2019年10月

大熊町広報に御寄付が掲載されています

先月9月6日に福島県大熊町に円泉寺からの義援金を届けた荒岡さんの記事が、大熊町10月1日号広報に掲載されました。

お渡ししているのは町長さんです。

 

どうしたわけか、パソコンでは読み込めませんでしたので、スマホ画面から写真を撮り掲載しました。

前回の大熊町義援金ブログ記事 link

 

←梵字ア字の額

梵字 ア字の額 満願寺

近在のお寺さんに、まったく同じ額が玄関に飾られていました。

前ご住職に由来を聞いておけば良かったのですが、遷化されて何年も経っています。

 

 

前ご住職は当派の教区長をされていました。京都の総本山智積院には、何度も会議などで出かけています。

全国の御寺院住職だけでなく、管長様にご挨拶することも多かったでしょう。

 

たまたま同じ額を手に入れることができました。

額の入った箱の表書きには、「萬燈萬華達成噠噺 満願寺」とあります。噠噺(たっしん)は御布施などの意味があるようです。

萬燈萬華会は高野山東京別院が知られています。

 

 

想像でしかありませんが、満願寺は出流山満願寺ではないでしょうか。出流山前ご住職は昭和46年に智積院化主となられています。

あるいは世田谷区等々力の満願寺かも知れません。こちらの御住職も管長になられました。

他にも智山派には何カ寺か満願寺があります。他派、他宗旨かも知れません。

 

この額を納めたのは都内日本橋の漆器店です。宮内庁御用達とありました。

 

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高畑勲展

東京近代美術館において、先頃亡くなった高畑勲さんの展覧会がありました。

10月6日までです。

あと数日で終わりますので、かなり混み合っていました。

 

会場に入り年譜などを読んでいると、一番驚いたのが「ドラえもん」「ルパン三世」の企画書を書いたのが高畑監督だったことです。ルパン三世は最初他の人の企画では、今のようなヒット作ではなかったようです。次に参画した監督意見による企画のルパン三世のひょうきんさが、大ヒットした要因だったそうです。

「安寿と厨子王」は記憶にほとんどありません。「オオカミ少年ケン」は、今でも歌の一部を思い出します。

 

「アルプスの少女ハイジ」は高畑監督・宮崎監督が現地に赴き、その成果が生かされて日本だけでなく、世界で愛されたことを多くの人が知っています。

受付してすぐの場所にあるのが、この部屋です。写真が撮れるのは「アルプスの少女ハイジ」二ヶ所のみです。

ハイジの明るく元気なジオラマから、声が聞こえてきそうです。

 

「赤毛のアン」は、男の子を養子にと考えたいたのに、間違って女の子・アンが来てしまいながらも、明るくおしゃべりなアンが地元の学校に入り、さらに教師になるまでのことが、テレビで見ていたのを思い出します。

「母を訪ねて三千里」「じゃりン子チエ」「おもひでぽろぽろ」など、懐かしい作品がいっぱいでした。特に野坂昭著を基にしたアニメ「火垂るの墓」は涙なしでは見られなかったのを思い出します。

 

「かぐや姫物語」は、今回のポスターなどに使用されています。残念ながら見たことがありません。とてもこだわりのある、きれいな映像でした。

 

高畑監督が当寺に来られたことがあります。

お寺で、かつて高畑監督の担当をしていた某社の方の通夜前でした。宮崎駿監督など、ジブリの方々、勤務先の方々が次々に来られていました。

御本堂の棺の近くで長時間たたずんでいました。つらい思いが伝わってきており、ほとんどの人が声を掛けることがありませんでした。

 

高畑勲展link     東京近代美術館   東京都千代田区北の丸公園3−1

 

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篠山紀信展

ドームシティでは篠山紀信展を行っています。  篠山紀信展link          ギャラリーアーモ地図

 

アーモの通路反対側は、池か川のような作りになっています。

 

中に入ると大きなパネルが展示されていました。撮影できる場所はここのみです。有名な写真ですので、ポスターにも使用されています。

ジョン・レノン オノ・ヨーコ 1980年

 

まず迎えてくれるのが寅(渥美清)さんです。良く映画館に通いました。

夏目雅子の死は早すぎました。樹木希林さん、山口百恵、相撲取り、歌舞伎役者など、存在感あふれる写真が展示されていました。

東日本大震災に被害に遭われた方々の肖像が、一番最後に展示されています。

 

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小石川後楽園

昨日は後楽園駅をおり、小石川後楽園に行きました。

初めての場所と思っておりましたが、今から50年程前に来たようです。わずかに記憶が戻りました。

駅から一番の外れにあるのが入口です。

水戸家の屋敷跡ですので、都立公園としても優れた史跡です。

 

いつもより一週間以上遅れて、彼岸花が咲いていました。

 

黄門様はいましたが、助さんは格さんは不在でした。

 

東側に後楽園ドームが見えます。

 

公園内は彼岸花を撮影する人が、高級カメラを持っています。一番多いのがニコン、次にCanonでした。女性がフルサイズのSONYを使用しています。私は軽いFUJIです。

 

八卦堂跡

 

円月橋

 

通天橋

 

徳仁堂

 

園内は石の通路で歩きやすいのですが、雨の時は履き物に注意が必要です。

 

見学が終わり外に出ると、南側からドームシティに向かいました。

 

小石川後楽園展示室には、わずかですが発掘された石材、発掘中の写真が展示されていました。

 

南西側が正面入口です。ここは閉められています。門の紋、塀の瓦は水戸家の葵の紋ではありませんでした。

さらに東に向かい、ドームシティで開催されている「篠山紀信展」に向かいました。

 

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