2022年02月

古民家レストラン&ゲストハウス民泊 むつみ 社会福祉法人・創和 埼玉県飯能市小久保

近くに寄った折、レストランがあることに気がつきました。

入間市の社会福祉法人「創和」の経営するレストラン&ゲストハウス「むつみ」です。

あまり人の通らない場所にありました。

 

 

民家を改造してレストランにしています。

ここで昼食を摂ることに致しました。

 

 

 

 

食事の場所は二ヶ所に分かれています。

 

 

 

食事はむつみ御膳にしました。

「かれいのあげおろし」です。

 

 

なかなか上品な味で、特に女性が喜びそうな気がします。

実際、後で昼食に来られた方々4名は、女性ばかりでした。

ご飯はおかわりが出来ます。

野菜は手作りだそうです。粕汁などがついていました。

 

 

食べ終わるとけっこうお腹が満杯になります。

手作りのケーキセットもありますが、お茶を飲みに来たとき注文するつもりです。

 

レストハウス(民宿)は四部屋あるようです。

 

 

 

 

木金土の三日間が営業日です。

日曜日は予約になります。

近くに美味しいレストランを発見できました。

 

近くにムーミンバレーパーク「メッツァビレッジ」があります。

寄られた時の昼食にいかがでしょうか。

 

レストラン&ゲストハウスむつみ 埼玉県飯能市小久保264−1 地図リンク

ホームページlink

 

 

渋沢栄一 六男・巳六の養母田中ふく墓 埼玉県飯能市

渋沢栄一六男養母「田中ふく」の墓が、私の住む隣の字にありました。

20年以上前に墓の前を通りましたが、すっかり場所を忘れており、どうにかたどり着きました。

 

 

墓の説明板

ふくは幕末、高麗郡小久保村の青田家に生まれ、長じて浅野セメント・清水建設両社重役、田中忠義(自宅・東京都京橋区松屋町1丁目)と結婚するも子に恵まれず、明治近代化の元勲青淵翁こと渋沢栄一の六男巳六を養子に迎える。

ふくは大正5年1月28日、66歳で黄泉の国の旅にたったが、巳六は養母ふくのために「福昌院徳室壽榮大姉」の高位法名を捧げ、生家の墓地に手厚く葬った。

地元では村長をはじめとする多くの方々が、亡きふくを迎えたが、初めて見る霊柩車に人々大いに驚愕せしと伝う。

 

※田中巳六はNHKの大河ドラマで知られるようになった、渋沢栄一の見立養子・渋沢平九郎とは兄弟になります。実際には平九郎は叔父になります。

渋沢平九郎ブログlink

 

 

 

 

近くの長福寺檀家・青田家墓に祀られています。

 

 

前方に木々があるため、日向と陰で酷い写真となってしまいました。

墓地前は狭い道ですので、注意が必要です。

飯能市のPDFリンク

 

田中ふく墓 埼玉県飯能市小久保 地図リンク

 

※この後、近くで見つけたレストラン「むつみ」で食事をしました。ブログlink

 

各地の閻魔大王と十王 木像と石仏 埼玉県東京都など

アチコチに出かけ、各地の寺院に閻魔様が祀られていました。

出かけながら気がつかなかった所もあります。

 

光照寺  埼玉県熊谷市今井884  地図

 

 

 

東斬寺  埼玉県熊谷市石原334  地図link

    御本堂に祀られています。

 
 
 
報恩寺  埼玉県熊谷市円光2丁目8−1 地図リンク
 
   お寺は広い境内に諸堂が建てられています。熊谷直実の娘千代鶴姫玉鶴姫の開基と伝わっています。
 
 
 
 
 
西光院 埼玉県熊谷市上須戸1489 地図
   隣には奪衣婆も祀られています。
 
 
 
 
星渓園  埼玉県熊谷市鎌倉町32  地図link
   珍しい十王供養塔です。
 
 
 
 
慈眼寺  坂戸市中小坂285  地図link
   しだれ桜がきれいです。
 
 
 
阿弥陀堂  東松山市岩殿  地図リンク
   そばに見かえり地蔵石像が祀られています。
 
 

 

 

えんま堂 埼玉県東松山市西本宿1853 地図link

   境内には石仏の天神像が祀られています。

 

 

十王堂  埼玉県飯能市北川  地図リンク

   喜多川神社を目指すと、150メートルほど手米前に祀られています。

 

 

 

円泉寺  埼玉県飯能市平松376 地図リンク

   よく知られる道教に影響された閻魔と異なり、十二天の内・閻魔天(巧芸品)です。

 

 

 

子ノ権現天龍寺 埼玉県飯能市大字南461  地図link

   見晴台からは都心が見渡せます。

 

 

 

山口観音金乗院 埼玉県所沢市上山口2203 地図

   武蔵野七福神の布袋さん札所です。

 

 

 

中野薬師堂 埼玉県新座市中野1丁目2 地図

   御本尊薬師如来の隣に大きな仁王像が祀られています。

 

 

お盆と両彼岸には参拝できますが、駐車場はないと思って下さい。

 

 

聖天院阿弥陀堂  埼玉県日高市新堀990−1  地図link

   阿弥陀如来三尊、聖観音、十王尊を祀っています。

 

 

 

正法寺  埼玉県入間郡越生町越生960 地図

   鎌倉時代の創建で、足利尊氏が中興したと伝えられています。

 

 

 

永福寺  北葛飾郡杉戸町下高野 396 地図link

   施餓鬼寺として知られるお寺です。関東三大施餓鬼「どしょう施餓鬼」の一つだそうです。閻魔堂に祀られています。

 

 

 

野坂寺  埼玉県秩父市野坂町2丁目12−25 地図link

秩父札所十二番です。山門二階に祀られているようです。

 

 

 

慈眼寺  埼玉県秩父市東町 26-7  地図link  

   秩父観音霊場の十三番札所です。経蔵には札所を創建した十三権者像が祀られています。

 

 

 

龍石寺   埼玉県秩父市大畑町15−31   地図link

   秩父19番札所です。御本堂に祀られています。

 

 

 

久昌寺 埼玉県秩父市久那2315 地図リンク

   秩父25番札所です。証空上人が閻魔大王から送られた石の手判が納められています。

 

 

 

善能寺大日堂   埼玉県鶴ヶ島市脚折町6丁目3−10  地図link

   元は近くにあった十王堂より移されました。

 

 

 

大陽寺  埼玉県秩父市大滝459  地図link

秩父の女人高野と言われていました。数多くの御堂があります。宿坊を経営しています。

 

 

 

西勝院   埼玉県入間市宮寺489   地図link

   武蔵七党の内・村山党宮寺氏館跡です。

 

 

 

寿昌寺  入間市二本木1225  地図link

廃寺となった浄珍寺にあった石像です。

 

 

 

西光寺  埼玉県比企郡小川町小川1277  地図リンク

御本堂に祀られています。

 

 

 

宝城寺  埼玉県比企郡嵐山町志賀1478  地図

   山門脇の御堂が閻魔堂です。

 

 

 

高崎観音  

   白い大観音像の胎内廻りが出来ます。

 

 

 

空恵寺  群馬県渋川市上白井3958  地図リンク

   白井城主・長尾家の菩提寺です。平安初期の創建になります。奪衣婆・閻魔・地蔵菩薩の石仏が祀られていました。

 

 

 

浄蓮院 群馬県邑楽郡板倉町町大曲1066 地図link

   御法事における十三仏になる前の十仏の考えがあった時代の貴重な板碑です。三回忌の阿弥陀如来まで梵字が彫られています。

 

 

 

徳蔵寺 群馬県前橋市元総社町1丁目31−38 地図link

   境内には数多くの石仏が祀られています。

 

 

 

九品仏浄心寺  東京都世田谷区奥沢7丁目41−3 地図リンク

   三仏堂には九体の大きな阿弥陀さまが祀られています。祭礼「おめんかぶり」として知られる寺です。

   参道の閻魔堂には奪衣婆が祀られています。

 

 

 

長久院  東京都台東区谷中6丁目2−16  地図link

   笑い閻魔像は台東区の有形文化財になっています。

 

 

 

円照寺 東京都新宿区北新宿3丁目23−2  地図

   閻魔堂に祀られています。写真家篠山紀信さんのご実家です。

 

 

 

長命寺  東京都練馬区高野台3丁目10−3  場所 

   東高野山と言われ、江戸時代から広く参拝者が訪れました。

 

 

 

東京大仏 浄蓮寺  東京都板橋区赤塚5丁目28−3 地図リンク

   閻魔堂に祀られています。阿弥陀如来大仏以外にも境内に色々な仏さまが祀られていました。

 

 

 

眞性寺  東京都豊島区巣鴨3丁目21−21 地図

   江戸六地蔵で知られる寺です。とげ抜き地蔵ではありません。

 

 

 

得月茨城県牛久市城中町258 地図

  カッパの絵で知られる小川芋銭の墓があります。

 

 

 

蓮花院  群馬県前橋市下増田町1626 地図link

    川崎大師分院です。数多くの仏像が祀られています。

 

 

勝楽寺  神奈川県愛甲郡愛川町田代2061  地図
    閻魔をふくむ十王と奪衣婆が十王堂にに祀られています。
 

 

 

善光寺   長野県長野市長野元善町491   地図

   御本堂妻戸台の西側に祀られています。

 

少しずつ追加していくつもりです。

 

閻魔と閻魔天ブログlink

 

武蔵国高麗郡 某神社と某家の系図 歴史 游古疑考倶楽部調査委員会

ある神社の歴史と家系図について、常々おかしいと思っておりました。
ここの家が○○家の本家である。高麗郡の由緒正しい格式の高い神社であるなど、私の知る歴史とは大きく異なった歴史がホームページに掲載されています。

あちこちの神社におけるホームページは、廃仏毀釈以前に関して都合の良い歴史を書いてことが多々在ります。実際は寺であったのにかかわらず、始めから神社であったと案内板に書かれているのを見ることもあります。歴史の改竄が明治になって行われたのです。

それどころか平成になってからの改竄も見たことがあります。それも大きな石版に彫られていました。一緒に行った地元の歴史に詳しい友人は怒っていました。それは友人の先祖を侮辱した内容だったからです。さらに宮司は学校の恩師でもあったのです。


新編武蔵野風土記も信用できない部分があるのですが、何らかのヒントを与えてくれます。

同じような疑問を持つ隣の市の方々が、詳しい資料を掲載し、疑問点を整理しているホームページを開設しました。游古疑考倶楽部調査委員会ホームページlink

私がいただいた資料の一部です。

 

 

○○家の一番おかしいと思うのは、坂戸市の□□家が系図を借りながら、返さなかったと神社のホームページにあることです。
□□家に系図を借りながら、返さなかったのは○○家のはずです。
○○家が返していただけなかったら、新たな系図は○○家の創作なのです。自ら家系図を創作したことを認めている部分です。
私は50年前□□家ご本家にお話を聞いています。他の郷土史家の方や父からも同じ話を聞いていました。

ある大学の教授が資料を見せていただくと、見ただけで「けっこうな資料を見せていただいて、ありがとうございます」と言い、帰ってしまったと、一緒に行った人が何かに書いてあったのを思い出します。怪しいと思う人が他にも多くいるようです。

ホームページには、いろいろな資料が掲載されています。
今後も増えていくと思います。
  

 

真言宗智山派 文殊院 埼玉県熊谷市

文殊院の開創は明らかではありません。

明治になり廃寺となりましたが、再興されています。

 

 

御本尊は文殊菩薩です。

山号が医王山とありますので、薬師如来も祀られているのでしょうか。

 

 

地蔵菩薩

 

境内の一角には、立派な宝篋印塔が祀られていました。

 

 

 

西側にも入口がありました。

門柱は現在の熊谷東尋常小学校の前身である熊谷男子小学校にあった物です。

昭和12年に移設しています。

 

 

文珠院  埼玉県熊谷市箱田7-1-5  地図link

 

曹洞宗 報恩寺と袖引稲荷 埼玉県熊谷市

報恩寺は熊谷直実の子・直家により浄土宗寺院として創建されました。

江戸時代に報恩寺と改号し、後に曹洞宗となっています。

ホームページでは御本尊釈迦牟尼仏とありますが、新編武蔵野風土記では熊谷直実の娘千代鶴姫玉鶴姫の開基守佛・阿弥陀如来が祀られていると書かれています。

 

報恩寺ホームページlink

 

熊谷宿戦災復興の為、昭和38年に現在の地に移っています。

 

道路入口から見た境内の様子です。

かなり広いことが分かります。

 

 

山門は鉄筋で造られていました。

 

 

山門を守るのは仁王ではなく、中国の狛犬?が左右に祀られ、反対側には雷神が祀られていました。

 

 

痛みが激しかった本堂は、平成13年に新たになりました。

 

 

こちらが総受付です。

 

閻魔閣には閻魔様と他の仏さまが祀られていました。

位牌堂にもなっているようです。

 

 

六地蔵の隣には宝篋印塔があると思いましたが、見ると六地蔵が掘られていました。

向かいの白い建物は、鐘楼堂です。

 

 

 

入口から更に西に行くと、袖引稲荷神社がありました。

報恩寺の持ち物でした。

 

 

熊谷次郎直実の娘・玉津留姫は、近くのお稲荷様が荒れいたため報恩寺境内に移しました。

玉津留姫と妹・千代鶴姫の伝承が残されています。

 

 

境内の紅梅がきれいでした。

 

報恩寺  埼玉県熊谷市円光2丁目8−1  地図link

 

 

真言宗智山派 成就院 埼玉県熊谷市

成就院は真言宗智山派に属しており、室町時代後期の大永年間(1521年から1528年)に欽照上人により中興されています。

明治期は浄土宗知恩院末となったこともあるそうです。

熊谷肥塚公民館PDFlink

 

 

御本尊は阿弥陀如来で、燈籠佛名なのだそうですが、どのような仏像なりでしょう

山門には厄除け灯籠佛とあります。

 

山門左側に宝篋印塔。右に地蔵菩薩が二体祀られています。

 

 

明治15年に現在の地に忍東照宮の拝殿を移築して本堂としました。

このため屋根の軒瓦に「三ツ葉葵」の紋章があります。

ちなみに真言宗智山派は桔梗紋です。

 

 

 

境内に古塚古墳の石棺が保存されていました。

 

 

棺車が墓地入口にありました。柿沼の龍昌寺にあった物と同じく、墓地に座棺を運ぶ車です。

 

 

成就院 埼玉県熊谷市肥塚2丁目6−1  地図link

 

 

真言宗智山派 龍昌寺 埼玉県熊谷市

いつ頃の開基かは不明ですが、江戸初期に海宝上人によって中興されています。

寺領二十石六斗もある寺院でした。

しかし明治9年に伽藍や什器を焼失しています。

 

その後に御本堂、鐘楼堂、庫裡などを再建しました。

 

 

山門左側に、地蔵菩薩、宝篋印塔、板碑などが祀られています。

 

 

御本尊は地蔵菩薩です。

 

 

左は不動明王、右は分かりませんでした。

 

 

この日は植木屋さんが入っていました。

 

 

南無大師遍昭金剛

 

 

土葬時代の棺車と輿が保存されていました。

横にした棺ではなく、座棺を墓地まで運んでいた大事な遺産です。

 

 

左が棺車、右が輿です。

 

火災に遭わなければ、さらに素晴らしい寺院であったことと思います。

 

龍昌寺 埼玉県熊谷市柿沼499 地図link

 

 

曹洞宗 集福寺 埼玉県熊谷市

集福寺は圓明國師(永仁6年1298年寂)によって開かれましたが、当時は臨済宗でした。

永正年中(1504から1521年)に曹洞宗になりました。

江戸期には御朱印20石あり、地域を代表する曹洞宗寺院でした。

 

 

正面の総門は閉じられていましたが、東側の門より参拝致しました。

 

 

かなり広い寺域があるだけでなく、多くの伽藍があります。

こちらが山門のようです。

 

 

山門と下の御堂の回廊間より法堂(ほっとう)に至るようになっていました。

 

 

 

法堂には釈迦牟尼仏や十六羅漢が祀られています。

 

 

鐘楼堂

 

回廊まである寺院は関東では珍しく、格式ある寺院であることがうかがえます。

 

 

お墓には吉田市右衛門一族の墓があります。

吉田家は荒川の洪水や飢饉の被災者に、育児費や物資を援助しました。

中でも天保の大飢饉には、大麦数百俵を援助し、幕府に1万両を献上しています。

 

 

大正9年(1918)二は、正五位を追走されています。

 

 

巣鴨のとげ抜き地蔵・高岩寺の本寺であるとは思いも寄りませんでした。ブログlink

 

集福寺  埼玉県熊谷市下奈良551 地図link

 

 

高野山真言宗 東光寺 埼玉県熊谷市

東光寺は高野山真言宗の寺院です。

駐車場に駐めさせていただき、改めて門前を通り参拝致しました。

 

 

六地蔵と石塔が門の左右に祀られています。

境内の多くの木々は落葉しており、さみしさを感じますが、4月以降は新緑を楽しめそうです。

 

 

地蔵菩薩の石塔は、三界萬霊塔です。

安永4年(1775)に建立されています。

 

 

御本堂参拝です。

東光寺は御本尊薬師如来を祀ります。

(※東方瑠璃光世界教主・薬師如来)

 

 

文化7年(1810)年に建立された立派な宝篋印塔です。

 

 

境内で一番大きな木は銀杏でした。

 

 

黄葉の頃が良さそうです。

 

東光寺  埼玉県熊谷市上奈良953 地図link

 

 

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