2018年06月

まだあるタイムズマート 飯能店長さんのボランティア活動

タイムズマートの本部は、とうになくなっているのですが、タイムズマート飯能の店長さんは年中無休で、まだ頑張っています。
 
場所
 
それだけでなく、「立ち上がれ飯能プロジェクト」を組織して、ボランティア活動にも力を注いでいます。
主に東日本大震災、熊本地震などです。
震災直後は、物資をトラックに満載して運びました。震災地域との交流などにも力を注いでいます。
 
ホームレスにも衣類を配っているそうです。
 
 
飯能市を中心としたアニメのヤマノススメにあるお店です。
ヤマノススメのグッズが置いてありますよ。ヤマノススメ
 
 
 
 
すぐ西隣は、名刹の天覧山能仁寺です。
 
先日、「飯能学」で講義をしたそうです。
内容は、『天覧山入口「ド根性コンビニ」店主の飯能奮闘記』です。
副題は「講師・本部倒産後も営業を続けているタイムズマート飯能店主」でした。
 
実際よくやっているよなあ! と思っています。
 
 
 
その折り、当寺の募金箱(賽銭箱)に触れて、「立ち上がれ飯能 !」に使用されていると、話していただきました。
 
それ以外にも、毎年の「永代合同法要」の塔婆料も立ち上がれ飯能と、他の2カ所に渡してあります。
 

お店にも募金箱がありますので、近くに来られたら、ぜひ募金をお願い致します。

 
また、宮城県産の特産ワカメを取り寄せて販売しています。風評被害に負けず、頑張っています。
怖がって逃げた国会議員にはあきれました。人を批判する資格などありません。
店長の爪の垢を煎じて飲んで欲しいです。
 
アイスクリームも、美味しいですよ。
この日は、お菓子を買って帰りました。
時折、ワカメも買います。
 
 
追記 タイムズマート飯能店は飯能駅近くに移りました。タイムズマート飯能店ブログlink
 
 

天神社宮司が日刊明星に俳優さんの滝行指導で掲載されています

西澤宮司は月に数回はマスコミからの取材や、タレントさんの滝行撮影、海外メディアの撮影などを受けています。

地元の方々の応援も後押ししていただいています。檜原村観光協会のご協力もいただけることになりました。

 

集英社の月刊明星 七月号でモデルは、人気俳優さんの押田学さんでした。

押田岳さんのtwitter

 

宮司は礼儀正しく 謙虚で爽やかのある青年で、 真剣に行に打ち込む姿に感銘しましたと話していました。

私はテレビをほとんど見ませんので、明星をめくっても、誰一人知っている芸能人はいませんでした。

時代遅れと言われそうです。

 

   滝行 東京都西多摩郡檜原村  リンク

 

箭弓稲荷神社参拝 埼玉県東松山市

東松山市の箭弓稲荷神社に参拝して参りました。

かつて東松山駅には西口がありませんでしたが、西口ができ電車での参拝には便利になっています。東口には、赤い大きな鳥居がありましたが、老巧化と再開発のためになくなっていました。

 

 

 

かつての境内地は、駅も含む広い範囲だったようです。

 

歴史のある優れた神社としての格式を感じます。

 

宇迦之御魂社羽、七代目市川団十郎が崇敬者だったそうです。芸事の向上に来られる方が多いそうです。

 

牡丹園は花の時期、多くの方が訪れますので、車での参拝は避けた方が良さそうです。

 

以前お参りに来たときは、縁結びの場所は無かったと思います。

箭弓稲荷神社 埼玉県東松山市箭弓町2-5-14    

トンボ

 
境内にはいろいろな昆虫がいます。
クマンバチ、アシナガバチは願い下げですが、蝶やトンボが飛んでいました。
これはオニヤンマだと思います。
 
やっと止まっているトンボを撮ることが出来ました。同じトンボです。
 
 
シオカラトンボでしょうか、同じ場所に何度も飛んできたので、撮影できました。
 
飛んでいる姿は、全てピント外れです。
 
他の種類もいたのですが、まともな写真がありませんでした。
ネットで見るトンボのようには、とてもとても撮れませんね。
 
 

梅干し

境内の石屋さんが、梅を漬けています。40キロは漬けているようです。

ほとんどを檀家さんや信者さんに分けているようです。

私の家には、数十年分の梅干しがありますが、お医者さまから塩分控えめと言われておりますので、なめる程度しか食べられません。

 

当寺の山号は、「梅松山」ですので、それに因み数十年前に植えました。

この写真の梅は、天神社前の物です。一番多く実がなります。

 

 

儲からない仕事が多い石屋さんです。

沙羅の花

境内の沙羅の花は、これから咲く花、咲いている花、実とかわっていきました。

まだ蕾です。

 

花が開きました。

 

花びらが落ちて、実となります。

 

実には、雄しべがありました。

 

実が枯れて、開ききっています。種はなさそうです。

 

 

このような変化が、一度に見られるとは思っていませんでした。

結構長い期間、次々に開花して楽しめる花の訳が、分かります。

 

洋服に下駄? 僧侶と下駄

何とも変な題で、申し訳ありません。
別々に取り上げても良いのですが、時代の変遷を感じています。
 
先日、ある女性とショートメールで連絡を取っていると、会話の流れで会社に下駄で出勤したと書いてありました。
 
「洋服 下駄」と検索すると、たくさんの洒落たサンダルのような下駄の画像が出てきました。
滑らないよう、音がしないようにゴムを張ったのもあります。
 
今若い人に、下駄を普通の洋服に会わせるのが、流行りなのだそうです。
 
 
私の下駄は、もう十年は使用していません。
メールを読み浮かんだのは、このような下駄だけでした。
 
彼女の会社はIT企業ですので、比較的服装が自由なのでしょう。
その会社だけでなく、他の会社の方々も下駄で行く方がいるのでしょうか。
おそらく普段の日のカジュアルな装いだと思います。
 
会社で着替えたのかもしれません。
一般の企業でしたら、きっと怒られるでしょうね。
 
近々都内に行こうと思っていますので、若者の足下を見てみたいと思っています。
池袋近辺では、いないかもしれません。
 
 
話が変わります。昔を思い出しました。
私が総本山智積院にいた昭和50年までは下駄でしたが、途中金堂が出来てから草履になりました。
建物の至る所で、磨いた大理石を使用したため、滑る人が続出したためだったと思います。
 
 
私も危なく滑りそうになった事がありました。
特に雨の日は危険です。
 
江戸時代の智積院は、仏教総合大学のような寺でした。
一番多いときは、2000人の僧侶がいたそうです。
場所は東山七条ですが、朝には五条まで下駄の音が聞こえたと伝えられています。
一般の人は、中には入れなかったようです。
 
昭和2年の某お寺のお弟子さん達(関連寺院のご住職)です。20年ほど前にお借りして、カメラで複写しました。スキャナーでもコピーしたのがあると思います。
 
全員が下駄を履いています。
 
智積院末寺の成田山、高尾山は、今でも御護摩の時は下駄だったと思います。
儀式によっては、分けているかもしれません。
他の真言宗でも、大きな寺院での儀式は下駄を多く見ます。
 
しかし、今では他宗旨も一般の寺院では、草履しか見たことはありません。
ホールで行われる通夜葬儀では、当然草履となります。
 
道路に砂利が撒かれ、その後アスファルト舗装となりました。
さらに車に乗っています。下駄で運転するわけにはいきません。
 
 真言宗智山派 総本山智積院  
 
 
追記
このブログを見た、メールの女性からメッセージが届きました。
会社では平服でよく、営業の人とお客さまの所へ伺うときだけスーツだそうです。
他の人は、ズッと以前ですが、中村雅俊の下駄姿にあこがれたと言っていました。
 

香取神宮参拝 千葉県香取市

前回お参りに来たときより、かなり多くお参りに来られているようです。

 

三の鳥居と総門から、本社に向かいます。

夏越の祓のため、茅の輪くぐりをする人が沢山いました。

インターチェンジから近いからでしょう。東国三社の中では一番の人出です。

 

 

東国三社は5人の内、3人が初めての参拝でした。疲れましたが満足していただけたと思います。

帰りは近くにインターチェンジがありますので、2時間程度で帰ることが出来ました。圏央道のお陰です。

香取神宮ホームページ      

息栖神社参拝 茨城県神栖市

鹿島神宮の後に息栖神社をお参りしました。

駐車場に駐めると、先ずは忍潮井に向かいました。

伊勢の明星井、山城の直井と並び日本三霊泉と呼ばれています。

 

忍潮井(おしおい)の内 女瓶

 

 

東国三社のなかで息栖神社は、一番知られていない所です。

交通の便が悪いことや、道が狭く大型バスが来られないからです。

昨年来たときより、多くの方がお見えになっています。圏央道の使用が、良い流れとなっていると思います。

 

御本社

 

理然法師、藤原時朝、諦如法師、稱佛法師の歌碑がありました。残念ながら、知らないか方々のお名前です。

 

境内の稲荷社にもお参りしました。

 

息栖神社  茨城県神栖市息栖2882 地図link

鹿島神宮参拝 茨城県鹿島市

 

仲間に鹿島神宮などの話をすると、日時を合わせ5人で東国三社にお参りに行くことに致しました。

先ずは、鹿島神宮参拝です。  

鹿島神宮                                         

 

以前来たときより、多くの参拝者がありました。圏央道の伸長は参拝者にとって、便利になったと思います。

 

多くの武将から、武神として信仰されており、ここの神官の子として生まれた塚原卜伝は鹿島新当流(卜伝流)を開きました。

本殿は北を向いています。ここで記念撮影。

 
 

 

奥社までで帰られる方が多いようです。ここも北向きです。

 

要石

御手洗池では茶店もあり、疲れたメンバーはここで一休みです。

大きな鯉も泳いでいました。

 

そばのお店では、ペットボトルを売っていましたので、仲間の一人は水を詰めていました。

以前来たときには、近くにも神宮の駐車場がありますので、何本も水を詰めている人がいました。定期的に来ているそうです。

 

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