2016年04月

浅草寺伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展

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浅草寺を訪れると「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」が開催されていました。

期間  3月18日から5月9日まで「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」  リンク

 

伝法院の門と五重塔

2016427203428.jpgここより右手北側を西に行くと寺宝展庭園拝観の受付があります。

 

ご本堂前を西に向かい、女性達が立っているところが受付です。

 

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残念ながら大絵馬は撮影できませんでしたので、浅草寺のホームページを見て下さい。

ここを見学すると、驚くほど大きな絵馬が展示されています。五重塔がかつて本堂の東側だったことを知りました。かなり形も違っていたように思います。

 

浅草寺には何度もお参りに行っていますが、伝法院の庭園を見学するのは初めてです。スカイツリーが五重塔の右に見えるのは、境内を遠く離れた建物からか、ここだけでしょう。何人もの方が写真を撮っていました。

 

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大書院ではお茶の接待もあります。

 

201642716318.jpg石棺
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ここでは何組かの和服姿の女性を見ました。若い女性はかなり活発な方々でした。

 

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浅草寺の境内にこのような場所があるとは思いませんでした。

 

浜離宮恩賜公園と水上バスで浅草二天門へ

役員旅行を2年ごとにやっていますが、意外と都内に行ったことのない方が多く、第一回の時から都内に行っています。

当寺は平将門公関連の妙見菩薩を祀る寺ですので、平将門公関連の場所と関係なくともいくつか候補を決めておく必要があるわけでい。

浜離宮恩賜公園

ここは四代将軍家綱の弟で甲府城主松平綱重により海を埋め立て下屋敷とし、将軍家の浜御殿、宮内省管理の離宮をへて都立公園となっています。

高層ビルの間にある別天地です。

 

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まずは300円の入場料を払います。後で気がついたら65歳以上は150円でした。

 

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東京都の公園はいつも手入れが行き届き、財政基盤の良い自治体はうらやましいですね。

話は変わりますが、東京都から埼玉に入ると、ハッキリ景色が変わります。

 

庭園の木々の青葉が都会とは思われません。一眼レフを持った人も多いですが、ほとんどがスマホですね。

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あと少しでツツジが見頃になりそうです。

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松が見事です。

徳川家宣の宝永6年に植えられた松です。

 

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三百年の松

 

藤は見頃です。

 

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中之島茶屋は入ることが出来ます。

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 八重桜は今が盛りでした。多くの人がアップで撮っています。

 

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普賢象という種類だそうです。

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見事ですね。


梅の木がたくさんありました。初春の咲く頃に来るといいでしょうね。

 

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上の黒い点はカラスです。けっこういました。

 

牡丹が今盛りです。牡丹園ではたくさんの種類が咲いています。

 

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水上バス

まずはここで券を買います。数社が入っていますので、気をつけないといけません。

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かなり待ちましたが、一度乗ってみたいと思っていたので楽しみです。

同乗する方々の話を聞いていると、何度か乗っている人もけっこういました。

 

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時間前になると、もっと増えていました。

2016427131046.jpg船が来ました。

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 スカイツリーがよく見えます。

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2016427131619.jpg屋形船が何艘も舫いであります。

 進行方向左側の方が、景色は良かったですね。

 

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二天門で下船です。

2016427132624.jpg船は両国に向かいました。Uターンです。

下船したあと浅草寺に向かいましたが、途中骨董屋さんを見つけました。

けっこう古い良い物ばかりを置いています。平安時代、鎌倉時代の品々。有名な所からの品々がいっぱいあります。

話し好きな親父さんで、良い物を見ながら薀蓄を傾けていました。

 

2016427133729.jpg蓬莱洞 リンク

 

 

次に浅草寺に行きましたが、3月18日から5月9日まで「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」が開かれています。

ここは次回のブログに致します。

  浅草寺

 

渡辺綱の生地伝説 東京都港区三田

平将門を調べる過程で、埼玉県鴻巣市に渡辺綱(わたなべのつな)の生地や関連の寺社に出会いました。渡辺綱は頼光四天王の一人としてよく知られています。足柄山の金太郎(坂田金時)の仲間です。

渡辺姓は日本全国に多い姓ですが、綱はその姓の一番多い大元になります。  渡辺綱Wikipedia

東京都港区三田にも同じような伝承があることを知り、健康のために山手線田町駅から歩いて綱坂、當光寺、元神明宮に行ってきました。

鴻巣市関連は、後日に致します。

 

まずは山手線田町駅北口下車、慶應義塾大学に向かいます。

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慶大生らしい若い方々の後について行く。

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慶應大学の前を通る。

大学北東側の龍生院に「渡邉之綱産湯の井戸」があります。

大学を通り越し、西端を右折します。

 


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慶応中学と大学の間を北に向かいます。右奥が綱坂です。

 

さらに北に向かうと左に綱町三井倶楽部があります。

 

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綱坂の西側が綱町三井倶楽部

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 三井倶楽部を西に向かいます。昔はこのあたりが三田綱町の地名でした。

 

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ここを左折

右に行くと綱の手引き坂があります。

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綱町三井倶楽部

 左手にオーストリア大使館。右手にお寺が二件あります。西側が當光寺です。

 

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オーストリア大使館

庭園内にはの綱の産湯の井が残されている。   

 

當光寺の山号は綱生山なのです。綱が生まれた山(寺)という意味になるのでしょう。

 

2016426232145.jpg浄土宗 綱生山當光寺  HPリンク
 
2016426202229.jpgお寺の門柱には「渡邉元綱」とありました。

渡邉

 

扁額は綱生山でした。

 

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このあたりで渡辺綱は晩年を過ごしたとの説もあるようです。

オーストラリア大使館には綱の産湯井戸があるそうです。

 

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當光寺本堂

2016426204028.jpg寺門が  渡辺紋  三星に一文字  渡辺星  ですね。

少し戻って、龍原寺先の十字路を左折(北に向かう)と元神明宮天祖神社があります。

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ここは綱の産土神だそうです。

元神明宮 リンク

あとで気がついたのですが、

長運寺(港区三田4-1-9)には渡辺綱大明神像と渡辺綱の額があります。

御田八幡神社(港区三田3-7-16)は渡辺綱の氏神として崇敬された。 HPリンク

普連土学園(港区三田4-14-16)は功運寺の跡地に建ちますが、寺の境内には「綱塚」があったようです。

 

今昔物語には平良文と綱の父・宛(あつる)との逸話があります。二人は荒川の河原で一騎打ちを行った後に親しくなったことが書かれています。共に現在の埼玉県熊谷市と鴻巣市に住んでいなくては、あり得ない話しでしょう。まさか東京の三田から埼玉北部の荒川の河原まで宛や郎党が何度も行ったとは考えられません。 地理的要因を見ても鴻巣市ではないでしょうか。埼玉県民の私としては、やはり鴻巣市箕田が生地であって欲しいですね。

しかし、渡辺さんでも渡辺綱を知らない人が多いのは驚きました。当然ほかの姓の方は、さらに知らないでしょう。

東京都港区立図書館のサイトが役に立ちます。  リンク

源宛Wikipedia       千葉の一族から平良文      平良文 Wikipedia          渡辺綱の生地 埼玉県鴻巣市 ブログ

 

 

 

コゴミ(クサソテツ)が増えました。

十年ほど前に10株ほど塀の北側に植えました。今は増えてグーンと増えています。

コゴミとはコゴメ(クサソテツ)の若芽だと知りました。  クサソテツWikipedia

 

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他の多年生の植物も植えたのですが、絶えてしまったモノもあります。かろうじて残っているシャガや他のシダ類などは、いずれ無くなってしまうかもしれません。

 

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飯能市のある河川敷です。昨年5月の景色です。

 

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土手にもいっぱい生えていました。

 

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日の当たるところに良く生えるようですね。

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日影には、まるっきりありませんでした。

 

調べてみるとコゴメは、日の差す水はけの良い場所が良いようです。半日影が良いと書いてある人もいました。

当寺では日影の水はけの悪い場所に生えています。力強い種類のシダなのですね。

 

先日出かけた折に栃木の出流山満願寺門前で食べた天ぷらそばの具にありました。

 

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出流山満願寺 栃木市

当寺と同じ真言宗智山派のお寺です。

40年ぶりのお参りになります。

 

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出流山満願寺

 

まずは山門の二王さんにご挨拶。

 

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2016423134316.jpg本当にお久しぶりです。

次は薬師堂

 

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薬師堂には護摩木がありました。45年ほど前に来たときは、友人が加行に来ており、護摩木は山の木を切って自分で作っていました。「太い木を切って、重くて苦労した。」と話していたのを思い出します。

 本坊前を通り、本堂に向かいます。

 

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以前はここに泊まりました。

 

ご本堂の前の慈光殿と弁財天に御参拝

 

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慈光殿の千手観音様

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弁財天洞と琵琶弁天様

ご本堂にご参拝します。

 

20164239108.jpgご本堂
201642391049.jpg彫物が素晴らしいです。

 さらに奥へ奥へと登っていきます。すでに足下が心配になっています。情けない。

おばあちゃんが元気に降りてきました。

 

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目指すは奥の院

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女性は昔ここまでしかお参りに行けませんでした。

 

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女人堂と弘法大師

 

 

いよいよ奥の院です。

 

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百段以上の急な階段を登ります。すでに足がおかしいです。

ご本尊は鍾乳石の十一面観世音様です。中が暗く、人を感知して五分以上待たないと明るくなりませんでした。せっかくお参りに来たのですから、とにかく待ちましょう。

 

奥の院の近くには滝があり、滝行が出来ます。

 

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大悲の滝

 

帰りは札場で、友人の奥様のためにお守りを求めました。

 

ちなみに先代の御貫主猊下で元総本山智積院化主の竹村教智猊下の色紙です。

 

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もう一つの目的は、門前のお蕎麦です。

今は十数件あるようです。

 

この日寄ったのは、山門前の「福寿屋」さんです。以前来たときはここだけだったような気がします。場所も山門と本坊の間の北側にありました。

ここが有名になり、次々にお蕎麦屋さんが門前に出来たように記憶しています。元祖とあるのももっともと思う味でした。

福寿屋facebook

 

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おじいさんが亡くなってから、現在の場所に移ったそうです。現在も建物は残っています。

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天ぷらそばを食べました。海老はAさんにあげました。

 

出流の道筋には、八重桜の並木が続いていました。

 

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もっと大きくなると、さらに見事でしょうね。ソメイヨシノと異なり、開化がかなり遅いです。

皇居の八重桜が見事だったのを思い出します。

 

逆井城公園 茨城県坂東市逆井

関宿城より明治初年に移築された建物を確認しに、坂東市の逆井城に行ってきました。

 

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戦国時代に逆井城は、小田原の北条氏、佐竹氏、結城氏、多賀谷氏の領国の狭間にありました。

北条氏が城主となり、天正5年(1577)に逆井城を新たに築城しましたが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による後北条氏の没落後に廃城となりました。

 

運転手をお願いしたAさんは、戦国武将の名前をすらすらと言うので聞いてみると、「歴史が好きだったのと、ゲームですよ。あと横山光輝の漫画ですね。」と言ってました。年代の違いを感じました。

 

現在の逆井城公園は戦国末期の建築群を再現し、面積は東京ドームの約2、7倍だそうです。

 

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二層櫓

 

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二層櫓の二階部分

 

二層櫓からの眺めです。

 

2016422212655.jpgたいして高くないようですが、かなり遠方まで見渡すことが出来ます。堀の中にウシガエルがいるようです。鳴き声が聞こえます。
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井楼矢倉

 

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当時の土塁・堀の一部が、現在まで保存されています。

 

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樹木はなく、さらに急斜面の上、水に満たされていたようです。

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今日目的の関宿城から移築された城門(薬医門)です。関宿城は明治初年に廃城になりました。明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。  関宿城関連ブログ

 

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中は主殿が再現されています。

 

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坂東市の大安寺から公園に移築された観音堂です。天正16年に上棟されたことが棟札に残されています。

 

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中には食事処「智姫」では、蕎麦やうどんが食べられるようです。かなり美味しいそうですが、昼には早すぎて次の場所に向かいました。

 

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二層櫓から見た「智姫」

休日は毎週月曜日・その他臨時休業が有ります。

 

 

埼玉県幸手市の将門の首塚と平将門関連寺社など

幸手市近辺には平将門公関連、あるいは反将門公関連の寺社があります。

併せて近在の気になる寺院も行って来ました。

 

将門の首塚-浄土真宗東本願寺派系単立 通光山浄誓寺  幸手市神明内1469

 

ここは相馬小次郎さんの「将門ブログ」で始めてし知りました。将門公の記事がふんだんに掲載されています。

リンク

大変な労力ですね。 しばらくぶりに覗いてみると、さらに充実していました。

 

ここと次の宝聖寺は二度目の訪問です。

ここの首塚については、藤原秀郷と平貞盛の連合軍に敗れ、下総国猿島郡で討たれた将門公の首を愛馬が口で咥えてここに運び、配下の武将が納めたという説と、この地で討ち死にしたため、ここに首を納めたとの、二つの説があるようです。

江戸初期までは幸手は下総国葛飾郡に所属していました。将門公関連の地域に接していたわけです。

浄誓寺の案内板には、この地で討ち死にしたとあります。

ちなみに

  1. 東京都大手町の首塚は、京都から飛んできて落ちたことになっています。
  2. 岐阜県大垣市の御首(みくび)神社は美濃国南宮大社の隼人が、飛ぶ首を矢で射落とした所だそうです。
  3. 静岡県掛川市十九首の十九首塚(じゅうくしょづか)は、将門と家臣合の19人の首塚と伝えられています。

 

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首塚の五輪塔

 

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将門の首塚

 

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浄誓寺山門

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首塚は本堂の裏にあります。

 

真言宗豊山派 大鱗山宝聖寺   幸手市平須賀2-457

 

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この宝聖寺はかなり格式が高く、江戸時代は十三石を賜っていたそうです。

 

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山門前右手にある六地蔵さん。

安永7年

 

将門降伏に用いたという松虫鈴(銅鈴)と藤原秀郷が将門討伐を祈願して奉納した不動明王の干支軍配団扇が寺宝になっています。

 

八幡神社と木立の地

 

八幡神社(幸手市木立)は将門公と戦った藤原秀郷が対陣した場所。木立の地名は将門公の子孫の公達(きんだち)が住み着いたで、昔は公達村と云われたとのこと。

 

浄土宗  聖福寺  幸手市北1-9-27

 

ここからは将門公とは関係なくなります。

ここは幸手宿にあり、日光東照宮へ行く徳川家光や天皇の代理で参拝した例幣使(れいへいし)の休憩所となっていました。大変格式のあるお寺です。

 

2016419231311.jpg勅使門(市指定有形文化財)

 

ここの境内は幼稚園になっており、中には入れませんでした。元気なお子様の声が響いています。

 

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参道入り口には、芭蕉と曽良の句碑があります。

 

幸手を行ば栗橋の関  芭蕉

松風をはさみ揃ゆる寺の門  曽良

 

真言宗豊山派 龍燈山永福寺  北葛飾郡杉戸町下高野 396

 

幸手のお隣にある施餓鬼寺として知られるお寺です。関東三大施餓鬼「どしょう施餓鬼」の一つだそうです。毎年8月22日・23日の2日間行われます。

儀式に出仕する僧侶の数も多く、多くの檀信徒の参列する大きな法要がいとなわれます。

永福寺 リンク

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閻魔堂の閻魔様と脱衣婆

 

永福寺は杉戸七福神の寿老人の札所でした。

色紙を求めると本堂前においてある御朱印のスタンプは各自押すようになっているようです。

 

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寿老人像

 

全くの番外ニュース

 

幸手市の宝聖寺近くの旧幸手高校の近くを通ると、送電線で8人の人が作業をしているのがみえました。

 

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これでは分からないでしょう。

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拡大してみると作業員です。

 すごいですね。何を行っているかは分かりませんが、初めて見る光景です。

圏央道の幸手IC入口からも見えました。

 

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圏央道の幸手IC入口

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ちなみに幸手高校は幸手商業高等学校と再編統合し、旧幸手商業高等学校の所在地で埼玉県立幸手桜高等学校として開校しまた。

幸手市で日本保健医療大学を運営する学校法人共済学園が跡地を購入したようです。

懐かしい学校がなくなるのはさみしいですね。少子化のため日本全国で、このようなことが起きています。

 

かつて一自治体に高校が一校は欲しいとの思いがあったことをよく耳にしたことがあります。人口の少ない、ここより通学に不便な地域に、ずいぶんできたなあと思ったことがありました。

 

全くの番外ニュース②

 

今回各お寺に参拝して気がついたのは、中には入れなかった聖福寺を別として、他の三ヶ寺が永代供養の納骨施設があることでした。

5年前にはほとんどのお寺に無かったと思います。浄誓寺、宝聖寺に来たのは二度目ですが、かつてはありませんでした。

 

当円泉寺は檀家さんが三件絶えたことと、新たに絶える家が何軒もあり無理して建てた訳です。

他の寺の御住職に聞いても似たようなことを言い、いずれ建設しようと思っているようです。

 

さて、三ヶ寺の施設をご紹介します。

 

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浄誓寺

 

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永福寺

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宝聖寺

 どうでも良いことだったかもしれませんが、時代の移り変わりを感じる建設物です。

少子化はいくつもの学校が無くなり、永代供養の施設が増える原因の一つです。

 

三ヶ寺とも参道や本堂脇にあり、お参りしやすくなっています。お墓の中にある施設もありますが、誰にでも手を合わせていただける場所がいいですね。

 

関宿城博物館 関宿城跡-千葉県野田市 & 移築遺構

千葉県立関宿城博物館

お墓参りのついでに関宿城博物館と幸手市の平将門関連のお寺などを見学してきました。今回も運転はAさんです。

圏央道が「境古河」まで開通しましたので、気軽に行けるようになりました。飯能市から菖蒲PAに寄っても一時間かかりませんでした。以前来たときは二時間以上かかっていました。

ちなみに行きも帰りも自衛隊の車両がいっぱい走っていました。PAでは若い隊員がたくさんいました。これからの大変な任務に頭が下がります。

 

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千葉県立関宿城博物館

 

実際のお城の姿ではありません。城跡もここの南方の少し離れた広い田んぼの部分だったようです。

 

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博物館入り口

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かなり広い敷地です。

 内部は写真がだめでしたので詳しく説明できませんが、関宿城の歴史、関宿の水運、繁栄する様子、たびたび決壊する江戸川の被害と対策などが分かりやすく展示されています。

江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟がお米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていました。

 

以前ブログに書きましたが、河川決壊のたびにコレラなどが蔓延し、医療による対策以外にもいろいろな神仏に頼りました。

その中で知られていない摩多利神(またりじん)が野田市に何カ所か祀られています。  摩多利神ブログ リンク

 

敷地の南側には川を浚渫(しゅんせつ)した器機が展示されています。

 

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駐車場南側

 

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水路浚渫機

水路だけでなく陸上も走れます。

201641918513.jpg浚渫船「山王丸」

江戸川流頭部中之島公園

行きませんでしたが、対岸の茨城県五霞町にあり、博物館から橋で渡り約2分で行けます。

 

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案内板  江戸川流頭部中之島公園リンク

 

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橋を渡って2分

2016419182725.JPG奥の方です。

洪水を避けるため設置された「関宿水閘門」や日本一大きな「コブシの木」などがあり、散策に便利なように整備されているそうです。博物館の四階(天守)から遠望できます。

 

関宿城跡

 

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下の図を見ると一部が土手や河川敷に含まれているのが分かります。

 

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三の丸の角には牛さんがいました。

 

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関宿城跡の公園

 

2016419191721.jpgほとんどが田圃です。
201641919191.jpg公園からはかなり離れて博物館がみえます。

 

大政奉還後、お城は取り壊され、堤防工事と洪水とのためもあるのでしょう、遺構もほとんど残されていませんでした。次にあげる移築された建物だけのようです。

 

移築された建築物

本丸御殿

実相寺客殿  野田市関宿台町2140

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明治4年(1871年)に本丸新御殿の一部を移築されました。

歴代家老職や久世家家臣の墓、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎の墓があります。実相寺は久世家歴代の藩主の菩提寺でしたたが、お墓は現在は本妙寺(東京都豊島区巣鴨5丁目35−6)に移されています。

牡丹や藤が、あと少しで見盛りです。

埋門

民家 野田市東 高野94

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明治8年(1875年)に競争入札により小林家に移築されました。

誰でも外から見学が出来ます。

見学者用駐車場が門の西側にありますが、カーナビでは東側に示されることもありますので、西側に行くようにして下さい。

 城門(薬医門)

逆井城公園  茨城県猿島郡猿島町逆井1262   リンク

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明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。

復元された戦国時代の砦、移築された主殿や観音堂も見所です。広い敷地には土塁・空堀が残されており、良く整備されています。桜やツツジがたくさん植えられています。

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逆井城公園

大手門

とんかつ合掌   栃木県下野市下石橋134-1

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幕府の命により戦争資金徴達の為に武蔵鷲宮の資産家に売却し、解体して船で運ばれ移築されまし。

昭和53年に移築再建されました。

お店の隣にあり、良く整備されています。前はお店の駐車場にもなっています。

丁度昼時でしたが満席で順番待ちでした。

201642219252.jpgとんかつ合掌

 


幸手市は次回に致します。

 

企業の社員研修で滝修行-都下のパワースポット

個人や仲間同士だけでなく、4月5日には都下檜原村で、企業研修で滝行が行われました。

この会社は二度目になります。他にも数社研修に訪れています。

 

今は雪の残る中での滝行と違い、ずいぶん暖かくなりましたが、水はかなり冷たいそうです。

今年は寒い時期の滝行指導依頼が、ずいぶん多かったようです。それも若い女性の申し込みがかなり多いのだそうです。

リピーターの割合が多いのも特色です。

今の時期とはいえ、命じた社長さんも厳しいですね。

 

私も昔(40年前)は少し滝行を行いましたが、この水量の多い滝では、とてもとても行う気力は起きません。

ですから、ちゃんとした指導者が常に必要なのです。

尚、写真は掲載許可をいただいております。

 

まずは九頭龍神社でご挨拶。

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次に当寺天神社宮司より説明。

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滝行の前に瀧の神様にご挨拶。

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全員が瀧の前に集合。

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真剣な顔でご挨拶。

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準備運動

 

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全員が順に滝に入ります。

 

9人の社員さんは、皆さん真剣に挑んでいたそうです。

 

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九頭龍の滝

 

  天神社   滝行  リンク

携 帯 :090-3225-6286  西澤  

携帯にお電話ください。


電 話 :042-978-6500
FAX :042-978-6501

九頭龍の滝  東京都西多摩郡檜原村

 

※よくご説明をしても、たまに間違って円泉寺に来てしまう方もいます。九頭龍の滝は都下です。円泉寺は埼玉県です。

 

飯能市郷土史館にお姿札・掛軸を寄贈しました。

数年掛けて妙見菩薩研究の一環として、お姿札(紙札)を集めながら他の仏様も集めました。

全てではないですが、ホームページとブログに掲載させていただいています。

妙見菩薩のお姿紙札      智山派の仏様   天狗のお札  養蚕神

飯能市郷土史館

 

寄贈したお姿の一部だけを掲載します。

201641223243.jpg善通寺  那智山  中山寺 長命寺
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古峰ヶ原

 

 

20164122358.jpg大峯山龍泉寺
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高野山奥の院 弘法大師

 

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西宮恵比寿

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鞍馬山

 

2016412231451.jpg半僧坊
201641223164.jpg道了尊

 

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高野山 清浄心院

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伊勢朝熊岳

 

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仙台市 西方寺

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戸隠九頭竜弁財天

 

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阿波国分寺

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秋田県湯沢市 地福院(廃寺?)

201641322594.jpg息栖(いきす)神社

息栖山神宮寺  茨城県神栖市

 

結構な数になりましたので、保存するより他の研究の役になった方がよいのではと思い、お姿の内妙見様を除く約50点ほどを寄贈させていただきました。

掛軸は、まだかなり残してあります。

 

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