2017年11月

銀杏の黄葉

境内の銀杏が黄葉しています。

 

数日前の写真ですので、向かって右側は、今かなり落ちています。

 

日に日に寒くなりますので、お墓参りは暖かい時間にお越しください。

ペット総回向法要 ペット供養塔前

毎年この時期は良い天気に恵まれる率が多く、今回は特に絶好のペット供養日寄りでした。
いままでで一番参列者の多い法要となりました。
納骨した檀家さん以上に、何倍も他のペット納骨家族が参加しています。

当日の供養は一切無料です。気軽にお参りしていただき、お寺に興味を持っていただくことも目的です。檀家さんのための施設のつもりが、他の方々の申し込みが圧倒的多数となっています。


少しお話をさせていただいてからお経となります。
今回の話は「四苦八苦」です。
そのうちの愛別離苦(あいべつりく)は「愛する人と別れる苦しみ」なのですが、「今では愛するペットと別れ別れになる苦しみも多くある時代(ペットロス)」と話すと、うなずく人が何人もいました。なにしろペットは家族ですからね。

難しそうな話と思われるでしょうが、かなり柔らかく話したつもりです。笑いも漏れていました。

前もって注文していたお花以外に参列者がお持ちした花は、その倍以上ありました。

 

まず初めての方のためにお線香の手向け方をお教えします。この供養塔では、お線香を一束、紙も取らずに火を着けている方が何人もいます。霊園などでも多く見ますね。


お線香を五本ぐらいづつ手向けていただく間、般若心経とご真言をお唱えするのですが、今までで一番多くお唱えしました。

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この後、阿弥陀堂、ご本堂にも希望する方は、お参りしていただきました。

 
写真では少数ですが、この5倍ほどの方が本堂に上がって、お焼香していました。
 
今回はかつてベビーカーに乗っていたお嬢ちゃんが、今ではもっと大きなお子さんと参列していました。
歳をとるのも無理ないな~と感じた日でもあります。
 
今回も石屋さん、葬儀屋さんの協力を得ることが出来ました。
かつては自分だけでも出来ると思ったのですが、車で来られる方が多く、駐車場も二重に止めていただかなくてはなりません。お線香も今では一人でお渡しするのも不可能と思える人数になりました。
雨であれば、テントも必要になります。
 
無事終わり、ホッとしました。
 
ペット供養塔 link
 

すみだ北斎美術館 墨田区亀沢

都内に用があり、その前に「すみだ北斎美術館」に行ってきました。
建物は周りの風景に溶け込んだデザインとして設計されたと書かれていましたが、北斎の作品とその時代に合った方が良かったのではと思います。

 
 
 
特別展として「妹島和世  SANAA  ×  北斎」がありました。
この建物がデザインされて、完成されるまでのプロセスが分かります。
 
 
 
さて、北斎美術館常設展を見学です。
後からフランス人の団体が入ってきました。北斎の研究者らしいフランス人が引率しています。
西洋の美術家に影響を与えた北斎でしたので、特にモネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンなどのいたフランスでは、今も人気があるのでしょう。
 
 
 
常設展は写真不可でしたので、「すみだ北斎美術館」のホームページを参照してください。
北斎の作品の展示だけでなく、それらの作品を解説する多くのタッチパネルが充実していました。
放蕩な孫に困っていたなど、いろいろな逸話もしることが出来ました。
 
ミュージアムショップでは北斎漫画の本を買いました。
 
 
ここからもスカイツリーがよく見えます。
 
 
 
両国駅東口に向かう途中の江戸東京博物館北側の道は、緑が多く寒桜も咲いていました。
 
 
徳川家康の亀踏像


江戸東京博物館は当分休館となります。

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両国駅の東口構内ではステーションギャラリーがあります。
両国駅の成り立ちがパネルで説明されてあります。
貴重な古い写真が沢山あり、時間があればユックリしていきたい場所でした。

 

 

東文研 第51回オープンレクチャー 「四条河原遊楽図屏風」「穢土としての身体」

国立博物館の北西角にある東京文化財研究所のオープンレクチャーに行ってきました。
11月2、3の二日間ですが、2日(木)のみの参加です。東文研link


①海を渡った日本絵画 ―ライプツィヒ民族学博物館所蔵「四条河原遊楽図屏風」
  江村 知子 先生

日本にある他の三点の比較でした。
四点ともよく似た構図でしたが、よく見ると細かい部分でそれぞれ異なる部分があり、特に着ている着物の文様が全て異なっていました。
どれが大元となったのか、あるいは他の作品を模した物か、興味ある内容でした。
さらに江戸時代に禁じられる以前の女歌舞伎、女の語る人形浄瑠璃、若衆による能などが、どのように演じられていたのか、とても興味ある内容でした。

②穢土としての身体 ―日本中世絵画に描かれた病と死体
   山本 聡美 先生

差別表現があるかもしれません。ご了解下さい。

 「病草紙(やまいのそうし)」   Wikipedia link
肥満の女、二形(ふたなり・両性器を持つ)の男など、奇形、不具を含む病が描かれています。なお、二形はあり得ないそうです。
何かの印刷物で見たことがあるのは、肥満の女だけだったと思います。

仏教における因果応報が説かれています。
法華経(比喩品)にこの経をそしると病となる。罪の報いであると書かれてあるようです。他にもあるのでしょう。
これはおかしな話です。
その人を見て笑っている人も描かれています。しかし、笑っている人も、笑いながらも不安を感じているのでしょうと話されていました。

今でも自分の信仰が正しく、他は皆地獄に落ちる、病気になったのは信仰が悪い、天国、極楽に行けるのは自分たちの宗教だけだと言う人がいます。
お釈迦様は、そんなことは一言も言っていません。
人として、如何に良き人として生きるかだと思います。

「正法念処経」
病草紙の文は正法念処経を多く引用しているようです。病草紙とともに六道絵の元となっているそうです。

「九相図鑑」 九相図 Wikipedia 
死から腐って骨となるまでを描いた図です。九相図とは本物の死体の代わりに用いられた図です。
「九相図画像」で検索すると沢山出てきます。ハッキリ言って、この図は不気味です。無理してクリックしないで下さい。(※まれに精神が不安定になる人がいると書かいている方もいます) link

このような図を観相することにより、自他の肉体への執着を滅却するのだそうです。さらにそこから仏の世界(浄土)を欣求することだと思います。
特に天台宗に大きな影響を与えたようです。
源信の「往生要集」に九相観を採用し、肉体の不浄を説いています。

シルクロードの国々で用いられたことが明らかになっているようです。そこから唐に渡り、日本にも将来されました。

空海の性霊集(しょうりょうしゅう)に「九相詩」があり、お大師様が受容したとありました。しかしこの詩は偽作だそうです。
真言宗の住職としては、偽作で良かったと思いました。弘法大師の世界観とは、全く異なった世界だからです。

興味のある方は先生の「九相図をよむ 朽ちていく死体の美術史(角川選書・芸術選奨受賞)」を読まれると良いでしょう。
キリスト教の教会にも死の造形があるようです。
ここに掲載されている図も、かなりグロテスクです。

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両先生共に大学の同級生であり、大学院でも一緒だったそうです。
関係ないことですが、お二人ともとても美人でした。

菅原道真公の生涯

菅原道真公

※この文は、「滝行の会」スタッフのN女子のご協力を得ました。

学者出身の優れた政治家

菅原道真は大学で歴史や詩文を教える文書博士(もんじょはかせ)を代々歴任する学問の名家に生まれた。道真は幼少の頃から非凡な才能を開花させ、やがて文書博士に就任する。

勢いを増す藤原氏の勢力を押さえたい宇多(うだ)天皇に以降を託された道真は、天皇のブレーンとして政治改革に邁進する。学者の家系として異例の右大臣まで登りつめた。

藤原氏の讒言による失脚

ところが、脅威と見た藤原時平の讒言により、道真は九州の大宰府の長官に左遷されてしまう。黙って受け入れた道真は、旅立つ朝自宅の梅の花に「東風(こち)吹かば、にほいおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(春になって東風が吹いたなら、太宰府にいる私のところへ梅の花の香りを届けておくれ。私がいなくても春をわすれてはいけないよ) と語りかけたと伝えられる。

太宰に就いて二年ののち、道真は死去する。

死後三十年恐れられた道真の祟り

道真が去った後、都では天変地異が続く。激しい雷雨、飢餓、、疫病の流行で多くの死者を出した。さらに、藤原時平を始めとして左遷に関わった人々が次々と病に倒れ死去する。

また、内裏に激しい落雷があり、左遷に関わった藤原氏ゆかりの人々が、顔面や腹部の焼けただれた姿で発見されたことにより、人々は「道真の祟りだ」と恐れた。天災への恐れと相まって、道真の死後、約三十年にわたって「道真の祟り」が人々の口に上り続けた。

怒りを鎮めるために神に祀る

朝廷は道真の怒りを鎮めようと、京都北野の地にある北野社に道真を神として祀る(北野天満自在天神宮)。道真の祟りを恐れた藤原氏により、手厚く祀られることとなった。

天神として祀られた道真は荒ぶる祟りの神の姿から、罪をそそいで恵みをもたらす慈悲の神に姿を変え、人々の信仰を集める。さらに道真のがくさいにあやかって学問の神として信仰は広がっていった。

平安中期より現代に至るまで、学問の神様として人々の信仰を集めている。

 

天神社

〒357-0014

埼玉県飯能市平松376   円泉寺境内  

携帯090-3225-6286 西澤

普段は神社におりません。ご用の方は、前もってお電話下さい。

平松天神社 link

 

 

摩利支天掛軸 北斎漫画の写し

摩利支天の図

 

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」展に出かけると、一番最初にこの「摩利支天」の元になった北斎漫画の図が展示してありました。  北斎とジャポニスム

「摩利支天」と検索すると同じ図柄の絵が何点か出てきます。何かの図が大元になっているのは分かりましたが、分からないまま何年も経っていました。摩利支天Wikipedia

まさか北斎漫画六編だったとは思いも寄らぬ事です。  葛飾北斎Wikipedia        北斎漫画Wikipedia

 

フルコンプリート素材集より

 

北斎漫画三編が手元にありますので、他の図ですが掲載いたしました。程度が悪くい古本でしたので安く買えましたが、お顔や肌が肌色に彩色されていない版でした。すみだ北斎記念館では、良い状態の北斎漫画や他の作品がありますので、ためになります。

四天王と荼枳尼天、稲荷大明神

 

摩利支天の掛軸は北斎漫画を大きく描き、彩色した作品でした。誰の作品か、制作年代はいつであるか不明です。

埼玉と東京の摩利支天を祀る寺社         

 

北斎とジャポニスム展 国立西洋美術館

久しぶりの西洋美術館です。

 

 
外には有名な銅像が展示されています。
これだけ見学するだけでも価値があります。しかも外だけなら無料です。
 
 
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さて、建物の中に入り拝観始めると、ななんと!
一番最初に摩利支天(まりしてん)の画がありました。数年前求めた掛軸の大元が北斎漫画(六編)だったのです。摩利支天Wikipedia
 
フルコンプリート素材集(北斎漫画)より
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摩利支天掛軸
北斎作ではありません。
 
手元にある北斎漫画三編の内 四天王と荼枳尼天
今日はこれだけで大収穫です。
 
ネットで摩利支天を調べると、同じような画像がありますので、何が元か気に掛けていました。
 
 
さて、館内は熱心に見て回る人で、いっぱいです。
北斎の浮世絵、北斎漫画などが、西洋の画家、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンなどの作品や陶器などに、どのような影響を与えたかしることが出来ました。
 
 
 
アダチ版画が出店しており、北斎の復刻浮世絵を販売していました。額付きで通販と同じ値です。アダチ版画研究
 
 
 
 
 

下谷神社 台東区東上野

吉祥院のあとで下谷神社を詣でました。 下谷神社link
鳥居に座っている人がパンを食べています。
さらに境内にも十数人。ホームレスの方々でした(この言い方は変ですね)。
女性がパンやジュース、お茶を配っているようです。

 
この後、上野公園では五十人以上いました。キリスト教の伝導と施しなのでしょう。
以前はマイクで伝導しており、その後で食べ物を渡すようにしているようです。今はマイクの使用は無いようなので、注意されたのでしょう。かなりうるさかったのを思い出します。
 
ずっと以前ですが、檀家さんのご親戚が山谷で仕事にあぶれ、上野でホームレスをしていた時期があったそうです。
「誰も聞いていないよ」と言っていました。配ってくれるまで待っているだけと笑って話していたのを思い出します。
何か訳があったのでしょうね。

 

 

 
 
神社は北を向いています。
各地の神社にお参りにする人は、若い方が多いですね。
 
 
お水屋の先が稲荷社です。
赤い鳥居が、いかにもお稲荷さんの風情です。
 

 
 
お稲荷さんとの境を南に行くと、御本社が見えます。
 
 
 
 

国立博物館 運慶展のライトアップ

平安時代の穏やかな定朝様と異なり、力強い写実的な作風が台頭した武士団に受け入れられたようです。


本館前から平成館に向かいます。
待ち時間なしでした。土曜日に娘が行ったときには30分待ちだったそうです。



外に出ると暗くなり始めました。スカイツリーを撮る人が何人かいます。
私もパチリ。



本館前では運慶展のライトアップが始まっていました。5日までです。
※ここに行ったのは11月2日です。

 
 
 
 
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鉄道や花などでは、 目の前を人が通ると批判する人もいますが、ここでは記念撮影をする人に誰もうるさく言う人もありませんでした。
 
 
でも、スマホの人が多いですね。ぶれずに撮れるのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
上野公園の噴水もきれいにライトアップされています。
 
 
噴水前では若い歌手の演奏が始まりました。
ファンの女性が20名ほど来ているようです。
 

帰りが遅くなりますので、帰ることにしました。
色々な催しが行われるようです。

数年前のライトアップの写真は、かなりの割合でブレブレでした。カメラが違うとこんなにも綺麗に撮影でき、高価な機種でしたが正解です。

真言宗智山派 吉祥院 普寛上人供養碑 台東区元浅草

聖教寺北斎墓のお参りを済ませると、道路の反対側に私が住職を務める寺と同じ真言宗智山派の寺院がありました。台東区元浅草2-1-14  地図

 
このあたりの寺の中では、緑の多いところです。本堂も鉄筋が多いのですが、木造ですので趣があります。
良く掃き清められ、気持ちよくお参りが出来ました。
 
 
 
普寛上人の供養塔
 
 

普寛上人は秩父の大滝村(現秩父市大滝)に生まれ、三峯山で修験の行を極め、信州御嶽山(おんたけさん)の王滝口登山路を開きました。
そのことにより御嶽信仰が盛んになり、御嶽山中興開闢の祖と言われる行者です。

何故ここに供養塔があるのでしょうね。
江戸から多くの方が御嶽講を結成して、御嶽山にもう出ました。
その講関係者が山岡鐵太郎(鉄舟)に書いてもらったのでしょう。

埼玉県民としては、うれしい発見です。

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