2020年12月

当寺掛軸 木花咲耶姫 の絵が使用されます。新春・美しき百人一首への旅

10月にテレビの制作制作会社ディレクターの方々がお見えになり、当寺掛け軸の木花咲耶姫画像使用を依頼されました。

『新春・美しき百人一首への旅』は、2012年から今までに合計9タイトルを放送しています。

 

日時が異なりますが、北海道から沖縄まで、27の放送局から放映されます。

関東での放送日は、MXテレビで2021年令和3年1月1日 16:00-16:15分の予定です。

今回は「富士・桜」に関する歌です。

 

 

似た絵がネットでは散見出来ます。おそらく同じ版木を使用しているのだと思います。

 

放送内容につきましては、詳しく述べることは出来ません。

 

←空海狂草図               陶器の吉祥天→

 

空海狂草図

懐素の草書は「狂草」として知られています。酒に酔い書き散らした伝えられています。事実はともかくとして、後世に名を残した人ですから、優れた書家であったことは明らかです。

 

「空海狂草図」掛軸は空海和上(弘法大師)の書が書かれているわけではありません。筆を持った弘法大師の後ろに描かれている煙のような描写が、狂草と表現される部分だと思います。

 

 

左の空海の文字以降は、狂草なのでしょう。

 

この図のお大師様の表情は、日本で知られる大師像とは大きく異なります。

やはり大陸的な表現なのだと思います。この図は自由な発想の元に描かれた狂草に通じる絵なのかも知れません。

 

 

 

 

下の図は額になっており別の狂草図です。本堂廊下のわかりずらい場所に掛けてあります。

 

 

気がつく人は、ほとんどいません。

 

時折御本堂に仏画などの掛軸を展示しています。

そのような場合は掛軸が便利です。

 

涅槃会の折には、掲げたいと思っています。

 

←石山寺の紫式部 源氏物語               木花咲耶姫 の絵がテレビで使用されます→

 

石山寺の紫式部 源氏物語

この掛軸には題名がありません。しかし滋賀県大津市の石山寺で、源氏物語の構想を練っている紫式部だと思いました。

調べてみると滋賀県甲賀市のMIHO MUSEUMに「石山寺観月図」(土佐光起筆)がありました。

よく似た絵柄です。MIHO MUSEUM 「石山寺観月図」 ホームページlink

 

 

石山寺には西国33観音霊場巡りで、45年程前参拝しています。

紫式部が、ここで源氏物語の構想を練ったことを知りました。

 

 

どこかの博物館か美術館で、似たような掛け軸を観た記憶があります。

 

 

直観の雅号がありましたが、調べてみると該当する画家は分かりませんでした。

 

 

石山寺 滋賀県大津市石山寺1丁目1−1 ホームページlink

 

←善光寺阿弥陀三尊伝来縁起図など               空海狂草図→

 

友人がコロナに感染 !

友人から電話がありました。
「実はコロナに感染していたんだよ ! 」

 

 

実は一週間前に会う予定でした。
それより一週間前に、都合が付かなくなったと電話がありました。
熱の出ないときに会っていれば、濃厚接触者の可能性があったわけです。
友人は自宅隔離をしていたそうです。

濃厚接触者の定義
「濃厚接触者」とは、あなたが感染している間にあなたに接触した次の人々のいずれか
となります。
a. あなたから 6 フィート(1.8288メートル)以内の距離に 24 時間以内に合計 15 分以上いた一緒にいた
方、または、
b. あなたの咳やくしゃみの飛沫がかかる、唾液にふれる、食器を共有する、保護具
を着用せずに介護を行うなど、症例の体液および/または分泌物に保護具を着用せ
ずに接触した方。
*症状が最初に現れる 2 日前から自宅での隔離が終了するまで、感染していると見なされ
ます(COVID-19 が他人に感染する場合があります)。COVID-19 の検査で症状がなく陽性
となった場合、検査を受ける 2 日前から検査後 10 日間を感染性があるとみなされます。

 

 

活動的な友人でしたので、どこかで拾って来たようです。
仲間の中に、罹っていた人がいたのかもしれません。
濃厚接触者も何人もいたのでしょう。

予定していた日が10日ほど早ければ、私も罹っていたかも知れません。

友人はたいした症状でなかったために、自宅隔離だけで済みました。
ご家族は感染していなかったそうです。さぞかし心配されていたのでしょう。

元気な声を聞き、安心しました。

善光寺阿弥陀三尊伝来縁起図などと絵馬図の掛軸

善光寺

善光寺をお参りしたのは三年前でした。

平日でしたが、かなり大勢の方々が参拝していました。

 

 

今年は新型コロナウイルスの為に善光寺だけでなく、不便な対応をしなくてはいけない寺社がたくさんあります。

 

善光寺式阿弥陀三尊図

このようなお姿が善光寺から発行されていました。

 

 

それを元に書かれた図です。

 

 

 

善光寺式阿弥陀三尊縁起図

善光寺如来が天竺から信州に伝来するまでを描いた版画の掛軸です。

 

 

善光寺に浄財勧進のため、全国に散らばった勧進聖が大勢いました。勧進聖はこのような掛軸を広げて、善光寺の功徳を説いたのでしょう。

その力によって善光寺阿弥陀如来に対する信仰が広がりました。

 

善光寺絵馬

上高井郡日滝村(現在の須坂市)の牧祥周という人が、夢に現れたお姿を自ら描きました。

 

 

善光寺塔頭の本覚院が発行したと思われます。

 

善光寺式阿弥陀三尊ブログlink

 

←薬師三尊の掛軸               石山寺の紫式部 源氏物語→

 

薬師如来三尊図

薬師三尊の掛軸です。

十三仏全ての仏像をお祀りすることが出来ましたが、合わせて掛軸も揃えることにしています。

薬師如来は七七日(49日)忌担当の仏様です。七七日忌は行き先の定まる日として、御法事も特に重要視されています。

ただし浄土宗や浄土真宗などでは、亡くなると阿弥陀さまが西方極楽浄土に連れて行ってくれるとしますので、十三仏は重要視されていません。

 

 

かなり大きな掛軸ですが、残念なことにお顔の部分などに汚れがあります。

 

 

 

右脇士に日光菩薩(にっこうぼさつ)、左脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)

 

日光菩薩

 

月光菩薩

 

お薬師さまの廻りには五体の仏さまが描かれています。

薬師寺の薬師如来の廻りとは異なる姿の仏さまでした。

 

 

薬師如来は病気平癒や怪我などに対して、お祈りする人が多いと思います。

国分寺のほとんどの御本尊は薬師如来ですが、当時は鎮護国家を祈願する寺として祀られていました。

それだけ力のある仏様として、いまでも信仰されているわけです。

 

←普陀大仕(観音菩薩)拓本               善光寺阿弥陀三尊伝来縁起図・絵馬図の掛軸→

 

普陀大仕(観音菩薩)拓本

中国の普陀山に伝わる普陀大仕(観音菩薩)の拓本と思われます。

日本から中国へ渡った慧萼(えがく)が、日本に帰国しようとした際、船が進まなくなりました。

五台山から日本に招来しようとした観音菩薩(一説には画像)を降ろすと船が進みました。観音菩薩が日本に渡ること拒んだと思い、この地に寺を建立して安置したと伝えられています。

普陀山は仏教における四霊山の一山で、中国有数の霊場となっています。四霊山ウィキペディアlink

 

普陀山ウィキペディアlink                 恵萼ウィキペディアlink

 

 

この図は明萬暦戌申年(1608)に普陀山楊枝庵に刻まれました。現在は楊枝禅院となっているようです。楊枝禅院link

 

 

普陀山は知っていましたが、日本の恵萼が開山とは思いませんでした。

恵萼が祀った観音菩薩とは異なるかも知れませんが、素晴らしい拓本と思います。

 

←高養寺 埼玉県入間市                 薬師如来三尊図→          

 

曹洞宗 高養寺 埼玉県入間市

かつて寺竹は金子村に属していました。現在は入間市なっています。

天正15年(1587)に亡くなったた金子筑後守家定による開基です。

全国にいる金子姓は金子村が大元になっています。特にこの金子地区に多い姓です。

 

 

落ち着いた雰囲気の寺院でした。

六面六地蔵宝篋印塔と石幢が祀られていました。

 

 

西脇には白山堂が祀られています。

 

 

寺の周りには地名と同じように、たくさんの竹が繁茂していました。

 

高養寺 埼玉県入間市寺竹1022 地図リンク

 

←長久寺 旗本 土屋氏の墓 埼玉県入間市               普陀大仕(観音菩薩)拓本→

 

真言宗豊山派 長久寺 旗本 土屋氏の墓 埼玉県入間市

長久寺には旗本の土屋氏の墓があります。

他の寺の御住職が兼務しているようです。

 

 

長久寺門柱には正保2年に、開基英俊 桓武天皇御子末裔 土屋俊次公二男成勝とあります。

さいたま市の玉蔵院住職の書です。ここの御本山は長谷寺ですが、玉蔵院の末寺なのでしょう。

※当寺に参拝に来られた方より、玉蔵院の兼務寺であると教えられました。

 

広い墓域に土屋家の墓石が並んでいます。

 

 

墓石の裏のお塔婆には、施主・土屋家とありました。

土屋家は他に墓があるのでしょうが、今でも墓参りをしているようです。

 

 

 

御本堂前の西側には、立派な宝鏡院塔がありました。土屋家に嫁いだ方のために建てられたようです。かなり良い家柄の出だったのでしょう。

施主永田氏とありました。

 

 

 

長久寺 埼玉県入間市宮寺2324  地図リンク

 

←旗本大森氏・加藤氏の宝鏡院塔 埼玉県入間市               高養寺 埼玉県入間市→

 

崇巌寺廃寺跡の旗本大森氏・加藤氏の宝鏡院塔 埼玉県入間市

旗本であった大森氏・加藤氏の宝篋印塔は廃寺となった崇巖寺(すうがんじ)跡にあります。

崇巖寺は大森氏が幕府の許可なく建てられたため、取り壊されました。

 

 

エービーイーダイヤモンド(株)工場裏が入口です。

 

 

 

一番右側には「一便宗見大居士碑」があります。加藤重正の顕彰碑のようです。

 

 

 

正面に「崇巖院殿長誉善透大禅定門」とありましたので、大森好長の宝鏡院塔と思います。

 

 

 

大森好長 ウィキペディアlink                 加藤重長ウィキペディアlink

入間市景観50選 大森氏、加藤氏の宝篋印塔  埼玉県入間市宮寺 地図リンク

 

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