

当時日本ほど識字率が高く、勤勉な民族はなかったはずです。

 

追記
以前書いた蚕の神様「衣襲明神」(きぬがさみょうじん)のブログです。ご参照下さい。  リンク

オーディオ悪戦苦闘

部屋が物置状態でステレオを一年以上聴かないでいました。

 

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満足していたわけではありませんが、もっぱらPCスピーカーで聞いており、いずれ部屋を片付けてからとは思っていました。

 

しかし、久しぶりに聞いてみるとかなり異なった音色です。

まず低域がまったく出ていません。石川さゆりがとんがって聞こえます。バイオリンが耳に突き刺します。

しばらくは元の音質になるようにと、幾日か鳴らしぱなしにしていたにもかかわらずです。

 

まずは中古のSONYスピーカーを見つけ導入しました。今まで使用していた物の約三倍の定価です。但し傷があり、定価の半額以下でした。

全然別物でしたが、やはり変です。

それでもボーカルは真ん中に定位しています。各楽器も位置がはっきり分かります。

 

次にRCAケーブルとスピーカーケーブルの交換。高級品をヤフオクで見つけました。かなり変化がありました。でもやはり低域が痩せています。

 

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新旧いろいろなケーブル。もっとあります。

 

仕方なくバスのボリュームを少し上げると音が激変しました。

なんとしばらく使用していなかったためにアンプ内が接触不良になっていたようです。

昔オーディオの雑誌に、たまには各トーンコントロールつまみまなどを左右に何度か回すと音が良くなることが書かれていました。まさにそれだったのです。

 

今まで聞いたことのない良い音で聞けるようになりました。豊で潤いがあります。ボーカルがスピーカーの間に浮き上がって聞こえます。

クラッシック、ジャズ、ポップス、演歌、三味線。皆私のために歌ってくてれます。

 

しかし、以前のスピーカーでも感じていたことですが、まだ少しバイオリンがきつく感じます。

RCAケーブルを何種類か求めるたびに音も変化がありました。但し新品は何日も鳴らしてからでないと良さが分かりません。

幾日かすると、まったく別物に変わっていきます。だめだと思ったケーブルが、良いお友達になっていきます。

結局バイオリンはあきらめました。

 

しかし、試しに古いDVDプレーヤーを使用してみると音質に関しては大正解です。選に漏れたRCAケーブルを繋ぐとバイオリンが心地よく鳴り出しました。

全体にかなり厚手の音質でした。

でも広がりがありません。定位感もスポイルされ、スピーカーの間に団子状になっています。大編成ではとても気になります。

古くても持っていて良かったですね。楽器の編成によって使い分けようと思います。

まだまだ音は変わっていくでしょう。楽しみです。

 

オーディオの防振は以前からサンシャインが低価格でありながら効果絶大です。全ての機材に使用しています。

PCスピーカーで良い方に激変したACOUSTIC REVIVE(アコリバ)のスピーカーケーブルも小遣いが貯まったら挑戦してみたいと思います。PCスピーカーは1ランク上の音がします。また、バイオリンが少しきつかったのが、まったく気にならなくなりました。 RCAケーブルは高くて手が出ません。

 

 

追記 2015/11/11

 

思いついてDVDプレーヤーとCDプレーヤーの電源ケーブルを交換してみました。

両方からの音質や見通しが良い方に変わってしまいました。共によく似た音質になっています。

 

DVDプレーヤーは音はすっきりし音が広がります。音の定位もはっきりしています。CDプレーヤーはまったくバイオリンの音色がキツくなくなりました。

なんとも不思議な現象です。

たまにはケーブルも抜き差ししてみるのも良いかもしれません。

 

約一月間の悪戦苦闘はとりあえず終にしたいと思います。多聞?

 

 

追記 2015/11/12

 

昨日よりさらに良い音になっていました。こんな音ではなかったのにと思いながら聞いています。

向かい合って真剣に聞かずに済む音質です。

但し、スピーカー以外は古い機種ばかりです。オーディオ専門店で新機種の音を聞いたらガッカリするでしょうね。我慢がまん。

 

 

追記   2015/11/23

 

今朝いつも通りスイッチを入れ聞き始めると、音がぐんと良くなっていました。

前日よりほどよく響が加わり艶のある音色です。さらに上下に気持ちよく伸びています。

 

原因はCDプレーヤーの上に何気なく置いたオーディオ用ブチルゴムでした。片付けるつもりで置いたままになっていました。

CDプレーヤーの天板が細かく振動しており、音に悪影響を与えていたのが、ブチルゴムによって振動が抑えられ、良い音色になったようです。ブチルの数を調整しましたが、一枚だけが良い結果になりました。

前の少し小さいスピーカーの時はなかったことですので、エネルギーの多さが影響しているのでしょうか?

 

一部のどうしてもエコーがかかりすぎで、聞きづらかったある女性歌手のCDも気持ちよく歌っています。ピアノもバイオリンもさらに良くなりました。

今までで一番お金のかからない音質改善でした。

 

 

 

三嶋大社参拝と沼津魚港での昼食

友人と念願の三嶋大社に参拝してきました。祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)です。

延喜式神名帳にもある由緒ある神社です。

かつては飯能から東名高速までは、かなり時間がかかりましたが、圏央道狭山日高インターから圏央厚木、東名沼津インターまで一本で行くことが出来ます。

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三嶋大社本殿

2015119192514.jpg七五三などの御祈願の方々

 

今の時期は有名な神社では七五三で賑わっているようです。

私の子供には経済的に七五三のお祝いは出来ませんでした。きれいに着飾っているお子さんを見ると、ついいいなあーと見入ってしまいます。

 

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池には厳島神社が祀られています。

北条政子により勧請された市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)を祀ります。一般的には弁財天と同体と言われ信仰されています。

池には大きな鯉がいっぱいいました。

 

神鹿舎にはたくさんの鹿が飼われていました。

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 丁度食事の時間で、一列に並んで食べています。たしかおからだったと思います。

どの子も父親は分からないが、母親は分かるとのことでした。

 

境内の絵図を見ると敷地はほとんど昔のままのようです。杜の木々は今も豊に茂っています。

かつてある神社では、本殿裏の杜を更地にし、売ってしまったことがありました。古くは神社には本殿がなく、豊かな山や森が本殿でした。それを聞いたとき本殿を売り払ってしまったことと同じであることに何故気がつかないのかと唖然としたことを覚えています。

都会では杜があるのは明治神宮ぐらいで、他はビルの間にあるだけでなく、ビルの中に神社があったりしますので、仕方がないのかもしれません。

しかし、神社は豊かな杜に支えられてこそ意味があるのではないでしょうか。ここの杜はいつまでも緑豊でしょう。

 

参拝後、沼津港に向かい昼食となりました。平日でも多くの観光客が訪れて、海の幸を堪能しています。

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港の南側にはたくさんの飲食店が並び、どこに入るか迷います。どこで食べても間違いがなさそうです。

 

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寿司をたのみましたが、他の人たちの物を見ると、あれにすれば良かった、これにすれば良かったと、つい思ってしまいます。

お土産屋さんもたくさんあり、あじの開きなどを買い求める人々でいっぱいでした。

 

本日は一日曇りとなってしまいました。飯能近くでほんの少し降っただけで帰宅することが出来ました。

 

雨の中のペット供養祭

本日はあいにくの雨となってしまいました。

前回は駐車場も詰め込んでもらいましたが、今回は問題なく対応できました。でも寂しいですね。

 

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早めに来て頂くようご案内したために寒い思いをさせてしまいました。

待ち時間は阿弥陀堂でお茶やお菓子の接待をさせて頂きました。

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檀家さんよりも一般の方々のほうが三倍ぐらい来られていたようです。檀家さんの納骨の数から言えば仕方がないことですが、この雨では仕方がありません。

市内では飯能祭があり、市内の檀家さんはそちらに行っているのかもしれません。

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本日は雨の中ご苦労様でした。

また、私のくだらない話しにつきあって頂ありがとうございました。

ペット供養塔

笠間稲荷神社参拝

筑波山神社の後に笠間稲荷をお参りしました。

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日本三大稲荷の一つと言われているようです。関東では筆頭だと思いますが、伏見稲荷の他はいろいろな説があるようです。

ここに来たらば稲荷寿司食べたかったのですが、お昼の食べ過ぎであきらめました。

この頃は各地の有名な神社で菊花展を開催しています。

 

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さざれ石は結構各地の神社で見ますが、私が見た中では一番大きかったような気がします。崩れないように運ぶのは大変だったでしょうね。

 

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門柱は笠間稲荷ではなく胡桃下神社

 

別称で胡桃下稲荷神社(くるみがしたじんじゃ)と言われていることを初めて知りました。門前のお店に胡桃を使用したお菓子や稲荷寿司があった意味が分かりました。

 

筑波山神社と大御堂を参拝しました

2015117195317.jpg筑波神社
2015117195340.jpgケーブル近くの平将門公史跡

ここ十年以上妙見菩薩と平将門を調べていましたが、筑波山の麓には何回も行っていながら、まだお参りに行っていませんでした。友人に運転をお願いし、念願の筑波山参拝でです。

妙見菩薩資料集リンク

お参りは10月20日です。訳あって書き込むのが遅くなってしまいました。

 

平将門を支援した筑波の山伏は敗走し、各地に将門の伝承を残しています。但し事実関係は明らかではありません。

以前平将門関連と伝えられる当寺妙見堂を参拝しに来られた栃木県の醍醐派修験道寺院御住職は、近在の幾つかの古い寺院には平将門の言い伝えはあるが、妙見菩薩の伝承はなく、十一面観音であるとのことでした。

真言宗では妙見菩薩の本地は十一面観音様と言われています。松戸市の真言宗豊山派のある寺院は、平将門公関連ですが、本尊は十一面観音です。妙見菩薩の言い伝えはないようです。

当寺にとって都合の悪いことでもありますが、将門と妙見菩薩の伝承は、調べてみれば見るほど歴史的に合わないような気もしています。訳は言いたくないので書きません。ですから平行して十一面観音、妙見菩薩を含むいろいろな神仏の信仰が、妙見菩薩に収斂していったと考えることにしています。

昔の人々は、お不動様、観音様、お薬師さまなど、多くの神仏を信仰していました。戦国の武将の信仰を見れば、そのことが理解できると思います。

 

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ケーブルカーのすれ違い

2015117205151.jpg山頂駅

 

男体山山頂にも挑戦する予定でしたが、小学生の団体のケーブル予約があり、その前に降りないと長時間待たされるとのことでした。駅前広場には大勢の小学生がいました。

次の予定もあり、下山することに致しました。以前なら歩いて帰る気力もありましたが、ずいぶんと軟弱になってしまったと思います。

話は変わりますが、筑波山は古代には歌垣が行われていました。この習俗は現在も中国南部で行われて、未婚男女の求婚のの場となっています。以前テレビで放送されていましたが、大陸から多くの人がやってきた事の証明になっています。また、言霊信仰にも関連しているようです。

 

次は駐車場近くの筑波山大御堂です。

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大御堂

坂東三十三箇所第25番札所であり、廃仏毀釈以前は筑波神社と一体でした。一山は大和長谷寺系の僧侶が管理していました。大御堂は長谷寺系の真言宗豊山派寺院です。

 

昼食は遅くなり、1時半頃でした。

私の希望でお蕎麦になり、下山途中の筑膳にしました。

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筑膳

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大盛そば

 

大変美味しいお蕎麦でした。田舎そばで人によると上品さに欠けると感じる人もいるかもしれません。私好みで大正解のお店でした。

でも失敗もありました。大盛は必要ありません。普通盛りで十分です。

以前真壁に行ったときも地元の人に美味しいおそば屋さんを紹介して頂いたことがありました。筑波の山麓には多くの美味しいおそば屋さんがあるようです。

 

この後に笠間稲荷にお参りしました。

 

 

 

 

 

 

 

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