星乃宮神社 茨城県竜ヶ崎市
川原代町しか分からず出かけましたが、星大神の扁額を見つけて無事到着しました。
鳥居の前には六地蔵様が祀られろいた。元はお寺だったのでしょう。
妙見菩薩が祀られていた寺か御堂が、廃仏毀釈で神社になったのに間違いありません。
公園にもなっていましたが、子供が遊んでいるようには思えません。
六地蔵
星乃宮神社 茨城県竜ヶ崎市川原代町 地図
川原代町しか分からず出かけましたが、星大神の扁額を見つけて無事到着しました。
鳥居の前には六地蔵様が祀られろいた。元はお寺だったのでしょう。
妙見菩薩が祀られていた寺か御堂が、廃仏毀釈で神社になったのに間違いありません。
公園にもなっていましたが、子供が遊んでいるようには思えません。
六地蔵
星乃宮神社 茨城県竜ヶ崎市川原代町 地図
延長2年に八代神社から分霊とありますから、かつては妙見菩薩を祀っていたことは、間違いないでしょう。
妙見菩薩は明治の廃仏毀釈で天御中主神に代えられたところが多くあります。ここもそうだと思います。
八代神社から分霊されたと書かれています。平貞盛再建の案内板に妙見の文字はまるっきりありません。
本殿は手が込んだ立派な彫り物がありました。
星宮神社 茨城県龍ケ崎市若柴町683 地図
得月院の後に芋銭記念館・雲魚亭に行きました。
雲魚亭は、小川芋銭の住まい兼、アトリエとして昭和12年秋建てられましたが、翌年1月には脳溢血で倒れました。
昭和13年12月には亡くなられています。
お墓は近くの得月院にあります。得月院ブログ
昭和63年の小川芋銭生誕120年記念事業において牛久市に寄贈されました。
よく知られる河童の図を基にした記念碑です。
すぐ西側は牛久沼です。ウィンドサーフィンに興ずる若い人たちがいました。
追記 2021/01/19
小川芋銭の「河童図」の巧芸品を手に入れました。
この図を元に碑が作られたと思います。
大塚巧芸から発行されています。
小川芋銭記念館 雲魚亭 茨城県牛久市城中町2690-3 地図
妙見菩薩の石仏と小川芋銭の墓を参拝致しました。
このあたりまでが、牛久城跡のようです。
境内に入ると右手に妙見菩薩の童子形石仏を見つけました。今までに見た妙見さま石仏の中では、一番優れた御尊像です。
芋銭の墓に向かうと、御堂がありました。閻魔堂です。
優れた閻魔様、奪衣婆、阿弥陀如来像がまつってありました。
カッパの絵で知られる小川芋銭の墓ですが、名前は知っていても画風などは一切知りませんでした。
ここに来る前にネットで調べ、少し記憶がある程度でした。味わいのある絵です。
この後、小川芋銭の雲魚亭に向かいました。雲魚亭ブログ
得月院 茨城県牛久市城中町258 地図
谷田川を超える手前でくちばしが赤く黒い鳥を見つけました。
あとで調べるとバンのようですが、自信はありません。 Wikipediaリンク
バンは鳩ぐらいの大きさとありました。どう見てもアヒルほどの大きさだったと思います。
近づいても逃げません。
谷田川 つくば市森の里 地図
谷和原村の愛宕神社です。境内に天御中主神を祀るとありましたので、妙見菩薩との関連かと思い参拝致しました。
この碑は廃仏毀釈以前のことは書かれていません。
屋根に卍紋がありますので、元々は寺院だったのでしょう。地元住人の反骨精神を感じます。
天御中主神に関しては、分かりませんでした。
松下流綱火が国指定重要無形民俗文化財だそうです。
毎年8月24日に行われます。
愛宕神社 茨城県つくばみらい市小張3235 地図
谷和原村の妙見神社です。詳細については分かりません。
優れた石仏も祀られていました。
大日如来
如意輪観音
青面金剛
青面金剛
妙見神社 茨城県つくばみらい市(元筑波郡谷和原村)加藤195 地図
平良文建立と伝えられており、祭神は、妙見と八幡でなく妙見八幡大菩薩という独立した神として祀られています。
御尊像は妙見様のようです。
写真を撮り忘れましたが、春には三春桜がきれいだそうです。
弘法大師の石仏が祀られていました。
妙見八幡神社 茨城県つくばみらい市(元筑波郡谷和原村)筒戸 地図
海禅寺は平将門公が、父の菩提を弔うために建てた寺と伝えられています。
本尊地蔵菩薩は、娘の如蔵尼の念持仏です。
御本堂には相馬氏のお位牌も祭られています。
将門公と7人の影武者の墓と伝えられる8基の墓が、画像の左側に建てられています。
実際には江戸時代の石塔のようです。
御本堂前には階段があり、南側に小学校がありました。
海禅寺 茨城県守谷市高野1337
難波田氏は武蔵七党の金子氏の流れです。
河越夜戦で没落すると後北条氏の知行地となり、支城として整備されました。
後北条氏が小田原征伐によって敗れると廃城になりました。
先ずは資料館に入りました。
良く整備されていますので、散策するのに便利です。
たしか末裔に画家さんがいたと何かに書かれていました。それ以上は思い出せません。
変わった苗字ですから、難波田の姓を名乗る人は、一族なのでしょう。
※難波田龍起氏と思います。
市内の水子からの移築です。
市内針ヶ谷から移築されました。
鯉のぼりありました。良いときに言ったと思います。